ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

パスカルにおける人間の研究

2009-07-01 21:43:28 | Weblog
三木清著、岩波書店。

初版は1926年6月に出版された。
なんと大正十五年。私の祖母と同じ生年だ。

いま読んでも、まったく古く感じない。
大正、という時代はよくわからないけれど、
きっと海外渡航も限られていた時代にヨーロッパで学び、
西洋の考え方を学んだ三木さんという方は、きっと本当に真摯に向き合ったのだろう。

文章は、私たち日本人にもわかりやすいような、
仏教、儒教が根底にあるような言い回しもあり、単なる「欧米讃歌」ではない。
キリスト教という文化圏にあったパスカルという人物、その思想・哲学を
自分の頭と心に受け止め、自分の言葉として表現した文章だと思う。

こういった思想や哲学の本を読むとき、戦前の方たちの文章は本当に素晴らしいと思う。
何を日本にとりいれ、将来の日本の糧とすべきなのかを考え、
冷静に、日本人にもわかりやすいように文章としておこしている。
そこには「他者」「読者」がいる。
文章を書く人の、書いて発表できる人の自覚がある。

いま時代は変わって、いろいろと自由になったけれども、
たまに立ち止まって、こういった先人たちの文章にふれると心が洗われるような気がする。

パスカルは、父が若い頃に本をとおして出会い、感銘をうけた人物。
私は、今回はじめてパスカルに関する本を読んだけれども、なるほど、と思った。

父と話があった理由がなんとなくわかったように思う。
私は、どちらかというと仏教関連の本の方が読書量としては多いのだけど、
きっと入り口は違っても、心の中では同じようなことを考えていたんだ。
パスカルのいう「神」は、仏教の「法」に、「直観」は「悟り」に近いと思う。
仏教について、専門的に学んだわけではないから、なんとなくの感触だけど。
さて、次はいよいよ『パンセ』を読んでみるか。

今回、この本を読み、もし誤読さえしなければ、
選民思想や極度な排他主義には陥らないように思えたけれども、
いいように解釈されてしまう可能性も含んでいると思った。

そして、死については、引き延ばされた死の可能性とその恐怖を
乗り越えるだけの説得力は感じなかった。
時代が違うから、そして私はキリスト教徒ではないので仕方がない。
でも、自分なりにパスカルの言葉を受け止めたいと思った。

ひとつ魅力的なきっかけをもらった。