大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

篤姫、伏見の薩摩藩邸滞在 NPOが特定 25日、跡地で石碑除幕

2008-12-29 07:46:05 | 幕末ニュース
 NHK大河ドラマで注目を集めた天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)の京都での滞在地を、研究者らでつくるNPO法人「京都歴史地理同考会」が京都市伏見区の薩摩藩邸「薩摩島津伏見屋敷」と特定し、石碑(高さ1メートル10)を製作した。25日、跡地で除幕式を行う。
 同会メンバーが文献などを調べ、篤姫が13代将軍徳川家定に嫁ぐため江戸へ向かう際、約1週間同屋敷に滞在し、京都を観光したことがわかった。現在は酒造会社の敷地になっており、「天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地」などと彫り込んだ白御影石を建てる。


12/21 読売新聞
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大河ドラマ「篤姫」最終回 視聴率26.2%/関西地区

2008-12-29 07:44:52 | 幕末ニュース
 14日夜の放送で最終回を迎えたNHK大河ドラマ「篤姫」の視聴率は関西地区で26・2%(関東28・7%)だったことが15日、ビデオリサーチ社の調べでわかった。同番組では6月15日放送分の26・4%に次いで2番目。全50回の平均視聴率は23・1%(24・5%)で、過去10年の大河ドラマでは、2002年の「利家とまつ」の22・5%(22・1%)を抜いて、最高となった。

12/15 読売新聞
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楠葉台場、関所も兼ねた 「攘夷派阻止」緊張感物語る 石垣出土/大阪・枚方

2008-12-19 11:00:43 | 幕末ニュース
◆石垣など出土


 幕末に外国船を打ち払うため各地の海岸線に設けられた台場(大砲陣地)のうち、大阪府枚方市の淀川沿いに築かれた楠葉(くずは)台場跡で、南正面の出入り口である「虎口(こぐち)」の石垣や、大阪と京都を結ぶ京街道を台場内に引き込んだ跡などが出土し、市教委と市文化財研究調査会が17日、発表した。1997年に発見された設計図通り、尊皇攘夷(じょうい)派の京都入りを阻止する関所としての役割を併せ持っていたことが裏付けられ、専門家は「幕末の緊迫した情勢を物語っている」としている。


 京都府立総合資料館(京都市)所蔵の設計図などによると、楠葉台場の規模は東西、南北とも最大約230メートルで、面積は約3ヘクタールとされる。発掘の結果、設計図通りの位置で、虎口(幅5・75メートル)の石垣の基礎部分や門の支柱とみられる柱、堀(推定の深さ約5メートル)などが出土。京街道の盛り土や、街道が台場内を通るための土橋跡も確認された。


 楠葉台場は、京都守護職だった会津藩主・松平容保(かたもり)の提案で、1865年に完成した。北海道函館市の五稜郭と同様、西洋の築城技術を採用。鳥羽・伏見の戦い(1868年)の際、砲撃戦が行われたとの記録が残されている。現地説明会は20日午前10時~午後3時。


 千田嘉博・奈良大准教授(城郭史・考古学)の話「石垣などは丁寧な造りで、幕府の威信を象徴していたことがわかる。台場内に街道を通す特異な構造が明らかになり、坂本龍馬らの志士や新撰組の隊士が往来した当時の様子をほうふつとさせる」

12/18  読売新聞社


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幕末、勝海舟が設計 「台場」に関所あった 枚方の遺構 入り口部分を発見

2008-12-18 23:59:01 | 幕末ニュース
 幕末に勝海舟が設計し、淀川沿いに築かれた砲台跡「楠葉台場」(大阪府枚方市)の発掘調査で、虎口(こぐち)と呼ばれる台場の入り口の一部が見つかり、17日、同市教委が発表した。虎口は、大阪から京都へ向かう京街道の関所への入り口とみられ、京街道の経路を変更し、台場内部に関所を設ける全国で例のない構造であることが裏付けられた。


 同市教委は「幕府側が、長州藩など敵対勢力が京都に入ることを防ぐことが狙い。大阪から京都へ向かう交通の要衝で、幕末に奔走した坂本龍馬や大河ドラマ『篤姫』の小松帯刀らも通ったのでは」としている。


 今回の調査では、虎口の石垣部分や柱の一部を発見。また、京街道が通っていたことを裏付ける盛り土の跡も確認された。


 楠葉台場は、京都府立総合資料館で平成9年に発見された楠葉台場の設計図から京街道を台場のなかに引き込み、関所があるとみられていたが、虎口の発見で、砲台としての機能のほかに関所としての役割を果たしていたことがあらためて証明された。


 台場は幕末、外国船からの国防のため、全国各地で築かれたが、河川沿いに築かれたものは珍しく、遺構が残っているのは楠葉台場だけ。


 楠葉台場は、京都防衛の責任者として幕府から派遣された会津藩主・松平容保が提案し、幕臣の勝海舟が設計した。


 同市教委の竹原伸二さんは「街道を引き込み、関所を設けた特異な構造は緊迫した当時の情勢を物語っている」と話した。

12/18  産業経済新聞社



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篤姫、和宮登場の手紙発見 井伊直弼ら藩あて6点 土佐山内家宝物資料館

2008-12-12 10:22:22 | 展示会・イベント
 幕末の動乱期、天璋院(てんしょういん)篤姫(1836~83年)や皇女和宮(1846~77年)が徳川将軍家の正室となることや、それぞれの夫が死去したことなどを記した、幕府から土佐藩あての手紙6点が見つかり、土佐山内家宝物資料館が2日、発表した。差出人は大老の井伊直弼、老中の阿部正弘らNHK大河ドラマ「篤姫」でもおなじみの人物。同館は「短期間に吉凶が相次いだ幕府の慌ただしさがわかる。幕末ファンにはたまらない資料」と評価している。5日から、高知市鷹匠町の同館で公開する。


 手紙はいずれも、幕府の重鎮から各大名らにあてた「老中奉書」と呼ばれる一級の公文書で、縦40センチ、横56センチの上質な紙に書かれている。「篤姫」人気で、来館者から「篤姫や和宮の資料はないか」と問い合わせが相次いだため、同館が約9000点ある老中奉書の中から幕末期のものを調べ直した。


 1857年(安政4年)の手紙では、篤姫が13代将軍家定との婚儀が決まったことについて、阿部正弘が12代藩主だった山内豊資(とよすけ)にあてて「篤君はこれ以降、篤姫君と称するように」とした。59年(安政6年)には、井伊直弼の名前で、将軍が亡くなって篤姫が天璋院と号したことを書いている。


 明治維新まであと2年の66年(慶応2年)、長州征伐中に大坂で14代将軍家茂が死去したことに触れた手紙では「和宮様と天璋院様のご機嫌を伺ってきた。お変わりないので安心しろ」との内容が記されている。ただ、差出人は大坂にいる老中の名前で、「留守居」が代わりに出したとしており、混乱ぶりがうかがえる。


 老中奉書はお祝いやお悔やみに対して返礼した書面が多く、女性が登場することはまれという。渡部淳館長は「山内家は幕府上層部からの文書をほぼ完全に残しており、探し出すことができた。儀礼の世界だが、幕政の混乱が身近に感じられる」と話している。


12/3 読売新聞


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塩浸温泉 閉館へ

2008-12-01 10:50:06 | Weblog
坂本龍馬が日本で初めてと言われる新婚旅行で訪れた…

 坂本龍馬が日本で初めてと言われる新婚旅行で訪れた鹿児島県霧島市の「塩浸(しおひたし)温泉」。唯一残る市営温泉「福祉の里」=写真右奥=が老朽化のため、09年3月末で廃止される。


 「寺田屋事件」で負傷した龍馬が1866年3月、西郷隆盛や小松帯刀(たてわき)らに湯治の名所として紹介され、半月ほど滞在。妻お龍(りょう)と高千穂峰登山などを楽しんだ。


 夫妻が使ったという浴槽跡が一角に残り、「坂本龍馬 お龍新婚湯治碑」もある観光名所。今年は「篤姫」ブームで沸いたが、湯煙は間もなく静かに消える


11/29  毎日新聞


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