大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

石版に長州戦争 大竹で除幕式

2009-05-31 05:00:09 | 幕末ニュース
 幕末、第2次長州戦争の戦場となった大竹市で、戦の様子を描いた石版がJR大竹駅前(大竹市新町)に完成し、除幕式が行われた。市民らは「大竹市の歴史を子どもや他県の人に広め、町おこしにつなげたい」と願っていた。

 御影石の石版(縦0・8メートル、横3・1メートル)は大竹市暴力監視追放協議会が設置した。テーマは1866年に幕府と長州藩の軍勢が激突した第2次長州戦争の芸州口の戦い。幕府方の彦根藩の武士が、安芸と周防の国境の小瀬川を渡る場面が描かれている。

 除幕式では同協議会の池田耕治会長が「地元の歴史を掘り起こし、多くの人に知ってもらいたい」とあいさつ。約100人の参加者の前で、石版の幕が下ろされた。

 絵を描いた画家の長野貢さん(73)(大竹市新町)は「大竹の歴史は全国に誇れるもの。ぜひ見に来てほしい」と話していた。


5/28 読売新聞


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観光客誘致、龍馬学ぼう 県東部のホテルなど、北川で講演会

2009-05-30 05:02:46 | 幕末ニュース
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送に向け、観光客誘致を目指して県東部のホテルや旅館8施設でつくる「『龍馬伝』弥太郎・慎太郎の会」が26日、北川村で講演会を開き、約120人が耳を傾けた。

 県立坂本龍馬記念館の主任学芸員三浦夏樹さんが講師を務め、「龍馬と東部の仲間達」と題して話した。明治時代から現代までの「龍馬ブーム」の変遷や、龍馬と親しい人たちが残した文書から浮かび上がる人物像のほか、芸西村以東出身で、龍馬にゆかりの深い志士らを紹介。小説や漫画で定着してきた龍馬像とは異なる姿を、史実に基づいて分析した。

 講演会は3月に続き2回目。第3回は7月9日午後1時半~3時半、芸西村の土佐ロイヤルホテルで行われ、同記念館の前田由紀枝学芸員が、「龍馬が愛した家族たち お龍や姉千鶴、海援隊士たち」と題して講演する。定員100人。無料。申し込み、問い合わせは同ホテル(0887・33・4511)へ。


5/27 読売新聞


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桂小五郎の遺徳しのぶ 命日に初めて松菊祭を企画

2009-05-29 05:00:14 | 幕末ニュース
 西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と称される桂小五郎(木戸孝允)(1833~77年)の命日にあたる26日、東山区の京都霊山護国神社(木村隆比古宮司)で「桂小五郎命日祭『松菊祭(しょうぎくさい)』」が開かれ、約30人の参列者がその遺徳をしのんだ。

 同神社には、小五郎や坂本龍馬ら多くの志士たちの墓がある。維新の精神を継承していこうと2007年11月に設立された「霊山社中」(内海貴夫会長)や同神社が初めて企画した。松菊は小五郎の雅号にちなむ。

 この日は、子孫で国際NGO理事木戸寛孝さん(39)(東京都)も参列。小五郎と妻の松子(幾松)が眠る墓前で祝詞や玉ぐし奉納などの神事が営まれ、寒ツバキの幼木を記念植樹した。木戸さんは「死後130年以上を経ながら、命日をしのんでいただき、本当にありがたい」と話していた。

 命日祭はこれから毎年実施していくという。


5/27 読売新聞


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自費出版:大阪の草村さん、天誅組の研究冊子に

2009-05-28 05:36:56 | 書籍紹介
江戸末期に幕府五條代官所を襲い、明治維新の先駆けとなった天誅(てんちゅう)組の研究家、草村克彦さん(52)=大阪府藤井寺市=がこれまでの調査をまとめ、冊子「天忠組の跫(あし)音」を自費出版した。土佐出身の志士、楠目清馬(くすめせいま)の最期の様子は、草村さんが桜井市内の現地を訪ね、かくまった人の子孫から聞いた。

 草村さんは会社員。読書好きで幕末の歴史に興味があり、86年ごろ天誅組に関心を抱き始めた。辞令1枚で勤務地が変わるサラリーマンの立場と、蜂起の翌日に起きた京都の政変で官軍から賊軍に変わった天誅組が重なったという。

 清馬は、隊が東吉野村鷲家口で幕府方と戦い壊滅した後、山道を進み、桜井市多武峰のあたりへ脱出。追討軍に包囲され、自刃したと伝えられる。22歳だった。草村さんは昨年、清馬の遺品とされる鎖網頭巾(ずきん)が談山神社に寄贈されると聞き、最後の足跡を調査。頭巾の所有者から「けがをしていたのでかくまい、頭巾は忘れ物だった」という話を聞いた。草村さんは「これまでの資料にはなかった話」と言う。県内研究者も寄稿。

 冊子は78ページ。1部送料込み1000円。申し込みは草村さんへ。〒583―0033 藤井寺市小山5の5の16へ郵送するか、ファクス(072・955・3309)で。


5/14 毎日新聞


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第2の龍馬像、丸山公園に ざんばら頭で豪快 11月にも完成

2009-05-26 05:50:46 | 幕末ニュース
◆市民団体が募金

 幕末の志士、坂本龍馬の銅像を、ゆかりの地である長崎市の丸山公園内に建立する動きが本格化している。地元自治会や企業は18日、「丸山公園に龍馬の銅像を建てる会」(川添一巳実行委員長)を結成し、募金活動を開始した。市内にはすでに伊良林の風頭公園に銅像があるが、順調なら11月にも「第2の龍馬像」が完成する予定だ。

 昨年末、NHK2010年の大河ドラマが「龍馬伝」に決まったのを受け、丸山町自治会長の松浦矩亨(のりゆき)さんが「鹿児島で『篤姫(あつひめ)ブーム』が起きたように、長崎も盛りあげたい」と周辺の自治会や地元企業に呼びかけたのがきっかけ。賛同した自治会や企業18団体の代表者が、同会を設立した。

 募金で建造費を賄う計画で、目標額は700万円。6月には募金専用の口座も開設し、街頭募金でも市民に協力を呼びかける予定だ。松浦さんの中学時代の同級生で、長崎市の版画家、小崎侃(かん)さんに制作を依頼したという。

 小崎さんは、龍馬が通った料亭「花月」にある龍馬の姿を描いた掛け軸や、龍馬について書かれた本などから「ラフで豪快で気さく」なイメージを描き、ざんばら頭で大小2本の刀を差し、トレードマークのブーツを履いた姿をデッサン。「さっそうと長崎の街を闊歩(かっぽ)するような龍馬像に仕上げたい」と張り切る。記念撮影ができるようにと、高さは台座を含めて約2メートルとした。

 風頭公園の「坂本龍馬之像」は今年、建立20周年を迎えた。当初は丸山公園に建てられるはずだったが、一部の地元自治会の反対でとんざした。銅像を建立した当時の市民グループの後身「長崎龍馬会」の馬渡善裕会長は「20年を経て、丸山の人たちの理解が得られたのは喜ぶべきこと。うまく共存できれば」と歓迎。発起人の松浦さんは「新しい名所となり、長崎が元気になるきっかけに出来れば。多くの人に協力してほしい」と話している。

 募金などについての問い合わせは、丸山公園に龍馬の銅像を建てる会事務局(095・825・4191)へ。


5/25 読売新聞


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河井継之助 記念館に2本の松移植 福島・只見町から

2009-05-25 06:08:39 | 幕末ニュース
◆終焉の地福島・只見町から

 幕末の長岡藩家老で、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公・河井継之助(1827~68年)の生家跡地に建つ記念館(長岡市長町)の庭に、継之助の終焉(しゅうえん)の地・福島県只見町から2本の松が移植された。

 河井邸には当時、松の大樹が2本あり、その姿が天に昇る蒼龍(そうりゅう)を連想させたことから、継之助の号「蒼龍窟」の由来になったとされる。

 2本とも自然災害や戦火のため現存せず、その復活は関係者の長年の悲願だった。有志から寄付金が寄せられたことをきかっけに、昨年5月に記念館の「友の会」に植樹委員会が発足し、移植の動きが加速した。

 継之助は、北越戊辰戦争の長岡城奪還作戦で流れ弾を受けて負傷。会津へ逃れ、現在の只見町で息絶えた。

 今回、移植されたのは同町に植えられていた松2本(樹齢30年、高さ10~11メートル)。幹はまだ細いが勢いよく天に向かって伸びる姿に、記念館の稲川明雄館長は「会津の厳しい風雪に耐えた松が植樹され、苦労した継之助の魂が屋敷に戻ってきたようだ」と感激しきり。

 植樹セレモニーは20日に行われ、駆けつけた目黒吉久・只見町長は「貧しいながらも身を削り、継之助を迎えた地元の先人がいたことを誇りに思う」と話し、2本の松を「友好の証」に、長岡市との交流をさらに深めたいとした。


5/24 読売新聞


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萩藩の長州砲“里帰り”

2009-05-24 05:21:31 | 幕末ニュース
 幕末期に萩藩が製造した長州砲が萩市堀内の萩博物館エントランスホールで無料展示されている。明治維新から140年の節目に英国の博物館から里帰りしており、今月末まで。

 長州砲は、萩・松本の藩指定大砲鋳造所「郡司鋳造所」で大砲造りの名人、郡司喜平治(きへいじ)が鋳造したとされる。「荻野流一貫目青銅砲」で砲身長約186センチ、口径約8・8センチ、重さ1トン。一貫目玉(3・75キロ)の砲弾が発射される。表面は彫刻され、郡司喜平治の刻銘がある。1863(文久3)年に下関海峡を通過する艦隊に長州藩が砲撃。翌年に米・英国など4カ国連合艦隊が下関沿岸を砲撃し戦利品として持ち帰った一つといわれる。

 市は明治維新から140年と日英国交開設150年の節目の年として、英国王立大砲博物館から1年間の期限で借り受けている。


5/22 毎日新聞


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箱館五稜郭祭:白兵戦を再現 維新行列に沸く

2009-05-23 05:13:36 | 幕末ニュース
 明治新政府軍と旧幕府軍が戦った幕末の箱館戦争をしのぶ「箱館五稜郭祭」は17日、メーンイベントの「維新行列」があり、小雨の降るなか当時の白兵戦を再現した演技が披露され、市民らを沸かせた。

 明治維新前後の函館の歴史にちなみ、行列には黒船来航のペリー米提督や榎本武揚ら歴史上の人物が当時の衣装をまとって勢ぞろい。耳をつんざくような大砲の号砲を合図に両軍に分かれた出演者が本番さながらの殺陣を披露。元新選組副長、土方歳三の壮絶な討ち死の場面では、沿道からひときわ大きな拍手が起こった。


5/18 毎日新聞


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龍馬であい博:メーン会場「情報発信館」愛称考えて

2009-05-22 05:25:19 | 幕末ニュース
事務局にも案内が届きました。応募用紙があります。詳しくは大阪龍馬会事務局までメール下さい。

◇JR高知駅南口 観光、特産品の紹介・販売 県産の杉を使った平屋建て

 来年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて開催するイベント「土佐・龍馬であい博」で、推進協議会は19日、メーン会場となるJR高知駅南口に設置する「情報発信館」の愛称の公募を始めた。6月15日まで。

 であい博は、10年1月16日~11年1月10日の約1年間開催。開幕と共にオープンするメーン会場には、県内の観光スポットや特産品を紹介、販売する「情報発信館」(約500平方メートル)、ドラマのストーリーや出演者などを紹介する「テーマ館」(同)を設置する。さらに安芸市、土佐清水市、梼原町にサテライト会場を設ける。

 情報発信館は県産の杉を使った平屋建て。イベント期間後も引き続き「観光コンシェルジュ(総合案内人)」の役割を果たすといい、親しみを持ってもらおうと、愛称を公募することにした。

 応募は一人何点でも可能で、推進協議会のメンバーで選考する。最優秀賞には、5万円相当の県産品が贈られる。問い合わせは、県土佐・龍馬であい博推進課内の推進協議会(088・823・9043)へ。


5/20  毎日新聞


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隊士らの18句記念碑に 土方没後140年で建立 日野新選組同好会

2009-05-22 05:00:51 | 幕末ニュース
 幕末から明治初期にかけて活躍した新選組隊士の功績をたたえようと、日野市高幡の高幡不動尊金剛寺前に記念碑が建てられた。

 今年が新選組副長の土方歳三の没後140年にあたることから、新選組ファンで作る「日野新選組同好会」(日野市)が中心となって1月から、隊士の思いを後世に残そうと準備を進めてきた。制作費用は約25万円で、会員から寄付を募るなどして賄った。

 記念碑はプラスチックをアルミではさんだ材質で、縦約2・1メートル、横約2・4メートル、奥行き約1センチ。近藤勇や沖田総司らが詠んだとされる18句が記されている。後ろ側には「新選組隊士名簿」のパネル(縦約1・2メートル、横約3・6メートル、奥行き約1センチ)も作られ、468人の名前が50音順に刻まれている。

 同会は2000年、新選組を語り継ぐことなどを目的に13人で発足。現在は北海道から九州まで約60人の会員が在籍し、定期的に講演会や史跡巡りなどを行っている。

 同会会長代行の峯岸多賀子さん(40)は「日本の未来を思って戦いに倒れていった隊士たちの功績を子どもたちにも継承したい」と話していた。


5/19 読売新聞


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龍馬切手を発売 亀山社中跡などデザイン

2009-05-21 05:00:29 | 幕末ニュース
 坂本龍馬にちなんだ切手シートの販売が始まった。切手には、龍馬像や亀山社中の跡などのほか、高知県立歴史民俗資料館所蔵の写真などがデザインされている。

 80円切手10枚つづり。龍馬ファンで土井首郵便局長の松崎貢樹さん(42)が、5年前から切手シート作成を提案し、龍馬にゆかりがある場所を巡るイベント「長崎さるく幕末編」などで近年、改めて龍馬が注目されていることから実現したという。松崎局長は「切手を通じて長崎と龍馬の歴史を知ってほしい」と話していた。

 1シート1200円。8月14日まで、簡易郵便局と壱岐、対馬市内の郵便局を除く県内274局で買うことができる。問い合わせは、郵便局会社九州支社営業本部(096・328・5282)へ。


5/19 読売新聞


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龍馬像20年ぜよ 長崎・風頭公園で記念式典

2009-05-20 06:15:24 | 幕末ニュース
 長崎市伊良林の風頭公園にある「坂本龍馬之像」の建立20周年を記念した式典が16日、同公園で開かれた。全国のファンら約120人が集まり、腕組みをして海を眺める威風堂々とした像に改めて見ほれていた。

 銅像は、高さ4・8メートル。県内の愛好家でつくる「龍馬の銅像建つうで会」(現・長崎龍馬会)が「像をシンボルにして、市民に龍馬の行動力や勇気を感じてもらおう」と募金約1200万円を集めて建立。1989年5月21日に完成した。以来、会は年2回、像の清掃を続けている。

 式典で馬渡善裕会長(44)は「活動の原点はこの像。今後も会として人づくりや、地域づくりにまい進したい」とあいさつ。制作者の彫刻家山崎和國さん(74)は「掃除を続けてもらっているおかげで、ブロンズの色はほとんど変わっていない。地道な活動に頭が下がる」と述べた。

 この日は式典に先立ち、同会員や子どもらが像を磨いた。タオルで丁寧にふいていた同市小菅町、岩永百加ちゃん(4)は「靴や服を磨いてあげた。きれいになってうれしい」と笑顔を見せていた。


5/17 読売新聞


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「長州攘夷戦争」展:幕末の貴重資料43点--長府博物館

2009-05-19 06:18:34 | 展示会・イベント
 下関市長府川端の長府博物館で、常設企画展「幕末長州攘夷戦争」(同博物館主催)が開かれている。山口の近代産業化遺産群の世界遺産登録に向けて、明治維新の先駆けとなった長州の攘夷戦争を知ってもらおうと企画した。31日まで。

 ペリー来航(1853年)から、「前田砲台」(同市前田)が4カ国(米英仏蘭)の連合軍に占領された「下関戦争」(1864年)までの資料43点を展示。広く知られる前田砲台が連合軍に占領された際の写真や下関戦争を報じる「瓦版」なども集めた。中には、長州側の砲撃を受け、沈没する外国船が描かれた絵など事実と異なる資料が並ぶ。

 また、長府藩の能役者に送られた戦争の準備を促す書見(1863年)も初めて公開。舟木典子学芸員は「能役者にも文書を送るなど、当時の慌てぶりがうかがえ、興味深い資料です」という。入場料は大人200円、大学生100円。


5/16 毎日新聞


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亀山社中:1865年当時を復元 長崎市改修中、間取り判明 龍馬ら10畳間に

2009-05-18 06:13:52 | 幕末ニュース
◇玄関も北側

 幕末の志士、坂本龍馬が設立した商社「亀山社中」跡(長崎市伊良林2)を改修中の長崎市は14日、社中が活動した1865年当時の間取りが判明した、と明らかにした。龍馬らは南側の10畳間を執務室としたとみられ、玄関も現在の南側でなく北側だった。市は改修後の8月1日に「亀山社中記念館」としてオープン予定だが、調査結果を受けて設計変更を決めた。

 建物は、江戸時代に製造され幕末に途絶えた陶磁器「亀山焼」の絵付け場として、1808年に建てられた木造平屋。龍馬らはここを1865年から2年間、亀山社中の活動拠点とした。その後は民家となり、2階など増改築を繰り返した。89~06年に公開されたが、現在は閉鎖中。

 長崎市はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の10年放送を前に再公開を目指し、所有者から無償で借り受け、往時を復元する改修工事を3月に開始。その過程で間取りが分かった。南側の10畳間を中心に8畳間と3畳の玄関間で構成され、便所は別の場所にあったらしい。改築工事では、玄関は「今の人の動きを変えると公開時に混乱する」として南側のままとするが、北側の玄関は土間を復元しガラスで表現するという。

 調査を担当した鮫島和夫・長崎総合科学大教授(建築学)は「龍馬がいた部屋が、なんで玄関近くなんだろうと不思議だった。当時の姿が正しく伝えられる」と語った。


5/15 毎日新聞


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三重津海軍所跡:発掘調査 柱、礎石跡を発見

2009-05-17 05:38:53 | 幕末ニュース
 佐賀市教育委員会は12日、同市諸富町の三重津海軍所跡の発掘調査で、礎石跡や柱跡の建物跡が見つかったと発表した。1800年代のものと推測され、海軍所関連の遺構の可能性が高いという。この結果、同市川副町にまたがる遺跡の範囲は北東に約60メートル広がる。


 同海軍所は佐賀藩が1858年、海軍学校の「御船手稽古(けいこ)所」を設置して以降、幕末に整備された。

 今回調査したのは、同稽古所があったとされ、1920年代の海軍所の絵図で「兵学校」と記された場所。遺跡の範囲を確認するため、4月16日から発掘していた。

 見つかったのは礎石跡4基と掘っ立て柱跡8基。遺構の配置から、礎石を使った建物と土中に固定する掘っ立て柱の建物の二つがあったとみられる。掘っ立て柱跡には、直径20~25センチの柱の根元や柱の下に敷いた板もあった。

 礎石を地固めするための陶器片も出土した。出土品の年代と盛り土による大規模な造成跡から、稽古所か兵学校に関連した遺跡の可能性が高いという。

 海軍所跡は同市が世界遺産登録を目指している幕末遺産の一つ。


5/13 毎日新聞


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