ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

追悼

2009-10-25 22:56:59 | Weblog
昨日、ある作家さんの追悼座談会を聞きにいった。

中学生のころ、コバルト文庫にはまった。
そのときの人気作家さんが、少し前に亡くなった。
友人の作家さんや漫画家さんが故人の思い出を語る、というもので、
なかなか面白かった。

ずっと忘れていたけど、当時、書店に貼られていたコバルト文庫のポスターに
話が及んだとき、一気に時をこえて、思い出された。
そうだ。その作家さんは、あまりにもあっけらかんと楽しんで写真におさまり、ポスターでこちらを見ていたから、
当時、鬱屈していた私としては、きっとこの人の文章はまぶしすぎる、と思って敬遠したのだった。
作家というものは、もっと内向的なものだと、勝手にイメージを固定していたから。

その後、帰りの電車の中で、
当時読んだコバルト文庫の内容がいろいろと浮かんできたのだけど、
見事に署名も作家名も忘れている。
ただ、母がコバルト文庫を読むことに反対していたので、
宿題をやるフリをして、こっそり読んでいたことを、よくよく思い出した。

こう考えると、親の検閲というか、思想教育は、
まったく効力がない場合もあると思える。
コバルト文庫の中でも、私は自分が読みたい本と、いまは読みたくない本をちゃんと選んでいたわけだし、
それによって、母が懸念していたような流行に流されやすい人間になったとは
いま自分では思わないから。

亡くなった作家さんは、自分の小説が漫画になったり、テレビドラマになったとき、
そのカタチが移り変わっていくことに、無頓着だったらしい。
違う媒体になれば、違う表現がある。
それをおおらかに楽しんでいたようだし、
読者一人ひとりの受けとめかたに託していたようだ。
本当のカリスマ性をもった人というのは、そういうものなのだろうか。

少し引きこもって、文章しか自分を表現する方法がない、
というところまで、少し自分を追い込んでみたくなった。
そして、またコバルト文庫を読んでみたくなった。