手作り人形ドレスGOUDADA

ジェニーサイズ人形手作りドレスを楽しむゆるゆるブログ

2449号Врассыпную(四方八方)

2017-05-23 15:07:45 | 作品写真
ふとした縁で、高校生の時に遠くからみていた女性の一年上の先輩が大学のサークルでの先輩になりました。月並みな言い方ですが、誰にも好かれる性格で絵の上手い人。時々一緒にふざけ合いながら、優秀な先輩は卒業し本州に就職。その夏、ご友人と乗っていた車で事故にあい亡くなりました。そんなに身近な仲間の不意の死は初めてで、しばらく信じられなかった。整わない喪服は気持ちそのまま。無理矢理一番暗い色の濃紺の服でお通夜に。男子学生は白シャツに喪章がいた。
御家族の悲嘆はいかほどと今でも思いやられます。先輩はお父様を早く亡くした方でした。後年、先輩のお母様が『あなたたちをみていると様々の事が思われてつらい』とおっしゃられた。俺は先輩がもう我々と違った旅に向かったと漠然と考えていた。でもまだお母様のそばを旅している。
十数年後、当時のサークル女子の面々が定山渓温泉で遊ぶ企画が持ち上がりました。地元の青森に帰って結婚していた先輩が「札幌行きたい!」と強く言って下さり、初夏の温泉に皆々集合。結婚してあちこちに散っていた元女子達。一泊のち、青森から来た先輩から「亡くなったあの後輩のご実家に、お線香をあげにいきたい」と相談があった。かろうじて賀状程度のやりとりがあったので、まずご実家の意向を伺い同行。ご実家のご好意で、霊園の彼女の墓所までお母様と我々の三人が行くことに。
初夏の墓地は人まばらで、墓所にたどり着いた先輩も俺も‥お母様同様の母親になっていました。先輩の強い愛情と意思で女三人不思議な旅。
お母様は娘さんがお父様と一緒だろうとはおっしゃらなかった。きっと一緒に歩いているオバサン域に踏み込んだ女達が何故あの子ではないのかと思ってらした。先輩はしっかりとあの時の彼女・今の自分・今のお母様を結びつけようとしていた。俺は揺らぐ心のまま、母のない子と子のない母の間を行きつ戻りつ。まだ旅をしたままだった。風が強い墓地から初めて乗るバスを幾つか目でお母様とも先輩とも別れ、その旅のまま家族の待つ家にたどり着きました。そして今も。
旅は直線や周遊だけではない。迷って同じところを同じように誤って歩き、目的地は時空を超え変わる。そして、四方八方へ。
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1 コメント

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追憶 (ume)
2017-05-23 16:16:31
若いままもう年を取る事のない彼女の笑顔を切なく思い出しました。悲しい思い出です。
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