◆近江支配
鳥羽・伏見の戦い(1868年)で官軍に敗れ、江戸に戻った将軍徳川慶喜の追討を呼びかけた高札が、日野町の民家で見つかった。一時的に近江国を支配していた土佐藩が出したもので、専門家らは「幕末の動乱期を象徴する史料」と注目している。
同町中山の農業岡本幹雄さん(83)が、地域に残る高札を、内容に気付かないまま保管していた。今月中旬、町内の文化祭で、歴史愛好家たちによる高札の展覧会が開かれ、岡本さんが「うちにもある」と持参した際、重要な史料だとわかった。
縦40センチ、横100センチ、厚さ3センチの1枚板。墨書で、幕府軍が官軍と戦ったことを「慶喜反状明白、始終奉欺朝廷候段、大逆無道」(慶喜の反意は明白であり、朝廷を欺こうとする行為は大逆無道)などと非難し、やむをえず慶喜を追討することになったと記す。
文末に「慶応四年 辰正月 土州 執行」とあり、土佐藩が朝廷の命を受け、街道沿いに掲げたとみられる。
江戸時代、高札は各領主により、為政者の意向を知らせる目的で設置された。領主以外の名で出されたものは珍しいという。
町教委町史編さん室の岡井健司主査は「この高札によって、日野の住民は時代の変化を実感しただろう」と話す。また、笹部昌利・佛教大講師(日本近代史)は「土佐藩の近江国支配は期間が短く、実情がわかっていないだけに、高札は学問的に貴重だ」と評価している。
11/29 読売新聞
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鳥羽・伏見の戦い(1868年)で官軍に敗れ、江戸に戻った将軍徳川慶喜の追討を呼びかけた高札が、日野町の民家で見つかった。一時的に近江国を支配していた土佐藩が出したもので、専門家らは「幕末の動乱期を象徴する史料」と注目している。
同町中山の農業岡本幹雄さん(83)が、地域に残る高札を、内容に気付かないまま保管していた。今月中旬、町内の文化祭で、歴史愛好家たちによる高札の展覧会が開かれ、岡本さんが「うちにもある」と持参した際、重要な史料だとわかった。
縦40センチ、横100センチ、厚さ3センチの1枚板。墨書で、幕府軍が官軍と戦ったことを「慶喜反状明白、始終奉欺朝廷候段、大逆無道」(慶喜の反意は明白であり、朝廷を欺こうとする行為は大逆無道)などと非難し、やむをえず慶喜を追討することになったと記す。
文末に「慶応四年 辰正月 土州 執行」とあり、土佐藩が朝廷の命を受け、街道沿いに掲げたとみられる。
江戸時代、高札は各領主により、為政者の意向を知らせる目的で設置された。領主以外の名で出されたものは珍しいという。
町教委町史編さん室の岡井健司主査は「この高札によって、日野の住民は時代の変化を実感しただろう」と話す。また、笹部昌利・佛教大講師(日本近代史)は「土佐藩の近江国支配は期間が短く、実情がわかっていないだけに、高札は学問的に貴重だ」と評価している。
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