● prologue
3月中旬に、京都に行く用事ができました。
桜を見たいけれど、ちょっと早いかな。
去年、奈良の天川村行きを計画したものの、お流れになっていたので、再びトライしてみることにします。
せっかくなので、吉野にも行きたいなあ。
ガイドブックにあまり載っていない奥大和(奈良南部)のことは、情報収集が難しいものです。
そこで、奈良が好きなあまりに奈良に移住した、奈良博士のサチコさんに相談して、いろいろとアドバイスをいただきました。
アクセス困難な場所ですが、詳しい人に教えてもらったので、なんだか行けそうな気がする~!
前に十津川村に行った時には、レンタカーだったので自由が効きましたが、今回は全て公共交通機関を使います。
そして、目指す天川大弁財天社は、呼ばれなければたどり着けない場所と言われているパワースポット。
どうぞ、つつがなくいきますように。
● 大和郡山スタート
今回の旅は朝の近鉄郡山から。郡山というと福島で、こちらは大和郡山市になるんですね。
金魚の養殖で有名ですが、今回は金魚ちゃんには会わず、近鉄に乗って橿原神宮駅まで行き、そこから吉野行き電車に乗り換えます。
乗り換えてからが長いです。そういえば吉野って、ものすごく山の中にあるんだっけ。
急行なのに途中駅で数分停車したりしながら、電車はのんびりと進んでいきます。
葛駅に着く時に「くずー、くずー」とのアナウンスが流れて、ちょっと楽しくなりました。
ホームの駅名板を見て(次は「大田」ね)と思ったら、「六田」でした。(目が悪い)
「福神」を通り(とってもいい名前。でも「漬」をつけたら福神漬になるのねー、そういえばどうして福神漬っていうの?)などとつらつら考えながら、電車に揺られていきます。
● 乗客は顔見知り
はじめは混んでいた車内でしたが、一人降り、二人降りして乗客は少しずつ減っていきます。
全身登山スタイルできめたおじさん3人組とは、吉野まで一緒かと思いましたが、皆さん下市口で下車。
車掌さんは、乗り込んできた人と挨拶を交わしているので、乗客の顔を把握しているみたい。
私はいちげんさんですが、すでに「吉野駅までICカードが使えますか?」と質問しているため、行先は知られています。
一人の若者が、座席に横になって寝こけていました。
(まだ朝早いからねー)と思っていましたが、車掌さんは数分間の停車時間の時に、その人を揺り起こそうとしています。
「お客さん、どこまで行かはります?」
「ここで乗りかえんと、吉野まで行ってしまいますわ」
「今、ムタ(六田)いうところですわ」
大声でそう話しかけても、なんの反応もなかったため、一旦車掌席に戻って発車したものの、次に数分停車した下市口駅でも、再び同じように揺さぶりながら、話しかけていました。
ちょうどそこが下りる駅だったらしく、乗客はようやくのことで起き上がり、寝ぼけながら電車から降りていきました。
車掌さんがそこまで頑張るなんて、きっとここから先は、後戻りするのも大変なほどのへき地になるんだろうなと、想像しました。
● ターミナル駅吉野
そこから先は、電車はガラガラ。
結局、終点の吉野まで行ったのは、私と別の車両にいたもう一人だけ。
まるで999状態です。アンドロメダ終着駅~。
まあまだ8時台なので、早すぎますね。
人が増えるのはこれからでしょう。
● 七曲り坂
吉野山に上がるには、現存する日本最古のロープウェイに乗っていきますが、車両故障のため今は運休中。
でも、すでにサチコさんに教えてもらっていた情報なので、動揺しません。
すでに、七曲り坂を歩いて上る覚悟はできています。
とはいえ、なかなか急な坂道。
ハーハー言いながら(そういえば朝ごはん食べてなかったなあ)とか(旅の荷物を全部しょってるんだっけ)など、現実を思い出します。
息切れしながらも、傾斜のきついショートカットの道を選びます。
追い込まれてこそ人生。エッジを効かせなくちゃね。(意味不明)
坂をのぼりつめると、朱塗りの欄干の、吉野の大橋のところに出ました。
ただ、ここは山の上で、川は流れていません。丸い穴があるだけです。
不思議です。きっとなにか意味があるのでしょう。
● 金峯山寺蔵王堂
緑深い吉野駅に着いた時には、肌寒くて震えましたが、坂を上りきった頃には暑くなり、コートを脱いでシャツ姿で歩きます。
さらにゆるやかな坂を上がり、黒門をくぐり、仁王門を通っていきます。
そこに姿を現したのが、大伽藍。
修験道の総本山である、巨大な金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂。
どどーん!
檜皮葺きの本堂は、東大寺大仏殿に次ぐ大きな木造建築だそう。
大きいというよりも巨大という方が合っているような威圧感で、すくみ上るような気分になります。
人が少ないため、さらに迫力たっぷりに見えるような気もします。
しばらく外観を眺めて、目が慣れてから、お参りしました。
● 岩組
堂内は撮影禁止でしたが、拝殿の両脇に大きな奉納提灯が天井から下がっており「岩組」と書かれていました。
岩組ってなにかしら?
気になって、御朱印を書いていただいたお坊さんに聞いてみましたが、わからないとのことでした。
境内の天満宮の梅が咲いていました。
少し遠くから蔵王堂を眺めます。
石柱に彫られた寄進者の名前の中に、再び「岩」の字を発見。
大峰山寺の管理の役割を担う、大阪の大きな八講、大峰山寺阪堺役講の一つ、岩組役講のようです。
岩組は、今でも毎年秋に総講中の大護摩供を行っているようです。
● 脳天大神龍王院
さて、お次のお目当ては、脳天大神さん。
奈良のサチコさんに教えてもらった神様です。
一度聞いたら忘れられない、その名前!
首から上の守り神ということで、ポンコツ頭の私はぜひともお詣りしておくべき場所!
(でもどこにあるんだろう~)と、蔵王堂の敷地内をうろうろと探し、しばらくして蔵王堂横の看板に大きく書かれているのを発見。
まだポンコツ頭ですからね。
でもお詣りすればきっとクレバーになれるはず!(なれたらいいな)
それにしても、450段の階段を下りていかねばならぬとは!
首から上というより、足腰の神さまじゃない?
しかし「挑戦・修行しよう!」と書いてあるならば、やるしかありません。
百観音を巡礼した後は、すっかり修行という言葉に反応するようになっています。
下へと続く階段を覗き込むと、ずっと先まで続いていて不安になります。
いえいえ、気にしてしまっては先に進めません。どんどん降りていきます。
ひたひたと歩いて行きますが、早朝タイムなので、前にも後にも人の姿はありません。
どこまで下っていくんだろうと、心細くなるほど。
ようやく階段が終わり、朱橋を渡ったところに拝殿がありました。
参拝してお坊さんに御朱印をお願いすると、ゆで卵を手渡されました。
「ここの神さまは蛇で、参拝者の方が奉納された卵を茹でたものです。よければ食べてって下さい」
休憩部屋でお茶も出してもらって、お接待していただきました。
ありがたや~。
● 帰りもスイスイ
さて、神様の卵もいただいたことだし、帰りの石段をがんばって上らなくては。
お坊さんに「上まで戻るのにどのくらい時間がかかるでしょう」と聞くと「私なら15分くらい」と言われました。
(じゃあその倍くらいかな)と覚悟を決めて、登り始めます。
修行の階段の途中で出会った修行大師。
頭に生えている苔のパヤパヤ具合が、かわいらしかったです。
上ってみると、思ったよりも大変ではなく、本当に15分ほどで蔵王堂の前まで戻ってきました。
先ほどのゆで卵で、蛇神様からパワーをもらったのかもしれません。
いいえ、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)にいただいたのですね!
銅像がありました。両側に前鬼と後鬼の鬼夫婦を従えています。
蔵王堂に負けない迫力~!
● 吉野朝宮跡
吉野は後醍醐天皇が拠点とした南朝があった場所。
今でもその色合いが色濃く残っています。
蔵王堂から続く門前町の通りを歩くと、両側に昔ながらのお店が並んでいます。
ちょうど開店し始める頃で、まだ通りもまったりとした空気。
わんこも日なたぼっこをしながら、すやすやと寝ています。
南北朝時代とはうって変わって、いまは平和な世の中~。
ほら貝が売られていたので、テンションが上がりました。
1,2個ならわかりますが、細かく大きさが違うものがずらりと並んでいるなんて、さすが修験道の山です。
山伏が買いに来るんでしょうね。
門前通りに韋駄天山という山を見つけました。
韋駄天好きなので、名前に引かれて上ってみると、そこは小高い見晴らし場所になっており、蔵王堂と南朝宮跡の建物の屋根が見えました。
● 歴史たっぷり吉水神社
次に、吉水神社を訪れました。
南北朝時代に後醍醐天皇の行宮になったところで、主祭神は後醍醐天皇。
南朝方の忠臣、楠木正成公も祀られています。
でも私は、それよりも時代をさかのぼって、源頼朝に追われた義経が静御前や弁慶と身を隠した場所だということの方に興味津々。
境内には、弁慶が追っ手を散らすために、素手で2本の釘を石に埋め込んだと言い伝えられる「弁慶の力釘」があります。
釘というよりも、刀を突き刺したかのような穴が二つありました。
う~ん、弁慶じゃないとできないことですね。
豊臣秀吉が、家来5000人をひき連れて吉野の花見をした時に「弁慶力釘から力を貰おう」と言ってこの釘に触ったそうです。
秀吉も弁慶に憧れていたんでしょう。
ここの手水舎にも、大きく「岩」と彫られていました。
岩講、かなり勢力が強かったんですね。
その向こうには、小さめながら、美しい築山庭園がありました。
● 一目零本
秀吉が花見をしたのは、この辺りでしょうか。
「一目千本」と書かれた場所がありました。
目を凝らして見回しましたが、桜で有名な吉野の山も、この時は残念ながら「一目零本」。
つぼみが膨らんでいるのですが、吉野の桜が花開くのはは、まだこれからです。
その2に続きます。
3月中旬に、京都に行く用事ができました。
桜を見たいけれど、ちょっと早いかな。
去年、奈良の天川村行きを計画したものの、お流れになっていたので、再びトライしてみることにします。
せっかくなので、吉野にも行きたいなあ。
ガイドブックにあまり載っていない奥大和(奈良南部)のことは、情報収集が難しいものです。
そこで、奈良が好きなあまりに奈良に移住した、奈良博士のサチコさんに相談して、いろいろとアドバイスをいただきました。
アクセス困難な場所ですが、詳しい人に教えてもらったので、なんだか行けそうな気がする~!
前に十津川村に行った時には、レンタカーだったので自由が効きましたが、今回は全て公共交通機関を使います。
そして、目指す天川大弁財天社は、呼ばれなければたどり着けない場所と言われているパワースポット。
どうぞ、つつがなくいきますように。
● 大和郡山スタート
今回の旅は朝の近鉄郡山から。郡山というと福島で、こちらは大和郡山市になるんですね。
金魚の養殖で有名ですが、今回は金魚ちゃんには会わず、近鉄に乗って橿原神宮駅まで行き、そこから吉野行き電車に乗り換えます。
乗り換えてからが長いです。そういえば吉野って、ものすごく山の中にあるんだっけ。
急行なのに途中駅で数分停車したりしながら、電車はのんびりと進んでいきます。
葛駅に着く時に「くずー、くずー」とのアナウンスが流れて、ちょっと楽しくなりました。
ホームの駅名板を見て(次は「大田」ね)と思ったら、「六田」でした。(目が悪い)
「福神」を通り(とってもいい名前。でも「漬」をつけたら福神漬になるのねー、そういえばどうして福神漬っていうの?)などとつらつら考えながら、電車に揺られていきます。
● 乗客は顔見知り
はじめは混んでいた車内でしたが、一人降り、二人降りして乗客は少しずつ減っていきます。
全身登山スタイルできめたおじさん3人組とは、吉野まで一緒かと思いましたが、皆さん下市口で下車。
車掌さんは、乗り込んできた人と挨拶を交わしているので、乗客の顔を把握しているみたい。
私はいちげんさんですが、すでに「吉野駅までICカードが使えますか?」と質問しているため、行先は知られています。
一人の若者が、座席に横になって寝こけていました。
(まだ朝早いからねー)と思っていましたが、車掌さんは数分間の停車時間の時に、その人を揺り起こそうとしています。
「お客さん、どこまで行かはります?」
「ここで乗りかえんと、吉野まで行ってしまいますわ」
「今、ムタ(六田)いうところですわ」
大声でそう話しかけても、なんの反応もなかったため、一旦車掌席に戻って発車したものの、次に数分停車した下市口駅でも、再び同じように揺さぶりながら、話しかけていました。
ちょうどそこが下りる駅だったらしく、乗客はようやくのことで起き上がり、寝ぼけながら電車から降りていきました。
車掌さんがそこまで頑張るなんて、きっとここから先は、後戻りするのも大変なほどのへき地になるんだろうなと、想像しました。
● ターミナル駅吉野
そこから先は、電車はガラガラ。
結局、終点の吉野まで行ったのは、私と別の車両にいたもう一人だけ。
まるで999状態です。アンドロメダ終着駅~。
まあまだ8時台なので、早すぎますね。
人が増えるのはこれからでしょう。
● 七曲り坂
吉野山に上がるには、現存する日本最古のロープウェイに乗っていきますが、車両故障のため今は運休中。
でも、すでにサチコさんに教えてもらっていた情報なので、動揺しません。
すでに、七曲り坂を歩いて上る覚悟はできています。
とはいえ、なかなか急な坂道。
ハーハー言いながら(そういえば朝ごはん食べてなかったなあ)とか(旅の荷物を全部しょってるんだっけ)など、現実を思い出します。
息切れしながらも、傾斜のきついショートカットの道を選びます。
追い込まれてこそ人生。エッジを効かせなくちゃね。(意味不明)
坂をのぼりつめると、朱塗りの欄干の、吉野の大橋のところに出ました。
ただ、ここは山の上で、川は流れていません。丸い穴があるだけです。
不思議です。きっとなにか意味があるのでしょう。
● 金峯山寺蔵王堂
緑深い吉野駅に着いた時には、肌寒くて震えましたが、坂を上りきった頃には暑くなり、コートを脱いでシャツ姿で歩きます。
さらにゆるやかな坂を上がり、黒門をくぐり、仁王門を通っていきます。
そこに姿を現したのが、大伽藍。
修験道の総本山である、巨大な金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂。
どどーん!
檜皮葺きの本堂は、東大寺大仏殿に次ぐ大きな木造建築だそう。
大きいというよりも巨大という方が合っているような威圧感で、すくみ上るような気分になります。
人が少ないため、さらに迫力たっぷりに見えるような気もします。
しばらく外観を眺めて、目が慣れてから、お参りしました。
● 岩組
堂内は撮影禁止でしたが、拝殿の両脇に大きな奉納提灯が天井から下がっており「岩組」と書かれていました。
岩組ってなにかしら?
気になって、御朱印を書いていただいたお坊さんに聞いてみましたが、わからないとのことでした。
境内の天満宮の梅が咲いていました。
少し遠くから蔵王堂を眺めます。
石柱に彫られた寄進者の名前の中に、再び「岩」の字を発見。
大峰山寺の管理の役割を担う、大阪の大きな八講、大峰山寺阪堺役講の一つ、岩組役講のようです。
岩組は、今でも毎年秋に総講中の大護摩供を行っているようです。
● 脳天大神龍王院
さて、お次のお目当ては、脳天大神さん。
奈良のサチコさんに教えてもらった神様です。
一度聞いたら忘れられない、その名前!
首から上の守り神ということで、ポンコツ頭の私はぜひともお詣りしておくべき場所!
(でもどこにあるんだろう~)と、蔵王堂の敷地内をうろうろと探し、しばらくして蔵王堂横の看板に大きく書かれているのを発見。
まだポンコツ頭ですからね。
でもお詣りすればきっとクレバーになれるはず!(なれたらいいな)
それにしても、450段の階段を下りていかねばならぬとは!
首から上というより、足腰の神さまじゃない?
しかし「挑戦・修行しよう!」と書いてあるならば、やるしかありません。
百観音を巡礼した後は、すっかり修行という言葉に反応するようになっています。
下へと続く階段を覗き込むと、ずっと先まで続いていて不安になります。
いえいえ、気にしてしまっては先に進めません。どんどん降りていきます。
ひたひたと歩いて行きますが、早朝タイムなので、前にも後にも人の姿はありません。
どこまで下っていくんだろうと、心細くなるほど。
ようやく階段が終わり、朱橋を渡ったところに拝殿がありました。
参拝してお坊さんに御朱印をお願いすると、ゆで卵を手渡されました。
「ここの神さまは蛇で、参拝者の方が奉納された卵を茹でたものです。よければ食べてって下さい」
休憩部屋でお茶も出してもらって、お接待していただきました。
ありがたや~。
● 帰りもスイスイ
さて、神様の卵もいただいたことだし、帰りの石段をがんばって上らなくては。
お坊さんに「上まで戻るのにどのくらい時間がかかるでしょう」と聞くと「私なら15分くらい」と言われました。
(じゃあその倍くらいかな)と覚悟を決めて、登り始めます。
修行の階段の途中で出会った修行大師。
頭に生えている苔のパヤパヤ具合が、かわいらしかったです。
上ってみると、思ったよりも大変ではなく、本当に15分ほどで蔵王堂の前まで戻ってきました。
先ほどのゆで卵で、蛇神様からパワーをもらったのかもしれません。
いいえ、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)にいただいたのですね!
銅像がありました。両側に前鬼と後鬼の鬼夫婦を従えています。
蔵王堂に負けない迫力~!
● 吉野朝宮跡
吉野は後醍醐天皇が拠点とした南朝があった場所。
今でもその色合いが色濃く残っています。
蔵王堂から続く門前町の通りを歩くと、両側に昔ながらのお店が並んでいます。
ちょうど開店し始める頃で、まだ通りもまったりとした空気。
わんこも日なたぼっこをしながら、すやすやと寝ています。
南北朝時代とはうって変わって、いまは平和な世の中~。
ほら貝が売られていたので、テンションが上がりました。
1,2個ならわかりますが、細かく大きさが違うものがずらりと並んでいるなんて、さすが修験道の山です。
山伏が買いに来るんでしょうね。
門前通りに韋駄天山という山を見つけました。
韋駄天好きなので、名前に引かれて上ってみると、そこは小高い見晴らし場所になっており、蔵王堂と南朝宮跡の建物の屋根が見えました。
● 歴史たっぷり吉水神社
次に、吉水神社を訪れました。
南北朝時代に後醍醐天皇の行宮になったところで、主祭神は後醍醐天皇。
南朝方の忠臣、楠木正成公も祀られています。
でも私は、それよりも時代をさかのぼって、源頼朝に追われた義経が静御前や弁慶と身を隠した場所だということの方に興味津々。
境内には、弁慶が追っ手を散らすために、素手で2本の釘を石に埋め込んだと言い伝えられる「弁慶の力釘」があります。
釘というよりも、刀を突き刺したかのような穴が二つありました。
う~ん、弁慶じゃないとできないことですね。
豊臣秀吉が、家来5000人をひき連れて吉野の花見をした時に「弁慶力釘から力を貰おう」と言ってこの釘に触ったそうです。
秀吉も弁慶に憧れていたんでしょう。
ここの手水舎にも、大きく「岩」と彫られていました。
岩講、かなり勢力が強かったんですね。
その向こうには、小さめながら、美しい築山庭園がありました。
● 一目零本
秀吉が花見をしたのは、この辺りでしょうか。
「一目千本」と書かれた場所がありました。
目を凝らして見回しましたが、桜で有名な吉野の山も、この時は残念ながら「一目零本」。
つぼみが膨らんでいるのですが、吉野の桜が花開くのはは、まだこれからです。
その2に続きます。
いつものお笑いネタにプッっと
笑いながら読んでます。
駅の名前で笑いをとれるとは
元は関西人?
クズ~
福神漬け~
楽しいですね。
一目零本は残念でしたね。
コメントありがとうございます♡
そんな、お笑いネタってー(笑)
大真面目に思ったんですよ!(≧▽≦)ノ
今年の吉野の桜は、TVで見ました。
山全体が桜色で、キレイでした~☆
のんびり、またの機会を待つことにしまーす♪
どこかにボケと突っ込みが入らないと
会話として成立しない慣習がありまして?(笑)
リカさんの「ボケ」かな?って思い
つい突っ込んでしまって(陳謝)
大真面目だったんですね。
天然?
これも関西のサガですm(__)m
いつかアネッティさんに特訓していただきたいです~!
あ、ボケかもしれません。関東の人たちでも、こんな私にいつも容赦ないツッコミを入れてくれますので、むしろありがとうございます~(笑)(^O^)!