風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

93. 清涼寺(嵯峨釈迦堂)

2009-09-22 | 近畿(京都・滋賀)

大きな仁王門と迫力のある金剛力士像でした。
ずっと小ぶりのお寺を外から覗いていたので、広さに驚きます。
ここは境内を散策できます。


義政の妻日野富子が、息子義尚の将軍職着任を願って堺から入手したといわれる、大きな梵鐘もあります。
夫は室町財政を傾けさせたのに、妻はリッチですね。


薬師堂脇には、「生の六道」と刻まれた石柱がありました。嵯峨釈迦堂の隣に六道の辻があり、小野篁は、夜になると六道珍皇寺にある“死の六道”を通って冥土へ行き、閻魔大王の手伝いをして、朝になるとここ薬師寺(以前は福生寺)にある“生の六道”を辿って、冥土から現世へ戻るっていたそうです。

六道珍皇寺からこのお寺まで、結構長い距離です。
死者も小野篁も、体力がないと歩ききれなさそうです。

境内には、大阪の陣での慰霊碑供養塔と、豊臣秀頼公の首塚がありました。
大阪城の三の丸跡発掘現場から出土されたそうです。
清涼寺は秀頼が秀吉の死後に再興した寺なので、そのゆかりでここに埋葬されたようです。
夏の陣の秀頼の死で豊臣家は滅亡し、その時に彼のもとに集まって戦った武将たちも慰霊していました。


ここには嵯峨天皇の皇子で光源氏のモデルとなった、左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘がありました。
彼の没後に遺族が建てた阿弥陀堂の中に入りました。


阿弥陀堂内部には、阿弥陀様のほかに、源融と伝えられる像がありました。
『源氏物語』で、最愛の人、紫の上をなくした光源氏が隠棲した場所とされています。


すでに、境内には紅葉のきざしが見えていました。
繊細な嵯峨のイメージにぴったり合います。

「天竜寺の門前を左へ折れれば釈迦堂で右へ曲れば渡月橋である。
 京は所の名さえ美しい。」(『虞美人草』)



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