大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

龍馬を超えた男 小松帯刀

2008-05-31 10:43:56 | 書籍紹介
著者:原口泉 出版社:グラフ社 (2008-04-03出版) 価格:1,300

篤姫と同時代を生きた“幻の名宰相”。
西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、徳川慶喜。
尊皇・佐幕の壁を超えて「小松なくば何もできぬ」と言わしめた幕末最大の英傑、小松帯刀の知られざる生涯。

第1章 同年生まれ、龍馬と帯刀の運命的出会い
第2章 島津にまさる旧家で培われた小松帯刀の資質
第3章 激動の時代が待ちわびた家老・小松帯刀の誕生
第4章 帯刀・龍馬の出会いで進んだ薩長同盟
第5章 帯刀が慶喜の大政奉還に与えた影響
第6章 病身をおして果たした、最後の仕事
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お龍

2008-05-31 10:41:40 | 書籍紹介
著者:植松三十里 出版社:新人物往来社 (2008-03-30出版) 価格:1,900

龍馬を愛し、幕末維新の動乱の時代を生きたお龍。
出会いから、龍馬の死、そして流転の晩年まで、お龍の愛と運命を描く書き下ろし長篇力作。
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岩倉具視―言葉の皮を剥きながら

2008-05-31 10:39:30 | 書籍紹介
著者:永井路子 出版社:文藝春秋 (2008-03-01出版) 価格:1,524

下級公家がいかに権力の中枢にのし上がっていったのか―構想四十余年。
歴史の“虚”を剥ぎながら、卓越した分析力と溢れる好奇心で、真摯に史料と対峙し続けた評伝の最高峰。

貧弱な構図/虚妄の世界/手入の風景/奔馬/皇女・皇女/奈落/姦物の時間/情報の虚実/毒殺・そして「壁」の光景/「深謀の人」の「記憶」/その日まで/余白に…
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鞆の浦に龍馬ゆかりの町屋が旅館としてオープン

2008-05-28 10:14:43 | 幕末ニュース
竜馬ゆかりの旅館オープン

 福山市鞆町にできた幕末の志士・坂本竜馬ゆかりの旅館「御舟宿いろは」のオープン記念式典が、27日あった。宿泊は6月1日から。アニメ映画の宮崎駿監督が設計図案を書き、地元の特定非営利活動法人(NPO法人)「鞆まちづくり工房」が手掛けた。

 江戸後期に建築された「旧魚屋萬蔵宅」を改築し、宮崎監督デザインのステンドグラスやのれんも飾った。鞆町沖で起きた船舶事故「いろは丸事件」で、竜馬が紀州藩と談判した家と伝わっている。2003年に同法人が買い取った。

 16畳、14畳、6畳の3客室を備え、それぞれ1―6人程度泊まれる。電話084(982)1920。

中国新聞 5月28日



竜馬ゆかりの旅館営業へ 広島・鞆の浦で完成祝う

 幕末の志士坂本竜馬ゆかりの町家を改修、アニメ映画監督の宮崎駿さんが設計図のデッサンを描いた旅館「御舟宿いろは」が瀬戸内海の景勝地、広島県福山市の鞆の浦に完成。6月から営業を始めることになり、27日、関係者らが記念行事で祝った。

 1867年に竜馬率いる海援隊が乗り組んだ「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突した際、賠償交渉に使われたとされる「旧魚屋萬蔵宅」。地元の特定非営利活動法人(NPO法人)「鞆まちづくり工房」が荒れた建物を買収、再生を計画した。

 2005年、鞆の浦に2カ月間滞在した宮崎さんがこれに興味を抱き、アドバイス。石造りの大きな風呂やカラフルなステンドグラスを窓にはめ込むなど、宮崎さんのアイデアが随所に生かされた。

 いろりや交渉の舞台となった部屋を1階に再現、2階の客室3つで営業する。問い合わせは同旅館、電話084(982)1920。

共同ニュース 5月27日
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80歳 龍馬像がゆく 建立経緯の屏風公開

2008-05-26 10:12:38 | 幕末ニュース
 高知市の桂浜に立ち、観光名所として有名な坂本龍馬像の建立80周年を記念したイベントが25日、銅像前で行われた。早稲田大生時代に建立に尽力した入交好保氏(1903~1996)が生前、経緯を記した屏風(びょうぶ)を初公開。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」の朗読会も開き、観光客とともに入交氏らの偉業をたたえた。

 龍馬を顕彰する「龍馬研究会」(岩崎義郎会長)と同市観光協会が主催した。屏風(縦1・8メートル、横3・6メートルの2枚組)は龍馬像近くで公開。有志3人と資金集めに東奔西走した入交氏が、県内を仲間と無銭旅行して遊説したことや、京都にいた大スター・阪東妻三郎のもとへ龍馬の映画を作るよう要請しに行き、後に実現したことなどを、日記調に墨書している。

 朗読会に先立ち、岡誠也市長が「(入交氏らが)若い力で高知市の観光名所を作ってくれたことに感謝したい」とあいさつ。岩崎会長は「龍馬像はこれからの100年間も立っている。100年先にも人と平和を愛する龍馬の気持ちを伝える場として残ってほしい」と話した。

 観光客らは、龍馬の活躍を朗々と読み上げた朗読に聞き入った。奈良県大和郡山市、会社社長西口賢さん(59)は「この像を見ると大きな気持ちになれる。『団塊の世代よ、立ち上がれ』といいたくなるね」と目を細めた。徳島県鳴門市の自動車整備業前田慎司さん(32)は「像の補修のためのお金を、今の学生が集めることだってできる。龍馬の伝えたかった思いが、未来につながっていくのがいい」と話した。

<坂本龍馬像> 桂浜東端の岩頭に立つ銅像。高さ5メートル、台座を含めると13メートル余りになる。1926年(大正15年)8月、早稲田大の学生だった入交好保氏らが、龍馬の功績が埋もれるのを惜しみ「坂本龍馬先生銅像建設会」を発足。県内外から約2万5000円(現在に換算して7000万~8000万円)の浄財を集めた。1928年5月27日に除幕。当時は日本一の大きさだった。1999年、「日本も龍馬も倒しとうない!!」との呼びかけで修復が行われた。経緯を記した屏風は1995年、入交氏が高知市に寄付し、桂浜の国民宿舎「桂浜荘」が保管している。

5月26日 読売新聞
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「夜明け前」の世界探る

2008-05-26 10:10:47 | 幕末ニュース
中津川会議に桂小五郎出席 裏付け文書も公開

 長州藩士の桂小五郎(木戸孝允)が中津川を訪れたことを記録した文書が、中津川市本町の中山道歴史資料館で始まった特別企画展「明治維新と中津川の人たち―島崎藤村『夜明け前』の世界」で展示されている。

 文書には、「小五郎 男四 八十七」などと、はがき大の和紙に記され、桂の中津川入りが記録されている。桂は、長州藩が「尊王攘夷(そんのうじょうい)」に踏み切った1862年(文久2年)の中津川会議に出席したとされているが、裏付け史料が少なく、同館では「桂が中津川に訪れたことを知ることができる新たな文書」としている。

 文書は、夜明け前の主人公の一人、間秀矩(ひでのり)の子孫宅から昨年12月に発見された。同館では、間が長州藩関係者から聞き取った内容をメモしたものとみている。

 企画展では、夜明け前で「青山半蔵」の名で登場する藤村の実父・正樹や市岡殷政(しげまさ)と、間を加えた3人の主人公を軸に、中津川、落合、馬籠の3宿を中心とした恵北(裏木曽地域)の人たちが、いかに明治維新にかかわったかを、約120点の絵や写真、拓本、古文書で紹介している。

 10月19日まで。毎月第3水曜日の午前11時から、仁科吉介主任指導員が説明会を開いている。入館料は310円、中学生以下無料。問い合わせは同館(0573・66・6888)へ。

5月24 読売新聞
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マツノ書店

2008-05-23 00:29:10 | 書籍紹介
『相楽総三・赤報隊史料集』西澤朱実編 予約特価 15000円(定価 18000円)限定300部
 赤報隊関係の史料だけでなく、岩倉具視や大原重実などの公家、中山道沿道の諸藩や宿場・村などの史料まで目配りが行き届いた史料集で、相楽や出流山挙兵、薩邸焼打事件、赤報隊事件などの基本史料が収録されています。


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マツノ書店

2008-05-23 00:25:52 | 書籍紹介
『大久保利通関係文書』全5巻 立教大学日本史研究室編 予約特価 35000円(定価 40000円) 限定300部  
 これは1965年、大久保利通の孫で、幕末維新史の研究家であった大久保利謙氏が立教大学を定年退職する記念に編纂されたもので、大久保家が所蔵する来翰類約4.000点(差出人187人)を収録したもの。大久保利通研究で知られる勝田政治氏(国士舘大学教授)によって、詳細な人名索引が新たに付録として付いているのもお得です。旧版よりはるかに使い勝手がよくなっています。

 私の中ではマツノ書店は「悪魔のマツノ」と呼んでいます。なにせ復刻する本はすべて素晴らしく、金欠であっても必ず申し込んでしまうんです。古書店の半額以下で手にはいるとあれば・・・。なかなかいい本に巡り会えない昨今、マツノ書店の本との出会いは最高の出会いです。

詳しくはマツノ書店のHPをご覧下さい。
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長州砲、萩へ里帰り

2008-05-22 10:53:33 | 幕末ニュース
 幕末の1864(元治元)年、英・仏・オランダ・米の四国連合艦隊に長州藩が敗れた下関戦争の戦利品としてイギリスが持ち帰った長州砲1門が、6月下旬にも製造された萩市に里帰りする見通しとなった。明治維新140年記念事業の一環として萩市が企画したもので、1年間の貸与を受けて萩博物館に展示する。所蔵するイギリス王立大砲博物館はすでに荷造りを終え、今月中に船積みする方向で手続きを進めているという。

  藩の鋳物師(いもじ)の郡司喜平治が、1844年に萩・松本の郡司鋳造所で作った荻野流一貫目青銅砲(砲身長185・9センチ、口径8・8センチ、重さ1トン)の一つ。伝統的な和式大砲で、一貫目玉(3・75キロ)を発射できる。戦争に備えて関門海峡の下関側に配置されたが、敗戦で根こそぎ持ち去られるか廃棄された。

  フランス軍が持ち帰った砲はその後、下関市立長府博物館に長期貸与、展示されているが、イギリス軍が持ち帰った砲はロンドン郊外の大砲博物館で展示されてきた。萩市民の間から里帰りを望む声が上がり、市が外務省を通じて交渉、今年に入って話がまとまった。

  萩市側は、受け入れ団体として長州砲里帰り実行委員会(会長、野村興児市長)を結成。最大400万円かかる費用は、観光客らの寄付で街づくりを行っているワンコイントラスト委員会に助成を申請している。

  萩市は「下関戦争の敗戦は明治維新史上の大きなターニングポイント。その大砲が地元に帰ることは全国的な話題になる」として、観光客増にも期待している。

5月21日 朝日新聞
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坂本龍馬像の目線で太平洋を眺めるイベント

2008-05-21 10:51:41 | 幕末ニュース
 高知市浦戸の桂浜海岸に建つ坂本龍馬像(高さ約14メートル)の目線で太平洋を眺めるイベントが20日、行われた。

 昭和3年に建立された同像の建立80周年イベントが、25日に同像前で行われるのを前に、同市観光協会が、毎秋、清掃奉仕をしている四国電力に清掃を依頼。高所作業車での清掃後に観光客らにも乗ってもらい、間近で龍馬像をみてもらった。

 同像はブロンズ製で、龍馬像そのものは高さ約5メートルだが、台座などを含めるとマンションの5階相当の高さ。偶然訪れた観光客らが次々と見学を申し込み、龍馬の顔を真正面からみたり、龍馬の目線で太平洋をみたりして、龍馬がみつめていた何かを感じ取ろうとしていた。

 大阪府枚方市の主婦、秋亜由未さん(26)は龍馬の大ファンで「初めてきたのに、龍馬の顔に触ることができ最高。龍馬は凛々(りり)しいし、海岸線も美しかった」と、感激しきりだった。

5月21日 産経新聞
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お竜写真の鑑定結果

2008-05-19 10:57:26 | 幕末ニュース
写真を鑑定 若き日のおりょうさんか  スポニチ 05月15日

 研究者やファンの間で坂本竜馬の妻「おりょう(竜)」かどうか論争になっていた若い女性の写真を、警察庁の科学警察研究所が、本人と確認されている晩年の写真と比較、15五日までに「同一人物の可能性がある」との鑑定結果をまとめた。鑑定を依頼した高知県立坂本竜馬記念館が同日、発表した。
 論争の対象は、格子柄の着物を着た30歳前後とみられる女性の写真。裏に「たつ」と書かれ、おりょうだという声が出る一方、「若いころは撮影を拒んでおり、別人」との意見も出て、見方が分かれていた。
 同館は1月、おりょうと特定されている60代の写真も科警研に渡して鑑定を依頼していた。
 鑑定は顔の輪郭など7項目を精査。目や鼻の位置などに整合性が認められ、「別人であることを本質的に示す根拠はない」と結論づけている。
 同館の森健志郎館長は「科学的な鑑定で、あいまいな推測から一歩進んだ。おりょうの可能性が高まった貴重な結果だ」としている。


お龍:異論あった若い写真「別人の根拠なし」  毎日新聞 5月15日

 坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841~1906年)の若いころを写したとされながら、異論もあった写真について、警察庁科学警察研究所が、本人と唯一確定している晩年の写真と比較し、「別人と示す根拠はない」と結論付けた。鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が15日、発表した。
 鑑定された写真は01年に見つかった。お龍が32歳の時(1873年)に東京の写真館で撮影したとされる。美人ぶりを示すものとして知られるが、服装などから本人か疑問視する声もあった。
 科警研は晩年(60歳ごろ)の写真と顔の輪郭や目などの位置や形を分析。目や口の形などに相違があるが、「年齢差を考慮するならば同一人でも生じる差」と認定。下唇の下側の隆起や小鼻の膨らみ具合などが酷似しており、「同一人と示唆することが科学的に妥当な判断」と結論付けた。


若き日の龍馬の妻と「同一人の可能性」 科警研 産経新聞 5月15日

 お龍さんと「同一人物の可能性がある」との鑑定結果が出た若い女性の写真 研究者やファンの間で坂本龍馬の妻「おりょう(龍)」かどうか論争になっていた若い女性の写真を、高知県立坂本龍馬記念館が警察庁科学警察研究所に鑑定を依頼し、「同一人の可能性がある」との結果が出た。15日、同館が発表した。
 お龍の写真で裏付けがあるのは、晩年の63歳ごろの1枚だけ。うりざね顔の32歳ごろの写真2枚は芸者風の姿なので、否定的見解もあった。
 科警研では、若いころの写真のうち陰影のはっきりしている座り姿の写真と晩年の写真の顔型、眉(まゆ)、目、鼻、口、耳の位置や形をコンピューターで解析した。輪郭はほぼ同じで、目、鼻、口の位置も同一だと確認できた。
 同館では「芸者風なのは、写真撮影時に当時のハイカラなモデル風に撮影したため。お龍はやはり色白の京美人だった」とし、さっそく特別コーナーを設けることにした。


やっぱりお龍さん? 写真の女性、龍馬の妻の「可能性」 朝日新聞 05月16日

 幕末の志士、坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841ごろ~1906)か否かを巡って論議が続く若い女性の写真を、警察庁の科学警察研究所(千葉県柏市)が鑑定した結果、本人の晩年の写真と比較して「同一人の可能性がある」と結論づけた。鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館が15日発表した。
 写真は00年末、東京の古写真収集家のコレクションから見つかり、いすに座った30歳前後と見られる女性が写っている。被写体がお龍と唯一確認されている写真の顔つきと似ていたが、決め手に欠け、記念館が1月、科警研に鑑定を依頼していた。
 科警研は、顔型や鼻、唇の特徴を分析し、「同一人の可能性がある」と結論づけた。ただ、双方の写真の撮影時期に約30年の差があることなどから断定は避けているという。鑑定書の内容や写真などは近く館内で紹介される。
 記念館の森健志郎館長は「お龍の可能性が高まった」と話している。


若い日の「お龍さん」写真は本物?警察庁科警研が鑑定 読売新聞 5月15日

若き日のお龍と見られる写真(井桜直美氏所蔵) 歴史研究者の間で真偽論争が起きている坂本龍馬の妻、お龍(りょう)(1841~1906年)の若いころとみられる写真(井桜直美氏所蔵)について、警察庁の科学警察研究所(千葉県柏市)が、唯一本人と確認されている60歳ごろの写真(神奈川県・信楽寺所蔵)と比較し、「同一人物の可能性がある」との鑑定結果を出した。
 鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館が15日発表した。
 写真は、いすに座った30歳前後の女性。幕末維新の人物を集めた写真集に掲載されていたのを京都国立博物館の宮川禎一・考古室長が2001年に見つけた。
 研究者の間では、お龍が写真撮影を嫌っていたとされることから“お龍説”を否定する意見があり、龍馬記念館が今年1月、写真鑑定設備や技術がある科警研に依頼、2枚の写真を比較してもらった。
 龍馬記念館によると、顔の輪郭や目、鼻、口など7項目に分類して鑑定。目、鼻、口の位置や輪郭、鼻の下の長さ、下唇とあごの間の隆起などに整合性が認められ、「別人であることを本質的に示す根拠はない」と結論づけられたという。
 龍馬記念館の森健志郎館長は「お龍説が一歩前進したことになり、貴重な結果だ」と話している。
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上野彦馬写真展、貴重な74点展示 幕末の風物生き生きと

2008-05-18 11:10:13 | 展示会・イベント
 幕末から明治初期の長崎に写真館を構え、日本の写真術の発展に大きく寄与した上野彦馬(1838‐1904)が、幕末の長崎の風物を撮影した写真展が、長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで開かれている。6月1日まで。

 上野は蘭学を通じて写真術を学び、1862年に「上野撮影局」を開業。今回は、上野の親類に当たる「江崎べっ甲店」(同市魚の町)所蔵のアルバムに収められた187枚のうち74点を紹介する。展示は複製だが、写真が一般に公開されるのは、1934年に県立長崎図書館で展示されて以来という。

 74点のうち14点は、創建当時の大浦天主堂や多くの船が浮かぶ長崎港を見渡す居留地などの風景を撮影。そのほかは人物写真だが、後藤象二郎とオランダ人医師のアントニウス・ボードワン以外のほとんどが被写体が誰か分からない。

 同ミュージアムの増川雅一専務理事は「どの人物も表情が硬く、写真撮影に緊張していた様子がうかがえる。当時、撮影対象は高貴な人物がほとんど。研究が進めば、新たに歴史的な人物の肖像が見つかる可能性もある」と話している。

 入場無料。同ミュージアム=095(818)4247。

西日本新聞 5月17日
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佐賀藩人材に焦点 佐賀城歴史館で収蔵品展

2008-05-17 11:05:30 | 展示会・イベント
 県立佐賀城本丸歴史館は収集してきた資料を紹介するテーマ展「収蔵品展」を開いている。大隈重信(1838-1922年)ら佐賀藩の人物に関する資料を中心に展示。江戸後期から明治にかけて、佐賀藩が優れた人材を輩出したことを明らかにしている。

 収蔵品展は3回目。同館が購入したり、寄贈・寄託を受けた資料約600件から32件、42点を公開した。

 このうち、佐賀藩の儒家だった古賀家に関しては、幕府・昌平坂学問所の儒官になり「寛政の三博士」に数えられた古賀精里(1750-1817年)、穀堂(1778-1836)、侗庵(1788?1847年)、茶渓(1816-84年)の4人を紹介。10代藩主鍋島直正のブレーンとなった穀堂が、9代藩主斉直に提出していた提言書『学政管見』などを展示している。

 明治政府で頭角を現し2度にわたり内閣総理大臣を務めた大隈重信については、亡くなった年に制作されたブロンズ製胸像や、1915年に収録した演説「憲政に於ける与論の勢力」のレコードなどを公開。外務卿などを歴任した副島種臣(1828-1905年)は晩年の肖像写真のほか、書家として腕を振るった書、天皇から下賜された品などを並べている。

 このほか、明治時代の多色刷り版画「錦絵」や、昭和初めの県内を描いた鳥瞰(ちょうかん)図などもある。

 収蔵品展は6月8日まで。観覧無料。5月24日午後1時半からは学芸員の展示解説がある。

佐賀新聞 5月16日
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備中松山藩通し幕末回顧

2008-05-17 11:02:32 | 展示会・イベント
 江戸幕府最後の老中で高梁市に城を構えた備中松山藩主板倉勝静(かつきよ、1823―89年)と、家臣で陽明学者の山田方谷(ほうこく、1805―77年)を紹介した展示会が6月29日まで、高梁市原田北町の市歴史美術館で開かれている。今年9月が明治改元140年に当たるのを記念。明治政府をつくった薩長などと敵対した幕府首脳らの人物像や事跡をたどることができる。

 勝静の関連資料は約30点。14代将軍徳川家茂が勝静に送った直筆書状、明治時代に描かれた勝静の肖像画、使っていた硯(すずり)や筆などを並べている。藩参政として勝静を支えた方谷の関連資料は約30点。第2次長州戦争最中の66年に家茂が亡くなった時、幕政の今後を勝静に問われ回答した書状「征長再役善後策」などを展示している。300―150円。

中国新聞 5月16日
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大久保利通 没後130年 顕彰祭

2008-05-16 11:08:41 | 幕末ニュース
大久保利通没後130年 育ちの地で顕彰祭 ひ孫が参列 鹿児島市加治屋町

 明治維新で活躍した大久保利通の命日である14日、顕彰祭が鹿児島市加治屋町の「生い立ちの地」の石碑前であった。ひ孫の大久保利泰(としひろ)さん(73)=東京都在住=らが参列した。没後130年を機に偉業をたたえようと、若手神職でつくる県神道青年会が主催した。
 祝詞(のりと)を奏上した後、写真を飾った祭壇に同会関係者らが玉ぐしをささげ、近代日本の建設に尽力した大久保の遺徳をしのんだ。
 大久保は1878(明治11)年5月14日、東京・霞が関の自宅から赤坂仮御所に向かう途中、紀尾井町で石川県士族に襲われ、志半ばで命を落とした。
 利泰さんは「これまで東京では慰霊祭が行われてきたが、鹿児島で顕彰祭を開いていただいて、子孫としてありがたいし、うれしい」と話した後、隣接する維新ふるさと館で講演。大久保家の暮らしぶりや、国葬の原型となった葬儀の模様などを紹介した。

南日本新聞 5月15日


大久保利通の没後130年、鹿児島で顕彰祭…再評価へ動き

 近代日本の礎を築いた大久保利通(1830~78年)の没後130年となる命日の14日、大久保が幼少期を過ごした鹿児島市加治屋町で顕彰祭が開かれた。
 鹿児島県民の間では、西南戦争(1877年)で政府側だった大久保に反感を抱く人も多く、慰霊行事はほとんど行われてこなかった。大久保の再評価につながる動きとして歓迎する声も出ている。
 若手の神職約90人でつくる鹿児島県神道青年会=宮田昇会長(36)=が主催し、大久保のひ孫にあたる利泰(としひろ)さん(73)=東京都在住=ら約50人が参列。生い立ちを記した石碑の前で神職が祝詞を奏上し、全員で玉ぐしをささげた。

読売新聞 5月15日
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