遠くに近江富士(三上山)と草津線・・・のどかな景色です。
「徳生寺」
突然昭和へタイムスリップ・・・懐かしいキンチョーの看板と荷車。
😆 荷車を置いてあるお宅の屋号が「ヤマト」と読めますが・・・あの「クロネコ」とは関係なさそうですね。
「栗東市 ここは伊勢落(いせおち)」の道標
栗東市に入りました。伊勢参りの旅人が中山道から東海道へ行く時にこの場所を通過したので「伊勢大路(いせおおじ)」と呼ばれていた・・・のが訛って「伊勢落」になったと云われています。
「粟田八景 伊勢落晴嵐」の漢詩碑
「梅痩せて柳疎らにて柴扉(さいひ)鎖す 簷外(えんがい)は半ば晴れ野草肥ゆ 山色の末分の雲気は晴れ 一声鳥啼き霧破って飛ぶ 寛延三年十二月 素月作 恵津子書」
室町時代、中国湖南省の水の情景を集めた「瀟湘(しょうしょう)八景」を元に 日本各地の風景が漢詩に詠まれるようになりました。江戸時代初期に有名な「近江八景」が登場し、その後全国各地で八景が選定されるようになり、「粟田八景」も1750年(寛延3年)頃に選定されました。(栗東市は、かつて栗太郡と呼ばれていました。) その中の一つに「伊勢落」も選ばれています。
あぜ道の奥には・・・
「岩上神社」
散歩をしている親子も絵になります。
個性的な「飛び出し坊」やを伴った「新善行寺道 従是 三丁」の道標
😂 飛び出し坊やは表は「バカボン風」で、裏は「西城秀樹風」
街道沿いには「甘酒屋」「人力屋」の屋号も掲げられていました。
「長徳寺薬師如来堂」
お堂の前には「従是東膳所(ぜぜ)領」榜示石と「粟太八景 上野夜雨」の漢詩碑
「粟太八景」の説明もありました。
😀 粟田八景は 「蓮台寺晩鐘」「赤坂帰樵」「上野夜雨」「金山暮雪」「伊勢落晴嵐」「松島秋月」「手原行人」です。
「新善光寺道 是従一町餘」の道標。
突き当りを左折すると・・・
「六地蔵地蔵尊」
「浄玖 (じょうく)寺」「福正寺」そして再び「飛び出し注意」の看板
「旧和中散 ぜざい本舗」
😀 かつて石部宿と草津宿の中間点であるこの場所に、旅人が休息するための「梅ノ木立場」があり、漢方薬「和中散」を販売していました。
徳川家康が腹痛を起こした際、「和中散」を服用し快腹したと云われ、道中薬として普及しました。旧東海道品川宿の西、大森にも「和中散」売る店があったそうです。
😀 和中散屋を営む大角弥右衛門家には多くの大名も休憩に立ち寄り、1826年(文政9年)シーボルトも江戸へ向かう途中立ち寄ったそうです。
旧和中散 ぜざい本舗の向かい側には「大角家薬師堂」
小さな公園には信楽焼の大きなタヌキと「六地蔵」の道標
日本橋から117里の「六地蔵一里塚」に到着しました。
(まだまだ続きますが・・・長くなりそうなので「旧東海道散歩」はひと休み
)