薩長同盟が締結された場所とする説がある薩摩藩家老小松帯刀(たてわき)(1835~70)の邸宅跡が上京区にあった可能性が高いことが、歴史作家の調査でわかった。愛好家らのグループは、この邸宅跡を示す石碑を建立し、23日、除幕式を行った。
帯刀は幕末の京都で、諸藩との連絡・交渉役として手腕を発揮。一方で、敵対していた薩摩藩と長州藩が、ともに倒幕を目指す薩長同盟を成立させるため、坂本龍馬と奔走した。同盟は1866年に締結したが、その場所は、同区の同志社大今出川キャンパスにあった薩摩藩邸との説と、帯刀邸との説があった。
所在地が不明だった帯刀邸について最近、歴史作家の桐野作人氏が幕末の史料や京都の絵地図などを分析、同区堀川通一条東入るにあった五摂家の一つの近衛家の別邸を、帯刀が京都の住まいに借りていたとの説を提唱。今は民有地だが、京都歴史地理同考会はその地に、碑の建立を決めた。
除幕式には、同考会のメンバーら約50人が出席。石碑の表側に、「近衛堀川屋敷跡 小松帯刀寓居(ぐうきょ)参考地」と彫られ、側面には、平安時代に「蜻蛉(かげろう)日記」の作者藤原道綱母が住んだ一条邸跡だったことや、応仁の乱の最初の合戦地だったことも紹介されている。
(2008年7月24日 読売新聞)
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