オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

フレンズ。

2009-12-03 | 想い
いつもありがとうございます(*^_^*)

ただいまご注文が大変大変混みあっております^_^;

多くの方が複数個お買い上げくださっているので
特にホワイトラタンコース込みの場合はお荷物がとんでもなく大きくなって・・・^_^;
大格闘でございます^_^;
喜んでいだたけるように、きちんとお作りするのが一番だと思っております。
お待たせしておりますみなさま、
もう少々お待ちくださいますようお願いいたします。

明日、木曜日、店舗はお休みをいただいております。
宝塚観劇に行ってまいります。
この忙しいときに、ごめんなさいね・・・
一月も前から決まっていたことですのでお許しくださいませ^_^;
しかも、今回も、一階最前列がとれちゃって^_^;
ユウヒさんとすみ花ちゃんの大劇場お披露目公演『カサブランカ』です。
またレポートしますネ!

食事中にテレビつけたら、
リンドバーグが出ていてびっくり^_^;
ボーカルの渡瀬マキちゃん、ちっとも変わっていなくてまたまたびっくり。
なんてかわいいの・・・少年のような体つきもそのまま。
わたしより歳上なのに、若すぎ・・・かわいすぎ・・・
ちなみに、ご存知のとおり、わたしも「マキ」なのですが・・・^_^;
もうずっと以前から、漢字でもなく、ひらがなでもなく、カタカナの「マキ」を好んで使っています^_^;

なぜかと言いますと・・・
わたしのダーちゃんが、いつでも「マキ」だったからなんです。
彼は、書くのが大好きで、ノートやメモ、チラシやレシート・・・などなどに
思いついたことや何やらいろいろ書きまくっていたものですから
今でもわたしの手元には、彼の文字があふれています。
それらの中に、頻繁に「マキ」というカタカナが出てきます。
悲しいときに見ると涙があふれるのですが
気分の良いときに見ると、思わず微笑んでしまいます。

文字だけでなく、
彼がわたしを呼ぶときは、
漢字でもひらがなでもなく、どう聞いても、カタカナの「マキ」で呼んでいることがわかるんです^_^;

マキちゃんが終わったら出てきたのは、レベッカのNOKKO。
えっ? これ、何の番組? と思ったら、何とか歌謡祭だった・・・。
普段こんなの観ないからさっぱりわからない。
あの頃と変わらない高音で歌っている曲は『フレンズ』

わたしが中学生の頃に大流行した曲です。
この曲を聴くと・・・いつも想い出すことがあります。
このブログにも書けなかったし、中学時代の同級生以外は、友人たちもほとんど知らない。
どんなふうに言えばいいのか、それがわからなくて。
15歳、中学3年生のとき、親友を三人一緒に、事故で亡くしました。
ただの友人ではなく、休みの日はいつも一緒だった、親友たちです。
三人とも男の子。
その内の二人は、幼なじみでもありました。

わたしには、ダーが天国にいることははっきりわかるのですが
彼らの居所がつかめない。
つまり、彼らの死は、わたしの中で、未だ、解決されていないみたいなのです。

たった15歳で、この世を去った彼らと、
たった15歳で、親友が、一度に三人も死ぬこと、
その現実が、未だ受け入れられないみたいなのです。
だから、もう、20年も経っているのに・・・誰にも言えず、時折想い出しては、
一人で悶々としていました。

彼らが亡くなってからしばらくしたころ、
亡くなったMの妹を連れて、大阪城ホールで行われたレベッカのライヴに行きました。
兄を亡くした小さな妹は、『フレンズ』が始まったとき、
「お兄ちゃんが好きな歌」と言って泣き、わたしたちは、一緒に大声で歌いました。

目に焼きついて離れないのは、彼らの変わり果てた姿で、
耳に残って離れないのは、彼らの親の悲痛な叫びと、それから・・・。

三人の内の一人、Sの両親は離婚しており、Sは父親に育てられました。
Sとは長い付き合いだったのに、母親を見たことはありませんでした。
葬儀の日、わたしは、Sの母親を初めて見ました。
今でも鮮明に想い出すことができます。
Sの遺体をのせた黒塗りの車が、大きくクラクションを鳴らして走り出したその瞬間、
お母さんは、車を追って走り出しました。
お母さんは、とても・・・とても貧相な服を着ていて・・・それにとってもとっても小さくて・・・
いつまでも、いつまでも、車が角を曲がって見えなくなっても、必死になって追い続けるんです。
腕を、前に差し出しながら・・・。

誰もが呆然と、ただ、見ているだけでした。

なんで? なんでお母さんなのに、一緒に火葬場へ行けないの?
とても不思議に思いましたが、
子供だったわたしに、詳しいことを教えてくれる人はいませんでした。

あのときの、お母さんの、あの姿が、亡骸となって運ばれていく我が子を、
追い続けたお母さんの姿が・・・忘れられない。想い出すたび苦しい。
今、お母さんはどうしているのだろう。息子への愛を抱き続けながら、どこかで今も、生きていてくれるのだろうか。

そんなことも原因だったのでしょうか、わたしの、彼らへの想いは、
あの日、あのとき、止まったまま、未だに、前にも後ろにもいかない。

でも、今夜、こうして書けたことで、
もしかすると、わたしは、彼らの死を、受け入れようとする・・・その第一歩を踏み出したのかもしれませんネ。

テレビはニュース以外ほとんど観ないので、
めっちゃ久しぶりにTOKIOを観て、さらにびっくり。
ボーカルの人(名前ど忘れ)、えらい太って・・・^_^;
一瞬、竹内力かと思った・・・(ファンの方スミマセン)
あの人、あかん、超苦手や・・・。



ダーのノート。
こんなふうにいろいろ書かれたものが、山ほど残っています^_^;
これは清書前の乱文ですが、
彼は、若い頃、論文でたくさん鍛えているので、文章は理路整然としており、
わたしなんかよりずっと巧かったですね。



Rose Partyの庭に設置予定だった置くだけフェンスの設計図。
板は切ってあったので、優ちゃんが引き続き作ってくれた、あのフェンスです。



数字に強い人にしかさっぱりわからない・・・



新しい看板を作ってくれる予定でした。それのイラスト。

彼は本当にRose Partyを愛してくれていました。
僕にできることならすべてやる。常にそんな意気込みでした。



以前、ダー作紙芝居をみなさまにご覧いただきましたネ(*^_^*)
これもかわいいでしょう♪
旅立つ少し前に描いたものです。
ワンコはルウだそうです^_^;