今朝、ゴーヤさんに水をあげようとしたら、ベランダに蝉の死骸があった。
短い生をまっとうしたのだなあ、と思いながら、ジョウロを持ってまたぐと、
ぴききききっ!と叫びながら、蝉が飛び去って行った。
ありうるとは思っていたけど、やはりぎょっとした。
まるで地面で炸裂する中国の爆竹のようだった。
ゴーヤさんが、ますます健やかなのは言うまでもない。
そして今日は、トウガラシさんが色づき始めていたので、うれしかった。
いつの間にか、白い花がたくさん咲いて、にょきにょきと実が育ってきている。
朝、喜んで写真を撮ったんだけど、夕方、家に戻ってみると、赤みが増していた。
1日でこんなに変わるんだ。
今日は暑かったから、トウガラシさんは、さぞ嬉しかったことだろう。
『眠られぬ夜のために』の第二部を読み終わった。
キリスト教を柱としたお話は、どうもボタンが掛け違っているような
しっくりしない感覚が心の片隅にありつづけるのだけど、
それは、ちゃんと聖書を読んだことがないからだろうか。
でも、9月2日のお話はよかった。
以下は、その一節。
「ものごとの理解は複雑であり、幼い女生徒にいたるまで型通りの物知りであるが、
しかし学習時代を終えたあとも真に十分な教養は身についていない。
これは今日の学校が果たし得ないことであろう。
学校はあまりに多くの知識の対象をかかえて、
あまりに急いで教え込まねばならないからだ。
われわれは自己教育でそれをおぎなわない限り、
すべてが断片のままに終わってしまう。
しかしなおそれとともに、現代の人間を正しい道にみちびくには、
たいていの場合、人生の不幸が力をかさなくてはならない。」
夕焼けを見ながら歩いていたとき、
ふと、王菲の「新房客」という歌の歌詞の一節が浮かんだ。
中国語が文字化けしてしまうので、強引に訳した日本文だけを載せる。
「どこを探しているの。どこを探しているの。
すべて素敵じゃない。悩みだってあるんだし」
帰り道、仕事の用事で下北沢に寄った。
ついでに、父が生前大好きだったみそぱんを買ってお供えにした。
偶然にも、お彼岸のいい締めくくりができた。
短い生をまっとうしたのだなあ、と思いながら、ジョウロを持ってまたぐと、
ぴききききっ!と叫びながら、蝉が飛び去って行った。
ありうるとは思っていたけど、やはりぎょっとした。
まるで地面で炸裂する中国の爆竹のようだった。
ゴーヤさんが、ますます健やかなのは言うまでもない。
そして今日は、トウガラシさんが色づき始めていたので、うれしかった。
いつの間にか、白い花がたくさん咲いて、にょきにょきと実が育ってきている。
朝、喜んで写真を撮ったんだけど、夕方、家に戻ってみると、赤みが増していた。
1日でこんなに変わるんだ。
今日は暑かったから、トウガラシさんは、さぞ嬉しかったことだろう。
『眠られぬ夜のために』の第二部を読み終わった。
キリスト教を柱としたお話は、どうもボタンが掛け違っているような
しっくりしない感覚が心の片隅にありつづけるのだけど、
それは、ちゃんと聖書を読んだことがないからだろうか。
でも、9月2日のお話はよかった。
以下は、その一節。
「ものごとの理解は複雑であり、幼い女生徒にいたるまで型通りの物知りであるが、
しかし学習時代を終えたあとも真に十分な教養は身についていない。
これは今日の学校が果たし得ないことであろう。
学校はあまりに多くの知識の対象をかかえて、
あまりに急いで教え込まねばならないからだ。
われわれは自己教育でそれをおぎなわない限り、
すべてが断片のままに終わってしまう。
しかしなおそれとともに、現代の人間を正しい道にみちびくには、
たいていの場合、人生の不幸が力をかさなくてはならない。」
夕焼けを見ながら歩いていたとき、
ふと、王菲の「新房客」という歌の歌詞の一節が浮かんだ。
中国語が文字化けしてしまうので、強引に訳した日本文だけを載せる。
「どこを探しているの。どこを探しているの。
すべて素敵じゃない。悩みだってあるんだし」
帰り道、仕事の用事で下北沢に寄った。
ついでに、父が生前大好きだったみそぱんを買ってお供えにした。
偶然にも、お彼岸のいい締めくくりができた。