含みのある言葉というのは、いろいろとあるけれど、
最近、聞くたびにニヤリとしてしまう言葉がある。
それは、「ないわけじゃないよね」という、他人の能力に対する評価の言葉だ。
基本的にセンスというか、技術というか、能力をもってはいるけど、
超級のプロではないし、なれないだろう、という評価。
「持っているものをうまく組み合わせれば、まあそこそこ食べて行けるんじゃない」
ということだろう。
言い方にもよるけど、もしプロから言われた場合は、
若干の侮蔑が込められているような気がする言葉。
確かにこのレベルだと社会的には代替可能だし、先行きは不安かもしれない。
でも、私はこれでいいと思っている。
上を見たらキリがない。
それに、いったいどこに上があるのだろう。どの尺度で比べればいい?
1993年に北京に留学していたころ、
同世代の中国人学生に何かの意見をきくと、「まあまあいい」「悪いわけではない」という、
非常にあいまいな回答が返ってくることが多かった。
私は、「これ好き」「これいいね」とハッキリ言うので、
あるとき中国人の友人から、
「あなたは日本人だねえ。好きと嫌い、いいと悪いをはっきりと言える。
私たちは、いつ足もとをすくわれるかわからないから、
何かに対する評価をストレートに述べることはこわいし、
そういった表現はしないようになってる」と言われた。
もちろん個人差はあるだろうけど、超エリートが言ったこの一言には、非常に驚いた。
そして、確かに中国人は、自分の要求をハッキリと言う人たちだけれど、
何かに対する評価を人前で言うときは、日本人とは少し違った独特の言い回しをすると思った。
発言者という個人を、なるべく希薄にした表現にするというか。
いまの中国では、だんだんに変わりつつあると思うけど。
「ないわけじゃないよね」という表現を聞くと、
その言葉が出てくる根っこは、それぞれの時、人において、
まったく違うところにあるのだけど、中国の友人とのその会話を思い出す。
最近、聞くたびにニヤリとしてしまう言葉がある。
それは、「ないわけじゃないよね」という、他人の能力に対する評価の言葉だ。
基本的にセンスというか、技術というか、能力をもってはいるけど、
超級のプロではないし、なれないだろう、という評価。
「持っているものをうまく組み合わせれば、まあそこそこ食べて行けるんじゃない」
ということだろう。
言い方にもよるけど、もしプロから言われた場合は、
若干の侮蔑が込められているような気がする言葉。
確かにこのレベルだと社会的には代替可能だし、先行きは不安かもしれない。
でも、私はこれでいいと思っている。
上を見たらキリがない。
それに、いったいどこに上があるのだろう。どの尺度で比べればいい?
1993年に北京に留学していたころ、
同世代の中国人学生に何かの意見をきくと、「まあまあいい」「悪いわけではない」という、
非常にあいまいな回答が返ってくることが多かった。
私は、「これ好き」「これいいね」とハッキリ言うので、
あるとき中国人の友人から、
「あなたは日本人だねえ。好きと嫌い、いいと悪いをはっきりと言える。
私たちは、いつ足もとをすくわれるかわからないから、
何かに対する評価をストレートに述べることはこわいし、
そういった表現はしないようになってる」と言われた。
もちろん個人差はあるだろうけど、超エリートが言ったこの一言には、非常に驚いた。
そして、確かに中国人は、自分の要求をハッキリと言う人たちだけれど、
何かに対する評価を人前で言うときは、日本人とは少し違った独特の言い回しをすると思った。
発言者という個人を、なるべく希薄にした表現にするというか。
いまの中国では、だんだんに変わりつつあると思うけど。
「ないわけじゃないよね」という表現を聞くと、
その言葉が出てくる根っこは、それぞれの時、人において、
まったく違うところにあるのだけど、中国の友人とのその会話を思い出す。