ブッダ臨終の説。田上太秀著、講談社学術文庫
涅槃経のことだけではなく、仏教の根本的な考え方が、よくよくわかった。
ような気がする。
田上さんの文章は、本当にわかりやすい。
なんだかスッキリした。
これは、この本を読んだからなのか、別の理由からなのか。
とにかく、今日の昼間、同僚と話をしていたときに、
ふと、仏陀が苦行をやめたときの心境を、「もしかして、こんな感じ?」と思った。
ただまっすぐなだけの滅私、自己否定は、
自分への嫌悪感のあらわれであって、修行でもなんでもない。
ただ「呪い」のかたちを変えただけ。
そして、私が出会った人たちは、
その本分を全うしているという意味において、みんな尊い。
たとえ、その当人が、本分が何かを自覚していなかったとしても。
それなら、どうして私はこんなに他人に対してイライラしてしまうのだろう。
お釈迦様は、亡くなる前いったい何が見えていたんだろうなあ。
相変わらず迷っているけれども、今日は先週より、少し気分がスッキリしている。
このスッキリしている理由には、もうひとつある。
この前の連休で、友人のホームページのリニューアルを手伝った。
そのサイトが今日、アップされた。
YouTubeにもチャンネルをもった。
こういった1つひとつが、気持ちをスッキリさせてくれる。
ずっと「過程」だけが続く毎日は・・・、やはりつらい。
涅槃経のことだけではなく、仏教の根本的な考え方が、よくよくわかった。
ような気がする。
田上さんの文章は、本当にわかりやすい。
なんだかスッキリした。
これは、この本を読んだからなのか、別の理由からなのか。
とにかく、今日の昼間、同僚と話をしていたときに、
ふと、仏陀が苦行をやめたときの心境を、「もしかして、こんな感じ?」と思った。
ただまっすぐなだけの滅私、自己否定は、
自分への嫌悪感のあらわれであって、修行でもなんでもない。
ただ「呪い」のかたちを変えただけ。
そして、私が出会った人たちは、
その本分を全うしているという意味において、みんな尊い。
たとえ、その当人が、本分が何かを自覚していなかったとしても。
それなら、どうして私はこんなに他人に対してイライラしてしまうのだろう。
お釈迦様は、亡くなる前いったい何が見えていたんだろうなあ。
相変わらず迷っているけれども、今日は先週より、少し気分がスッキリしている。
このスッキリしている理由には、もうひとつある。
この前の連休で、友人のホームページのリニューアルを手伝った。
そのサイトが今日、アップされた。
YouTubeにもチャンネルをもった。
こういった1つひとつが、気持ちをスッキリさせてくれる。
ずっと「過程」だけが続く毎日は・・・、やはりつらい。