大阪龍馬会

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「龍馬 左腕に傷」 寺田屋事件報告書、高知県が写し入手

2009-12-16 12:00:00 | 幕末ニュース
 幕末の志士・坂本龍馬が重傷を負った寺田屋事件について、襲撃した伏見奉行所が記した報告書の写しが見つかり、高知県立坂本龍馬記念館が15日、発表した。幕府側の記録に龍馬の名前が出てくるのは極めてまれ。事件直前に龍馬は薩長同盟を仲介しており、調査にかかわった青山忠正・佛教大教授(明治維新史)は「龍馬が、単なる浪士から要注意の大物として幕府にマークされ始めたことを示す重要な資料」と評価している。

 薩長同盟(1866年1月21日)の成立直前から龍馬は、護衛役の長府藩士と行動をともにしており、事件は龍馬の手紙と、この藩士の日記で知られてきた。

 報告書は2通あり、あて先は京都を警護する京都所司代の役人だった。高知県が歴史研究家から購入した土佐藩・京都藩邸の公文書など574点に含まれており、同藩がひそかに入手した「写し」らしい。

 龍馬の名前は計3か所に記述。1通目の冒頭から4~5行目には「坂本龍馬所持書類写取奉差上候」とあり、「龍馬の持っていた書類を写し取ったので報告する」と書かれていたが、内容は記載していなかった。

 「余程血をしたたらし左の腕」「手傷を負いたまま立ち入り右場所へ血に染まり候物残り」とあり、負傷した龍馬が薩摩藩邸に向かう途中、隠れた材木商の納屋に「胴乱」(小物入れ)など血の付いた所持品を残したことも読み取れる。2通目では、同藩邸が武装していて踏み込めないと報告している。同館は来年7月頃、企画展で公開する予定。

 同館の三浦夏樹・主任学芸員は「奉行所が取り逃がしたのは、薩摩、長州両藩とかかわっていた龍馬が宿に残した書類の捜索を、重視していたからではないか」としている。

12/15 読売新聞


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