NHKのHPより
2010年の大河ドラマは「龍馬伝」。坂本龍馬33年の生涯を描きます。
2009年8月にクランクイン、2010年1月から1年間の放送を予定しています。どうぞご期待ください!
【名もなき若者は、その時「龍」になった】
「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児・坂本龍馬33年の生涯を、幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描くオリジナル作品。
土佐から江戸、そして世界へ。龍馬の行くところ、時代が怒濤のように動き始める。
いつも自分の先を歩く同郷の天才龍馬への憧れ、妬みは師・吉田東洋暗殺を機に憎しみへと変わり、若き弥太郎を苛む。長崎で再開した二人は衝突を繰り返す中で急接近。「世界の海援隊を作る」龍馬の志は龍馬暗殺の後、弥太郎に引き継がれていく。
そして、龍馬の妻お龍や志士たちのパトロン・大浦慶など変革の時代を力強く生き抜いた女性たち、一攫千金を夢見て黄金の国ジパングに乗り込んだ英国商人グラバーなど、魅力溢れる登場人物が新しい龍馬の伝説を彩る。
名も無き若者が世界を動かす「龍」へと成長していく姿を、壮大なスケールで描く青春群像劇「龍馬伝」、ご期待下さい。
脚本家:福田靖さんからのメッセージ
この僕が、NHK大河ドラマを書くことになったときはもちろん興奮しましたが、その内容が『坂本龍馬』に決まったときはもう体が震える思いでした。
龍馬と言えば、日本史に登場する人物の中でもヒーローの中のヒーローです。一体どれだけ多くの人が龍馬に憧れ、龍馬のように生きたいと願ったでしょう。僕も大学生の時に司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を夢中になって読み、「自分も龍馬になりたい!」と未来の自分を思い描いたものです。まさか、将来自分が大河ドラマの脚本を、しかも龍馬を書くなんて想像もしていませんでした。本当に脚本家冥利に尽きるというものです。
とはいえ、誰もが知っている『坂本龍馬』を大河ドラマで描くのですから、絶対に面白いものを作らなければなりません。しかし、視聴者のイメージをそのままなぞったような龍馬を見せても仕方がない。『竜馬がゆく』が発表されてからすでに46年が経っています。昭和から平成に時代は変わり、今、僕たちは21世紀の世界に生きています。その後の研究で当時は知られていなかった龍馬像も明らかになっています。今、描くべき龍馬は、46年前のものとは違うかもしれません。
僕がいつも目指しているのは、期待は決して裏切らず、でも予想は裏切って展開していく骨太のエンターテインメントです。さて、どんな龍馬を書こうか……。今、僕の中では『龍馬伝』のイメージがだんだんと出来上がっています。
【福田靖氏プロフィール】
1962年、山口県生まれ。劇団主宰を経て、1996年『BLACK OUT』で脚本家デビュー。主な作品はTVドラマ『HERO』『救命病棟24時』『海猿』『ガリレオ』『CHANGE』、映画『催眠』『陰陽師』『HERO』『LIMIT OF LOVE 海猿』など。NHKでは『R.P.G.』『トキオ』を執筆。この夏秋にはNHK連続ドラマ『上海タイフーン』、映画『20世紀少年』『容疑者Xの献身』が控えている。
チーフプロデューサー:鈴木圭さんからのメッセージ
私は前作・土曜ドラマ「フルスイング」で、伝説の打撃コーチから五十九歳で高校教師に転進した高畠導宏さんをドラマ化させて頂きました。高畠さんの口ぐせは「大丈夫じゃ」でした。悩める生徒や先生たちを慰め、大きく包み込み、励ます、無限の優しさを持った口ぐせ「大丈夫じゃ」。それでは坂本龍馬の口ぐせは一体何だったのでしょうか?勝海舟、高杉晋作、桂小五郎、西郷隆盛、、、名立たる男たちを突き動かした龍馬の口ぐせ、乙女姉さんや妻お龍、寺田屋のお登勢に大浦慶、、、凛々しき女たちを魅了した龍馬の口ぐせとは?考えるだけでなんだかワクワクして来ます。今回大河ドラマ「龍馬伝」を制作するに当って、肝に銘じているのは「わかったような気にならないこと」です。坂本龍馬について、もっと言えば幕末について、実は私たちは意外にわかっていないんじゃないかと感じてます。脚本の福田靖さん、大友Dとも話したのですが、「黒船じゃあ!!」の一発で海外列強の脅威と日本側の動揺を表現するのが常ですが、黒船を見た当時の人々の気分は、本当のところどうだったのでしょうか?弁当を持った多くの小舟が物見遊山にこぎ出していったという史実も残っているくらいです。そっちの方がなんだか納得できるし、面白い。リアルな歴史の姿、活き活きとした人間像に限りない興味を覚え、想像力をかきたてられます。既存のイメージにとらわれずに、素直な気持ちで、新しい龍馬の伝説づくりに取り組みたいと思います。「ハゲタカ」の大友D、「CHANGE」の福田靖さんと、幸い、最強のパートナーとのタッグです。今の気分は<「ハゲタカ」と「フルスイング」で大河ドラマを「CHANGE」!!!>
どうぞ、よろしくお願いいたします。
演出:大友啓史さんからのメッセージ
去年「ハゲタカ」というドラマを演出しました。
そこで僕たちが描いたものは、アメリカ流の「グローバルスタンダード」という手法を背負って日本の経済システムを変革しようとする一人の日本人と、旧態然とした日本の経済システムを守ろうとする日本人たちとの、「共食い」の構造であったように思います。
さて、今度演出を担当する2010年度の大河ドラマ。
私たちが描こうとしている幕末という時代。多くの西洋諸国が、黄金の国「ジパング」に、未開のビジネスチャンスを求め、先を争うかのようにやってきました。それは、日本人が初めて「グローバル・スタンダード(のようなもの)」に生身で触れる機会であったといって過言ではありません。金融や経済分野のみならず、生活習慣も含めより激烈な変化が求められたであろうことは、残っている様々な資料から容易に想像できます。そして「ハゲタカ」同様この時代も、「外圧」の影響はやはり「共食い」という形で現れてきます。「幕府」を中心にした政治・経済システムを守ろうとした人々と、「外圧」に乗じ、それを打ち破る絶好の機会と捕らえた人々・・・。
では、2010年大河も「ハゲタカ」のような「悲劇」を描くことが目的になるのでしょうか。たぶん、そうはならない。なぜなら、そこに「龍馬」が登場するからです。彼の登場によって、なぜか骨肉を争うような「対立」の空気が一変するからです。龍馬だけが、「共食いの構造」から、ちょっと離れたところに存在しているのはなぜでしょうか。龍馬の周りにだけ、爽やかな風が吹いている印象があるのはなぜでしょうか。
僕はそこで一つの仮説を立てています。それはきっと、龍馬ただ一人が、あの時代断固として「オリジナリティ」を大切にした、極めて稀有な日本人だったからではないかと。「今自分に出来ること」と「出来ないこと」、「今自分がやろうとしていること」と「そのために必要なこと」、「自分にしか出来ないこと」と「他人でも出来ること」・・・龍馬だけが、実は時代に流されない「自分」という「オリジナル」に立脚した、極めて醒めた「自己分析」を行っていたのはないでしょうか・・・。自らの「好奇心」と「向上心」を武器に海を渡った、イチロー選手や中田選手のように。
新しいことをはじめようとするとき、そこには、必ず対抗勢力や批判が生まれます。メディアの発達した現代社会では、それらを有効に活用し、どちらが大きな声を上げるか、「情報戦」をどう制するかが勝敗やその評価を決する大きな分岐点ともなる。一方で「敗者」にも、メディアによる「敗者復活戦」や「反論の機会」が保障されています。現代のような「メディア」が存在しなかった「幕末」という時代。「自分」以外の一人一人と向き合い、時代の流れと向き合い、龍馬は「自己発見」を淡々と進めていた。何万キロもの道のりを移動し、自分自身が「メディア」となって。時には「インタビュアー」として人の声にじっと耳を傾け、時には自らが取材される側に立って、自らの考えを確認しながら、見聞を広めていった。どんどん「外」に出て行く彼の行動力は、内に内に篭っていく現代的な「内向的な青春像」とは一線を画しています。ひたすら外に出て、他者とぶつかり合うことで、龍馬は「龍馬オリジナル」を見つめようとしていたように思うのです。そこに、今こそ「永遠の青春像」として龍馬を世に問う意義があると思うのです。
「ハゲタカ」冒頭。主人公の鷲津がプールに浮かぶ映像を思い浮かべたとき、鷲津は「失われた十年」に殉じ、十字架に磔にされたイエス・キリストであるという仮説を立てました。これに準じて考えると、暗殺の凶刃に倒れた龍馬も、幕末という時代に殉じ、やはり磔にされたキリストという解釈が成り立つともいえます。ですが、龍馬暗殺を、幕末という「時代」に還元した特異な出来事として考えることは、なぜかそぐわないような気もするのです。
そういった形で、彼を「時代の殉教者」として祭りあげるのは、龍馬に失礼であるという気が、なぜかしてしまうのです。
なかなか超えられないと思っていた壁も、ひょいと越えてみると、それは何でもないものだったりする。もしかしたら、単にそれを「越えさせたくない人たち」がいただけかもしれない。易々と超えてしまう龍馬を「気に入らない人たち」がいただけかもしれない。龍馬の暗殺は、密室政治のの匂いや唐突な、通り魔的な匂いがする一方で、極めて個人的な、「嫉妬」のようなものが背後で蠢いていることを感じさせたりもします。そう考えると、誰が龍馬を「暗殺」してもおかしくはない。それは、決して歴史的事実をないがしろにするという意味ではありません。新しい一歩を踏み出そうとした龍馬を「暗殺」する「動機」は、時代を超えて、場所を越えて、誰もが十分持ちえるような普遍的な感情であるような気がするのです。今の時代であれば、メディアが龍馬を(事実上)抹殺してしまう可能性もあると思うのです。
決して単なる「犯人探し」ではなく、龍馬に対する「感情の代弁者」として、幕末屈指の経済人である岩崎弥太郎を始め「龍馬暗殺」に部外者ではいられない多くの登場人物たちを登場させたいと思っています。そして、それは、天に何かを賦与された者に対する、私たち自身の姿の投影になるかもしれません。
視てくださる誰もが他人事ではいられない、激しく、熱い、骨太なエンターテイメントを産み出したいと思っています。よろしくお願い致します。