オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

あの日の青空☆彡

2009-02-16 | 想い


小春日和のようなぽかぽか陽気が続いている豊中です

今朝、二階の窓から写した青空

朝、目覚めて、窓の外が明るいと、とってもうれしくなっちゃいます。
もっと若い頃は雨の日がロマンティックで好きだったけれど、
今は苦手。
朝から暗いと、何だか一日を損したような気持ちになってしまう^_^;

確定申告の時期が近づいてきましたね・・・
ああ、一年で一番嫌な時期(>_<)
馬車馬のように必死で働いて得たお金がヒラヒラ飛んでゆく時期だ・・・
義務とはいえ、高すぎる税金(>_<)
時々、あたしゃ税金支払うために働いているのだろうか・・・と真剣に考えることがある^_^;
税金の無駄遣いなんてとんでもないですョ。
みんな必死なんですからね・・・。
頼むでほんま・・・



わたしの心の中に在る青空はいつまでも同じ。
ダーと行ったトカラ列島最南端の島「宝島」の美しく澄んだあの青空。

二度、行きました。

ここは、ノラネコの島としても知られていました(現在はどうかな)。
村長さんからの依頼で、ノラネコ数十匹の避妊手術のために訪れました。
簡易の診療所を設け、野戦病院さながらに、がんばりました。



日本最後の秘境と呼ばれる宝島へは、鹿児島港から13時間。
種子島→屋久島→口之島→平島→諏訪之瀬島→悪石島→小宝島→そして宝島です。
宝島の先は、ダーの生まれ故郷・奄美大島。

宝島は人口たった130人程度の小さな小さな島。
スティーブンスンの小説「宝島」のモデルにもなりました。

海賊が財宝を隠したと伝えられている鍾乳洞、紺碧の海に亜熱帯の植物・・・
都会で生まれ育った者にとっては、ここが日本だなんて信じられない。

二度とも6月だったと思うのですが・・・そりゃあもう暑くて暑くて(>_<)
あんな暑い思いをしたのは、生まれて初めてでしたね^_^;
陽射しが都会とは違う。フライパンの中で踊る炒り豆になったような気分でした。

しかも、今は知りませんが・・・電力使用に制限があり、
民宿でも一部屋にしかエアコンがつけられない。
当然食堂につけられるわけですよ。
部屋には古ぼけた扇風機一台のみ。
二人とも裸になって寝ましたが、それでも暑くて眠れなかった(>_<)

しかし、まあ、そんなことも、島の美しさですべて相殺されますけれどね。




もちろんルウの介も一緒です。
船内には、ワンコたちの部屋がなく、外の階段の下にいなければならなかったルウ・・・(>_<)
そこはどんなに暑かったことか!(-_-;)
ダーが何度頼んでも部屋には入れてもらえず、怒り狂ったわたしは、面と向かって憎悪の言葉を吐き散らし、
13時間のほとんどを、ルウと一緒に階段の下で過ごしました(>_<)
「ルウ、ごめんね。暑いね・・・」と言いながら過ごした時間のなんと情けなく、腹立たしかったことか!

ダーが何度か交代してくれましたが、部屋に戻っても、ルウとダーのことが気になって
おちおち眠ることもできませんでした^_^;

二度乗っていますので、往復で四度、同じ目に遭ったわけですが、
6年ほど前の話なので、もしかすると今はワンコの部屋ができているかもしれません。



休憩時間には、島巡り。
車を持ってきていましたから、あちこち探検しました。
わたしは陽焼けが怖くて、最初は長袖を羽織っていたのですが、あまりの暑さにもうどうでもよくなって、
結局タンクトップ一枚になりました^_^;
島民は、チョコレートのように真っ黒な人ばかりで、わたしの色の白さはまるで異国人のようでした。

こんな暑い島なのに、名物の温泉があり、
「今でも死ぬほど暑いのに温泉になんて入れへん!」と駄々をこねるわたしを、ダーは無理やり引っ張っていきました。
民宿から温泉までは少し歩かなければならず、
「夜はハブに気をつけろ!」などと言われていたので、生きた心地がしませんでした。

昆虫博士でもあった彼は、
そこら中で変な虫を見つけては、「これは○○と言って、特徴は・・・」などと話し始めるので、うんざりしました(-_-;)
わたしは「聞いているフリ」というのができないタチなので、まったくキョーミのない顔でアサッテのほうを向いていると、
「マキっ、聞いてる? もう一度最初から話すよ」などとくりかえされて、ほとほと愛想がつきました。

それにしてもあの夏はどれだけ美しかったことか・・・
夢をみていたのではないか・・・と思うほどです。

宝島に限らず、あの人と過ごした幾度もの夏は、あまりにも美しく、あまりにもキラめいていて、
想い出すたび、涙がこぼれます。

もう一度あの頃に戻れるのなら、
今の想いのままに戻れるなら、
もっともっと堪能できたことでしょう。



丘の上の美術館に行ったとき。

彼は、高校時代、写真部にいたそうで、自分で現像もできるくらい写真には詳しかった。
自分は撮られるのが嫌いなのに、わたしとルウを撮るのが大好きで、
ここでも、100枚くらい撮られたと思います^_^;
「なんでそんなに撮るんよ?!」と愚痴をこぼすと、
「たくさん撮れば一枚くらいいいのがあるから」だと・・・。

写真を撮られるたび、モデルでもないのに、「マキ! もう少し顎を上げて・・・そう!」などと大声で言われ、
どんなに恥ずかしくせつない思いをしたことか。

撮った写真はダーが選り好みをし、
気に入ったものはPCの壁紙にしたり、引き伸ばして部屋に飾ったり・・・^_^;
どこまであたしが好きやねん、みたいな(ノロケだ)。



このシーサーとルウがそっくりだ!
と興奮し、この写真も、似たようなものが30枚近くあります(-_-;)

ほんまに似てるけど^_^;



ルウがチビのときの写真。
チビのときからいつもダーの車に乗っかっていたので
ルウは車が大好きです。



ダー作・紙芝居。
めちゃくちゃかわいい絵でしょう☆彡
写実的なものより、こーいう子供向けの絵が得意でした。

プロペラのかわいいことったら!

これ、下絵を描いて、折り紙を貼り付けています。
絵の具より、色が鮮やかに出るし、躍動的に見えるからです。
もちろん一つ一つ手作業です。
わたしも手伝いましたが、やり直しばかりさせられて、途中で嫌気がさしてふて寝しました。




表情がとっても愛くるしいんですよ。

これはタヌキが主人公ですが、他にも何作も作りました。
主人公は「ポンタ」という名前なので、『P』の入った服を着ています^_^;

彼は、ボランティアで、幼稚園や小学校に出向いては、動物を通じて優しさや愛を学んでもらおうと、紙芝居を披露していたんです。

いつの間にか評判となり、オファーが増え、一時は、本業がままならなくなったほどです。

わたしも、助手? として毎回連れていってもらいました(子供達と一緒になって楽しんでいただけやけど^_^;)。

特別養護老人ホームで、アニマルセラピーも行っていました。
捨て猫や捨て犬(飼い主から安楽死を頼まれたワンコなど)を連れて行き、
その子たちに、彼らにしかできない、大切な仕事を与えました。

彼は、安楽死を望む飼い主には断固として立ち向かい、どうしても聞き入れてもらえなかった場合は、
自分が飼うか、里親を見つけました。
わたしだけが知っている事実ですが、彼は、飼い主に見棄てられた子たちを守るため、
どれだけ自分を犠牲にしたか知れやしません(もちろん彼自身は自分が犠牲になっているなどとは思っていませんでしたが)。

安楽死については、一概に言えない部分があるのですが、
動物たちの場合・・・わたしが知っている限り、安楽死を依頼してくるのは、
無責任極まりない飼い主ばかりです。利己主義の権化です。
苦しんでいる子を何とか救ってやりたいという気持ち(愛情)で安楽死を求めるのなら、
それについては・・・絶対にいけないことだ、とは言えません。
でも、皮膚病で汚いから。不治の病に冒されてどうしようもないから。
歳をとって病気ばかりするようになったから。
引越しで飼えなくなったから。
そこにはまったく愛がありません。
汚くてもいいじゃない。臭くてもいいじゃない。耳が聴こえなくてもいいじゃない。
この子たちは、絶対に、注射一本で殺せるような存在じゃない。




ある小学校で紙芝居をしたときの写真。
紙芝居の向こう側には、他人の顔は出せないので消しましたが、息を呑んで見つめるたくさんの子供たちの姿があります。

これは『ポンタ』とは別で、安楽死を頼まれた病気のミニチュア・ダックスの子をモデルとした作品です。
この子はダーが飼い主となり、ダーが旅立ってからはわたしが引き受け、
昨年の一月に、まるで、あの人の後を追うように、亡くなりました。
安楽死をさせて、と言われてから9年近くが経っていました。
病気だったけれど、こんなに長生きしたんだ! ということを、アホな飼い主に伝えたい気持ちでした。
信じられないほどに安らかな死で、あの子の死には、今では別の世界で特別な力を身につけているダーが関わっていたことは間違いありません。

三千代さま・・・ご覧ください!
シャツ・イン&ダサいベルトです



わたしの3歳の誕生日の写真^_^;
ちょっと泣きそうになっているでしょ。両親に訊くと、ケーキを指でつまんだらしいのです。
それで、父に怒られて^_^;
その頃から食い意地が張っていたようですね。
テレビがめちゃ古い。カチカチ回してチャンネルを変えるやつですね。

でね、この写真、あるときからどっかに消えてしまって。
どこにいったのかなあ・・・と思っていたら。
あの人の貴重品が入っていた小さなバッグの中から、あの人が旅立ったあとに発見されたのです。
いつの間にか、わたしからくすねて、自分が大事に持っていたんですね。
まるで父親みたいですネ。まあそれくらい歳も離れていましたけれど。

想い出って、せつないですね。
この楽しかった日々は一体どこに行ってしまったの? と、叫びだしたくなるときがあります。
でも、この想い出があるからこそ、生きていけるんです。

本当に幸せでした。
でも。
幸せは、過去だけのものじゃない。現在にこそ、未来にこそ、必要なもの。

わたしたちは、どんなに大きなものを失っても、そこで終わりではないんですよね。
終わらせないためには、もう一度、自分の力で、なんとかかんとか頭をもたげることです。
頭上に拡がる青空を見上げることです。

希望を持ち、未来を信じて生きていきたいな。

そしてみなさまにも。未来を信じて、今を、生きてほしい、と心から願います。

青空は、過去だけのものじゃない。
今だってほら、こんなに空は青い。


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