その1からの続きです。
● 塩釜のしおがま
レーちゃんの車で、多賀城から塩釜へと向かいました。
住んでいた頃は、いつもJR仙石線で移動していたので、車だとあっという間に着くことに驚きます。
「しおがま、好きなんだあ」とつぶやくレーちゃん。
そんなに塩釜の町が好きなのかと思ったら、「しおがま」という落雁のことでした。
ちょうど車は、丹六園という古めかしい佇まいのお店の前を通りかかったところ。
看板に「志ほか満」と書かれています。
志ほか満、そういえば食べたこと、ありました。
御主人が外に出て、お客さんのお見送りをしていました。
こうやってきちんとした商品を丁寧に売っているので、老舗はいつの時代も支持され続けるんでしょうね。
街を走っていると、あちこちに「浦霞」の看板を見かけます。
昨日、かっちゃんとさっちゃんに「多賀城のお酒ってある?」と聞いたら「多賀城はないけれど、塩釜に"浦霞"と"一ノ蔵"があるよ」と教えてもらいました。
浦霞って、茨城のお酒だと思っていましたよ。
だって霞ヶ浦があるから!なんだかまぎらわしーい。
● 雨の塩釜神社
そして塩釜神社へ。
ここは、まっすぐ続く202段の長ーい石段が特徴的。
中2の時以来の参拝です。
石段がきつかったことと、参道の途中に団子屋と神馬の小屋があったことしか覚えていません。
「石段、がんばって上ってね」と母からも言われており、ゼイゼイいいながら這い上がることを覚悟していましたが、「駐車場が上の方にあるから、石段は登らずに済むよ」とレーちゃん。
「へっ、そうなの?」と、思わず拍子抜けした声を出したら
「登りたいなら下で降ろすけど」と言われました。
いえいえ、乗せてってー。
塩釜神社は、上に上ると社殿が二カ所に分かれ、もう一方は志波彦神社になります。
正式名称は「志波彦神社鹽竈神社」だそうです。
扁額には「鹽竈神社」の文字。こんな難しい字、書けません!
小雨が降っているのはアンラッキーですが、小ぬか雨が降り注ぐ境内には、幽玄の趣が漂っています。
神秘的で、吸い込まれそう。
春には塩竈桜が咲き誇る境内。
国の天然記念物に指定されてています。
「ピンクで真ん丸で大きいの」大きくて可憐なかわいらしい花なんでしょうね。
下に続く長い石段を、上から見上げます。
小高い場所にあるため、町を一望できます。
津波が港に押し寄せた際に、この神社に逃げ込んで、命拾いした人々は大勢いました。
● ゆかりある神様
母が「塩釜神社は、あなたがおなかにいる時に、安産祈願したところだから、お礼を言ってきて」と言われました。
そうだったんだー。出会いは中2の時だと思っていましたが、生まれる前からここの神さまにはお世話になっていたのね。
レーちゃんも、ここで安産祈願をしたそうです。
塩釜神社には、主祭神の塩土老翁神(シオツチノオジ)と武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシノカミ)が祀られています。
タケミカヅチといったら、私が七五三を行った常陸国の鹿島神宮の神様。
ここ塩釜でもお祀りされているなんて、やっぱりここの神社にはご縁を感じるなあ。
● 狛犬ファン集め
参道のところどころにいる狛犬。
どれも古めかしいものばかり。
一つ一つ見ていって、趣味に任せて「これがこう、あれがああ」と話していたら、レーちゃんは興味津々の様子。
「狛犬って、そんなに違うものなんだねー」
親友が自分が好きなものに興味を持ってもらえるのは、嬉しいことだわ。
拝殿の中には金色の狛犬が鎮座していました。
見るからにつるっとしています。
レ「スフィンクスみたいだね」
私「スフィンクスでいいんだよ。もともとそれが元だし」
レ「えーっ、ほんと!?」
志波彦神社も参拝しました。
イカロスの翼みたいなしっぽをした狛犬がいい感じー。
「狛犬がこんなに面白いなんて知らなかった」と繰り返す彼女。
ふふふ、これで狛犬ファンを一人増やしたわ。地道な草の根活動です。
● 七曲りの坂
表参道の横にひっそりとある、七曲りの小道に差し掛かりました。
親の七光りだと、素直な子供のイメージですが、七曲りだとずいぶんひねくれていそうですね。
つまりは紆余曲折。まるで先が見えない人生だわ。
ハァ~と、ため息をつきながら、「通ってみる?」と問いかけると、「・・・みよう!」と、思わぬ元気な返事。
物静かな彼女は、そんなに冒険はしないタイプかと思っていましたが、ノリノリだったので、ちょっと驚きながらも通ってみることにします。
腰が引けるほど、かなり急な斜面。そうですよね、表参道は長い石段なんですから。
ごつごつした石の道で、気を抜いていると、足をとられて転びそう。
私たちのほかに、誰も通る人はいません。上を見ても下を見ても、急斜面すぎるし、私たちしかいないし、なんだか普通じゃないところをよろけながら歩いているのがおかしくて、二人とも笑いが込み上げます。
はじめは「本当に七回曲がるのか、確かめよう!」と言っていましたが、予想以上の急な斜面に、バランスをとりながら下りて行くのが精いっぱいで、曲がり角を数えている余裕はこれっぽっちもありませんでした。
途中、湧き水がありました。金花水(きんかすい)と呼ばれる泉で、昔から湧きつづけていたそう。
足元に集中していましたが、自然いっぱいの静かな原生林の中を通った、気持ちのいいひと時でした。
七曲坂は、塩土老翁神が通った道だとされている、霊験あらたかな道。
私たちにもいいことあるかしら?
● 御釜神社のおかま
無事に下にたどり着いて、次に向かったのが、御釜神社。
名前が「おかま」なので、住んでいる頃はさんざん親と笑いましたが、実はここが塩釜の名前の元となったという由緒正しい場所。
母に「御釜神社も参拝してね」と言われていた、行きたかった場所です。
ここには「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」があります。
見たいなあと思いましたが、ぴったり扉が閉ざされており、中は見えないようになっていました。
扉の向こうには4口の御釜(おかま)が安置され、竈の中に張られた水は、干ばつの時にも絶えることがないといわれています。
ここにいた狛犬がまたかわいくて、2人で「これかわいいー!」と大興奮。
今回は狛犬パラダイスだわ~。
● 製塩のはじまり
塩釜の発祥の地というほかに、ここは日本製塩起源の地でもあるそうです。
塩釜神社ご祭神の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が、人々に塩の作り方を教えたそう。
塩じぃは親切な神様なんですね。
辺りを散策してみます。
シンプルなようで、なんだか不思議な形のポスト。
● 浦霞の蔵元
浦霞の蔵元がありました。ここは塩竈神社に献上するお神酒を醸造する酒屋で、300年の歴史があるそうです。
その前は、日本酒のイベント会場になっていました。
そこにいる人たちは、みんなまったりとくつろいでいます。ほろ酔い(か深酔いか)しているんでしょう。
なんとなくスイーツが食べたくなった、お子ちゃま味覚の私たち。
お酒と一緒に売られていないかなと思いましたが、アダルト嗜好の会場には売っていませんでした。
みんな飲み口で、甘いものはいらないのね。
● ニューレトロ
塩釜中心部には津波が押し寄せ、ずいぶん被害を受けました。
そのため、この辺りの町の雰囲気はずいぶん変わりました。
それでも、昔からの御釜神社やしおがま銘菓店、浦霞の蔵が失われなかったのは、不幸中の幸いです。
逆に、かつてはいなかった人力車が闊歩していました。
京都や鎌倉みたい。
何人もの着物姿の人たちとすれ違いました。
こういうニューレトロな観光の楽しみ方が流行ってきているのかもしれませんね。
● 月見カフェ
塩釜神社の参道は、男坂と女坂があります。
表参道の男坂は、まっすぐの心臓破りの石段ですが、女坂はマイルドな曲がりながらの石段。
女坂の途中の旧亀井亭という古めかしい屋敷で、ちょうどこの日月見カフェが開かれると聞いて、行ってみることにしました。
月見カフェなんてすてきな響き。その言葉だけで、無重力気分になれそうです。
私たちが一番乗り。門の外で、やってきた人たちと言葉を交わしながら開店を待ちます。
時間となり、ギギーッと重い音を開けて門が開いたので、中に入ると、そこには古き良き旅館の風情のある建物がありました。
1階にはかつての塩釜の町のジオラマがあり、2階は、広々とした大部屋になっていました。
ガラスの埋め込まれたふすまは、私たちから暗闇と肌寒さを隔ててくれながら、とても雰囲気のあるものでした。
ここにも浦霞や一ノ蔵の樽酒がありました。
お酒どころは、粋な会を開くものですね。
ただ、ここもお酒のほかに売られていたのはチーズや乾きものなど。
やっぱり私たちの求めているスイーツはなかったので、あきらめて外に出ました。
カフェなのに、甘いものがないなんて~。
● 夜の女坂
もう月見ができる夜なので、外はとっぷりと暗くなっています。
先ほど、調子に乗って(?)神社の上から七曲りを通って下まで降りてきた私たち。
車は上にある駐車場に停めているため、登って行かなくてはなりません。
薄明かりの下、雨で光っている石段を、滑らないよう転ばないよう、気をつけながら登って行きます。
予定ではこの日、神社では灯篭祭りが行われる予定でしたが、雨なので中止になってしまいました。
残念ですが、まあ雨もまたよきかな。
思ったほど大変な思いはせずに、駐車場までたどり着きました。
もう停まっている車は数台のみ。
● 牛若丸ごっこ
そこから車で仙塩街道を通って、多賀城に戻ります。
多賀城市総合体育館の前を通った時、「あ、あの時のあの場所だ」とピンときました。
中学ではブラスバンド部でフルートを吹いていた私。
ここの塀の上をフルートを吹きながら歩いていたら、バランスを崩してフルートもろとも転がり落ちたんでした!
大事にしていたフルートに、傷がついてしまったんです。
なぜそんなことをしたんでしょうね。私ったら。
ちょっと牛若丸っぽいことやってみたいお年頃だったのかもー。
母校の中学校の横も通りました。
暗いのでよくわかりませんが、前よりも敷地内に建物が増えたよう。
生徒数は減っていると思うんですが。増えたのかなあ。
● 夜カフェ
さっきからずっとスイーツが食べたい気持ちがあったので、(本当の)カフェによることに。
駅のそばにある珈琲館に入りました。
コーヒーで売っているお店なのに、彼女はカフェインレスコーヒー、私は紅茶と、どっちもコーヒーじゃないものをオーダー。
それに、抹茶クリーム乗せパンケーキ。
お茶をしている途中に、かっちゃんから「もう着いたよー」と連絡が入りました。
さっちゃんのお店で、宴会を始めたようです。
お茶をした後、レーちゃんにお店まで送ってもらい、後日また会う約束をして、彼女は帰っていきました。
● プチ同窓会
「さち」の奥の座敷に、中学で同じクラスだった友人4人が座っていました。
エーコちゃんにヒサッペにエーイチくんにかっちゃん。
「あいつも呼ぼうぜ」とさらにもう一人、サトシくんも増えました。
みんな、2年前のクラス会で再会した顔ばかり。懐かしいです。
今回の私の里帰り(になるのかな?)に合わせて、集まってくれたみんなに感激!
さらに、初めて会う同期のタコさんもやってきて、にぎやかな会になりました。
お客さんの流れが空いたタイミングで、さっちゃんも時々混ざります。
みんな元気そうで何よりだわ~。
震災被災地近い、この中学時の友の無事を喜ぶ気持ちがひとしお強い私。
積もる話に花が咲き、夜遅くまで飲み会が続き、真夜中頃に女性二人がタクシーで帰っていきました。
男性陣は、さらに話が盛り上がっています。
私は次第に眠くなってきたので、カウンターで寝ていました。
毎晩さっちゃんのお店で寝てばかりいます。
深夜2時過ぎに会はお開きになり、再会を約束してお別れしました。
お店の片づけをして、私たちがタクシーで帰ったのは2時半過ぎ。
それからシャワーを浴びてお休みを言い、一人になったのは3時半前。
眠いわ~。これまでの旅最大級の、夜更かしスケジューリングです。
この日も盛りだくさんの一日となりました。
3日目に続きます。
● 塩釜のしおがま
レーちゃんの車で、多賀城から塩釜へと向かいました。
住んでいた頃は、いつもJR仙石線で移動していたので、車だとあっという間に着くことに驚きます。
「しおがま、好きなんだあ」とつぶやくレーちゃん。
そんなに塩釜の町が好きなのかと思ったら、「しおがま」という落雁のことでした。
ちょうど車は、丹六園という古めかしい佇まいのお店の前を通りかかったところ。
看板に「志ほか満」と書かれています。
志ほか満、そういえば食べたこと、ありました。
御主人が外に出て、お客さんのお見送りをしていました。
こうやってきちんとした商品を丁寧に売っているので、老舗はいつの時代も支持され続けるんでしょうね。
街を走っていると、あちこちに「浦霞」の看板を見かけます。
昨日、かっちゃんとさっちゃんに「多賀城のお酒ってある?」と聞いたら「多賀城はないけれど、塩釜に"浦霞"と"一ノ蔵"があるよ」と教えてもらいました。
浦霞って、茨城のお酒だと思っていましたよ。
だって霞ヶ浦があるから!なんだかまぎらわしーい。
● 雨の塩釜神社
そして塩釜神社へ。
ここは、まっすぐ続く202段の長ーい石段が特徴的。
中2の時以来の参拝です。
石段がきつかったことと、参道の途中に団子屋と神馬の小屋があったことしか覚えていません。
「石段、がんばって上ってね」と母からも言われており、ゼイゼイいいながら這い上がることを覚悟していましたが、「駐車場が上の方にあるから、石段は登らずに済むよ」とレーちゃん。
「へっ、そうなの?」と、思わず拍子抜けした声を出したら
「登りたいなら下で降ろすけど」と言われました。
いえいえ、乗せてってー。
塩釜神社は、上に上ると社殿が二カ所に分かれ、もう一方は志波彦神社になります。
正式名称は「志波彦神社鹽竈神社」だそうです。
扁額には「鹽竈神社」の文字。こんな難しい字、書けません!
小雨が降っているのはアンラッキーですが、小ぬか雨が降り注ぐ境内には、幽玄の趣が漂っています。
神秘的で、吸い込まれそう。
春には塩竈桜が咲き誇る境内。
国の天然記念物に指定されてています。
「ピンクで真ん丸で大きいの」大きくて可憐なかわいらしい花なんでしょうね。
下に続く長い石段を、上から見上げます。
小高い場所にあるため、町を一望できます。
津波が港に押し寄せた際に、この神社に逃げ込んで、命拾いした人々は大勢いました。
● ゆかりある神様
母が「塩釜神社は、あなたがおなかにいる時に、安産祈願したところだから、お礼を言ってきて」と言われました。
そうだったんだー。出会いは中2の時だと思っていましたが、生まれる前からここの神さまにはお世話になっていたのね。
レーちゃんも、ここで安産祈願をしたそうです。
塩釜神社には、主祭神の塩土老翁神(シオツチノオジ)と武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシノカミ)が祀られています。
タケミカヅチといったら、私が七五三を行った常陸国の鹿島神宮の神様。
ここ塩釜でもお祀りされているなんて、やっぱりここの神社にはご縁を感じるなあ。
● 狛犬ファン集め
参道のところどころにいる狛犬。
どれも古めかしいものばかり。
一つ一つ見ていって、趣味に任せて「これがこう、あれがああ」と話していたら、レーちゃんは興味津々の様子。
「狛犬って、そんなに違うものなんだねー」
親友が自分が好きなものに興味を持ってもらえるのは、嬉しいことだわ。
拝殿の中には金色の狛犬が鎮座していました。
見るからにつるっとしています。
レ「スフィンクスみたいだね」
私「スフィンクスでいいんだよ。もともとそれが元だし」
レ「えーっ、ほんと!?」
志波彦神社も参拝しました。
イカロスの翼みたいなしっぽをした狛犬がいい感じー。
「狛犬がこんなに面白いなんて知らなかった」と繰り返す彼女。
ふふふ、これで狛犬ファンを一人増やしたわ。地道な草の根活動です。
● 七曲りの坂
表参道の横にひっそりとある、七曲りの小道に差し掛かりました。
親の七光りだと、素直な子供のイメージですが、七曲りだとずいぶんひねくれていそうですね。
つまりは紆余曲折。まるで先が見えない人生だわ。
ハァ~と、ため息をつきながら、「通ってみる?」と問いかけると、「・・・みよう!」と、思わぬ元気な返事。
物静かな彼女は、そんなに冒険はしないタイプかと思っていましたが、ノリノリだったので、ちょっと驚きながらも通ってみることにします。
腰が引けるほど、かなり急な斜面。そうですよね、表参道は長い石段なんですから。
ごつごつした石の道で、気を抜いていると、足をとられて転びそう。
私たちのほかに、誰も通る人はいません。上を見ても下を見ても、急斜面すぎるし、私たちしかいないし、なんだか普通じゃないところをよろけながら歩いているのがおかしくて、二人とも笑いが込み上げます。
はじめは「本当に七回曲がるのか、確かめよう!」と言っていましたが、予想以上の急な斜面に、バランスをとりながら下りて行くのが精いっぱいで、曲がり角を数えている余裕はこれっぽっちもありませんでした。
途中、湧き水がありました。金花水(きんかすい)と呼ばれる泉で、昔から湧きつづけていたそう。
足元に集中していましたが、自然いっぱいの静かな原生林の中を通った、気持ちのいいひと時でした。
七曲坂は、塩土老翁神が通った道だとされている、霊験あらたかな道。
私たちにもいいことあるかしら?
● 御釜神社のおかま
無事に下にたどり着いて、次に向かったのが、御釜神社。
名前が「おかま」なので、住んでいる頃はさんざん親と笑いましたが、実はここが塩釜の名前の元となったという由緒正しい場所。
母に「御釜神社も参拝してね」と言われていた、行きたかった場所です。
ここには「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」があります。
見たいなあと思いましたが、ぴったり扉が閉ざされており、中は見えないようになっていました。
扉の向こうには4口の御釜(おかま)が安置され、竈の中に張られた水は、干ばつの時にも絶えることがないといわれています。
ここにいた狛犬がまたかわいくて、2人で「これかわいいー!」と大興奮。
今回は狛犬パラダイスだわ~。
● 製塩のはじまり
塩釜の発祥の地というほかに、ここは日本製塩起源の地でもあるそうです。
塩釜神社ご祭神の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が、人々に塩の作り方を教えたそう。
塩じぃは親切な神様なんですね。
辺りを散策してみます。
シンプルなようで、なんだか不思議な形のポスト。
● 浦霞の蔵元
浦霞の蔵元がありました。ここは塩竈神社に献上するお神酒を醸造する酒屋で、300年の歴史があるそうです。
その前は、日本酒のイベント会場になっていました。
そこにいる人たちは、みんなまったりとくつろいでいます。ほろ酔い(か深酔いか)しているんでしょう。
なんとなくスイーツが食べたくなった、お子ちゃま味覚の私たち。
お酒と一緒に売られていないかなと思いましたが、アダルト嗜好の会場には売っていませんでした。
みんな飲み口で、甘いものはいらないのね。
● ニューレトロ
塩釜中心部には津波が押し寄せ、ずいぶん被害を受けました。
そのため、この辺りの町の雰囲気はずいぶん変わりました。
それでも、昔からの御釜神社やしおがま銘菓店、浦霞の蔵が失われなかったのは、不幸中の幸いです。
逆に、かつてはいなかった人力車が闊歩していました。
京都や鎌倉みたい。
何人もの着物姿の人たちとすれ違いました。
こういうニューレトロな観光の楽しみ方が流行ってきているのかもしれませんね。
● 月見カフェ
塩釜神社の参道は、男坂と女坂があります。
表参道の男坂は、まっすぐの心臓破りの石段ですが、女坂はマイルドな曲がりながらの石段。
女坂の途中の旧亀井亭という古めかしい屋敷で、ちょうどこの日月見カフェが開かれると聞いて、行ってみることにしました。
月見カフェなんてすてきな響き。その言葉だけで、無重力気分になれそうです。
私たちが一番乗り。門の外で、やってきた人たちと言葉を交わしながら開店を待ちます。
時間となり、ギギーッと重い音を開けて門が開いたので、中に入ると、そこには古き良き旅館の風情のある建物がありました。
1階にはかつての塩釜の町のジオラマがあり、2階は、広々とした大部屋になっていました。
ガラスの埋め込まれたふすまは、私たちから暗闇と肌寒さを隔ててくれながら、とても雰囲気のあるものでした。
ここにも浦霞や一ノ蔵の樽酒がありました。
お酒どころは、粋な会を開くものですね。
ただ、ここもお酒のほかに売られていたのはチーズや乾きものなど。
やっぱり私たちの求めているスイーツはなかったので、あきらめて外に出ました。
カフェなのに、甘いものがないなんて~。
● 夜の女坂
もう月見ができる夜なので、外はとっぷりと暗くなっています。
先ほど、調子に乗って(?)神社の上から七曲りを通って下まで降りてきた私たち。
車は上にある駐車場に停めているため、登って行かなくてはなりません。
薄明かりの下、雨で光っている石段を、滑らないよう転ばないよう、気をつけながら登って行きます。
予定ではこの日、神社では灯篭祭りが行われる予定でしたが、雨なので中止になってしまいました。
残念ですが、まあ雨もまたよきかな。
思ったほど大変な思いはせずに、駐車場までたどり着きました。
もう停まっている車は数台のみ。
● 牛若丸ごっこ
そこから車で仙塩街道を通って、多賀城に戻ります。
多賀城市総合体育館の前を通った時、「あ、あの時のあの場所だ」とピンときました。
中学ではブラスバンド部でフルートを吹いていた私。
ここの塀の上をフルートを吹きながら歩いていたら、バランスを崩してフルートもろとも転がり落ちたんでした!
大事にしていたフルートに、傷がついてしまったんです。
なぜそんなことをしたんでしょうね。私ったら。
ちょっと牛若丸っぽいことやってみたいお年頃だったのかもー。
母校の中学校の横も通りました。
暗いのでよくわかりませんが、前よりも敷地内に建物が増えたよう。
生徒数は減っていると思うんですが。増えたのかなあ。
● 夜カフェ
さっきからずっとスイーツが食べたい気持ちがあったので、(本当の)カフェによることに。
駅のそばにある珈琲館に入りました。
コーヒーで売っているお店なのに、彼女はカフェインレスコーヒー、私は紅茶と、どっちもコーヒーじゃないものをオーダー。
それに、抹茶クリーム乗せパンケーキ。
お茶をしている途中に、かっちゃんから「もう着いたよー」と連絡が入りました。
さっちゃんのお店で、宴会を始めたようです。
お茶をした後、レーちゃんにお店まで送ってもらい、後日また会う約束をして、彼女は帰っていきました。
● プチ同窓会
「さち」の奥の座敷に、中学で同じクラスだった友人4人が座っていました。
エーコちゃんにヒサッペにエーイチくんにかっちゃん。
「あいつも呼ぼうぜ」とさらにもう一人、サトシくんも増えました。
みんな、2年前のクラス会で再会した顔ばかり。懐かしいです。
今回の私の里帰り(になるのかな?)に合わせて、集まってくれたみんなに感激!
さらに、初めて会う同期のタコさんもやってきて、にぎやかな会になりました。
お客さんの流れが空いたタイミングで、さっちゃんも時々混ざります。
みんな元気そうで何よりだわ~。
震災被災地近い、この中学時の友の無事を喜ぶ気持ちがひとしお強い私。
積もる話に花が咲き、夜遅くまで飲み会が続き、真夜中頃に女性二人がタクシーで帰っていきました。
男性陣は、さらに話が盛り上がっています。
私は次第に眠くなってきたので、カウンターで寝ていました。
毎晩さっちゃんのお店で寝てばかりいます。
深夜2時過ぎに会はお開きになり、再会を約束してお別れしました。
お店の片づけをして、私たちがタクシーで帰ったのは2時半過ぎ。
それからシャワーを浴びてお休みを言い、一人になったのは3時半前。
眠いわ~。これまでの旅最大級の、夜更かしスケジューリングです。
この日も盛りだくさんの一日となりました。
3日目に続きます。
宮城のほうが古いのですね。
安産祈願で有名で戌の日はたくさんの妊婦さんが訪れます。
おいしいあてを肴に楽しそうな宴でしたね。
機会があったら、名古屋の方も参拝したいですね~。
母が安産祈願をしてもらっていたことを、この旅行前に知りました。つまりこの神様には、産まれる前からお世話になっていたわけです。頭が上がりません(笑)!