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風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(仙台) 4-1

2017-04-27 | 東北
3日目からの続きです。

● 鯨の町のクジラ

この日が滞在最終日。朝は、さっちゃん宅でのんびり過ごしました。
「昨日牡鹿半島に行ったのに、クジラ食べてこなかったって言ったよね」
そういって出してくれたのは、鯨の刺身。
「鮎川港のだよ」
「わーい、いただきまーす!」



牡鹿半島の鮎川港は、日本有数の鯨漁地なんだそう。
鯨の町だったんですね。
そういえば、港に残されたアーチにはクジラが載っていました。

港のそばにあった「おしかホエールランド」という鯨の博物館は、東日本大震災で10mの津波にのまれ、今はありません。
でも、じきに再建されるそうです。

● 友達の友達は

ランチの約束に合わせて荷物のパッキングをし、駅行きのバスの時間を調べたら、なんと1時間に1本しか走っていないことが判明。
間違いではないかと何度も見返しますが、少し前に行ったばっかりです。
けっこう車通りの多い場所なので、まさか1時間に1本だなんて思わなかったー!
車社会あるあるですね。

次に来るバスでは、待ち合わせ時間に間に合いません。
(タクシーを呼ぶしかないなあ)と思いながら荷造りを進めていると、さっちゃんが部屋をノックしました。
「ミホちゃんが車出して乗せてくれるって」

ミホちゃんとは、初日の夜にさっちゃんのお店で会った常連さんです。
車を持っているため、さっちゃんが相談をしたら、看護師の彼女はちょうど非番の日だからと、すぐOKしてくれたそうです。
「本当に?いいの?」
ありがたいわ~。
中学の同級生たちにいろいろと骨を折ってもらっていますが、とうとう知り合ったばかりのお店のお客さんにまで迷惑をかけてしまうとは・・・とほほ。

すぐにミホちゃんはやってきてくれました。
ありがとう!頼んでくれたさっちゃんと車に乗り込み、駅までドライブ。
広い自衛隊の敷地を眺めて、砂押川沿いに走っていきました。



車なので、あっという間に駅に到着。
さっちゃん、ミホちゃん、ありがとう~!今度恩返しするわね!

● みちがえた多賀城駅

2人のおかげで時間に余裕ができたため、次に来る電車には乗らずに、駅前を少し散策しました。
数年前に駅舎が高架化されて大きくなり、駅前も広くなって、すっかり変化した多賀城駅前。



駅舎は、いにしえの多賀城をモチーフとしたデザインになり、前は片側のみしかなかったのが、今では北口と南口ができています。
裏側の北口に周ると、オープンカーが停まっていました。
ビックリ。(失礼)



● 3番目のツタヤ図書館

北口には、市の図書館がありました。
3月にできたばかりの、まだ開設されて半年くらいの新しさ。
前は山の上にあって、本を借りるためにうんうんいいながら坂を登っていったのに、ずいぶん便利になったものです。
中に入ると、広々とした最新型のカフェ併設スタイル。武雄市、海老名市に続き、日本で3館目のTSUTAYA図書館です。
一言で言って、オシャレ。文句なしに東北一でしょう。
薄暗かった駅前が、今ではこんなにあかぬけちゃって・・・よよよ(涙)



震災後、被災した友人たちの声をきいて、イベントプロモーターの知人の助けを借り、広く本を募って多賀城の図書館や幼稚園に寄贈したことを思い出しました。
当時は、娯楽がすべて失われ、TVも恐ろしい津波の映像しか流さないため、緊張続きの子供たちのメンタリティへの影響が心配されており、気晴らしとしての本の有用性が高まっていました。
新しい図書館は蔵書が充実しており、今はもう、本不足からは解消されたようです。
よかったわ。私も帰ったら本を読もうっと。

● 3番目の利用客数

駅のコンコースには壁画のように大きなステンドグラスが飾られ、光を集めていました。
多賀城と、市花のアヤメが描かれています。



以前は改札からホームまでが遠く、使いづらさがありましたが、今では改札の上がホームになり、移動しやすくなった駅。
JR仙石線の駅では、仙台・あおば通に次ぐ3番目の利用客数だそうです。

● 懐かしの友たち

仙石線にゴトゴト揺られていき、終点のあおば通駅からほど近い場所にある、広瀬通沿いの「日本料理 露庵 うめ治」が集合場所。
次々に、みんながやってきました。



個室に集まったメンバーは、女性ばかりの総勢7名。
夕べのレーちゃんといっくちゃん、そして幹事をしてくれたかじ、くみちゃん、みほちゃん、かもかも。
みんなに会えて、嬉しいわ~。この日は感激してばかり。
前に会った時から、誰も変わっていません。
見た目も、性格も。まあそういうものかしら。



● 露庵 うめ治

メニューには「値段は足軽、味は大名」と書かれていました。
足軽値段っていいですね!



私たちの目の前にいるのは、伊達政宗公。
独眼竜もメンバーに混ざりたかったのかな。
よく見ると、兜の上に蓋がついています。
お酒なのね。うちにも置きたいわ。



個室じゅうにいろいろなものが置かれていて、和風ながらアジアン無国籍風の雰囲気を醸し出しています。
日本文化好きの外国人の部屋に招かれたような感じの、おもしろい店内。



めいめいが頼んだメニューが運ばれてきました。
茶碗蒸しって、ふたつきのお茶碗に入っているものじゃないの?
細長い容器に入っているもを食べるのは、初めて。
枝豆も入っているし、上の方は透明だし、ちょっとしたカルチャーショックでした。



● 仙台名物せり鍋

左隣の席のみほちゃんは、せり鍋をチョイス。
仙台名物なんだそうです。知らなかったわ~。
博多名物、もつ鍋みたいな感じで有名なのかしら?
「知らないの?みんな食べてるよ」
と言われても、宮城だけじゃないかなあ。
泥をとるのが大変だそうですが、結構高級なんだそう。
じゃあ、大洗のあんこう鍋みたいな感じかな?



牡鹿半島のクジラといい、仙台のせり鍋といい、なんだか知らないグルメばかりが出てきます。
私が宮城にいたのは中学生の頃。
休日も長い休みもひたすら部活に明け暮れていた時で、それほど外食をしなかったからでしょう。



● ゴージャスな湯豆腐セット

私は右隣のレーちゃんと一緒に、湯豆腐セットを頼みました。
湯豆腐なのに、とってもゴージャスなご登場。



ほかのみんなの頼んだメニューも、贅沢感漂います。
和傘も添えられていたりして、風流。女子力高いわー。



木ぶたを取ると、おいしそうな湯豆腐。
つゆも一緒に温まる仕組みになっています。



● パインは缶詰か生か?

デザートもキラキラな感じ。
よく見ると、パイナップルを器にしています。
ここで「中身は缶詰かな?生かな?」というのが、みんなの話題になりました。

生だとかゆみが出るというクミちゃんは、かなり真剣な顔つきで、口に運んでいます。
「・・・甘さから、多分缶詰だ!」とほっとした口調で判断を下す彼女。
「でも器がパインだよね…」と、気になる様子でつぶやくレーちゃん。
みんな、行動が一人一人、中学の頃から変わっていないのが、嬉しいわー。



● 集まれることがなにより

私以外はみんな県内で暮らしていますが、多賀城市内にいる人は数名。
ほとんどが今は仙台市内に住み、遠刈田温泉の方にいる人もいます。

どこどこに引っ越ししたと教えてもらっても、細かい地名はさっぱりわかりません。
ここが、地元と転勤族の違い。
でも、どこに住んでいても、こうしてみんな集まってくれるから、いいのです。

久しぶりに7人も集まると、話は止まりません。
昼に集まってからワイワイとおしゃべりしているうちに、あっという間にお店が閉まる3時半になりました。

その2に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(東松島) 3-2

2017-04-26 | 東北
その1からの続きです。

● 黄金伝説の黄金山

とうとう、黄金山神社に参拝できて、達成感を噛みしめている私。
拝殿の後ろに、山頂への山道を見つけて、途中まで行ってみましたが、ちょうど一人の青年が上から降りてきました。
ゼーゼーと息をして、相当疲れています。
私達より少し先で休憩していた男性が、その彼に「上まで行ったの?どうだった?」と聞きます。
「凄くハードで、思ったよりもすごく時間がかかりました。」と肩で息をしながら答える青年。
それを聞いた私達は「あ、やめとこう」とあっさりきびすをかえしました。


舞殿


やっとこさ参拝ができて、今は変なハイテンションになっていますが、お互い前日の飲み会で睡眠不足だし、雨が降った後で山道はぬかるんでいます。
うかつにハードな登山をしてはいけませんからね。

石段を降りて、祈祷受付所で御朱印をいただきました。
ここの御朱印は、見開き2ページになっていました。


大正の広重と謳われた吉田初三郎の『金華山大鳥瞰図』屏風


ここは天平時代に我が国で初めて金を産出したといわれる島なので、金華山・黄金島と言われています。
そのため、金運あらたかで、3年続けてお参りすれば一生お金に不自由しないと言われています。
それで、アクセス困難な場所でも、参拝客が多いのでしょう。

御祭神は鉱山の神様の金山毘古神、金山毘売神。
それに神仏習合の名残で、弁財天も祀られています。
おみくじは、神の使いの鹿と弁天様の使いの蛇。
どっちもいいなあ。



私は、とにかくここを訪れて参拝したかったので、金運祈願は二の次。
3年通うのはかっちゃんに任せて、彼にリッチになってもらいましょう。

広々とした大広間で、ほかの参拝者たちと一緒に休憩します。
大きな火鉢がありました。冬はさぞ冷え込むのでしょう。



お茶の振る舞いがありました。
大豆を主原料にした七福茶という縁起のいい福禄茶です。



● 相生の松と楓

境内には相生の松と楓がありました。
隣り同士の松と楓が、伸びるつれていつしかくっつき、一体化した連理の木です。
見れば見るほど、不思議な木。
まさに一心同体です。



● 波止場への道

少しすると、大広間で休んでいた人たちがバタバタと仕度をして外に出始めました。
「船が出る時間なんだ」と、私達もあとに続きます。
参道は以前は舗装されていましたが、大震災前の爆弾低気圧により崩落してしまい、今はアスファルトを取り去ったゴツゴツの道に戻っていました。
ならされていない未修復の参道は、歩くのも大変。あまり急ぐと、つまづいてしまいます。

小高い場所にある神社からは、海が臨めます。
前方に広がるのは、金華山瀬戸と呼ばれる海峡。



ここでは鹿が人間の方へ寄ってきて、人間の方が距離をとろうと逃げているような状態。
鹿のアピールに負けて、子供までも逃げ周っています。 
鹿の餌を売っている奈良公園や厳島神社とは逆の光景です。


「力が欲しいか?」的にこちらを見つめる鹿


降りていくと、桟橋が見えてきます。
向こう岸は牡鹿半島。



この辺りは、震災と台風で大きな被害を受けた場所。
あちこちに土嚢が積まれています。
聖域とはいっても、太平洋に面した、自然災害を受けやすい場所なのです。
厳しい自然の元に、神は宿るとも言いますからね…。



神社までのきつめの勾配の坂を、今度は波止場まで降りていきますが、この時にもまたふくらはぎを使います。
表参道の両側に置かれた単管バリケードには、震災復興のキーワードの「絆」という文字がついていました。



かもめがたくさん海に浮いていました。
波に浮かんでプカプカ。
君たちは、波酔いしないのね~。



● 帰りの連絡船

海からの風は冷たく吹きすさんでいて、乗船を待っている間、体温がどんどん奪われていきます。
またもや連絡船に乗り込みました。
今度は先ほどよりも少し大きな80人サイズなので、ちょっと安心しましたが、やっぱり波にあおられて、ポンポン揺れる揺れる。



それでも、そばを通る小さな船は、もっと激しく揺れていました。
その様子を見て、また酔いそうになります。
船の中ではキャーキャーと乗客の悲鳴が上がっていましたが、私はすでに声を出すパワーなどなく、また船上で仮死状態となっていきました。

● 港に上陸

ようやく鮎川港に到着。ヨロヨロになって船から出ます。
地表に倒れ込みたい気分。はー、平らな地面がありがたいわ。

津波でごっそり流されて何もなくなった港ですが、広いスペースが駐車場として利用されており、線がなくても車が整列しています。
軽のコパンが5台、キチンと並んでいました。
かわいいです。「あれは人気が高い車種だよ」



車の上にとまっていたスズメたち。
ちょうど停まりやすいようです。寒いので丸まっていて、こちらもかわいい~。



● 再びエンドレスカーブ

それから再び車に乗り、石巻へと戻りました。
朝からほとんど何も食べていないので、酔ってもひどいことにはならないだろうと思っていましたが、帰り道のカーブの道では行き以上に半端ない酔いに襲われます。
車関係の仕事をしているかっちゃんは運転が上手ですが、私がカーブに負けて途中から会話さえできなくなり、ひたすら我慢してやりすごしました。



地獄の七丁目くらいに差し掛かる気分でカーブ道を抜け、トンネルを抜け、橋を超えると、石巻。
この街のランドマーク、日本製紙石巻工場の前を通ります。
満身創痍で戻りましたー。

● ちゃんこランチ

カーブから解放され、ほっとしていたら、少しするとなんとか気持ち悪さが収まってきました。
「そろそろランチの時間だね。お店を探そう」とかっちゃん。
「ウン」とは言うものの、完全に生返事の私。



場所は東松島の辺り。
食堂も少ないし、もうここでいっか、ということで、目についたちゃんこ萩の井に入ることにしました。
宮城とちゃんこ鍋。イメージが結びつきません。



元大相撲力士のお店で、店内には力士の絵や写真が飾られ、相撲甚句が流れています。
松島海苔のそばをつかった鍋がお勧めということで、二人とも鍋焼きのりうどんをチョイス。
磯の風味が、おいしかったです。



● 友人の武勇伝

食事をしながら、かっちゃんの中学卒業後のエピソードを聞きました。
中学生時代、すごく優しいクラスメイトでしたが、見かけはかなり迫力があって、パンチの効いた友達に囲まれていた彼。
ツッパリとは言えないものの、ツッパった友人が多く、目を付けられやすかったのだろうと本人は言います。

思い出話は、中学の卒業式の日にさかのぼります。
よその学校の先輩に喧嘩を吹っ掛けられて、ボコボコにされたそう。
5対2で完全に劣勢。彼をつぶして先輩たちが帰ろうと背中を向けた時、一緒に倒された彼の友人が、半分に割れたブロックを手渡したそうです。
「手渡されたそれを、先輩たちの背中めがけて投げつけた・・・」
ヒエッw(゚ロ゚)w

それで彼は補導され、夜間高校への推薦が無くなったのだそう。
我が家ではその頃、中学卒業祝いの楽しい夕食を食べていましたが、近くを血だらけの彼を乗せたパトカーが走っていたなんて…。
でも私たちの担任の先生が彼のことを見捨てずに、一般受験を勧めたので、なんとか進学できたのだそう。
私は中学卒業後、すぐに横浜に引っ越ししたため、その後のことは知りませんでした。
初めて知る話に、ビックリ。


私が知らない一面を持つ彼ですが、昔も今もその優しさは変わっていません。
「風邪気味でつらいと思って、薬とエナジードリンクを買ったら、同じようにつらそうな人が二人いたから、薬とエナジードリンクをそれぞれにあげたんだ」
そういうことが自然にできる人で、無償の愛というか、大きな人間性を感じます。
マッキーの『僕が一番欲しかったもの』は壮大な歌で、私はまさに彼のテーマソングだと思っているくらい。
つまりは幅広い人なんですね。うーん、私はとても追いつけません。
ハードな武勇伝はほかにもいくつもあり、驚きながら聞いていたら、すっかりお茶が冷めてしまいました。

● 神主パワー

それから東松島にあるお屋敷を訪れました。
敷地内の一つの建物の中に通されましたが、神社なのかお寺なのかよくわかりません。
こっそりかっちゃんに聞きましたが、彼もわからないようで、臆せずそこの後継ぎ息子に思いっきり聞いていました。
「うちは神社です」「あ、はい、すみません」



かっちゃんが先生と呼ぶ神主さんにお会いしました。
今回一関を訪れた話を細かく彼が説明して「ルーツ探し、うまくいきますかねえ」と、代わりに聞いてくれました。
かっちゃんは商売繁盛について訪ねます。

ほかにも相談に見えた数人の方々と一緒に、神主さんと息子によるお祓いを受けました。
2人が声を合わせて朗々と述べる祝詞は大迫力でした。
祝詞に呼応するように、強い風がガタガタと窓の棧を揺らしていました。

不思議な体験をして、再び車に乗ります。
後になって調べても、まるで検索に引っかからない。不思議な神社でした。

● ブルーインパルス・グッズ

ところどころのセブンイレブンでコーヒー休憩をとりながら、多賀城への帰り道をとります。
そのうちの一店舗では、ブルーインパルス・グッズが売られていました。



「向かいがブルーインパルスがいる基地なんだよ」
たしかに、道路の先に、基地の入り口がありました。



日本中でパフォーマンスを見せてくれる彼らですが、そういえば本拠地は松島基地でしたね。
つまりここは外部購買所のようなところなんですね。



強い西日に向かって、多賀城に戻っていきます。



中3の時に、野蒜海岸のサマーキャンプに行った時の話をしましたが「覚えてなーい」とのこと。
忘れちゃったのねー。



● JR東日本新幹線総合車両センター

突然、目の前に大きな建物が見えてきました。
「利府町にある新幹線基地だよ」大迫力です。
今度行ってみたいわ~。



● 私の引き渡し

多賀城駅に、友人いっくちゃんが迎えに来てくれました。
かっちゃんといっくちゃんは、中学生の頃に付き合っていた仲。
それで、任侠映画並みに迫力あるルックスでも、彼はとても優しい人だと分かっていました。
もうずいぶん前の話ですが、今回のドライブも、念のためいっくちゃんに了解をとってのことでした(笑)。

私の引き渡しのために顔を合わせた2人は「元気~?」と挨拶を交わしました。
2人とも、今では余裕のある大人です。
あら、私ってなつかしの2人を繋ぐエンジェルじゃない!
じゃなくて単なるお邪魔虫か!

かっちゃんにこの日のお礼を言って、いっくちゃんの車に乗り換えました。
これからは、仲良しグループで夕食をとるので、一緒にどうかと誘ったら、彼は「別用があるけれど、あとで顔を出せたら出すね」と行って、去っていきました。
本当に、友人たちにだっこにおんぶ状態です。

● 仲良しディナー

着いたのは「忍家」。
個室に通してもらいました。



ここで、中学時からの仲良しグループ、レーちゃんとゴエちゃんといっくちゃんと集合。
肩を近づけて積もる話をします。
ゴエちゃんは、引き取った被災猫にもうメロメロ。たくさんノロケられました。


チーズフォンデュ風のタコ焼き。


ただ、みんな車で登場したので、誰もお酒は飲めません。
「リカ、飲んでいいよ」「私たちの分も飲んじゃって」
と言われても、もともと下戸だし、ロングドライブの後なので、普段以上にすぐつぶれてしまいそう。
ということで、全員ソフトドリンクで乾杯しました。



みんな集まってワイワイしている時に、かっちゃんが再登場。
みんな同級生なので、知り合い同士です。
彼は私たちににこやかに挨拶をして、また去っていきました。
「かっちゃんは、約束をきちんと守るマメな人だね」
「いっくちゃんは、中学生の頃から、人を見る目があったのね」
みんなで2人のことをほめそやしながら、またグラスを交わして、この日の夜は暮れていきました。

4日目に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ 3-1

2017-04-25 | 東北
2日目からの続きです。

● 憧れの金華山

夕べは遅い就寝となりましたが、この日は8時にお迎えに来てもらいました。
かっちゃんと黄金山へ行くのです。

宮城の牡鹿半島には、金華山(黄金山)という華やかな名前の霊山があります。
金華山という地名は日本に2つあり、小さい頃、岐阜にある金華山の方は訪れたことがあります。
もうひとつのこちらの方も、中学生時に地図で見つけてからずっと気になっていましたが、たどり着くのがとても大変と聞いていたのと、行ったという人が周りにいなかったことから、ずっと自分も行けないまま、今まできました。
黄金伝説もある、謎めいた霊山。
ここは私にとって、ジパングもしくはガンダーラのような存在でしょうか。



ところが大震災の時に、海に面した牡鹿半島が津波を受けて孤立したという話を聞いて、ハッとしました。
(いつ天変地異が起こって、どうなるかわからないから、気になる場所には行っておかないと)
といっても、あまりに情報が少ないため、地元の事情通のかっちゃんに相談したのです。

● 友の加勢で

岬の端から週に1回、日曜日にのみフェリーが出ていますが、不定期で、風が強いと運行しないそう。
かなり周辺の海は荒いようです。

そこでかっちゃん、知り合いの漁師さんに、船を出せないかと相談してくれたとのこと。
顔が広い!ありがたいわ~(涙)。
ただ、漁船一台動かすのも、大変なことです。
こまめに情報収集し、しけ状態に左右されるためにギリギリまでわからなかったフェリーが、この日はどうやら出航するらしいとわかったため、フェリーで行くことにしました。

かっちゃんが一緒に行ってくれることになりました。心強いわ。
あちこちとフットワークの軽い彼も、行ったことがないという場所。
せっかくなので、ほかの共通の友人たちも誘ってみましたが、「朝早いからいいや」という返事。
地元の人は、あんまり気にしていないというか、興味がないようです。
なぜ~?私はとても行ってみたいのに。
地元の人は、参拝の大変さがリアルにわかるからかもしれません。
そんなわけで、この金華山行きは、「ルーツを訪ねる」「旧友に会う」に次いで、3つ目の今回の旅の目的になっています。

● 寝不足ドライブ

3時間睡眠のため、お互い超寝不足で、目もほとんど開いてないし頭も殆ど動いていない状態です。
しかも天気は、あいにくの雨。結構激しく降っています。
でも、私にとっては待ちわびた千載一遇のチャンスです。
さあ、黄金山を目指しましょう!

親切なかっちゃんに、休日に車を出してもらい、頭が上がりません。
コーヒーマニアということで、「せめてコーヒーでも!」と、こまめにコーヒー休憩をとりながら向かいます。

休憩中に「電話したら、予約が必要って言われて、今しといた」とのこと。
あぶないあぶない。気がついてくれて助かりました!

車は多賀城を抜け、塩釜を抜け、そして松島を抜けます。
もうここから先は、私のほとんど知らない場所。
石巻にたどり着きましました。
大震災の翌年に、仕事で被災状況の視察に訪れた以来の場所。
大被害を受けた大川小学校を訪れたことが思い出されます。



白いドーム状の建物が見えてきました。
石ノ森萬画館です。仮面ライダーの像が奇跡的に流されず、人々の希望になりましたね。かなりの被害を受けましたが、2013年にリニューアルしたそうです。
雨は、車を走らせているうちに少しずつ収まってきました。

● エンドレス・カーブ

渡波駅から、県道2号石巻鮎川線に入ります。
牡鹿半島までずっと続く道。万石橋を超えると一気に街を抜け、自然の中の一本道になります。



すぐに勾配のあるカーブのくねくね道となりました。
風越峠というロマンチックな名前の峠。
峠を越えても、ワインディングロードは延々と続きます。
ありえないくらい続きます。
我慢してやり過ごそうと思っていましたが、「ずーっとカーブが続くよ」との声に、心が折れそうになります。
山道カーブでは酔っても、海岸線カーブはまだ大丈夫だろうと思っていましたが、そんな甘くはありません。けっこう限界が見えそう。



本当に牡鹿半島って、アクセス困難だわ。
この辺りに住んでいる人は、石巻の町に出るたびに、このエンドレスカーブを通って行かなくてはいけないんですね。
くねくね道が嫌になっちゃって、漁船を持ちたくなりますね。



カーブだらけの県道2号のハードなドライブは、1時間ほど続きました。
私にはハイレベルコースすぎます。
こうやって、訪れる人をふるいにかけているんでしょうか。
なんとか気力一本で、牡鹿半島の先端までたどり着きました。

● 流された鮎川港

虫の息で降り立った、鮎川港。
金華山は、島の名前でもあります。
ここから連絡船に乗り換えて行きます。



2時間のドライブで、すっごく遠くまで来ましたよ。
もう、車かフェリーでしか来られない場所です。
クジラのアーチがあるのが見えますが、それ以外はなにもありません。



はっとしました。そういえばここは、津波の大きな被害を受けた場所。
いろいろなものが、根こそぎ流されていき、今はあのモニュメントしか残っていないのではないでしょうか。



ここを8.6m以上の津波が襲ったそう。小さな村は、ひとたまりもありません。
たしかに、みんな、流れてしまいますね…。

● 荒海の連絡船

フェリーのチケット売り場もなにもかも、すべてが簡易式の作りになっています。
予約を入れていたので、名前の控えがあり、乗船には問題ありません。
よかったー。ここまで来て乗れなかったら、泣いても泣ききれませんからね。



出航予定時刻は10時半ですが、予約が多かったとのことで、10時にも便が出ることになりました。
すぐ出航だと言われて、急いで連絡船に乗り込みます。



60人定員の旧式サイズの船。
少し三半規管を落ち着けてから乗りたかったんですが、ほとんど休みなく乗り物から乗り物への移動。
数分しかいなかった鮎川港、さようなら~。



走り出すとすぐに、ボンボンと揺れます。
こんなに波が荒いとは。口をちゃんと閉じていないと、下を噛んでしまいそうなくらい。
さっきまでの雨で波が高くなっており、まさに嵐の中の葉っぱ状態。
陸路カーブの酔いからの復活ができていないところに、今度は波揺れが私を襲います。
ううう、きついわー!



恐れていた、体調的に追い詰められた状態となりました。
「遠くを見ていれば酔わないって」とかっちゃんが言ってくれますが、遠くも近くも、もう何も見ていられません。
目をつぶってひたすら耐えに耐えます。

でも寝不足だったので、目を閉じたらすぐに睡魔が襲ってきました。
それが幸いしたのでしょうか。眠りの中に逃げ込むことができました。
乗客がポンポンはずみで浮くほどの激しい揺れの中で、眠りに逃げた私。
人生、ハードモードです。

● 金華山到着

そうしてとうとう、船は港に着きました。
乗っていたのは20分ほど。そのくらいでよかったです。それ以上だったら、本気で危なかったと思います。



よろめきながら、船の外へと出ました。
紺色のツナギの係員たちが3人がかりでロープを抑えていました。人力とはワイルドだわ。



この島には、神社しかないため、道も限られています。
坂道が港からも見えます。



水面は荒れていますが、海鳥たちが桟橋にたくさん集まって、丸まって羽を休めている様子に心安らぎます。



この島全体が聖域で、住人はたったの6人だそう。
ほとんどが神社関係者なんでしょうね。
港に降りた乗客は、それぞれの道へと散っていくかと思いきや、みんな同じ方向へと向かっていきます。
やはり目指すは、黄金山神社のようです。



まだふらついている脚に、最初からすごい傾斜道が待っています。
港の辺りからもう山になっているんですね。



一昨日は中尊寺、昨日は鹽竈神社、そしてこの日はこの坂。
どれも東北が誇る、とても素晴らしい寺社ばかりですが、この旅では毎日登山参拝をしているなあ。

● 牡鹿半島の鹿

フーフー言いながら登っていくと、前方に鹿がいました。
わー、厳島神社以来の鹿さんだー。
かなり近くまで寄っても、全く動じる様子もありません。



ここは牡鹿半島と言われるように、鹿がいる場所。
霊島・金華山は、禁猟禁伐の地なので、誰も傷つけないということを、彼らは知っているようです。



角が伸びている鹿もいます。10月に行われる角切り前の、一番伸びている時期。
今はちょうど繁殖期だそう。変に刺激して攻撃されないように、しずしずと前を通り過ぎます。



鹿は何匹もいて、ハーハーと登ってくる人間を眺めてゆうゆうとしています。
ここでは人間の方が鹿たちに気を配っています。



船の乗客たちは、年齢はバラバラですが、みんなラフな格好をしているので、旅行客というよりも地元の人たちのよう。
そもそもここは、観光地としてさほど知られていないし、観光地化もしていない、知る人ぞ知る場所です。

● 登って登ってまた登る

登り続けると、ようやく神社の建物が見えてきました。
ああ、狛犬さんが見下ろしている。



(とうとう着いた―!やれやれ)と思ったら、拝殿まではさらに長い石段がありました。
うわあ。
ここの参拝は、まさに修行ですね。



力を振り絞って…。



一歩一歩石段を上がり、鳥居をくぐります。
黄金山神社と書いてあります。
ここは、1250年の長い歴史を持つ金華山黄金山神社
青森の恐山、山形の出羽三山と並ぶ奥州三霊場の一つです。



龍の手水舎で手を清めてから参拝。



古めかしい木の随神門をくぐります。



拝殿に着きました。ああ、ここにたどり着くまで、どれだけ遠かったことでしょう…。



しっかりした総欅の流造りの神殿。
明治後期のものながらも、度重なる大地震に倒壊しなかった堅固な造りです。



長年の希望だった、この神社の参拝を済ませられて、満足~。
もう感無量です。

その2に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ 2-2

2017-04-24 | 東北
その1からの続きです。

● 塩釜のしおがま

レーちゃんの車で、多賀城から塩釜へと向かいました。
住んでいた頃は、いつもJR仙石線で移動していたので、車だとあっという間に着くことに驚きます。

「しおがま、好きなんだあ」とつぶやくレーちゃん。
そんなに塩釜の町が好きなのかと思ったら、「しおがま」という落雁のことでした。
ちょうど車は、丹六園という古めかしい佇まいのお店の前を通りかかったところ。
看板に「志ほか満」と書かれています。
志ほか満、そういえば食べたこと、ありました。
御主人が外に出て、お客さんのお見送りをしていました。
こうやってきちんとした商品を丁寧に売っているので、老舗はいつの時代も支持され続けるんでしょうね。



街を走っていると、あちこちに「浦霞」の看板を見かけます。
昨日、かっちゃんとさっちゃんに「多賀城のお酒ってある?」と聞いたら「多賀城はないけれど、塩釜に"浦霞"と"一ノ蔵"があるよ」と教えてもらいました。

浦霞って、茨城のお酒だと思っていましたよ。
だって霞ヶ浦があるから!なんだかまぎらわしーい。

● 雨の塩釜神社

そして塩釜神社へ。
ここは、まっすぐ続く202段の長ーい石段が特徴的。
中2の時以来の参拝です。
石段がきつかったことと、参道の途中に団子屋と神馬の小屋があったことしか覚えていません。

「石段、がんばって上ってね」と母からも言われており、ゼイゼイいいながら這い上がることを覚悟していましたが、「駐車場が上の方にあるから、石段は登らずに済むよ」とレーちゃん。
「へっ、そうなの?」と、思わず拍子抜けした声を出したら
「登りたいなら下で降ろすけど」と言われました。
いえいえ、乗せてってー。



塩釜神社は、上に上ると社殿が二カ所に分かれ、もう一方は志波彦神社になります。
正式名称は「志波彦神社鹽竈神社」だそうです。
扁額には「鹽竈神社」の文字。こんな難しい字、書けません!



小雨が降っているのはアンラッキーですが、小ぬか雨が降り注ぐ境内には、幽玄の趣が漂っています。
神秘的で、吸い込まれそう。





春には塩竈桜が咲き誇る境内。
国の天然記念物に指定されてています。
「ピンクで真ん丸で大きいの」大きくて可憐なかわいらしい花なんでしょうね。



下に続く長い石段を、上から見上げます。



小高い場所にあるため、町を一望できます。
津波が港に押し寄せた際に、この神社に逃げ込んで、命拾いした人々は大勢いました。

● ゆかりある神様



母が「塩釜神社は、あなたがおなかにいる時に、安産祈願したところだから、お礼を言ってきて」と言われました。
そうだったんだー。出会いは中2の時だと思っていましたが、生まれる前からここの神さまにはお世話になっていたのね。
レーちゃんも、ここで安産祈願をしたそうです。



塩釜神社には、主祭神の塩土老翁神(シオツチノオジ)と武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシノカミ)が祀られています。
タケミカヅチといったら、私が七五三を行った常陸国の鹿島神宮の神様。
ここ塩釜でもお祀りされているなんて、やっぱりここの神社にはご縁を感じるなあ。

● 狛犬ファン集め

参道のところどころにいる狛犬。
どれも古めかしいものばかり。
一つ一つ見ていって、趣味に任せて「これがこう、あれがああ」と話していたら、レーちゃんは興味津々の様子。
「狛犬って、そんなに違うものなんだねー」
親友が自分が好きなものに興味を持ってもらえるのは、嬉しいことだわ。

拝殿の中には金色の狛犬が鎮座していました。
見るからにつるっとしています。
レ「スフィンクスみたいだね」
私「スフィンクスでいいんだよ。もともとそれが元だし」
レ「えーっ、ほんと!?」

志波彦神社も参拝しました。
イカロスの翼みたいなしっぽをした狛犬がいい感じー。

「狛犬がこんなに面白いなんて知らなかった」と繰り返す彼女。
ふふふ、これで狛犬ファンを一人増やしたわ。地道な草の根活動です。

● 七曲りの坂



表参道の横にひっそりとある、七曲りの小道に差し掛かりました。
親の七光りだと、素直な子供のイメージですが、七曲りだとずいぶんひねくれていそうですね。

つまりは紆余曲折。まるで先が見えない人生だわ。
ハァ~と、ため息をつきながら、「通ってみる?」と問いかけると、「・・・みよう!」と、思わぬ元気な返事。
物静かな彼女は、そんなに冒険はしないタイプかと思っていましたが、ノリノリだったので、ちょっと驚きながらも通ってみることにします。

腰が引けるほど、かなり急な斜面。そうですよね、表参道は長い石段なんですから。
ごつごつした石の道で、気を抜いていると、足をとられて転びそう。
私たちのほかに、誰も通る人はいません。上を見ても下を見ても、急斜面すぎるし、私たちしかいないし、なんだか普通じゃないところをよろけながら歩いているのがおかしくて、二人とも笑いが込み上げます。

はじめは「本当に七回曲がるのか、確かめよう!」と言っていましたが、予想以上の急な斜面に、バランスをとりながら下りて行くのが精いっぱいで、曲がり角を数えている余裕はこれっぽっちもありませんでした。



途中、湧き水がありました。金花水(きんかすい)と呼ばれる泉で、昔から湧きつづけていたそう。
足元に集中していましたが、自然いっぱいの静かな原生林の中を通った、気持ちのいいひと時でした。
七曲坂は、塩土老翁神が通った道だとされている、霊験あらたかな道。
私たちにもいいことあるかしら?

● 御釜神社のおかま

無事に下にたどり着いて、次に向かったのが、御釜神社。
名前が「おかま」なので、住んでいる頃はさんざん親と笑いましたが、実はここが塩釜の名前の元となったという由緒正しい場所。



母に「御釜神社も参拝してね」と言われていた、行きたかった場所です。



ここには「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」があります。
見たいなあと思いましたが、ぴったり扉が閉ざされており、中は見えないようになっていました。
扉の向こうには4口の御釜(おかま)が安置され、竈の中に張られた水は、干ばつの時にも絶えることがないといわれています。



ここにいた狛犬がまたかわいくて、2人で「これかわいいー!」と大興奮。
今回は狛犬パラダイスだわ~。

● 製塩のはじまり



塩釜の発祥の地というほかに、ここは日本製塩起源の地でもあるそうです。
塩釜神社ご祭神の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が、人々に塩の作り方を教えたそう。
塩じぃは親切な神様なんですね。



辺りを散策してみます。
シンプルなようで、なんだか不思議な形のポスト。



● 浦霞の蔵元

浦霞の蔵元がありました。ここは塩竈神社に献上するお神酒を醸造する酒屋で、300年の歴史があるそうです。
その前は、日本酒のイベント会場になっていました。
そこにいる人たちは、みんなまったりとくつろいでいます。ほろ酔い(か深酔いか)しているんでしょう。



なんとなくスイーツが食べたくなった、お子ちゃま味覚の私たち。
お酒と一緒に売られていないかなと思いましたが、アダルト嗜好の会場には売っていませんでした。
みんな飲み口で、甘いものはいらないのね。

● ニューレトロ

塩釜中心部には津波が押し寄せ、ずいぶん被害を受けました。
そのため、この辺りの町の雰囲気はずいぶん変わりました。
それでも、昔からの御釜神社やしおがま銘菓店、浦霞の蔵が失われなかったのは、不幸中の幸いです。



逆に、かつてはいなかった人力車が闊歩していました。
京都や鎌倉みたい。
何人もの着物姿の人たちとすれ違いました。
こういうニューレトロな観光の楽しみ方が流行ってきているのかもしれませんね。



● 月見カフェ

塩釜神社の参道は、男坂と女坂があります。
表参道の男坂は、まっすぐの心臓破りの石段ですが、女坂はマイルドな曲がりながらの石段。
女坂の途中の旧亀井亭という古めかしい屋敷で、ちょうどこの日月見カフェが開かれると聞いて、行ってみることにしました。
月見カフェなんてすてきな響き。その言葉だけで、無重力気分になれそうです。



私たちが一番乗り。門の外で、やってきた人たちと言葉を交わしながら開店を待ちます。
時間となり、ギギーッと重い音を開けて門が開いたので、中に入ると、そこには古き良き旅館の風情のある建物がありました。



1階にはかつての塩釜の町のジオラマがあり、2階は、広々とした大部屋になっていました。
ガラスの埋め込まれたふすまは、私たちから暗闇と肌寒さを隔ててくれながら、とても雰囲気のあるものでした。



ここにも浦霞や一ノ蔵の樽酒がありました。
お酒どころは、粋な会を開くものですね。



ただ、ここもお酒のほかに売られていたのはチーズや乾きものなど。
やっぱり私たちの求めているスイーツはなかったので、あきらめて外に出ました。
カフェなのに、甘いものがないなんて~。

● 夜の女坂

もう月見ができる夜なので、外はとっぷりと暗くなっています。
先ほど、調子に乗って(?)神社の上から七曲りを通って下まで降りてきた私たち。
車は上にある駐車場に停めているため、登って行かなくてはなりません。

薄明かりの下、雨で光っている石段を、滑らないよう転ばないよう、気をつけながら登って行きます。
予定ではこの日、神社では灯篭祭りが行われる予定でしたが、雨なので中止になってしまいました。
残念ですが、まあ雨もまたよきかな。
思ったほど大変な思いはせずに、駐車場までたどり着きました。
もう停まっている車は数台のみ。

● 牛若丸ごっこ

そこから車で仙塩街道を通って、多賀城に戻ります。

多賀城市総合体育館の前を通った時、「あ、あの時のあの場所だ」とピンときました。
中学ではブラスバンド部でフルートを吹いていた私。
ここの塀の上をフルートを吹きながら歩いていたら、バランスを崩してフルートもろとも転がり落ちたんでした!
大事にしていたフルートに、傷がついてしまったんです。
なぜそんなことをしたんでしょうね。私ったら。
ちょっと牛若丸っぽいことやってみたいお年頃だったのかもー。

母校の中学校の横も通りました。
暗いのでよくわかりませんが、前よりも敷地内に建物が増えたよう。
生徒数は減っていると思うんですが。増えたのかなあ。

● 夜カフェ

さっきからずっとスイーツが食べたい気持ちがあったので、(本当の)カフェによることに。
駅のそばにある珈琲館に入りました。
コーヒーで売っているお店なのに、彼女はカフェインレスコーヒー、私は紅茶と、どっちもコーヒーじゃないものをオーダー。
それに、抹茶クリーム乗せパンケーキ。

お茶をしている途中に、かっちゃんから「もう着いたよー」と連絡が入りました。
さっちゃんのお店で、宴会を始めたようです。
お茶をした後、レーちゃんにお店まで送ってもらい、後日また会う約束をして、彼女は帰っていきました。

● プチ同窓会



「さち」の奥の座敷に、中学で同じクラスだった友人4人が座っていました。
エーコちゃんにヒサッペにエーイチくんにかっちゃん。
「あいつも呼ぼうぜ」とさらにもう一人、サトシくんも増えました。
みんな、2年前のクラス会で再会した顔ばかり。懐かしいです。
今回の私の里帰り(になるのかな?)に合わせて、集まってくれたみんなに感激!

さらに、初めて会う同期のタコさんもやってきて、にぎやかな会になりました。
お客さんの流れが空いたタイミングで、さっちゃんも時々混ざります。



みんな元気そうで何よりだわ~。
震災被災地近い、この中学時の友の無事を喜ぶ気持ちがひとしお強い私。
積もる話に花が咲き、夜遅くまで飲み会が続き、真夜中頃に女性二人がタクシーで帰っていきました。
男性陣は、さらに話が盛り上がっています。

私は次第に眠くなってきたので、カウンターで寝ていました。
毎晩さっちゃんのお店で寝てばかりいます。



深夜2時過ぎに会はお開きになり、再会を約束してお別れしました。
お店の片づけをして、私たちがタクシーで帰ったのは2時半過ぎ。
それからシャワーを浴びてお休みを言い、一人になったのは3時半前。
眠いわ~。これまでの旅最大級の、夜更かしスケジューリングです。
この日も盛りだくさんの一日となりました。

3日目に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(多賀城) 2-1

2017-04-21 | 東北
1日目からの続きです。

● 瞠目の再会

今日は、中学時代の親友れーちゃんの車でドライブ。
さっちゃんの家の近くの駐車場で、待ち合わせをします。
ウキウキと向かったら、彼女は一足先に着いており、大きな車の前に立っていました。
「れーちゃん!」と声をかけると、黙って大きく見開いた目をこちらに向けます。
(懐かしい再会に、そんなに感激してくれるのかしら)と思ったら、久しぶりの挨拶そうそう「車止めに気付かなくて、ギリギリだったの」と言う彼女。



大きな車の後ろ側に周ると、駐車した車が、壁とぶつかる直前のところで止まっていました。
「うわっ!」と、私も目を見開きます。
きわどいところでセーフ!

そういえば中学生の頃って、お互いのんびりしていた反面、加減を知らずにこんな風にエッジがきいてた毎日を過ごしていたような気がするなあと、ぼんやり思い出します。
そんなところ、変わっていないわー。
驚きが収まったところで、大きな車に乗せてもらいます。
エッジがどうであれ、仲良しの友と一緒ならいいんです。

● 被災5年後の町並み



大きな白い建物の前を通りました。
「ここ、去年新しくできた水族館。」
東日本大震災の津波で大きな被害を受け、惜しまれながら閉館した松島マリンピアに代わってオープンした、仙台うみの杜水族館です。
連休だからか雨だからか、入口には人がいっぱいで行列ができています。
「いつでもすっごい人気なんだよ」

その近くには、大きなキリンビールの工場が。
ハッとして思い出しました。
「そういえば、大震災の時に、缶ジュースやビールが工場からプカプカとたくさん流れてきたんだよね」
「そう、この工場から。突然モノがなくなっちゃった時だったから、みんな助かったんだ」
何も言えなくなります。



いつしか車は、果てしなく大きな畑が道路の両側に広がる道を通っていました。
アメリカのハイウェイのようだと思ったら「この辺は畑じゃなくて、全部流されちゃった所」とポツリと言う彼女。
はっとして見回すと「若林区」の看板が立っていました。
津波の被害が大きかった辺りです。
平地の中に、ぽつんとお社が立っていて、胸を打ちます。



目の前にはうず高く盛られた土。津波対策として、あそこまで土地を上げるという計画でしたね。
でも、見るからになかなか進んでいません。
土地はそのままになっているようです。

彼女は、私に被災地の現状を見せているわけではありません。
ランチをしようと、おすすめのお店に向かっているところなんですが、町が流されてしまい、以前とは違う光景になったためか、なかなか曲がる道を見つけられずに、だだっ広い畑の中を走り続けます。
「ランチのお店が今日やってるか、確認してこなかったなあ。開いてなかったらキリンのレストランに行こうね。
いや、その前にたどり着けるかが問題だけど」と孤軍奮闘しながらハンドルを握っています。
助手席に座っているだけで、力になれずごめんねー。



震災から5年がたちました。その後、1年後と3年後にここを訪れ、震災の爪痕がくっきりと残る町をまのあたりにしています。
当時に比べると、かなり町は落ち着いてきていますが、町全体がなくなってしまった場所もあり、まだまだ復興途中。
減ってきたとはいえ、まだ仮設住宅は残っているそうです。
前は、私たちの卒業中学校の校庭にも、被災した人々が住んでいましたからね。

「ゴエちゃんが猫を飼い始めたんだよ」と、共通の友人の話題になりました。
「聞いたわー。メスなのに名前がニャンタだって」
「どうしてニャンコにしないんだろうね(笑)」

メールでは「また引っかかれた」「腕がボロボロ」などとブツブツ言っていますが、「あの猫、震災猫を引き取ったんだって」と教えてくれたれーちゃん。
ゴエちゃんは優しいのです。

● 風と手と土

すこし雨が降ってきましたが、とうとう道を発見したレーちゃん。
到着したお店は、彼女お気に入りの「風と手と土」という、すてきな一軒家です。
ウッド調のお店はナチュラルな雰囲気。





こ小屋はなんだろう?と気になってのぞいてみたら、コーヒーの焙煎室でした。



● 草刈り部長ユキオ

「わー、なんか白い子がいる」
「ここね、ヤギがいるんだよ」
「ユキちゃんね!」ハイジを思い出しました。



名前はちょっと違いました。「草刈り部長ユキオ」だそう。
これはもしや、草刈正雄を意識したネーミング?

小雨の中、小屋の中にいるユキオを眺めていたら「その子は雨が嫌いなんだよ」と声がしました。
トラックに乗ろうとしているお店の旦那さんらしい方が、こちらを向いていました。
するとユキオは、すぐに小屋の外にとび出て、一目散にその男性のそばへと駆け寄っていきました。



「雨が嫌い」より「旦那さんが好き」の気持ちの方が強いんですね。



男性にじゃれ付き、トラックが去ると、ユキオはまた小屋の中に入ってしまいました。
そっけなーい。もしもし、こっちにも人はいますよー。
お客さんへの愛想は振りまかないのね。

● 手作りパスタに有機野菜



お店の中に入ると、とても居心地がよさそう。木に囲まれると、人って落ち着きますね。
運転から離れてほっとしたれーちゃんと話し始めたら止まらなくなり、注文も忘れて話し込みました。
お店の人が何種類もの手打ちパスタを見せてくれて「どれにしますか?」と聞かれます。



畑で採れた有機野菜のサラダが食べ放題。いいわ~。



私は、クリームエビとワタリガニトマトのソースにしました。
パスタの色が濃くて、味もざらつく食感。手作り感がたっぷり詰まっており、とても噛みごたえがありました。



● 17歳のわたし

おいしくいただいてから、追加でデザートも食べようということに。
かぼちゃモンブランを選んで、さあ食べ始めようという時に、彼女が
「今日はこれ持ってきたんだ」と何かをテーブルの上に出しました。
「リカがくれた手紙だよ」
「!!?」
見ると、私が高校生の頃に送ったものでした。

多賀城には、中2と中3の時を過ごし、中学卒業後に横浜に引っ越したのです。
ウワ~~~!
「読み返すと懐かしくてね。見てみて♪」
そういわれても、私にとっては恐ろしいものが仕込まれている爆弾のようにしか見えず、まったく取り出す勇気がありません。
「まあけっこう面白いから、見てみて♪」

何度も言われて、おそるおそる手に取ります。
たしかにこれは私の字。かつての私です。



でも、でも・・・!
これは近年まれにみる破壊力!
たった一通で、私を見事に打ちのめす最終兵器です。
レーちゃん、あなたはなんと殺傷能力の高いものを持ってきたのデスカ…!

それでも、何度も言われたので、しぶしぶ手に取り、手紙を取り出しました。
うっ、ずっしりとした重みを手に感じます。
最近は、手紙も書かなくなっちゃったなあ。

確かに、17歳の私がそこにいました。
呼吸が浅くなります。かなりパワーゲージは下がっています。
いっそひとおもいに殺ってくれれば!

自分の中で、時空を捻じ曲げるようなかなりの抵抗感覚がありましたが、読み始めてみると懐かしい自分の文字、そして文章に、吸い込まれそうになりました。
17歳の頃の自分と、黙って向き合います。

「ねー。いきなり渡されても困っちゃうよね」
レーちゃんはよくわかっています。わかってて渡したのね。
でも私も同じ。ほかの手紙は無くしても、彼女からの手紙はどうしても捨てられずに、まだ大切に保管してあるはず。
だから、家に帰ったら私も反撃できるのよ~。フフフ。

読み終える頃には、すっかり懐かしさでいっぱいになっていました。
タイムマシンに乗った気分になりました。



が、それにしても、突然過去の自分と向き合うことになったため、心の動揺が激しすぎて、せっかくのカボチャモンブランの味は全くしませんでした。
残念すぎる!食べてから見せてほしかったわ(笑)!

それからも、たくさん話をしました。レーちゃんはお子さんたちが小さかったので、2人きりで過ごす時間は、長いことなかったなあと思います。
中2の時ぶりの2人きりの時間。相変わらず濃密でした。

● 部長のおやつ



お店を出る時、レジのところにニンジンが入ったボウルがあり、「部長のおやつ」と書かれていました。
「これなんだろ?」と笑って見ていたら、それはユキオのものでした。
そうか、草刈部長だったわ。
「どうぞ、あげて下さいな」とお店の人に言ってもらったので、一切れずつもらって外に出ます。
雨が小やみになったからか、ユキオは、外に出ていました。



「ユキオ、おいで、おやつをあげるよ」



夢中で食べるユキオ。ヤギってかわいいなあ。



渋谷にあるヤギカフェが前から気になっていましたが、ここでユキオと戯れられたので、すっかり満足しました。



● 大きなかぼちゃ

庭の手押し車には、大きなかぼちゃが乗っていて「どうぞ」と書かれていました。
昨晩、お客さんから大量のネギをもらってきたさっちゃんに持って行こうと、形のいいものをひとつもらいました。
ずっしり重いわ~。

ドライブ中、モダンなデザインの橋に差し掛かります。



「この橋、なんていうの?」
「わかんない」
「長年住んでいても、興味を持っていないと全く分からないことが多すぎてー」と言っています。
まあ、そんなものですよね。

● 雨の陸奥総社宮

それから、彼女のお勧めの陸奥総社宮に連れて行ってもらいました。
訪れたことがない場所ですが、最近調べて気になっていた場所です。
多賀城跡の横の坂道をどんどん登って行きます。
以前この辺りにうず高く積もれていた、がれきの入った土嚢は、今はきれいになくなっており、どこにもありません。





緑が濃い界隈に差し掛かり、古木に囲まれたお社があらわれました。



ここの狛犬もいいわ~。願い石がびっしり詰まれていて、なんだか石から生まれたようです。



私が喜んで境内をあちこち動き回る姿を、れーちゃんは眺めています。
なぜ嬉しいのかを説明すると「へえー」と。



● 恋人のような老杉

彼女が好きだという神木の老杉を、まるで恋人のように紹介してもらいました。
推定樹齢600年。なんと室町時代からあるそうです。
樹高25.6m、周囲4.88m。すごく太い幹で、大きすぎて、全貌を撮影できません。
まだまだ空に向かって伸びていっているところです。

そばには、推定樹齢220年の江戸時代からある白木蓮の古木もありました。



とても気持ちがいい聖域。社務所に行って、御朱印をいただきました。
対応していただいた、お上品なご年配のおかみさんに「よくまあそんな遠くからお越しいただいて」と喜んでもらえました。

「雨の時に神社に行くって、まずないけれど、これはこれで雰囲気がよくっていいね」とレーちゃん。
私は雨の時も嵐の時も参拝しています。
逆に晴れの日にしか行かないと聞いて、新鮮。

陸奥総社宮ということで、かつての陸奥国内の式内社100社の神様をお祀りしています。
その御祭神の中に「志和彦」「志波姫」という神様がおり、(夫婦かしら)と思いました。
前に志波姫町という地名があったそうです。それは町に志波姫神社があったからだとか。
やぱり神様の名前から来たということですね。



境内には「総社音頭」の歌詞が掲げられていました。
音頭ということは、その歌でみんな踊ったんでしょうね。

なんかこれに似た看板、前に見たことあったっけ・・・。
備中高松城で「水攻音頭」の歌詞を見たことを思い出して、彼女に話すと「水攻め!?」と驚きながらも、ツボにはまって、ずっと笑っていました。

その2に続きます。