先日、笠井潔さんの評論を読んで、何冊か本を買った。
まずは『骸の爪』(道尾秀介著)から読み始めた。
滋賀県の山奥にある仏像の工房が舞台になっている時点で、
私にとっては、かなりポイントが高くなる。
ミステリーだから、作中では人も死ぬわけなので、
まあ、罰当たりといえば罰当たりだけど、
いまの日本で、そんなことを言う人はほとんどいないだろうと思う。
謎と解明の展開も、すごくスッキリと読める作品だった。
先日読んだ『シャドウ』も面白かったけど、
『骸の爪』のほうが、私がイメージする「ミステリー」の型にそっていたので、
立ち止まることなく読めた。
「ミステリーが読みたいんだよね」という気分だったので、
その欲求を満たしてくれる、とてもいい出会いだったと思う。
そのあと、もう一冊ミステリーを読んだのだけど、
どうも私は女性の作家のミステリー作品というのが苦手らしい。
ずっと昔からそうなので、あえて自分からは踏み込まないことにしているのだけど、
笠井さんの書いていた言葉が気になったので、読んでみた。
まあ、作品のよしあしではなくて、単なる好みの問題だから、
なるべく一気に読んでしまおうと思ったのだけど、
今回は、なぜ苦手なのかを、少し考えながら読んでみた。
たぶん、なんだけど、
読みながら、リアルな世界でよくある女性同士の会話に、頭の中がすごく近づくから、
私は苦手なんだと思う。
女性ならではの深読みというか、
「あの人きっとこう考えるよね」「あの人の好みはこうだから」という、
客観的なようで非常に主観的な言葉が、
特に登場人物のセリフとして並ぶことが多く、
それによって物語が進行し、世界が構築される傾向が強い、と思う。
確かに面白いし、ぜひアツく語りたいのだけど、
一人、読書に没頭したいとき、私は違う世界に行きたいわけなので、
日ごろ自分の頭の中でグルグル考えていることの延長のような世界が広がると、
ちょっと望んでいるものと違うな、と思う。
ただ、この感覚は、ミステリー作品以外のときには感じない。
きっとミステリーと女性の語り口が重なると、私は何かに過敏になる。
そのあたりのことを、気が向いたときに頭の中で咀嚼してみると、
また美味しいお酒が飲めそうだと思った。
まずは『骸の爪』(道尾秀介著)から読み始めた。
滋賀県の山奥にある仏像の工房が舞台になっている時点で、
私にとっては、かなりポイントが高くなる。
ミステリーだから、作中では人も死ぬわけなので、
まあ、罰当たりといえば罰当たりだけど、
いまの日本で、そんなことを言う人はほとんどいないだろうと思う。
謎と解明の展開も、すごくスッキリと読める作品だった。
先日読んだ『シャドウ』も面白かったけど、
『骸の爪』のほうが、私がイメージする「ミステリー」の型にそっていたので、
立ち止まることなく読めた。
「ミステリーが読みたいんだよね」という気分だったので、
その欲求を満たしてくれる、とてもいい出会いだったと思う。
そのあと、もう一冊ミステリーを読んだのだけど、
どうも私は女性の作家のミステリー作品というのが苦手らしい。
ずっと昔からそうなので、あえて自分からは踏み込まないことにしているのだけど、
笠井さんの書いていた言葉が気になったので、読んでみた。
まあ、作品のよしあしではなくて、単なる好みの問題だから、
なるべく一気に読んでしまおうと思ったのだけど、
今回は、なぜ苦手なのかを、少し考えながら読んでみた。
たぶん、なんだけど、
読みながら、リアルな世界でよくある女性同士の会話に、頭の中がすごく近づくから、
私は苦手なんだと思う。
女性ならではの深読みというか、
「あの人きっとこう考えるよね」「あの人の好みはこうだから」という、
客観的なようで非常に主観的な言葉が、
特に登場人物のセリフとして並ぶことが多く、
それによって物語が進行し、世界が構築される傾向が強い、と思う。
確かに面白いし、ぜひアツく語りたいのだけど、
一人、読書に没頭したいとき、私は違う世界に行きたいわけなので、
日ごろ自分の頭の中でグルグル考えていることの延長のような世界が広がると、
ちょっと望んでいるものと違うな、と思う。
ただ、この感覚は、ミステリー作品以外のときには感じない。
きっとミステリーと女性の語り口が重なると、私は何かに過敏になる。
そのあたりのことを、気が向いたときに頭の中で咀嚼してみると、
また美味しいお酒が飲めそうだと思った。