あらすじ
江戸に到着した龍馬(福山雅治)は、北辰一刀流の名門・千葉道場に入門する。千葉定吉(里見浩太朗)の息子・重太郎(渡辺いっけい)に案内されて道場に入ると、女剣士・佐那(貫地谷しほり)が龍馬に腕試しを願い出る。佐那の素早い竹刀さばきで打ち込まれた龍馬は、江戸の剣術のすごさに驚かされる。佐那は「鬼小町」と呼ばれる千葉道場の看板娘で、剣術を生きがいにしていた。その頃、土佐にとどまった武市(大森南朋)は道場に門人たちを集めていた。武市に負けずと、弥太郎(香川照之)も学問塾を開き、加尾(広末涼子)も入門する。
剣術に打ち込み腕をめきめき上げる龍馬。佐那は、龍馬と剣の勝負を願い出るが、龍馬はなかなか佐那と立ち会おうとしない。佐那はいつの間にか龍馬に心ひかれ始めていた。乙女(寺島しのぶ)は龍馬が剣術だけにのめり込み、世の中を見ていないと叱る手紙を龍馬に送る。世の中を知りたいという龍馬を、溝渕広之丞(ピエール瀧)は飯屋に連れて行く。そこで龍馬は桂小五郎(谷原章介)と出会う。桂は異国の船が日本に迫ってきていると言うが、龍馬は桂の説く危機を実感することはできなかった。
嘉永6年(1853)4~6月頃。龍馬19歳、佐那は16歳。福山さんも頑張っていましたね。
ドラマであった乙女宛手紙で、佐那のことに触れていましたが、実際は10年後の文久3年(1863)に書かれています。手紙の中で佐那が26歳になったとあるから文久3年と推測ができます。龍馬が佐那と加尾の容姿を比較している部分には「かほかたち、平井より少しよし。」佐那のほうが加尾より少し美人だといっています。
最近、佐那が美人で、武術全般の達人だったと書かれた史料が宮川禎一さんによって紹介されました。宇和島藩主伊達宗城の伝記「藍山公記」安政3年(1856)5月9日に「御側女中さな(佐那)と申す者の、剣術・槍・薙刀等の技を御覧あり、女子にては達者なりとて、御感心遊ばさる」容姿については「左那(佐那)は容色も、両御殿中、第一にて」とありすごい美人だったようです。錦絵は先日新聞に掲載されていましたが、もし写真でも残っておれば・・・悔やまれますね。
岩崎弥太郎が塾を開くのは安政4年(1857)のこと。
よければ下記をクリックしてください。
人気ブログランキングへ
一日一回クリックしてもらえたらうれしいです。
NHKドラマスタッフブログはこちらです
龍馬伝のHPはこちら
江戸に到着した龍馬(福山雅治)は、北辰一刀流の名門・千葉道場に入門する。千葉定吉(里見浩太朗)の息子・重太郎(渡辺いっけい)に案内されて道場に入ると、女剣士・佐那(貫地谷しほり)が龍馬に腕試しを願い出る。佐那の素早い竹刀さばきで打ち込まれた龍馬は、江戸の剣術のすごさに驚かされる。佐那は「鬼小町」と呼ばれる千葉道場の看板娘で、剣術を生きがいにしていた。その頃、土佐にとどまった武市(大森南朋)は道場に門人たちを集めていた。武市に負けずと、弥太郎(香川照之)も学問塾を開き、加尾(広末涼子)も入門する。
剣術に打ち込み腕をめきめき上げる龍馬。佐那は、龍馬と剣の勝負を願い出るが、龍馬はなかなか佐那と立ち会おうとしない。佐那はいつの間にか龍馬に心ひかれ始めていた。乙女(寺島しのぶ)は龍馬が剣術だけにのめり込み、世の中を見ていないと叱る手紙を龍馬に送る。世の中を知りたいという龍馬を、溝渕広之丞(ピエール瀧)は飯屋に連れて行く。そこで龍馬は桂小五郎(谷原章介)と出会う。桂は異国の船が日本に迫ってきていると言うが、龍馬は桂の説く危機を実感することはできなかった。
嘉永6年(1853)4~6月頃。龍馬19歳、佐那は16歳。福山さんも頑張っていましたね。
ドラマであった乙女宛手紙で、佐那のことに触れていましたが、実際は10年後の文久3年(1863)に書かれています。手紙の中で佐那が26歳になったとあるから文久3年と推測ができます。龍馬が佐那と加尾の容姿を比較している部分には「かほかたち、平井より少しよし。」佐那のほうが加尾より少し美人だといっています。
最近、佐那が美人で、武術全般の達人だったと書かれた史料が宮川禎一さんによって紹介されました。宇和島藩主伊達宗城の伝記「藍山公記」安政3年(1856)5月9日に「御側女中さな(佐那)と申す者の、剣術・槍・薙刀等の技を御覧あり、女子にては達者なりとて、御感心遊ばさる」容姿については「左那(佐那)は容色も、両御殿中、第一にて」とありすごい美人だったようです。錦絵は先日新聞に掲載されていましたが、もし写真でも残っておれば・・・悔やまれますね。
岩崎弥太郎が塾を開くのは安政4年(1857)のこと。
よければ下記をクリックしてください。
人気ブログランキングへ
一日一回クリックしてもらえたらうれしいです。
NHKドラマスタッフブログはこちらです
龍馬伝のHPはこちら