番場宿を後にして、次の宿場に向かいます。

北陸自動車道(米原JCT)の手前に・・・

日本橋から117里「久禮(くれ)一里塚跡」

😀 右側の一里塚には「とねり木」、左側には「榎」が植えられていたそうです。
北陸自動車道の高架下を通り・・・


右折すると「史跡案内図」があります。

「八幡宮」

「敬永寺(きょうえいじ)」


和佐川に架かる「和佐川橋」を渡ります。

樋口交差点(国道21号線)を横断し・・・

左側の旧中山道を進みます。

「中山道 樋口」の標識。

この辺りには、饅頭や餡餅が名物の「立場」がありました。

「地蔵堂」

「中山道 河南」の標識。

国道21号線に合流しました。

左側にはJR東海道本線。

丹生(にゅう)川に架かる「丹生川橋」を渡ります。


ここは壬申(じんしん)の乱・横河の古戦場跡です。

「一類孤魂等衆碑」

😀 母を慕いながら行き倒れた老人を哀れに思い、女性が乳を含ませると、老人は感謝して女性に懐の70両を渡し、安らかに往生しました。女性は「お金は受け取れない」と老人の墓地の傍らに碑を建て、供養したと云われています。いろいろと思うところはありますが・・・江戸時代のお話です。
再び遠くに伊吹山が見えました。

国道21号線から右側の脇道に入ります。

この辺りは「六軒茶屋」があった場所です。

😀 醒井宿は幕府の天領でしたが、1724年(享保9年)大和郡山(やまとこおりやま)藩の飛地領となりました。彦根藩との境界に、同じ形の茶屋を六軒建て、中山道の名所となりました。
この辺りには枝分かれした大松がありました。歌川広重は醒ヶ井宿の西の外れのこの場所を描いています。
歌川広重 「木曽海道六拾九次之内 醒ヶ井」

😀醒ヶ井宿へ向かう大名行列の最後尾が描かれています。大名行列が通り過ぎたので、土手に座る農夫は 煙管を吹かしながら、大名行列を眺めていますね。醒ヶ井は古代の武人「日本武尊」のゆかりの地なので、武士の姿(大名行列)が描かれています。
(つづく)
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