大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

講座のご案内

2012-07-10 12:37:54 | 講座関係
事務局長が、7月22日の日曜日に八尾で講座を行います。
もしよかったらお越しください。(事前予約が必要です)

7/22(日)14時から15時30分
会場は安中新田会所跡 旧植田家住宅 JR八尾駅南出口より徒歩3分
 八尾市植松町1-1-25 申込先は 072-992-5311

演題は「坂本龍馬と幕末・明治維新」です。
壮大なテーマですので、ある程度絞り込んでお話したいと思います。

詳しくはこちらでご確認ください。


大阪龍馬会の次回イベントは9/2(日)の龍馬大学校と前日の9/1に長崎龍馬会のみなさんとの史跡探訪と懇親会です。
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講座のご案内

2012-07-10 12:37:54 | 講座関係
事務局長が、7月22日の日曜日に八尾で講座を行います。
もしよかったらお越しください。(事前予約が必要です)

7/22(日)14時から15時30分
会場は安中新田会所跡 旧植田家住宅 JR八尾駅南出口より徒歩3分
 八尾市植松町1-1-25 申込先は 072-992-5311

演題は「坂本龍馬と幕末・明治維新」です。
壮大なテーマですので、ある程度絞り込んでお話したいと思います。

詳しくはこちらでご確認ください。


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講座案内 坂本龍馬の真実

2011-05-14 00:01:00 | 講座関係
昨年9月から神戸新聞文化センターで「坂本龍馬」の講座をさせていただいておりましたが、4月から継続して講座を担当することになりました。

遅くなりましたが告知させていただきます。

「坂本龍馬の真実」
NHK大河ドラマでは描かれなかった史実・裏話を中心に、テーマごとに「楽しく・わかりやすく」をモットーに検証します。

日程・カリキュラム

4月24日 「龍馬と金策」~龍馬の活動資金はどこから出ていたのか?~
 龍馬の生活費や活動資金はいったどこから出ていたのか? 龍馬の手紙や資料から読み解いていきたいと思います。

5月29日 龍馬と史跡 ~龍馬の歩いた史跡の紹介~
 龍馬を知ったら足跡を訪ねたい。そこで理想的な史跡探訪コースを紹介します。

6月26日 龍馬の商売 ~海援隊の商売の実態は?~
 海援隊の商売ってどんな商売だったのか? 海援隊の資料から商売の実態をさぐります

7月24日 龍馬の手紙 ~志士たちとの往復書簡~
 龍馬と志士達の往復書簡を通して緊迫した時代背景と彼らの考えを読み解きましょう

8月28日 龍馬交友録 ~共に活躍した志士と龍馬との接点~
 綺羅星のごとく活躍した志士たちとの接点や、その人物の生涯をわかりやすくお話します

9月25日 龍馬暗殺 ~龍馬を殺害したのはだれか?~
 龍馬暗殺の犯人は? 黒幕は全員? 史料重視して検証します

いずれも第4日曜日ですが、5月のみ日程変更しています。

時間は 13:00~14:30
場所は 神戸新聞文化センター(三宮KCC)

講師:大阪龍馬会事務局長 林信吾
受講料:6か月 12600円

申し込みや詳しいことはこちら
神戸新聞文化センター(ミント神戸17F) 078-265-1100 


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龍馬大学校 連続講座 龍馬の仕事 薩長同盟から大政奉還まで

2010-11-24 00:01:00 | 講座関係
 新ネタを用意して楽しんでいただけるような講座をと考えております。もちろん、幕末は初心者なんですが・・・、龍馬のことあまりよく知らないのですが・・・ そういう方も楽しんでいただけます。幕末のことに興味を持って貰い、幕末や龍馬にどっぷりハマるいい機会です。

日  時:11月27日(土)18時00分から20時30分

講座内容:龍馬の仕事 薩長同盟から大政奉還まで

 薩長同盟締結までの薩摩と長州藩の動き、寺田屋逃走ルートを史料で読む、いろは丸事件解決に向けた龍馬の危機管理、
 イカルス号事件の交渉内容、船中八策を土台にした大政奉還までの動きをわかりやすく解説します。

講師:林慎吾氏(大阪龍馬会 事務局長)

会場:アネックスパル法円坂 大阪市中央区法円坂1-1-35
   JR森之宮 西へ600m徒歩10分  地下鉄森之宮 2番出口 西へ500m徒歩8分
   地下鉄 谷町4丁目駅10番出口 東へ500m徒歩8分


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■ 放送時間(毎週 日曜日)【NHK総合】 午後8:00 【デジタル衛星ハイビジョン】 午後6:00 【衛星第2】 午後10:00
■ 再放送(毎週 土曜日)【NHK総合】 午後1:05 ※放送日時や内容などが変更になる場合があります。
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雨の逃亡者 イカルス号事件について

2010-11-03 00:01:00 | 講座関係
 今回放送の雨の逃亡者はイカルス号事件を扱った。

 慶応3年7月6日、長崎丸山で英国軍艦イカルス号の水夫二人が殺害された。風説では、犯人は海援隊と同じ白筒袖の服装だったとされ、海援隊に殺害の嫌疑がかかった。

 特に隊士菅野覚兵衛と佐々木栄は事件のあった当夜、引田屋花月にいたことがわかっており、英国公使パークスは執拗に追及した。

 8月7日から行なわれた英国側と土佐藩側の談判では、土佐藩の代表後藤象二郎が活躍し、犯人を土佐人と決めつけるパークスらと対決する。

 結局、犯人は判明せず、9月10日にようやく海援隊の嫌疑は晴れた。なお慶応4年8月になって真犯人は福岡藩士の金子才吉であること、また金子は犯行の直後に自殺していたことが明らかになっている。

 この事件で龍馬は2カ月近く京都を離れ長崎に滞在した。この間、大政奉還は推進できず、いったん同調した薩摩も武力討幕に向かいつつあった。この事件は龍馬にとってかなりの痛手になったに違いない。
 この事件の交渉内容は非常に興味深い。次回の龍馬大学校連続講座(11/27)でたっぷりとお話したいと思います。



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薩土盟約

2010-11-02 00:01:00 | 講座関係
薩土討幕密約
 薩土盟約に先立つ慶応3年5月21日夜、京都御花畑の小松帯刀邸で結ばれたとする薩摩と土佐の武力討幕についての密約。土佐の中岡慎太郎・乾退助、薩摩からは西郷隆盛・吉井幸輔も同席し、席上で乾は土佐の藩論が佐幕に傾くのを嘆き、しかし1ヶ月の猶予があれば土佐の同志を糾合して上洛すると明言、できなければ切腹すると宣言した。中岡は自らが人質となって、違約したときには自分も腹を切ると保証した。西郷らは快哉して、ここに討幕の盟がなったという。

 しかし、これを「薩土討幕密約」とよぶには、薩摩はともかく土佐の代表が中岡と乾というのでは、とても藩同士の盟約とはいえない。また、兵庫開港と長州処分の問題について朝廷で会議が開かれるのは23日からのことであり、薩摩は長州の復権に望みを持っていた。そのときに討幕についての明確な言質を与えるはずもなく、これは武力討幕を掲げる乾らの威勢のいい発言を喜んだという程度のものだったにちがいない。


薩土盟約
 慶応3年6月22日、京都三本木の料亭吉田屋で結ばれた薩摩藩と土佐藩の王政復古についての条約。薩摩からは小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通、土佐からは後藤象二郎・福岡孝弟・寺村左膳・真辺栄三郎が出席し、龍馬と中岡慎太郎が陪席した。

約定之大綱
一、国体を匡正し万世万国に亙りて不恥、是れ第一議。
一、王政復古は論なし。宜しく宇内の形勢を察し参酌協正すべし。
一、国に二帝なく家に二主なし。政刑一君に帰すべし。
一、将軍職に居て政柄を執る、是天地間有るべからざるの理也。宜しく侯列に帰し翼戴を主とすべし。
右方今之急務にして天地間常有の大条理也。心力を協一にして斃て後已ん。何ぞ成敗利鈍を顧るの暇あらんや。
皇慶応丁卯六月

 以上を「主旨」として、以下七ヶ条にわたって王政復古の内容を定めている。第一条で朝廷の全権掌握と議事堂の設立、二条は設立資金、三条は上下二院の開設と選挙、四条は大政奉還、五条は対外条約の新締結、六条は朝廷の改革、七条は議員の倫理綱領を記している。この盟約は主旨全体を第一条とし、これに七ヶ条を加えた八ヶ条の条約として、3日後に結ばれる薩土芸三藩約定書に引き継がれた。


薩土芸三藩約定書
 慶応3年6月25日に結ばれた薩摩・土佐・芸州三藩による王政復古に対する8ヶ条の条約。第二条以降は薩土盟約の「主旨」を除く部分とほぼ同文になっている。第一条は次のとおり。

 方今皇国の急務、国体制度を糺正し、万国に臨で不耻、其要王政復古、宇内の形勢を参酌して、下後世に至て猶其遺憾なきとの大条理を以て処せしむ。国に二王なく家に二主なし。政刑一君に帰す。是れ大条理なり。今封建の体となり、大政遂に幕府に帰し、上皇帝あるを知らず。是を地球上に考ふるに、其国体制度、如此者あるを知らず。然則制度一新、政権朝廷に帰し、諸侯会議、人民共和、然後庶幾は以て万国に臨で不恥。是を以て初て我皇国特立する者と云ふべし。若二三の者事件を執り喋々曲直を論じ、朝幕諸侯、倶に相弁難し、枝葉に馳せ、小条理に止り、却て皇国の大基本を失す。豈に本志ならんや。爾後熱心公平、所見万国に存すべし。此大条理を以て此大基本を建つ。今日堂々諸侯の責のみ。成否顧る所にあらず。斃て後止まん。今般更始一新、皇国の興復を謀り、奸謀を除き、明良を挙げ、治平を天下に求め万民の為に寛仁明恕之政を為さんと慾し、其法則を定むる事左の如し。

 そして8ヶ条の末尾は「右約定せる決議之盟約は方今の急務、天下の大事之に如く者なし。故に一旦盟約決議の上は何ぞ其事の成敗利鈍を顧みんや。唯一心協心、永く貫徹せん事を要す」と結ばれている。

 6月22日の薩土盟約締結に同席した福岡孝弟は、田中幸輔と相談のうえ三藩約定書として芸州代表の辻将曹に提示し、若干の修正ののち、薩摩藩もこれを認めた。

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船中八策

2010-11-01 00:01:00 | 講座関係
 いろは丸事件が解決し、長崎から兵庫に向かう船中(土佐藩船夕顔)で龍馬が後藤象二郎に示した大政奉還論とその後の政策案。横井小楠の「国是七条」の思想が色濃く反映されている。

 6月12日朝、兵庫に上陸して14日に京都に入った後藤は早速これを諮問し、同日夜には武力討幕論と公武合体論のはざまにあった土佐の藩論と決定され、10月3日には大政奉還の建白書が幕府に提出される。

 原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程を証明する史料もないため、青山忠正や松浦玲などの歴史家は、龍馬が作成に関わっていない可能性があることを指摘している。また、もともとのオリジナルは上田藩士で軍学者の赤松小三郎の構想とも、真木和泉(水天宮宮司、久留米藩士、禁門の変で自刃)が1861年(文久元年)に著した『経緯愚説』とも言われている。

 船中八策の他に『新政府綱領八策』というものが存在する。近年の学説では『新政府綱領八策』こそが象二郎に提案したものであるとの見解がある。しかし、『新政府綱領八策』は慶応3年(1867年)11月に龍馬の直筆で書かれているので、時期的にみれば『新政府綱領八策』は新政府の構想会議用資料として複数作られたものと推測できる。

 なお現在、『新政府綱領八策』は国立国会図書館と下関市立長府博物館に保存されている。

内容は以下の通り

一 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一 有財ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備へ官爵ヲ賜ヒ、亘シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
一 外国ノ交際広ク公議ヲ採り、新ニ至当ノ親約ヲ立ツベキ事。
一 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
一 海軍亘ク拡張スベキ事。
一 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ車。
一 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。

 以上八策ハ方今天下ノ形成ヲ祭シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。筍クモ此政策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並立スルモ亦敢テ難シトセズ。伏テ願ワクハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。

この船中八策が新政府綱領八策となり明治政府の大きな柱となるが、実際にはこの八策が実現できたのはいつ頃のことなのか?

天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
→1867(慶応3年)年 大政奉還

上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
→1890年(明治23年) 第1回帝国議会開催

有財ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備へ官爵ヲ賜ヒ、亘シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
→1885年(明治18年) 内閣制度を制定

外国ノ交際広ク公議ヲ採り、新ニ至当ノ親約ヲ立ツベキ事。
→1899年(明治32年) 治外法権の撤廃

古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
→1889年(明治22年) 大日本帝国憲法を発布

海軍亘ク拡張スベキ事。
→1872年(明治5年) 陸海軍省を設置

御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
→1872年(明治5年) 近衛兵を設置

金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。
→1911年(明治44年) 関税自主権の回復

龍馬の考えた近代国家像は明治44年に完成した。


「国是三論」
 横井小楠が万延元年に著した、越前藩の藩論一定のための提言書。国政改正のための基本策として、富国、強兵、士道の三点を説いている。富国とは、国を富ませることが民を富ませることになるとして、対外貿易の必要性を訴え、強兵は海軍振興論となっている。挙国一致の軍によって外国の侵略を防ぐとともに、海外に進出して貿易と先進技術の修得を目指す。士道では文武一体論を説き、武士が動乱に対処するには武はもちろんのこと、その方法論を文に求めなければならないとし、そのためには強制的な教育ではなく、士道を尽くそうとする自主性を求めている。つまり開国の進言であって、越前藩主松平春嶽の大政奉還論の基礎となったといっていい。

「国是七条」
 横井小楠が、文久2年の松平春嶽の幕府政事総裁就任にともなって幕閣に建白した公議論で、次の七条からなる。
 順に、将軍の朝廷への謝罪、参勤交代の廃止と夫人の帰国、外様・譜代にとらわれない人材の登用と公議政治の断行、海軍の設置、官による交易を求めたもので、幕藩体制を否定し、諸藩連合による政治と富国強兵を唱えている。原案にはさらに「廃金銀鋼座、公貨幣」と「開天下金礎」の2ヶ条もあって、幕府の専権を放棄させるものであったが、過激なために削除された。龍馬の「船中八策」の原案となった。
一、大将軍上洛謝列世之無礼
一、止諸侯参勤為述職
一、帰諸侯家室
一、不限外藩譜代撰賢為政官
一、大開言路、与天下為公共之政
一、与海軍強兵威
一、止相対交易、為官交易


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サンケイリビングカルチャー倶楽部 枚方教室 「歴史回廊 坂本龍馬と幕末の京都」

2010-10-18 00:01:00 | 講座関係
上記講座を私の地元・枚方で行います。お近くの方、ぜひお越しください。

10/19(火) 龍馬と大阪 枚方は何回通ったのか?

11/2(火) 龍馬の大仕事 薩長同盟から大政奉還

11/16(火) 龍馬交友録 京都で共に戦った人物

12/7(火) 幕末京都の光と影 天誅とロマンス

12/19(日) 寺田屋事件 逃走ルートを歩こう 伏見界隈(現地講座)

1/18(火) 龍馬とお龍が過ごした日々

いずれも火曜日 18:30-20:00 現地講座は日曜日 受講料は6回で12600円

〒573-0028 枚方市川原町3-1 クラウンビル2F ℡072-843-0011


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鞆の浦

2010-10-17 20:45:00 | 講座関係
 福山の南に突き出た沼隈半島の突端にある港町で、古くから瀬戸内海を往来する船の重要な海駅として栄えた。現在はひなびた美しい町のたたずまいを残しており、古代から幕末までの史跡が町の各所に点在する。

 慶応3年4月23日、坂本龍馬ら34名の乗組員と荷物を積んで長崎から大坂へ向かう途中のいろは丸(450トン)は、六島(現・広島県笠岡市)の南西で紀州藩船明光丸(887トン)と衝突。

 いろは丸は鞆港へ約2里曳航する途中、宇治島の前洋にて沈没した。龍馬らは鞆の浦に上陸し、紀州藩と折衝するため、数日滞在を余儀なくされた。町内には龍馬と海援隊士が宿所とした石井の浜の舛屋清右衛門方や、4月24・25日に紀州藩側の高柳楠之助と談判した魚屋万蔵方、海援隊士が登楼した遊廓駕籠屋藤兵衛方(現・旅館対山館裏玄関)、高柳楠之助らが宿舎とした福山藩別荘などの遺構が残り、昔日を偲ばせている。また、昭和63年から平成元年にかけて鞆を愛する会と福山青年会議所が、沈没したいろは丸の引き揚げを目的とした潜水調査などを行なった。この成果は「いろは丸展示館」で公開されている。最近もテレビ番組で引き上げの模様を中継した。

 3時間もあれば十分まわれる場所です。いろは丸展示館はおすすめ。対潮楼や太田家住宅は必見。狭い町で駐車場も数少ないので車での観光はやめたほうがいい(福山駅からバスで30分。頻繁にバスはあります)

 昭和の雰囲気満載です。仙酔島まで「平成いろは丸」に乗ってみては。国民宿舎仙酔島では龍馬のパネル展示があります。

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いろは丸事件

2010-10-17 18:00:00 | 講座関係
 ドラマでは大洲藩所有のいろは丸を岩崎弥太郎が借りに行った設定でしたが、実際は龍馬のあっせんで大洲藩がいろは丸を購入した。

 伊予国大洲藩所有の蒸気船。長さ30間、幅3間、深さ2間、160トン、45馬力の二本マストの鉄製内輪船。1862年イギリスで建造、原名サラー号、文久3年、薩摩藩が購入して安行丸と命名した。

 その後、薩摩は胡蝶丸はじめ10隻を買い入れたため、慶応元年、安行丸をオランダ商人ボードインに売却、そのときアビソ号と改名された。

 慶応2年、大洲藩の国島六左衛門が、龍馬、五代才助の周旋で長崎において42500両で購入し、龍馬が、いろは丸と名づけた。

 慶応3年4月、土佐海援隊長となった龍馬は、海運業のため、大洲藩といろは丸の賃貸借契約を結び、一航海15日につき500両とし、事故のときの補償契約証書も取りかわした。その前3月6日、龍馬が印藤肇に送った手紙によれば北海道開拓のため、いろは丸で蝦夷行も考えていたようである。

 4月19日、龍馬以下海援隊士が乗り組み、諸藩に売り捌く小銃400挺のほか砂糖などの貨物を積み、紅白紅の海援隊旗をひるがえして長崎を出港した。

 4月23日午後11時ごろ、長崎に向けて航海中の明光丸と、讃岐の箱の岬沖で濃霧のために衝突した。満載量160トンのいろは丸は、880トンの明光丸の船首を右舷に受け浸水し、船首から沈みそうになる。当番士官の佐柳高次が甲板に出て明光丸によびかけたが返答はなく、佐柳らが明光丸に乗り移ったところ、同船は90mほど後退したのち、再び前進していろは丸の船腹に衝突した。

 上京のために乗船していた龍馬は、沈没の危機を感じて乗員を明光丸に移乗させる。龍馬は明光丸船長の高柳楠之助と面会し、貨物の保全のためいろは丸を曳航して備後鞆ノ津へ向かった。24日早朝、備中宇治島沖で、風波が激しく曳航に耐えられなくなって、いろは丸は積荷もろとも波間に消えた。

 龍馬と高柳の合議のうえで明光丸は備後の鞆に入港し、長岡謙吉とともに今後の交渉に臨んだ。

 事件の解決まで出港を見合わせるようにとの依頼を、高柳は藩命を理由に拒絶する。代案として龍馬はとりあえず1万両の用立てを求めたが、後日の交渉で、これが賠償金の一部であることを知った紀州側が拒否したため、交渉は難航した。

 このうえは長崎で正式の談判を行い、公論によって決着をつける以外にないということになったが、27日には佐柳と腰越次郎が明光丸に斬り込みをかけるため、海援隊からの離脱を求める一幕もあった。龍馬は翌日付で菅野覚兵衛と高松太郎にあてて事件の発生を連絡すると、隊士とともに鞆を出立し、29日には下関、5月13日に長崎に到着している。長崎での交渉は15日から始められた。

 海援隊からは龍馬のほか、長岡謙吉、小谷耕蔵、渡辺剛八、佐柳高次、腰越次郎、土佐藩士の森田晋三、橋本麒之助、紀州藩からは高柳楠之助、岡本覚十郎、成瀬国助、福田熊楠、岡崎桂助、中谷光助、上田米蔵、尾崎十兵衛、中崎市右衛門が出席した。交渉は互いの航海日誌を提出し、海路図によって衝突の原因と責任について議論されたが、決着はつかなかった。

 龍馬が「船を沈めたそのつぐないは金を取らずに国を取る」という歌を作って、市中に流したのは、このころのことだった。

 当初、海援隊と紀州藩の問題だった事件に、5月22日の交渉で後藤象二郎が加わったことによって、事は紀州藩対土佐藩の交渉事となる。

 後藤は、こうした事件の判例がないことから、イギリス海軍の提督に外国の事例から裁定を求めるよう提案し、その場を設けたものの、当日になって紀州藩は、これを避けて薩摩の五代才助に調停を依頼している。

 その結果、非は明光丸にありとして、29日には10月中に長崎で83526両198文を支払うよう裁定が下された。

 交渉に臨むにあたって龍馬は生命の危機さえ感じて遺言状を三吉慎蔵に書いている。

慶応三年五月八日 三吉慎蔵あて
此度出崎仕候上ハ、御存知の事件ニ候間、万一の御報知仕候時ハ、愚妻儀本国ニ送り返し可申然レバ国本より家僕及老婆壱人御家まで参上仕候。其間愚妻おして尊家に御養置可被遣候よふ、万々御頼申上候。拝稽首。
五月八日  龍馬 慎蔵様 左右


この度の長崎行きは、御存じの事件(いろは丸事件)についてで、万一の知らせが届いた時は、妻のお龍を土佐に送り返したいので、土佐の坂本家より使いの者と老婆一人が三吉家まで参ります。その間お龍をあなたの家で養っていただきますようどうかよろしくお頼み申し上げます。拝稽首。
五月八日 龍馬  慎蔵様 左右


 6月24日付で兄権平にあてた手紙では「龍馬が船の論夕るや、日本の海路定則を定メたりとて、海船乗らハ聞に参り申候」と誇らしげに報じている。

 賠償金は再交渉ののちに減額されたが、いろは丸を所有していた大洲藩に42500両が返還され、海援隊も年末には15345両が賠償されるとの内示があった。



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サンケイリビングカルチャー倶楽部 阪急ナビオ教室 「歴史回廊 坂本龍馬と幕末の京都」

2010-10-06 00:01:00 | 講座関係
上記の講座を阪急ナビオで行います。

10/30(土) 龍馬の長い日 三通書いた龍馬の手紙

11/6(土) 龍馬と女性 男振りは悪いが女にもてる?

11/20(土) 龍馬の仕事 大きな仕事は京都で行われた

12/4(土) 龍馬の手紙 乙女姉さんだけには知ってほしい

12/18(土) 幕末志士の寓居跡を訪ねる 高瀬川界隈(現地講座)

1/15(土) 龍馬伝説 伝説はいつ作られたのか?

いずれも土曜日 14:50-16:50 現地講座の時間は未定 受講料は6回で12600円

〒530-0017 大阪市北区角田町7-10 HEPナビオ阪急百貨店メンズ館3F ℡06-6361-6300



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サンケイリビングカルチャー倶楽部 枚方教室 「歴史回廊 坂本龍馬と幕末の京都」

2010-10-04 00:01:00 | 講座関係
上記講座を私の地元・枚方で行います。お近くの方、ぜひお越しください。

10/19(火) 龍馬と大阪 枚方は何回通ったのか?

11/2(火) 龍馬の大仕事 薩長同盟から大政奉還

11/16(火) 龍馬交友録 京都で共に戦った人物

12/7(火) 幕末京都の光と影 天誅とロマンス

12/19(日) 寺田屋事件 逃走ルートを歩こう 伏見界隈(現地講座)

1/18(火) 龍馬とお龍が過ごした日々

いずれも火曜日 18:30-20:00 現地講座は日曜日 受講料は6回で12600円

〒573-0028 枚方市川原町3-1 クラウンビル2F ℡072-843-0011


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KCC神戸新聞文化センター 「もっと龍馬を楽しむ」

2010-09-29 17:00:00 | 講座関係
NHK大河ドラマでは描ききれなかった史実・裏話を中心に、テーマごとに深くわかりやすく検証

 難しい話はしません。とにかく分かりやすくをモットーに、龍馬や幕末のことに少しでも興味を持っていただいてるのであれば、是非ご参加ください。質問はなんでもお答えします。とにかく楽しく龍馬について感じましょう。

9/26に体験講座を行いました。「龍馬の手紙から見る新婚旅行レポート」と題して、新婚旅行で鹿児島霧島へ行きました。高千穂に登り天の逆鉾を引っこ抜くなどの詳細な旅行記を乙女に書いています。手紙で新婚旅行の旅程をたどりながら、様々な記録から二人の熱々ぶりを見ました。
お龍の回顧録、吉井耕造の回顧録なども紹介しました。少し時間が余りましたので、寺田屋騒動や、今後のドラマ展開もお話ししました。

神戸在住の皆さん、よかったらご参加ください。


①10/24=「薩長同盟から大政奉還~龍馬の大仕事」
龍馬の残した仕事といえば、薩長同盟と大政奉還です。大河ドラマでも描ききれない複雑な時代背景をわかりやすく解説します。

②11/28=「龍馬伝説はどこから生まれたのか?」
今年の福山龍馬から司馬竜馬まで、様々な龍馬像があります。龍馬の死後、龍馬はどのように評価されていったのか? そして伝説はどのように作られたのか? 時代を追ってわかりやすく解説します。

③12/26=「龍馬の夫婦生活は?お龍と過ごした日々」
龍馬とお龍の出会いから、乙女に気に入ってもらおうと長文の手紙を書いた龍馬。二人の過ごした時間はとても短く、龍馬の死後、お龍はどのように過ごしたのか? そして龍馬の墓に入りたいと言ったお龍の心境は?

④ 1/23=「龍馬の手紙-乙女にあてた龍馬の本音」
龍馬は乙女に14通の手紙を書き送っている。その中には「きんたま」「日本のせんたく」「ねぶと」など龍馬の人生観や哲学が詰まっている。代表的な手紙を読みながら龍馬の残した言葉を皆さんと学びましょう。

⑤ 2/27=「龍馬の女性関係~男ぶりは悪いが女にもてる」
初恋の人・平井加尾、許嫁・千葉佐那、伝説上の人物や、江戸にいた妻? など龍馬の華やかな女性関係を、様々な記録から信憑性のある話から伝説まで詳細に紹介します。

⑥ 3/27=「龍馬と岩崎弥太郎の関係は?」
龍馬と弥太郎の出会いは、慶応3年の長崎だった? 弥太郎は龍馬の目指したものを実現できたのか。海援隊の活躍、そして海援隊解散後、弥太郎を中心に海援隊士たちはどのように生きていったのか? 


講師 大阪龍馬会事務局長  林 慎吾
曜日 第4日曜日 
時間 13:00~14:30
開講月 毎月入会
受講料 6ヵ月12,600円
受講会場 三宮KCC JR三ノ宮駅前 ミント神戸17F
申込先 078‐265‐1100

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清風亭  (長崎市万屋町5)

2010-09-29 13:00:00 | 講座関係
清風亭会談について問い合わせが多数ありましたのでまとめて回答します。

 亀山社中を率いていた龍馬と、激しく反目しあっていた土佐藩参政後藤象二郎が、ともに胸襟を開いて会談した料亭である。

 後藤は開成館の経営責任者として、しばしば長崎出張所の土佐商会を訪れた。長崎ではドラマ通り、龍馬を通してほしいとか、龍馬の紹介でないと商売はできないと言われた。

 相手が土佐藩のえらいさんでも、商売は信用が第一である。初めて商売する相手ならそれなりの紹介がないと取引できないと。

 後藤は龍馬と手を結ぶことによって土佐藩の富国強兵策に拍車がかかり、薩摩・長州と並んで中央における力も増すと考えたのであろうか。

 龍馬はユニオン号を長州藩に引渡し、薩摩藩の援助で購入した帆船ワイルウェフ号も処女航海で難破沈没、商業活動が不能となった亀山社中の窮状があった。

 そのことを三吉慎蔵に訴え、一旦社中の解散を考えた龍馬は、同志達の熱い絆があり、死ぬまで共に活動したいと言ってくれた同志の結合を伝えている手紙がある。(慶応2年7月28日付)


何も別ニ申上事なし。然ニ私共長崎へ帰りたれバ又のりかへ候船ハ出来ず水夫らに泣く泣くいとま出したれバ、皆泣く泣くに立チ出るも在り、いつ迄も死共に致さんと申者も在候。内チ外に出候もの両三人計ナリ。おゝかたの人数ハ死まで何の地迄も同行と申出で候て、又こまりいりながら国につれ帰り申候。

何も別に申し上げることはないのですが。私共長崎へ帰れば、乗船する船がなく、水夫らに泣く泣くいとまを出したところ、皆泣き泣き立ち上がる者もあり、いつまでも死を共にしますと申す者もありました。その中で外に出る者は三人です。おおかたの人数は死ぬまで何の地までも同行したいと申し出て、困りながらも国に連れ帰りました。幕府は大いにこのことに目をつけ、長崎でも我らは戦争があると思っております、幕府の役人は金を出して私共の水夫を引き抜こうとの動きもありますが、頼もしき者ばかりで出て行く者はいません。


 龍馬も後藤と手を結ぶことによって、社中の経営の安定を考えたのだろう。だから互いに旧怨を捨て、幕末回天の大事業に向かう夢と志を語り合ったと思われる。


 慶応3年1月12日か13日に、溝渕広之丞の仲介で、後藤は龍馬を清風亭に招き会談した。


 後藤と手を結んだ理由を龍馬は姉に手紙で心境を語っている。(慶応3年6月24日 乙女、おやべあて)


又、御国の姦物役人(カンブツヤクニン)ニだまされ候よふ御申こし。ありがたき御心付ニ候得ども、およバずながら天下ニ心ざしおのべ候為とて、御国よりハ一銭一文のたすけおうけず、諸生(シヨセイ)の五十人もやしない候得バ、一人ニ付一年どふしても六十両位ハいり申候ものゆへ、利を求メ申候。


また、土佐の悪い役人にだまされているように言っておられますね。ご忠告は、有り難いお気遣いですか、及ばずながら、天下国家の事をやっているからと言っても、土佐藩からは一銭の援助も受けておらず、仲間を五十人も養っていれば、一人に一年どうしても六十両(三百万円)くらいは要りますので、利益を上げているのです。


私一人ニて五百人や七百人の人お引て、天下の御為(タメ)するより廿四万石を引て、天下国家の御為致すが甚よろしく、おそれながらこれらの所ニハ、乙様の御心ニハ少し心がおよぶまいかと存候。


もう私一人で、五百人や七百人の人を引き連れて天下の為に働くより、土佐二十四万石を率いて一緒になって、新しい日本を作るため活動することが必要と思うのですが、おそれながら、このようなことは乙女姉さんには、わかっていただけないでしょうね。


 海援隊の社長となり社員を食わせなければならない。それに土佐24万石を引き連れて働いたほうが新しい日本を作るには近道になる。そう姉に伝えています。

 以後、龍馬は脱藩の罪を解消され、亀山社中は土佐藩所属の海援隊として発展し、大政奉還につづく歴史的なきっかけとなった。


 現在清風亭は存在しません。100坪ほどあったという清風亭は火災で焼失し、一帯は町名変更で榎津町から万屋町となった。現在は金露酒店という商家があり、店主の関谷貞雄さんが言い伝えを語ってくれるが、昔をしのばせるものは残っていない。

 清風亭の場所を確定した記事はここで紹介しています。


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コープこうべ生活文化センター 9/21

2010-09-28 17:00:00 | 講座関係
上記の講座を行いました。コープこうべ生活文化センターは昨年の11月から毎月第三火曜日に行って、今回で11回目です。あと2回で終了します。

今回は 龍馬の仕事「薩長同盟から大政奉還」のお話をしました。

薩長同盟については、なぜ薩摩と長州が手を結ぶことができたのかを詳細に解説しました。
寺田屋騒動は10/5に現地講座があるので、そこでお話をしますと約束しました。
新婚旅行は吉井耕造やお龍の回顧録を紹介しました。龍馬の手紙は以前の講座でお話をしましたので今回はカット。
清風亭会談は近々ドラマの舞台になるので大まかに概要を解説。
いろは丸事件やイカルス号事件、新政府綱領八策、大政奉還などをお話ししました。

次回は10月19日「龍馬の夢と行動力」
11月16日「龍馬暗殺の謎」の予定です。

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