『三国志』に登場する関羽は、痛みに強かったらしい。
毒矢におかされた肘を麻酔なしに切開し、骨を削った。
その間、酒宴をひらき、お酒を飲んでいたという。
まあ、おそらくフィクションだろう。
というか、そう信じたい。
関羽と言えば「義の人」と言われている。
そんな立派な人が、手術などという見る人をこわがらせるようなことを、
酒宴で、見せびらかしたとは思えない。
人間関係において、これほどの非礼はないだろう。
特に、三国時代は戦国の世。
次の合戦で、自分が討ち死にするかもしれないのだ。
そんなときに、酒宴で手術シーンを見せるなんて、趣味が悪すぎる。
小学生の頃、『三国志』を読んだ。
たしか馬良だったか、同席した同僚が気絶した、ということも書かれていた。
「関羽は強い、馬良はひ弱だ」という図式に、なんとなく違和感をもった記憶がある。
いま、アランの『幸福論』を読んでいる。
「わたしたちのなかには他人の苦痛に耐えるだけの力があるとは必ずしも言えない」
ということが、心の動きとともに書かれていた。
そうだ。母親は、子どもの痛みに心をくだく。
おそらく自分自身の痛みよりも、もっと。
同僚の痛みも同じだ。
生死をともにしている仲間が、血のしたたる手術をうけている。
それを肴に、お酒を飲むような無神経な人間はいないだろう。
アランの文章を読んで、むかしの違和感をひとつ消化した。
そんなことを考えながら帰って来たら、地元の駅を出たところで、
いかにも「にせもの」っぽい負傷をした物乞いにつかまった。
5駅先くらいまで行くお金がない、ということをまわりくどく話す。
酔っているのか、演技なのか、ろれつも回っていない。
右足をひきずり、松葉杖をついている。
でも、あまり身なりは汚くない。
「ああ、にせものだなあ」と思ったのだけど、1000円を渡して、
「気をつけてかえってね」と言った。
そんなことはしないほうがいいのかもしれない。
味をしめて物乞いを続けるだろうし、他の人がつかまったら、イヤな想いをするだろう。
そもそも、私はこれまで、にせもの物乞いにお金を渡したことがないのだ。中国でも。
でも、今日はすんなり渡してしまった。
お金に余裕があるわけでも、その人が特にかわいそうだったわけでもない。
ただ淡々と、5駅先くらいまで帰りたいというから、それに十分な額を渡した。
きっとその人が「1万円ください」と言ったら、
それはそれで、持っていたら渡していたかもしれない。
何も考えなかった。
家について、ふと笠井潔さんの小説を思い出した。
登場人物のカケルは、物乞いに言われたとおりの額を渡す人だった。
気の迷いかな。
毒矢におかされた肘を麻酔なしに切開し、骨を削った。
その間、酒宴をひらき、お酒を飲んでいたという。
まあ、おそらくフィクションだろう。
というか、そう信じたい。
関羽と言えば「義の人」と言われている。
そんな立派な人が、手術などという見る人をこわがらせるようなことを、
酒宴で、見せびらかしたとは思えない。
人間関係において、これほどの非礼はないだろう。
特に、三国時代は戦国の世。
次の合戦で、自分が討ち死にするかもしれないのだ。
そんなときに、酒宴で手術シーンを見せるなんて、趣味が悪すぎる。
小学生の頃、『三国志』を読んだ。
たしか馬良だったか、同席した同僚が気絶した、ということも書かれていた。
「関羽は強い、馬良はひ弱だ」という図式に、なんとなく違和感をもった記憶がある。
いま、アランの『幸福論』を読んでいる。
「わたしたちのなかには他人の苦痛に耐えるだけの力があるとは必ずしも言えない」
ということが、心の動きとともに書かれていた。
そうだ。母親は、子どもの痛みに心をくだく。
おそらく自分自身の痛みよりも、もっと。
同僚の痛みも同じだ。
生死をともにしている仲間が、血のしたたる手術をうけている。
それを肴に、お酒を飲むような無神経な人間はいないだろう。
アランの文章を読んで、むかしの違和感をひとつ消化した。
そんなことを考えながら帰って来たら、地元の駅を出たところで、
いかにも「にせもの」っぽい負傷をした物乞いにつかまった。
5駅先くらいまで行くお金がない、ということをまわりくどく話す。
酔っているのか、演技なのか、ろれつも回っていない。
右足をひきずり、松葉杖をついている。
でも、あまり身なりは汚くない。
「ああ、にせものだなあ」と思ったのだけど、1000円を渡して、
「気をつけてかえってね」と言った。
そんなことはしないほうがいいのかもしれない。
味をしめて物乞いを続けるだろうし、他の人がつかまったら、イヤな想いをするだろう。
そもそも、私はこれまで、にせもの物乞いにお金を渡したことがないのだ。中国でも。
でも、今日はすんなり渡してしまった。
お金に余裕があるわけでも、その人が特にかわいそうだったわけでもない。
ただ淡々と、5駅先くらいまで帰りたいというから、それに十分な額を渡した。
きっとその人が「1万円ください」と言ったら、
それはそれで、持っていたら渡していたかもしれない。
何も考えなかった。
家について、ふと笠井潔さんの小説を思い出した。
登場人物のカケルは、物乞いに言われたとおりの額を渡す人だった。
気の迷いかな。