坂本龍馬らを同志に土佐勤王党の首領として活躍した武市(たけち)半平太(武市瑞山)が、獄中でしたためた漢詩の掛け軸が、高知市立龍馬の生まれたまち記念館に寄託され、同館が14日発表した。半平太が自作の漢詩を書にした珍しい資料。土佐藩の実権を握っていた元藩主・山内容堂への恨みが、強くうかがえるという。25日から8月24日まで同館で公開する。
寄託された掛け軸は、高さ120センチ、幅28センチ。獄中で作った七言絶句の漢詩集「泣血(きゅうけつ)録」の中から一つを選び、切腹する前年の元治元年(1864年)ごろ墨書、半平太に心酔していた牢番(ろうばん)の門屋貫助に与えたものとみられる。漢詩は、京都に上り、同志と計画を図り、巨奸(きょかん)(悪者)をうって士気が高まっていたところで夢から覚めた。恨み限りなく、夜明けに鶏の鳴き声を聞く-という内容。牢番と親交のあった人物の子孫が、高知市内で保存しており寄託。歴史家で高知県佐川町立青山文庫名誉館長の松岡司氏が、筆跡や書体などから半平太の直筆と鑑定した。
半平太が漢詩を作ったのは、獄中の2~3カ月に限られ、50近くを残したとされる。松岡氏はそれらの中で特に、半平太がこの漢詩を選んで牢番に与えていることを重視し、「山内容堂を恨む半平太の心情がストレートに表れた貴重な資料」としている。
7/14 産業経済新聞
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寄託された掛け軸は、高さ120センチ、幅28センチ。獄中で作った七言絶句の漢詩集「泣血(きゅうけつ)録」の中から一つを選び、切腹する前年の元治元年(1864年)ごろ墨書、半平太に心酔していた牢番(ろうばん)の門屋貫助に与えたものとみられる。漢詩は、京都に上り、同志と計画を図り、巨奸(きょかん)(悪者)をうって士気が高まっていたところで夢から覚めた。恨み限りなく、夜明けに鶏の鳴き声を聞く-という内容。牢番と親交のあった人物の子孫が、高知市内で保存しており寄託。歴史家で高知県佐川町立青山文庫名誉館長の松岡司氏が、筆跡や書体などから半平太の直筆と鑑定した。
半平太が漢詩を作ったのは、獄中の2~3カ月に限られ、50近くを残したとされる。松岡氏はそれらの中で特に、半平太がこの漢詩を選んで牢番に与えていることを重視し、「山内容堂を恨む半平太の心情がストレートに表れた貴重な資料」としている。
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