大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

■幕末ペリーのイラ立ち「オランダは幕府に追従」 開国めぐる文書発見/アメリカ

2007-12-31 10:12:08 | 幕末ニュース
◆開国めぐる一級文書発見
○米海軍のペリー提督が1853年、幕府に開国を迫った際に記した機密文書が、米国立公文書館で発見された。友好国オランダの姿勢を激しく非難したり、当時の日本の階級社会を独自に分析したりするなど、ペリーの考え方を知る極めて興味深い内容で、幕末外交史を解明する上でも一級の資料として注目されそうだ。○機密文書を見つけたのは、横浜市在住の歴史研究家、今津浩一さん(66)。○ペリーの日本渡航の公式記録には、帰国後に別の人物が編集した「日本遠征記」と、ペリー本人が船上や寄港地から海軍長官あてに送った書簡集である「上院報告書」の2種類がある。このほかにも機密扱いの文書があることは知られていたものの、その所在は確認されていなかった。○今回、明らかになったのは、来航の翌月にあたる1853年8月3日付のドッビン海軍長官あての書簡7枚。沖縄から香港へ向かうサスケハナ号で、ペリーが書記官に代筆させたもの。○当時、米政府はオランダに対し、ペリーへの協力を要請していた。ところがペリーはこの書簡で、「気まぐれな(江戸)幕府の暴政に対して唯々諾々と従っている卑屈なオランダ人の態度を見ると、信用などできるはずもない」、「もし長崎へ行っていたら、オランダ人たちを顧問団の一員に加えることになっただろう。一度それを認めてしまえば、二度とオランダの影響から逃げられなくなったはずだ」などと指摘。政府の方針に反して幕府と直接交渉した理由を明らかにしている。、○さらにペリーは、「再来訪するまでに日本は多くの砲台を建造するだろうが、江戸の中心部に砲弾が届くところまで艦隊が侵入するのを阻止することはできない」と、黒船来訪が日本に脅威を与えたことを自覚した上で、圧倒的な武力差に自信を見せた文脈もあった。○また、日本社会は「四つの階級に分かれている」と観察。第1が皇室と将軍家、第2が高級官僚を出す知識階級と僧侶、3番目が商人・密偵・兵士、最下位を労働階級、と分類した。武士は3番目までの階級に遍在すると認識していた。○岩下哲典・明海大学教授(幕末史)の話「ペリー本人の生々しい言葉でオランダへの不信感の存在が裏付けられた。また、いわゆる士農工商でなく、実態として日本の“格差社会”を見抜いていた点も興味深い」 (10/25 読売新聞より)
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■生麦事件、薩英戦争… 幕末つづった侍日記 渋谷で特別展

2007-12-31 10:08:07 | 幕末ニュース

◆ハリスのパイプ、浮世絵など200点
○日米修好通商条約が締結されて、来年で150年を迎えるのを記念した特別展「幕末ニッポン~ハリスと黄昏(たそがれ)の大君の都~」が11月23日、渋谷区の「たばこと塩の博物館」で始まった。外国人が上陸し、外国文化の流入が始まった激動の時代を、当時の写真や藩士の日記など数々の資料から紹介する。同博物館は「日本の西洋化が始まった時代の活気ある雰囲気を感じてほしい」としている。○1858年(安政5年)に結ばれた日米修好通商条約は、外国人の居留を認め、自由貿易の確立が盛り込まれた。日本が本格的に開国に踏み出す要因となり、10年後には約260年続いた徳川幕府が終わって明治政府が発足した。○それまで見たこともない外国人が洋服姿で市中を歩き、新しい文化が続々と入ってくる。日本人の間では、いやがおうでも外国への関心が高まった。一方、外国人にとっても、日本は強い興味の対象で、刀を差した侍の写真が撮影されたり、本国の新聞に日本の様子が掲載されたりした。○展示されるのは、外国人を描いた浮世絵や外国人が撮影した日本人の写真、初代駐日総領事を務めたハリスのパイプなど約200点。幕府が倒れるまでの約10年間をたどる様々な資料を集めた。○目玉は、初公開される桑名藩士の江戸滞在記録「文久日記」。日記には、薩摩藩士が横浜付近の生麦村でイギリス人を殺傷した「生麦事件」(1862年)や、その後、イギリス艦隊と薩摩藩の間で起きた薩英戦争(1863年)といった歴史上の事件が登場。また、コレラの流行で、毎日数多くの棺おけが日本橋付近を運ばれていく様子など、当時の世相をうかがえる記述もある。○日記の中では、実際は薩摩が負けた薩英戦争を、うわさをもとに「英国に勝ったらしい」などと書かれている。主任学芸員の谷田有史さんは「日本史の年表にも出てくる歴史的な出来事が、その時代に生きていた生活者の立場から描かれており、大変貴重な資料」と話している。○1月14日まで。午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)。月曜と年末年始。大人100円、高校生まで50円。問い合わせは同博物館(℡03-3476-2041)。 (11/24 読売新聞より)
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■Iラブ龍馬 全国から350人 高知で魅力語る「ファンの集い」

2007-12-31 10:05:35 | 幕末ニュース
◆品位ある人動かし、日本を変えた
○坂本龍馬の愛好家らが交流を深める「第19回全国龍馬ファンの集い」が22日、高知市九反田の市文化プラザかるぽーとであった。岩手、鹿児島など全国から集まった約350人が、専門家が語る龍馬の魅力や、各地で行っている団体の取り組みに耳を傾けた。○集いは、龍馬ファンが各地でつくる「龍馬会」の上部団体「全国龍馬社中」などが、県を中心に毎年全国で開催。会場には、紋付き袴(はかま)姿で龍馬にふんする人も多く見られた。○「龍馬トーク」と題されたパネルディスカッションでは、歴史研究家で「全国龍馬社中」の小美濃清明・副会長が「龍馬の魅力は先見の明」と分析。「開国を求めてペリー提督が黒船で浦賀港を訪れた際、土佐藩士として沿岸警備に当たったことで、幕府の行く末を見ることができた」と述べた。○県立坂本龍馬記念館の森健志郎館長が「龍馬ファンには変わった人が多い」と前振りし、「龍馬は見た感じがだらしなく無頓着。品位のない人が品位のある人を動かし、日本を変える所に大きな魅力を感じるのでは」と続けると、大きくうなずく観客の姿も。「横浜龍馬会」の守田明さんは、横浜市で展示する帆船「日本丸」を海へ出す計画を進めており、「できない理由を考えるのではなく、どうやったらできるのかを考えるべき」と、龍馬から学んだ生き方を訴えた。○トークの前には、2009年から国内外で上演が予定されているミュージカルオペラ「龍馬」の脚本を手がけるジェームス三木さんが講演。三木さんは、武士でありながら利を説く「商人の思想」で社会に大きな影響を与えた人、と例えていた。23日には、龍馬が生まれた高知市上町や、脱藩の道とされる梼原町を訪れるツアーを実施。来年の集いは福井県で開かれる。(9/23 読売新聞より)
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■江戸末期の老中・鯖江藩主、間部詮勝 「桜田門外の変」病気で逃れる?

2007-12-31 10:04:56 | 幕末ニュース
◆当時の神社宮司の日記発見
○江戸末期に老中を務め、尊皇攘夷派の志士らを弾圧した安政の大獄にかかわった鯖江藩主、間部詮勝(まなべ・あきかつ)の当時の動静を記した史料が新たに見つかった。弾圧の中心となった大老井伊直弼(なおすけ)は1860年(安政7年)3月3日の「桜田門外の変」で水戸脱藩浪士らによって暗殺されたが、前年まで老中を務めていた間部は、病気療養中でほとんど外出せず、難を逃れたことをうかがわせる内容という。○鯖江市舟津町の舟津神社宮司を務める橋本政宣・東京大名誉教授(64)(日本中近世史)が3日、同市桜町の嚮陽会館で開かれた鯖江市民大学「間部学講座」で公表した。○新史料は、大虫神社(越前市大虫町)の当時の宮司、岡野吉孝がつけていた日記の一部。橋本さんによると、1860年(万延元年)3月19日、岡野のもとを鯖江藩の松田幸三郎が訪問した際の記述に、桜田門外の変があった当日、間部は病気で療養していたことなどが書かれていた。松田は岡野に対し、「主君の武運長久が今後も続くよう祈願してほしい」と求めた、としている。○橋本さんは鯖江市出身で、国学院大卒業後、東京大史料編さん所に勤務し、2004年に定年退職。その後、舟津神社宮司を務めている。日記は同年、東京の古書市で入手した。大虫神社から散逸したらしく、どのような経緯で古書店に渡ったかは不明。橋本さんは「日記からは、幕末の鯖江藩の様子だけでなく、当時の宮司が地域における文化の啓蒙(けいもう)者であり、どのような教養を有していたかもうかがえる」と話していた。(11/4 読売新聞より)
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■生麦事件、薩英戦争… 幕末つづった侍日記 渋谷で特別展

2007-12-31 10:04:25 | 幕末ニュース
◆ハリスのパイプ、浮世絵など200点
○日米修好通商条約が締結されて、来年で150年を迎えるのを記念した特別展「幕末ニッポン~ハリスと黄昏(たそがれ)の大君の都~」が11月23日、渋谷区の「たばこと塩の博物館」で始まった。外国人が上陸し、外国文化の流入が始まった激動の時代を、当時の写真や藩士の日記など数々の資料から紹介する。同博物館は「日本の西洋化が始まった時代の活気ある雰囲気を感じてほしい」としている。○1858年(安政5年)に結ばれた日米修好通商条約は、外国人の居留を認め、自由貿易の確立が盛り込まれた。日本が本格的に開国に踏み出す要因となり、10年後には約260年続いた徳川幕府が終わって明治政府が発足した。○それまで見たこともない外国人が洋服姿で市中を歩き、新しい文化が続々と入ってくる。日本人の間では、いやがおうでも外国への関心が高まった。一方、外国人にとっても、日本は強い興味の対象で、刀を差した侍の写真が撮影されたり、本国の新聞に日本の様子が掲載されたりした。○展示されるのは、外国人を描いた浮世絵や外国人が撮影した日本人の写真、初代駐日総領事を務めたハリスのパイプなど約200点。幕府が倒れるまでの約10年間をたどる様々な資料を集めた。○目玉は、初公開される桑名藩士の江戸滞在記録「文久日記」。日記には、薩摩藩士が横浜付近の生麦村でイギリス人を殺傷した「生麦事件」(1862年)や、その後、イギリス艦隊と薩摩藩の間で起きた薩英戦争(1863年)といった歴史上の事件が登場。また、コレラの流行で、毎日数多くの棺おけが日本橋付近を運ばれていく様子など、当時の世相をうかがえる記述もある。○日記の中では、実際は薩摩が負けた薩英戦争を、うわさをもとに「英国に勝ったらしい」などと書かれている。主任学芸員の谷田有史さんは「日本史の年表にも出てくる歴史的な出来事が、その時代に生きていた生活者の立場から描かれており、大変貴重な資料」と話している。○1月14日まで。午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)。月曜と年末年始。大人100円、高校生まで50円。問い合わせは同博物館(℡03-3476-2041)。 (11/24 読売新聞より)
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■山岡鉄舟:奇才の書公開 漢詩と狂歌計2点「豪放らい落な性格」示す

2007-12-31 10:03:48 | 幕末ニュース
○宮城県栗原市の旧家など2軒が、幕末の奇才の一人、山岡鉄舟(1836~88)作とみられる書を1点ずつ、同市内で開かれた「旧家所蔵品鑑賞会」(栗原平成美術友の会主催)で公開した。2点とも鉄舟の豪放らい落な性格が表れているという。○「筆体、落款から鉄舟間違いない」 ○1点は縦2列にしたためた漢詩の「二行書」。意訳すると「うまい酒と賢い人が会い、自然の成り行きで仲良くなる。願うところは花柳(色里)に行きたいと思う。もてなしの限りに酔いしれてやろう。鈴木氏の為に書いた」。くだけた内容で、書の年代や鈴木氏については不明。○もう1点は狂歌をしたためた茶掛け軸で、「この釜で茶湯をわかしたなら、幸福と俸禄と寿命が思いのまま。中からわき出でて尽きることがない」。茶釜の絵を添えている。○解読した佐沼古文書の会の佐藤清一さん(80)によると、筆体や落款から鉄舟作に間違いないという。○鉄舟は旧幕臣で、戊辰(ぼしん)戦争時、江戸城の無血開城に黒子として尽力した経歴の持ち主。明治天皇の側近を務め多くの書を残した。仙台にも逗留したことがあるという。(12/9 毎日新聞より)

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■千葉周作生家跡に記念碑 除幕式で演武披露

2007-12-31 10:03:18 | 幕末ニュース
○幕末の剣豪・千葉周作の生誕地としての証しを後世に残そうと、周作の生家跡とされる陸前高田市気仙町に記念碑が建てられた。8日には地元の少年剣士や関係者らが集まり除幕式が行われた。○周作生誕の地を巡っては、宮城県大崎市や栗原市とする説があるが、周作について長く研究してきた郷土史家の佐藤訓雄さん(83)は、多くの書物にある記述から陸前高田市が生誕の地であると結論付けた。○その後、千葉周作の弟の子孫にあたる同市気仙町の村上俊一さん(75)らが、村上さん宅前の周作生家跡とされる場所に記念碑建立を計画。多くの人の賛同と協力を得て、建立される運びとなった。記念碑には、周作の名や、周作の幼名「於兎松(おとまつ)」などの文字が刻まれている。○除幕式後には、周作の剣術「北辰一刀流」の演武も披露され、記念碑の建立を祝った。除幕式に出席した佐藤さんは「これまでの研究が、一つの形として残って良かった」と感慨深そうに話していた。(12/12 読売新聞より)
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幕末「甲子の獄」 勤王の志士しのび慰霊祭

2007-12-25 10:40:05 | 幕末ニュース
 幕末の姫路藩で起きた尊王攘夷(じょうい)派の弾圧事件「甲子(かっし)の獄」で処刑されるなどした勤王志士を偲(しの)ぶ慰霊祭が二十三日、姫路市塩町の大蔵前公園であった。十月に市内の歴史愛好家らが結成した「姫路幕末ファンクラブ」の初企画。今後も姫路の幕末を知ってもらう活動を続けるといい、会員らは「実際にあった地元の物語を語り継ぎたい」と話している。(井関 徹)

 甲子の獄は、姫路や京都で相次いだ佐幕派要人の暗殺に関与したとして、一八六四(元治元)年十二月、尊王攘夷派の藩士らが裁かれた弾圧事件。リーダー格の河合惣兵衛は自害、脱藩を企てた養子の伝十郎は死罪となった。ほかの志士六人も、当時獄舎だった同公園で処刑されたという。

 同クラブは、幕末の姫路で繰り広げられた歴史を広めようと、市民ら約十五人が集まって発足。初のイベントとして慰霊祭を企画した。

 この日は、会員ら約二十人が同公園内にある慰霊碑の前に参列。神主のお払い後、志士八人の辞世の句が厳かに詠み上げられた。

 惣兵衛の子孫として参加した、大阪府堺市在住の河合知子さんは「多くの人に知ってもらうためにも活動を続けてほしい」。同クラブの大谷充会長は「城はあっても語り継がれる“姫路城物語”がなかった。埋もれた歴史を発信していきたい」と話している。

 また同日、同市坂田町の善導寺では惣兵衛と伝十郎を偲ぶ会が開かれ、子孫らが集まり法要などが行われた。

(12/24 神戸新聞)
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