オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

カルピン! &感謝について

2007-11-20 | 想い


店舗の大切なお客様「Kさま」のカルピンちゃんです(*^_^*)
大人気のハートチェアにのっかってお茶目な笑顔(!?)

カルピン・・・かわいい名前ですよね。わたしは知らなかったのですが『テニスの王様』という人気漫画からとられた名前だそうです♪

このカルピンちゃん、人懐こくてやることなすこと愛らしくてKさまの癒しの存在なのです。

お鍋に入っている写真を拝見したとき、あまりのかわいらしさに声を上げてしまいました。
これからも「カルピン写真館」と題してカルピンちゃんのかわいい写真をご披露させていただきたいなあ・・・なんて思っています。
Kさまよろしくお願いいたします(*^_^*)

Kさまから、心のこもったお手紙をいただきました。

Kさまは、以前大きな病気をされたとき、体が自由に動かない・・・という体験をされていらっしゃいます。
体の痛みは心の痛み。精神的にどんなに不安な日々を送られたことでしょう。
今はお元気になられ、幸せな日々を送られていますが、その時に感じた不安、苦しみ、悲しみは・・・どれほど激しいものだったでしょう・・・。

店舗でもお会いしていたのですが、このブログを読んでくださり、わざわざお手紙をくださったのです。
「生きることについて考えさせられました。人を思いやり愛する気持ち、当たり前になりつつある日常生活への感謝の想いを忘れず日々過ごせたらいいなと思っています」と最後を締めくくってくださいました。

感謝する・・・言葉は簡単ですが、これはもう実際は簡単なことではないんですよねぇ・・・^_^;
誰だって「感謝して生きたい」と思っているはずですよね。
「感謝しなければならない」と自分に言い聞かせているはずですよね。
でも、落ち込む日もある。イライラする日もある。ハラワタが煮えくり返ってどうもこうもない日もある・・・
わたしも同じです。
そんなときに、感謝なんてしてられるか! と思うわけです。
なんでこんなツライ目に遭って感謝なんかせなあかんねん! って・・・^_^;
神様ちゃうねんからそういつもいつも感謝なんかしてられるかアホ! みたいな。
それが多くの人の本音だと思うんですよ。

たとえば、敬虔なクリスチャンの人はいつも「感謝」と言う言葉を口にされます。
クリスチャンでない人にしてみれば、はあ・・・? なんで感謝なん? って思うことに対しても感謝されます。
一口でクリスチャンと言っても、いろいろなクリスチャンがいるわけですから、感謝ばかり言わない人もいるかもしれないけれど、
わたしの周囲のクリスチャンは「感謝」ばかり言うわけです。
それでわたしは、感謝? ほんまかいな・・・と思ったことも度々あったんですよ。

でも今はわかります。感謝を口にされる、いえ、口だけじゃなく、本当に心から生きていることや周囲の人に大して「感謝している」人たちは、
たいていの場合、大きな苦しみをなめられたことのある方たちなんですね。

クリスチャンじゃなくても、自分の人生を変えてしまうほどの衝撃に出会い、それを乗り越えた人たち・・・乗り越えようと努力されている人たちは、
「感謝」を本当の意味で理解されている方が多いと思うんですよ。

苦しみ、悲しみ、不安・・・それらに教えてもらったことがあるからです。
それらを経験しなければ知り得なかったことがあるからです。
「教えてくれてありがとう」「大切なことを知らせてくれてありがとう」
そういう意味での「感謝」なんですよね。
今ならわたしは、それがよくわかるんです。

「夫を、あるいは妻を、大切な人を・・・死なせてくれてありがとう」なんて言う人はいますでしょうか・・・絶対にいません。
でも「辛いことから学ばせてくれてありがとう」と言える人は多いと思います。
わたしはその中のひとりです。

エリザベス・キューブラー・ロスというスイス生まれの女医のことをご存知でしょうか。
わたしはお気に入りの遠藤周作さんの著書『眠れない夜に読む本』の中で初めて知ったんですよ。

ロス博士は、何十年もの間、死が差し迫った末期がん患者さんたちにインタビューし、今どのような心理でいるかを訊ねてきました。
その内容は、世界的ベストセラーで、現在も医師や看護師のバイブルになっている『死ぬ瞬間』『続・死ぬ瞬間』で明かされているそうです。
実はわたしは今注文している段階でまだ読んでいないんです。
内容は多少知っているのですが、きちんと読むのは初めてなんです。
きちんと読んだ後にまた感想を書きたいな、と思っていますが、
著書の中にこんな言葉があるそうです。

「どんなに上がったり下がったりしようと、どんな人間の経験にも、かならず意味があります。どんな経験も、ほかでは決して学べないことを教えてくれます。神は人間に、必要以上の試練を与えたりしません」

わたしはこの中の「神」を「偉大な愛・力」と置き換えますが、この言葉は、わたしの「現在」そのままのような気がしてなりません。
Kさんの苦しかった日々もきっとそうなのかな・・・と思ったりします。

苦しみをなめたからこそわかる想い。
不安な日々を味わったからこそ、感謝できる今の幸せな日々。

Kさまの感謝はそういう感謝なんですよね。
病気になってよかった、とは言えないかもしれない。でも、病気になったからこそわかった
「家族の愛。生きることの幸せ」
Kさまの感謝の想いは・・・それだから重い言葉、意味の深い言葉としてわたしに伝わってくるのです・・・。

Kさま、生意気言ってごめんなさい。
お手紙本当にありがとうございました。


・・・あれから四週間が経ちます。

わたしは2005年12月、ダーのがんが発覚してから、時の流れに・・・あまりにも冷酷に過ぎゆく時間におびえ、慄き続けていました。

お願いだからもう少しゆっくり流れてください・・・
どうかわたしのあの人を連れていかないでください・・・

もちろん、いつもそんなふうに不安だったわけではありません。
と言うのも、ダーは本当に元気ながん患者だったんですね。
抗がん剤もよく効きましたし、副作用も容認できる範囲でしたし、何よりがん性の疼痛が一切出ませんでしたし・・・
二週間ごとに大阪と九州を飛行機で行ったりきたりするのは、普通の人でもしんどいことですよね。
彼はそれを楽しんでいたくらいだったんです。

彼が、(わたしからすれば)突発的にがん患者になってからも、わたしたちは大いに笑い、泣き、ケンカもして・・・

だからこそわたしは通常通り仕事を続けていられたし、ほとんど変わりない毎日を過ごせていたわけですが
それでも・・・近い将来かならず別れがやってくる・・・ということを忘れたことはありませんでした。
どんなに打ち消そうとしても打ち消せない現実。
これは確かに酷なものでしたが、だからこそ、積極的治療を求めて、自分でも信じられないほどの精神力をもって行動を起こせたのかもしれません。

でも、ふとしたときに・・・不安が突き上げてくるんですね。
たとえば・・・発覚した際、医師に「長くても一年半」と言われたわけですが、
のちに調べて、それは同じような状態の人の「生存期間中央値」であり、すべての人にあてはまるわけではないことを知りましたが、
それでも、その「一年半」という数字は、わたしの心を苦しめました。
いつもではないけれど、ふと不安に駆られ、「一年半」という数字を思い起こすと決まって沈み込むような不安に苛まれたものです。
同時に、「一年半」と言われたのだから、それに反抗して三年生かしてやろう、なんて、その数字が強気になる原動力でもあったわけです。

数字にこだわるのは人間の悲しい性ですね・・・。

亡くなってから一番辛かったのは、二週間が経ったころでした。
あの人が・・・二人の想い出が・・・どんどん遠く離れていってしまうような感覚に襲われ、いてもたってもいられなくなって・・・

ある日、こっそり阪大医学部に行ったんです。
ダーの遺体はまだ阪大医学部に安置されています。
(献体については後日また書かせていただこうと思います)
遺体は魂の抜け殻。ただの抜け殻でしかない。
わたしは嘘でなく、それを信じているんです。なのに、その日わたしは、無性に肉体が恋しくて恋しくて・・・
「会いたい。触れたい。」
胸の奥の奥から付きあがってくるような欲望を感じていました。

少しでもあの人の肉体のそばにいきたい・・・この想いをどうすることもできずに、途中でお店を閉めて行っちゃったんです。

献体者の慰霊碑に手を合わせ、案内をしてくれた方に、訊ねてみました。
「あの・・・いま、どこに安置されていますか」
「あそこの辺りです」
指差された部屋の窓に向かい、語りかけました。
しばらくそうしていましたが、何も感じられず・・・むなしい気持ちのまま帰ってきました。いえ、何かを期待して行ったはずなのに、かえってさみしくなってしまった・・・。
なんでやねん・・・なんでこんなことに・・・?
悲しくて虚しくて何もかも嫌になりそうでした。「あたしってアホ・・・」とつぶやき続けていました。

沈み込むような気持ちのまま、家に帰ってきて、はっ、と気づきました。
はっきりと・・・わかりました。

あの人はあそこにはいなかった。
だってあの人はここにいるじゃないか。
あたしのすぐそばにいるじゃないか。

献体による正常解剖のため、あと一年、長ければ二年、ダーの遺体は阪大医学部に安置されます。

それでもあそこにはもうダーはいない。
わたしの愛する人はここにいる。

この感覚は、同じような想いをされたことのある、一部の方にしかわからないと思いますが、
わたしははっきりと悟ったんですね・・・。

ここにいる。あたしの中にいる。あたしのそばにいる。

涙がたくさん出ました。でも、それは悲しみの涙じゃなくて安心の涙でした。
ほっ、としました。ああ、ここにいるから大丈夫、だと。


わたしは、いつまで残っているのかしらないけれどこれからの自分の人生を、
ダーの面影だけを頼りに生きていこうとは思っていません。
自分だけの人生なら、それもいいかもしれない。でも、わたしのこれからの人生は、ダーの人生でもあると思っているんです。
「ダーがのり移った」とかそんなコワイ話じゃないですよ^_^;
ダーが見護り続けてくれている人生、って意味です。だからこそ幸せにならなければならない人生って意味です。

彼はこの世に生きているとき、わたしに大変執着していました。
彼は、物質的幸せをまったく望まず、また人間関係に於いても徹底して「去るものは追わず」の性質でしたが、
わたしにだけは執着していました。
正確に言うと、わたしの心に執着していました。
わたしの心を求めてやみませんでした。
出会って二年ほどしたころでしょうか、こんなことを言いました。
「ぼくが欲しいのはマキの心だけなんだよ。他には何もいらない。肉体さえも本当はいらない。だけど心が得られないから肉体をもって得ようとしてしまう。それが辛い」

わたしはまだ若くて、奔放で・・・多少はわかったけれど、その意味の本質がわからなかったんですけど。
ダーはきっとわたしを通して、何か本当に暖かな強い真実の愛を求めていたのでしょうね。

それでも彼は、最期にはすべての執着から解かれていたことがわかりました。
「ありがとう、マキ。マキがいればそれでよかった」
その一言で、あの人がわたしへの・・・この世のすべての執着から解き放たれたことを感じました。
その時に感じたんじゃないんです。後になってわかったんです。

「それでよかった・・・」わたしさえいればそれでよかった・・・
過去形になってしまったその言葉に、言いようのないさみしさを感じたけれど
それは彼の本心だったはずです。

彼が執着を解いて旅立ったのなら、わたしもまた、旅立たなければならない。
わたしの場合は、今は、死ではない。これからの人生に。新しい時間の中に。

そのことをしばらくしてから悟りました。

泣いてもいいし、悔やんでもいい。
眠れない夜も続くかもしれない。
でも、わたしは自分の人生と向かい合わなきゃ・・・わたしは生きなきゃならない。生かされているんだから。
自分ひとりで生きているわけじゃないんだから。
偉大な愛に生かされているんだから。

どうして自分ひとりで生きているなんて・・・そんな傲慢なことが言えるでしょう。
どうして自分の人生をあきらめ泣き暮らすことができるでしょう。
わたしを支えてくれるたくさんの人たちに対して、そしてわたしを護ってくれるダー、そして偉大な力に向かって・・・。
わたしはこの一ヶ月、あまりにも偉大な力を感じ続けました。
その名を「神」と呼ぶのでしょうか。それはわからない。
こういうときにすべてを宗教的に解釈できるほど信仰心もない。

だけど、人は決して自分の力だけで生きているわけではなく、何か大きな愛の中を、その愛をひたすら求めて生きていることがよーくわかったのです。

それを日頃は、夫とか子供とか親とか・・・特定の人に見立てているだけで、本当は、
もっともっと大きな、なんて言えばいいのでしょう・・・人間本来が求めているのはもっともっと深い・・・偉大なる愛。救われる愛。
うーん。。。ムツカシイけれど、わたしはそのように感じました。

「救われたい」と願う気持ちさえあれば、偉大な力はきっと救ってくれるって。
物質的なことではない、精神的なことです。
「夫のがんを治してください」そんな物質的な願いではないんですよね・・・もちろん叶えてもらえれば幸せだけど
そういうのとは違うんですよね・・・

「心を救ってください」と願ったとき、わたしは確かに救われました。
わたしは、ダーの謙虚でいて素晴らしい最期に、そして笑顔に救われました。

「どうか強く生きさせてください」と願ったとき、それは確かに叶えられました。
わたしはいま、絶望していません。泣くこともあるけれど心の深いところで満たされいます。

誰が叶えてくれたんだ? わからない。少なくとも自分の力だけではないのは確かです。
だから偉大な愛、偉大な力・・・としか言えないんです・・・。

傲慢だった自分を心から反省しました。
「反省」できたこと。それはわたしにとって本当に意味深いことなんです。
まるで自分の力だけで生きてきたみたいに偉そうにしていた自分が、何か大きな力に支えられ愛に護られていることを初めて知り、
ようやく自分を省みることができた。

どうして俗的に生きてきた、物質主義的に生きてきたわたしが、ここまでこんなふうに考えることができるのでしょうか。
自分でも不思議でなりません。

もしかしたら、わたしはこのことを知るために大きな試練を与えられたのではないかと・・・半ば本気で信じたりしています。


わたしはあの人のことを永遠に愛し、永遠に覚えていようと思います。
忘れられるわけがない。
でも、あの人はもう執着を絶った。
あとは、わたしを、見護り続けているだけ。
わたしが、生きることをあきらめず、泣いたり笑ったり・・・をくり返し、
最期のときがきたら「ありがとう。幸せだった」と、ダーのように周囲のみなさんに言えるように。
精神を・・・・魂を磨かなければ。こんなわたしに・・・できるかな? ほとんど自信はなし。。。^_^;
でもがんばらなきゃ。
とりあえず努力はしなくっちゃ・・・

四週間たって、わたしが感じている想いです。

はあ・・・長かったですね。
最後までお読みくださったみなさま、ありがとうございました。







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