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<りある ぼくしんぐ るぽ>え~っ! おいおい、亀田大毅が、勝ってもうたぜ!いやあ、びっくらこいた

2013-09-04 02:14:42 | スポーツ

 昨日な、終わってもおた、兄の興毅に続く、凡戦。

 いやあ、ワシ、びっくりしてもおた。何がって、ああた。大毅が、チャンピオンになってもうたやないけ!

 「この試合は、10ポイント、マストシステムによって、採点されます」という、中継するTBSの局アナの声に、ひょっとして!? と、ゾッと背中に危惧感が走ったんよ。

 それが、当たってもおた・・・・・

 優劣が両者に見えにくい,どんなラウンドでも、10-9ないし、減点など加えたりして、10-8と付けるのが望ましいという理屈にはなっておるんやが、事実上、付けなければならない。そうなっとるんよ。

 その積み上がったポイント差が、今夜も出てもうた。

 フルラウンド、戦ってというより、2人が動いた結果が、114-112。116-110。んでもって、117-109! 

 なんやて? いやあ、絶句!

 といって、逆にゲレーロ、ゲロゲロ、ゲレーロ!が、圧倒したわけじゃない、ホンマに凡戦。

 大毅もそうじゃが、どっちも、ホンマにベルトが欲しいんやろか? と、首傾げてしまうファイトぶり、

 これでは、3兄弟うんぬんなど、少なくとも、真のボクシング・ファンは認めないやろな。間違いなく。

 なもんで、通しタイトルも、ひらがなにした。いつものカタカナにする、価値は無いもんなあ。

 でも、リアルに、ラウンドごとに、短評してみるわな。

 1ラウンド。両者、出方、見ただけ。

 2ラウンド。大毅、攻められず。受けてる。攻めない。

 3ラウンド。大毅、時折り、手を出すも、単発。手出して、クリンチ。その繰り返し。

 4ラウンド。2人に、見るべきパンチ、無し。

 こんな戦意喪失の試合展開でも、点差つけなアカン、アメリカ人の3人のジャッジは、大変じゃのお!

 どっちに、転ぶやろ?

 5ラウンド。大毅、ワンツーで、叩かれるも、ノーガード。減量苦か、打たれてもいないのに、両手をリングに付けて、コケル大毅。見てるこっちも、コケル。スリップと、判断されたがのう・・・・

 時折り、ぴょんぴょん、跳ねる大毅。お前は、バッタか?

 そう、突っ込みを入れたくなったわ。

 6ラウンド。手出しても、両者、明確な有効打無し。

 会場のあちこちから、「打たんかい!」「戦う気、あるんか?」と、痛烈なヤジが飛び始める。

 守ってナンボじゃない。ボクシングは、打ってナンボ!

 打たせないで、打つ。そこまでのレベルに、両者は達しておらへん。こりゃあ、どっちが勝っても、防衛戦で最強の挑戦者が現れたら、ひとたまりも無いやろなあ。

 7ラウンド。ゲロゲーロ、打つ。大毅、相変わらず、ノーガード。

 これなら、下手すりゃ、河野公平でも、僅差で勝てるかも分からへんでえ!

 それにしても、2人。ホンマにベルト、欲しいんやろか? と、また想う。八百長ではないやろけど、「勝ちたい!」という強い気持ちが、一瞬たりとも、感じ取れへん。リングから、漂ってきいへんのや!

 おまけに、地元高松の企業などの広告が、リング上に、長い三角錐の形で乗っかってるのには、ビックリ!

 2方向のリングサイドからは、2人の足の運びが、まったく見えへんのやでえ!

 カネのチカラは、慣習さえも変え、観衆をコケにするってやっちゃ!

 8ラウンド。大毅、手も出さんと、ゲレーロが向かってくると、すかさずクリンチ。

 怒りと、フラストレーションの溜まり溜まった、激しいヤジが飛び交う!

 めったに見られない世界王座決定戦なのに、コレじゃあ、怒るのも無理はないわのう。

 ニホンゴ分からないゲロゲロ、ゲレーロ。ビシッ、ビシッと、1打1打にチカラを込めとる。

 9ラウンド。がぜん打ってくるゲレーロ。クリンチ、大毅。

 勢い余って、スリップダウンの、ゲレーロ。ショートジャブを繰り出し、大毅をロープ際へ詰めていくんやが、いかんせん、圧倒的なパンチ力が無いから、大毅を倒せない。

 とはいえ、有効打と、手数では、ゲレーロが明らかに優ってるわなあ。

 2人とも、空振りも目立つ。んでも、ヒット率の確率は、ゲレーロが上。テレビでは、数少ない大毅のヒットパンチをスローモーションで大げさに映し出し、リードしてるかのように視聴者に印象付けようと企ててる。

 尻馬にのる、怪説者の佐藤修と、鬼塚勝也。2人とも、本業の方がうまくいってないので、ここが、大きな稼ぎ場やねんなあ・・・・。切なくなってまうわ。

 10ラウンド。このラウンドが、唯一の打ち合いを見せた場。足を使って、リングを回る大毅を捉えたゲレーロ。連打し始めたのに、正面切って応戦した大毅。

 でもなあ、足を止めての打ち合いは、わずか20秒ほど。上下、打ち分け。互いの体に、叩き込む!

 勝負は、五分五分。しかし、流れと、1ラウンドから通して見ると、わずかにゲレーロが、リードやわ。正味のハナシ。

 11ラウンド。大毅が、ローブローの判定を喰い、減点1をアピールされる。これで、2度目やで。もう、アカン! 

 大毅が勝つんは、KOするしかあらへんで。

 だからやろ、3兄弟で一番弱気で、プロボクサーに向いてへん大毅が、がぜん逃げずに、腕をブンブン振りまくったんや。が、空振りばっか・・・・・

 

 

 Dscf5657 この左側の写真は、5月6日。河野公平の防衛戦を見てた、大毅や。

 

 おとなしいもんや。感想を聞いても、驚いたような顔してな、口ごもるだけやねん。

 それがなあ、スタッフにガードされて、会場を出たとたん、番記者を前にして、”亀田モード仕様”に、コロリ、変わるねん!

 

 強気な言葉を求められるままに、クチにしまんねん。変身、しまんねん。ホンマ、クスクス笑ってまうで。

 

 その11ラウンド。ゲレーロの上下の打ち分け、結構、流れる。う~ん、勝っても、次は無いで。

 さあ、最終12ラウンドや。大毅、また足使って、リング、クルクル回る。

 

 一方の、ゲレーロはバテバテ。飛びこんで、クリンチを繰り返すんやもんなあ・・・・。大毅も大毅で、最後のポイントで負けを挽回しょうと、大きくフックを振るんやけど、またまた空振りばっか・・・・。

 

 ファンの期待する空気まで、切り裂いてもうて・・・・・。

 

 それで、試合は、しまいや。

 

 まあ、誰が見ても、大毅は負けたと思ったはずや。

 

 採点の発表を待つ間の、興毅の険しく曇った表情が、何よりの証拠や。

 誰もが、良くてドローと、思ったはずや。

 

 それが、あ~た!

 

 はあ?????????????????????????????てな、もんや。

 

 ギネスやて! 申請に何百万払たんやろなあ・・・・・

 

 誰が、どう評価しよるか、分からんけどもな。理解不能な、おかしな採点やゆうことは、シロートでも、分かるこっちゃ。

 

 厳しいこと、書いたかも分からへんけどもな、たった1つだけ、ええこと教えたるわ。

 多分な、8月25日にフジテレビで、無理して2元中継やらかした、田口 対 井上と、柴田 対 村田戦の、平均視聴率な、たった6・6%やったんや。前回のそろい踏みの時は、6・9%。どんどん、下がっとる。だから、いくらなんでも、.それよりは、はるかに高いで。おそらくな。

 

 アンチ亀田も、案外、ファンやったりしてなあ(笑)

 

 

 

 

 

 

 


<リアル ボクシング ルポ>とあるボクサーとの、とある話。その、顛末と、余話

2013-08-13 01:48:58 | スポーツ

 始まりは、5月だった。

ある、世界戦の、控え室。取材をしている、さなか。

 ある若者が、私の元へ、寄ってきた。

 「あの~、三なんですが」

 はあ? とっさに、言われた意味が、分からなかった。

 「あの~、一、二、三、の三になる、三瓶一樹(さんぺい・かずき)と言います」

 ああ、それで、分かった。そのジムにいるボクサーの名前に一(田口良一)、二(仁平宗忍)、そして、三(三瓶一樹)がついている。

 いわば、1・2・3トリオといえる。そう書いたことが、あった。

 すでに、「一」は、何度も、無名の頃から書いていた。

 この8月25日。「一」は、あの、ボクシングファンだけには知られている井上”怪物”尚弥相手に、初防衛戦を行なう

 しかし、パンチ力、テクニック、力量、すべてにおいて、怪物がまさっており、おそらく、ベルトは失う。人間的にも、すっかり、地に落ちてしまっているだけに、再起はかなり、厳しい道になるはずだ。

 「一」には、まさに、一から出直す、いい機会かもしれない。

 そして、「二」こと、「仁」は、この日に2試合控えている世界タイトルマッチの、いわば、露払いとして、先陣を斬って、第一試合に登場。

 すでに、相手の久野喬を、3-0の判定で下していた。

 私が試合前に書いた記事を読んで、「よ~し! テンション、上がったあ!」と、快哉を叫んでいたと言う。

 戦いに向かう「気持ち」への、効果は、何がしか、あったようだ。

 そして、今、横に立つ「三」。

 「仁」の記事を書いた時点で、すでにデビュー戦で負けていた。

 むろん、そこで負けても、その後、チャンピオンになったボクサーは、何人かいる。まあ、いずれ、タイミングが合えば、書くかも・・・・・程度に思っていた。

 それが、見るからに、書いて欲しいという、表情。

 「あの~、7月3日に試合、決まったんです。相手は」と、話し始めた。

 真剣なまなざしに、見えた。

 そもそも、それが勘違いを、産むことになるとは・・・・・・。

 「ああ、それでは、書かなくちゃ、いけませんねえ。では、一応、ケータイの番号、教えてください」

 聴いて、取材ノートに、メモした。

 「そうですね。6月に入ったら、連絡入れます。スパーリングとか、あるでしょうし。それを見て、判断します」

 聴きもしないのに、確か、「河野公平さんに憧れて、プロボクサーになろうと、思った」などと、話し始めたので、「そういうのは、また改めて、その時に」と、切り上げた。

 こちらも、今夜の取材が今からある。相手の、真剣さは、わかった。

 まあ、少なくとも、かつて現役の時の小林生人のような、失礼なクチのきき方はしていないし、まともな人物。

 そう、感じた。その時は・・・・・・・・。

 6月に入って、連絡をとった。日曜日。午後4時。

 寝てもいない。仕事も、していないであろう時。練習も、していないはず。ケータイが、手元にあると思われる時を狙って、電話をかけた。

 ところが!  ・・・・・・・・出ない! 呼び出し音が、長く続いた。

 1度、切り、また掛け直す。

 だが、同じだった。

 一体、どういうことなのだろう? こちらから申し込んだ訳では無い。三瓶の方から、お願いしてきたというのに・・・・・。

 では、と、同僚ボクサーに、三瓶の電話番号と、メールを尋ねたところ、返って来た番号は、やはり、私が先日かけた番号と、同じであった。

 こんな奴を、一瞬でも信じた自分を後悔。しかし、書いてもらいたいのだろうとも、一方で想う。

 やめようか、と思いつつも、その後、ジムへ、ファックス。連絡をくれるようにと、一文を添えて。

 だが、ここでもまた、返信無しの、無しのつぶて・・・・・。

 それから、数日して、彼の担当トレーナーに会う機会があった。

 聞いてみた。

 スパーリングとかの予定は、無いんですか? あれば、見に行きますけど。

 「いや、全然、無いね」

 試合があるのに? どこか、体の調子が良くないとか?

 「う~ん、まあ、あまり、良くないというか・・・・・練習あまり、出来てないんで」

 だから、出ない? でも、試合を中止しようか? と考えるほど、ひどくはないようだ。

 なんとも、雲をつかむ感触。クチをにごす、トレーナー。あまり、三瓶とは、意思の疎通が、うまくいってないようだ。

 トレーナーは、いっておくが、とても優秀な能力の持ち主。三瓶なんぞには、もったいない人。

 気になり、ジムの会長に相談した。

 「三瓶に、連絡させるようにする」 そう言ってくれた。

 だが、それでも、三瓶からは、まったく、何もなし。なんと、三瓶、試合は、勝ったようだ。

 そして・・・・・・・

 他のボクサーを取材してた時、三瓶が手伝いに来ていた。私の顔を見て、アッ! という、まずい人に会ったという表情。

ジムの会長が、キチンと対応して、「話すように」と、三瓶に。

三瓶は、いう。

「電話は、かかってこなかったです。どうして、来ないんだろう?と、気になっていた」

私は、 改めて自分のケータイの、送信記録をめくってるうちに、嫌になってきた。気のいい会長は、「掛け間違ったんでしょう。そうですよ」と、苦笑。

三瓶には、こう告げた。

 「間違っても、君の記事は、絶対に書かない!」

 本当に、気になっていたのなら、自分から連絡先を調べる努力をするはず。世界チャンピオンでもあるまいし、誰からも取材は、なかなか来はしないのだから。

平気で言える、生来の嘘つき、か。

 三瓶は、仕事を持ってるのかどうか、知らない。ちょこちょこ、後楽園ホールに同僚選手の手伝いに、来ており、そのせいか、会長には可愛がられているように見える。

 だから、その人まで巻き込んで、掛け間違ったなどということはない、といまさら言い直すのもなあ~。それにしても、人迷惑な性格の、三瓶。

 こんなやつに・・・・・と、想いつつ、最後の確認を、してみた。

 今度は、土曜日。午前9時50分。

  電話を入れてみた。呼び出しコール。

 辛抱強く、待った・・・・・待った・・・・・・・・・出たっ!

 「失礼ですが、そちらは、三瓶一樹さんですね?」

 「はい」

 やっぱり!

 「ライターです。ウソをつくのは、やめてもらえませんか」

 「あっ!」

 驚きの声。

 「この、同じ番号にこの前も、2度、かけたんですよ」

 あわてふためいた、三瓶。こう言って、切ろうとした。

 「今、仕事してるとこなんで」

 平気で、その時その時、想いついて、ウソをつけるこの男。

 「わかりました。では、自分のそのケータイで、着信履歴を調べて、自分のウソを認めて、後ほどで良いですから、謝罪の連絡を下さい!」

 

 あれから、15日以上過ぎた。

 いまだ、三瓶から、連絡も、謝罪の一言も無い。

 この手合いの、若者が、増えつつある。

 他のスポーツなら、これほど、書くこともない。だが、こと、プロボクシングは、支援者がいるから、続けて行ける、つらくて、苦しい格闘技だ。

 むろん、チケットを買ってくれる、金銭的支援者という意味も、合わせ持つ。

 辞めたい、という、ココロが折れかかったとき、その背中をポンと叩き、後押しと、励ましをしてくれるのが、その人達だ。

 最初は、だませても、すぐにバレるウソを平気でつく三瓶。

 この、ど~しょうもない、人間として、欠落した性格を直さない限り、支援者は増えず、引退は早いだろう。

 心許せる友達も、少ないようだし。

 今、言って置く。ボクサー、辞めなさい!

 顔を見ると、目を伏せて通り過ぎようとするので、この場を借りて、公けにした。

 三瓶一樹。人を、だまし続けると、いつか人生に破綻が、押し寄せる。

 そのことを、今、教えておきます

===================================================

 8月9日の深夜、22時10分。

 やっと、・・・・・・三瓶自身から、電話がかかってきた。

 とある、ジム トレーナーが心配し、三瓶にいろいろ、話して聞かせた「結果」の、シロモノだ。

 当然、開口一番、謝罪の言葉から始まる。そう、思っていた。

 ところが、彼のクチから出てきた日本語は、呆れ果てるものだった。

 「記事、削除してください。親が見て、心配しているので。嫌がっているので」

 

 「・・・・・・・」 はあ?????

 で、謝罪の言葉は、無いんですか?

 「あ、・・・・・・・すいません」と、消え入りそうな小声。

 キレた!

 「馬鹿野郎! 先に、その一言を言うべきだろう!」

 「・・・・・すいません・・・・」

 あとは、説教。個人対、個人への、ウソは、まだいい。会長など、周囲の人まで巻き込んでしまったウソの積み重ねは、罪だよ。と。

 まったくう・・・・・今の、ガキは。そう思いつつも、削除を決めた。

 三瓶の、すすりなく声に、負けたわけでは、ない。

 言うべき言葉の、順序を間違えると、人生の節目、節目で、予想だにしない方向へ走る・・・・ことは、しばしば、あること。

 この顛末。これにて、幕を降ろします。ほとほと、疲れました・・・・

 10日。15時まで、公開し、そして削除させて戴きます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 これにて、一件落着。そう、思っていた。

 実際、8月12日。取材で、訪れたジムで、三瓶は、私がいることに気付き、ちゃんと謝罪の言葉を述べた。

 確認した。

 ちゃんと、会長には、話したよね? 私が、ウソを言ってました。迷惑をかけて、すいません、と話したよね?

 

 「はい」

 ほんとかなあ・・・・と、危惧感はあった。

 というのも、その直後、会長から?があり、話したいことがある、とのこと。

 なんだか、またまた、話しが、ねじれていきそうな雲行きだ。

 選手が、一致団結して、会長に・・・・とか、この先、ジムや、ホール控え室では、あなたは出入り禁止・・・・になるのは、嫌でしょう? などと、半ば体の良い脅かしをかけてきたトレーナーは、今日は、わたしが、その選手にとって、嬉しく、感動したと話してくれた以外の、きびしく書かれたボクサーは、私を、気に入らないらしく・・・・

 

何ともはや自分たちが気に入らない記事や、記者に脅かしや、嫌がらせをして、日々、排除していこう、とするジムだったのか!?

 また、裏切りか? 

 

 したたかに、・・・・静かに、また闘いが始まりそうな、気配・・・・

 気が重い

 

 そんな人ばかりだったのだろうか・・・

 今後の動きは、すべて書いてくつもりだ。

 ボクシングジムというのは、人間教育の場でもある。それが、ウソや、わがままなボクサーを野放しにしていってしまってる愚かな場に変わってきている

 それで、いいのか?・・・・


<リアル ボクシング ルポ>8月5日(月)大川泰弘、2年3か月振りの試合に臨む。気力充分だが・・・

2013-08-04 01:25:43 | スポーツ

 何!? 2年3か月振り? いくら、29歳とはいえ、きついんじゃないの? 勝つのは・・・・・

 外野席から、そんな声が、聞こえてきそうだ。しめて、なんと820日振り!の、試合

 

 Dscf7377 そりゃあ、練習を休んでりゃあね。そう言われても、仕方ない。

 ところが、この、大川泰弘(やすひろ。写真・上)。

 ず~っと、練習は、殆んど休まず、キチンと続けていた。午後6時に会社の仕事終わって、いったん自宅に戻って、気持ちを、会社員から、キリリと、プロボクサーに戻し、自転車でジムへ、通勤。

 着くまでに、ペダルを、ぐいぐい漕いで、足鍛え、ジムに入れば、ラクせず、シャドー、ミット打ちをこなし、サンドバックをぶっ叩き、時にスパーリングも重ねてきた。

 ひたすら、もくもく、もくもく、と・・・・・・。

 試合が出来ないのに、一体、苦しい練習を、何のために? と、自問自答してきたと思える言動も、さりげなく、見てきた。

 対照的なボクサーも、いる。河野公平。この5月に、世界のベルトを失った。それが、否応も無い、彼の実力だった。

 今まで、何度か直面した「引退」の決断。まだ、やれる? いや、もう、無理?

 まだ、と、もう、が、常に心の中で交錯してきたはず。今、だって、そう。

 今度こそ? そう、思っていたら、ジムで、「練習」を、始めたという。

 偶然、会った時に、思い切って聞いた。

 ーー現役、続けるんですね?

本人、シューズの靴ひもを結びながら、たった一言。

 「・・・・・試合が、決まったならね」

 ・・・・・・・・・条件付き、か。”その程度”の、軽い想いか・・・・・・

 河野。息子を溺愛する父のもと、仕事はせずとも、長年にわたって、食べさせてもらって、生活出来てきた。

 恵まれた環境。とも、いえる。明日からの生活を、常に念頭に置く、大川とは、まったく違う。勤めなくても、練習に専念出来る環境。すでに、大川より3つ上の、32歳にも、なっている。

 その、河野の、「練習」の一端を、この目で久しぶりに見て、がく然とした!

 ミット打ち。なんと、マス、だった! チカラを込めて、ミットに拳をぶち当てない。軽~く、触れる程度に、パン、パパ~ン。そ~れ、パン、パン、パン、菓子パン。

 拳を、痛めてるとは、聴いていない。

 その程度の、軽~い想いか・・・・・・・。ふ~っ、ため息が、出た。

  片や、大川。試合が決まってからは、いつも以上に、ガンガン、スパーリング。試合を離れて、一番怖い、試合勘、当て勘も、取り戻しつつある。

 この7月30日には、総仕上げの意味も込めて、東洋・太平洋ミドル級チャンピオンの柴田明雄と、スパーリングを行なった。

 じゃ、何で、820日も? 

 

 実は彼、結婚して、所帯をもち、昨年の11月には、子供も授かった。

 友人のボクサーのブログには、純白のタキシードを着こんだ、披露宴での大川の写真や、愛児・泰駕(たいが)君との、いかにも幸せに満ちた写真も、載っていた。

 「泰駕の、泰は、ボクの泰を付けて。おだやかな、という意味があるんですよね」

 そう言いながら、ごく自然に目を細める、大川。

 「駕は、人を凌駕(りょうが)するというように、すぐれた人間になって欲しいという、親の想いを込めたってゆうか・・・・・。まあ、タイガー、虎っていう意味にも、引っ掛けたんですけどね」

 説明しながら、笑顔!

 大川の性格は、とても明るく、気さく。まったく、飾らない。カッコつけない。

 だから、友人・知人多く、先輩・後輩にも慕われている。

 

 そんな大川は、将来を見据えて、「正社員」になった。

 仕事は、新築の建物への、エレベーターの、据え付け、整備など、幅広い。

 夫としても、新米パパとしても、一生懸命、働いた。

 その代わり、試合が近づくと仕事を休んだりすることは、厳しくなった。

 試合前後の、減量と、体調維持。そして、腫れの引くのを待つための、有給休暇日数を超える休みなど、取れるわけもない。

 「正社員」に望んでなったのちも、どこか、心の片隅で揺れていたように、見えた。

 実は、この2年3か月の間、ジムの前の舗道で、大川を何度か、見かけていた。

 ある時は、仕事が忙しく、ジムにしばらくぶりに来て、キツイ練習をして、自分の心も体も、いじめ抜いたせいか、バテたのだろうか? 自信喪失か? 放心状態のまま、何かを思い悩んでるふうだった。

 じっと、遠くの空や、舗道に、目をやっていた。”何か”を、考え込んでいる。

 そんな風に、私の目には映った。

 また、ある時。

 練習をしている姿は、見ていたものの、試合スケジュールには、その名前がいつまでたっても書き込まれないので、ジムの前で、思い切って声をかけた。

 大川さん、次の試合は、決まったんですか?

 「いやあ、仕事があって・・・・忙しいもんで。なかなか、難しくって・・・」

 どこか、苦笑いを浮かべていた。それでも、練習は、回数は減っても、欠かすことは、無かった。「試合」という、「目標」が無くとも。

 こちらも、返した。

 見たいですねえ、あの左フックが、決まるトコ。ただし、後楽園ホールの、リングでね!

 また、何とも言えぬ、苦笑いが、返ってきた。

 勤める会社の「協力」無くして、プロボクサーとして、正社員は続けられないのが、我が国の”厳状”。

 だから、試合をすることは、なかば、あきらめていたようだ。

 日本のプロボクサーは、約3000名弱が、登録されているが、そのうち、たった10名ほどが、ジムから給与をもらって、生活がやっと維持できたり、スポンサーや後援者から戴くおカネで、少し豊かな生活が成り立っている。

 しかし、そんな人は、極めて”特殊”。

 それは、今は、現役の、チャンピオンだから。

 ベルトを失い、負け続ければ、タダの人。給与も、”助成金”もゼロになり、厳しい世間に、放り出される。

 そんな環境のなかで、リングで闘っているのが、否応の無い現実だ。

 そんな背景があるなか、「仕事とかの関係もあるんですけど、会社が(試合)やってもいいよと、言ってくれて」

 それで、この8月5日(月)の試合に、臨めることとなった。

 ここは、ひとつ、練習の成果を、「勝利」という形で証明。そうしなければ、次は無い・・・・・かもしれない。

 Dscf7397 この日も、鋭く、スピードある、パンチが、連続炸裂!(写真上・左)。

 得意の左フックは、むろんのこと、アッパー、ボディ打ち。はたまた、ジャブに、ストレート! 見事な、早いテンポの、上下、打ち分け。ガードは、怠らない。足も、使う。コーナーに、押し込まれても、スルリとかわし、回る。

 甦ってきた、多彩なコンビネーション。

 左フック、威力、落ちてませんねえ、と言ったら、大川

 「いや。上がってます!」

 力強い言葉が、速攻で返って来た。

 石原雄太トレーナー(写真上・右)の構えるミットに、小気味よい音を、響かせ続ける。

 いいじゃん、いいじゃん!

 4年位前だったろうか。偶然、見た、スパーリングは、衝撃的だった。左の腕がしなり、相手の顔面、頬、そしてアゴ、胸。所構わず、左フックが、うなりを上げて、相手の体に、突き刺さっていた。

 一体、誰だ!?

 これが、ぴったり、はまったら、内山高志ですら、倒れるのではないか!? とさえ、思った。そのくらい、強烈! だった。

  汗をしたたらして、ヘッド・ギアを脱いだ顔を見ても、分からない。

 失礼ですが、お名前は? と聞いて、初めて、「大川泰弘」という名のボクサーと知った。

 その左フック見たさに、彼の試合に、何度か、足を運んだ。その中の1試合は、CSで放送され、彼に録画した試合のDVDをプレゼントしたこともある。

 とはいうものの、相手ある試合。なかなか、左フックでは、相手をKO出来ず。改めて、スパーリングと本試合は違うモノと、痛感させられた。

 しかし、いつも、良い試合を見せてくれた。「結果」は、伴ってなくても、満足だった。

 通算戦績、9勝11敗3引き分け。3KO&レフェリーストップは、している。

 「こう言うと、負け惜しみに聞こえるかも知れませんが、負けた相手は、下川原雄大とか、斉藤幸伸丸とか、強いのとばっかりと、やってきた結果です」

 確かに、そうだ。

 それも、打ち合っての接戦。例えば、先の斉藤幸伸丸とは、1-2の、際どい接戦。勝っていたのではないか? と、私は思ったほど。

 坂本大輔とも、真っ向勝負で打ちあい、坂本が、右目流血。結局、7ラウンド、負傷判定となり、4ポイントから、3ポイントの差をつけて、この時は、3-0で勝った。

 久しぶりの、後楽園ホール。

 相手は、有川稔男(ありかわ・としお。川島ジム)という、ただいま日本ウエルター級4位へと、ランキング上昇中の、28歳。

 2011年の、同級新人王だ。プロデビューして、5年2か月。

 これまで、10戦して、8勝2敗。なんと、8勝のうち、7勝が、ノックアウトと、レフェリーストップ勝ちという、強打者。

 実際、その裏付けの如く、昨年9月末には、右手甲を、練習中に骨折。

 強打者や、KOパンチャーは、ほとんど、自分の拳も、痛める。宿命。そう言い切っても良い。

 それでも、12月。川崎新田ジムの、異色ふらふら風来坊、西禄朋と、対戦。

 西は、事実上、ジムへ理由なく、練習に来なくなって、引退同様の身だった。そこで、ジムの新田会長から、「引退を正式にするか? それとも、最後の試合をやって、辞めるか? どっちにする? 決めてくれ」

 そう言われ、西は、負けたら、もちろん引退。勝っても、これで引退という条件のもと、試合を出来る体にしていった。

 で、1年半振りに、有川と試合。

 西は、大方の予想を超える頑張りで、文字通り”大拳闘”。

 結局、打ち合いの末、6ラウンド、有川がレフェリーストップ勝ち。もしこれで、有川が、惨敗していたら、新人王の冠は汚れ、強打者の名は、泣くところだった。

 で、この有川、どことなく変。どことなく、異色。

 顔立ちは、中国や、韓国系。都内で産まれ育ち、天下の東京大学に晴れて合格したっちゅうに、3年生で、中退するという、親泣かせ。

 で、そっから、なんと、一転、自衛隊に入ったという、変わりもん。

 ジムの、プロフィール欄でも、その本領発揮。

 ーー好きなオンナの子の、タイプは?

 「すごいひと」

 --自分の性格は?

 「ふくざつ」

 

 --ボクシングを、始めたキッカケは

 「ちょっとした、思いつきで」

 ーー夢は

 「ありません」

 

 いやはや、人を喰った、お答えぶり。しかし、なかなか、パンチは芯に、喰らわない。

 そこを、どうやって、打ち崩し、大川が勝利へ、結びつけるか?

 勝てば、ほぼ間違いなく、ランキングに復帰する。

 実は、ここでは、あまり書けないが、有川の戦いぶりには、抜け切れないクセがあり、そこから、崩して、突破口を切り開き、パンチを、つなげていこうという作戦のようだ。

 これは、こと練習をつぶさに見つめ、疑問に思ったことを、聞き質す限りにおいてではあるが、どうやら、成功しそうだ。

 有川にとっては、ブランク、1年半に続いて、今度は、2年3か月!

 楽勝!ラクしようと、舐めてかかれば、とんでもないことになりそうだ。

 西は、1年間以上、さぼっていたが、大川は違う。心してかからなければ、文字通り、”痛い目”にあう。

 

 

 Dscf7407 背中に、しっかり背負うは、「ボクシング魂」。

 それ、大川は、しっかり、持ち続けている。

 サンドバッグを叩くグローブは、バッグにぶち当てる部分が、ボロボロ。いかに、破壊力のあるパンチを2年3か月、打ち込み続けてきたかを、気付かされた。

 「相手が、ランカーだから、どうだという意識は、ありません」

 「身長は、180センチ近くあるし、パンチあるし。ただね、体が、堅いんですよね。だから、作戦としては、有川の特徴と、クセを突いて、******と」

 「だから、+++++++から、こう入って」

 おうおう、ノーモーションのパンチが、思わぬところから、ぐわ~んと伸びてくるわい。

 「絶対に、@@@@@@@と、打ちに来るから、そこを、こう####」

 

 戦法、確認に余念がない。四年? いえいえ、2年3か月。

 ブランクなんて、無いことが、8月5日、証明される?

 まあ、見て下さいな。面白い、結果になりそうですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 


<リアル ボクシング ルポ>2度、確かに亀田興毅、凡庸な挑戦者をダウンをさせたが、あきれた、凡戦。

2013-07-24 02:09:22 | スポーツ

 あくびが、出るほどの、凡戦だった。

亀田興毅の、防衛戦、これで、7回目の防衛回数だそ~だが、内山高志との内容と、展開の違いについては、ボクシング・フアンなら、誰もが分かるはずだ。

 確かに、10ラウンドと、最終の12ラウンド。本気で、ベルトを奪いに来たんだろうか? と、クビを傾げてしまう挑戦者を倒しは、した。

 

 だが、3人のジャッジが付けたほどの大差があったとは、どうひっくり返しても、思えない。

 ちなみに、スコア。 117-109。 118-108。 そして、驚くべきは、119-107。

 おいおい、おい! 何か、戴いたの?.接待、受けたの? と、聞き質してみたい”笑動”に、思わず駆られる点差。

 

 前戦も同様だったが、亀田興毅ほど、10マスト・ポイントシステムを最大限利用したスコアに、なってしまっているプロボクサーを、私は知らない。

 強制的ではないと、断ったうえでとはいうものの、どうしても、10-9という点差を、各ラウンドごとに、つけていってしまうと、終わってみりゃ、御本人もたじろぐ、こんな開きに!

 という典型だ。

 

興毅は、確実に、かつて持っていた・・・・ように見えた強さを失いつつある。

パンチの、スピード。重さ。キレ。

 

 なにより、勝ちたいという覇気が、まるで無い。気迫が、希薄。

 家族が出来たせいもあり、すべてが、「守り」に、入っている。

 弱くなったなあ~。そう捉えるほか、無い。

 

 

 


リアル 女子フィギュア・スケート ルポ < 出産にまつわる、ひと騒動は、過ぎ去ったけれども、安藤美姫

2013-07-23 23:30:11 | スポーツ

 もう、カンペキに、安藤美姫の、2014年 ソチ冬季オリンピックへの出場は、ない! 

 改めて、そう言い切れる状況に、なってきた。

 ただし、テレビ番組の、ゲスト解説者として、ソチへ、行くことは、可能性が充分あるが・・・・・・。

 いや、近年、テレビ局の番組制作費の削減が、叫ばれており、それは、オリンピックといえども、同様。

 東京のスタジオでの、ゲスト解説で終わるかもしれない。

 加えて、かつては、互いにトップを競いあった浅田真央は、ともかくとしても、進境著しい、後輩たちの活躍を、会場で見るのは、気の強い安藤にとっては、ココロ忍びないかも知れないから。

 さて、やはり、彼女に「特別待遇」は、無かった。

 ここまで、迷惑かけて、好き放題やってきた選手には、一から、他の平凡な成績の選手と、同じように、予選から出て、勝ち上がってもらうしかない。

 公益財団法人・日本スケート連盟は、そう決断した。

 むろん、過去の安藤の栄光は、評価している。しかし、連盟が欲しいのは、メダルを、今、ソチで獲れる選手。

 さらに、踏み込んで言うなら、連盟の言うことを、例え、無理難題でも、はいはいと、聞いてくれる、素直で、都合の良い選手が好ましい。

 いまだ、コーチが正式に、決まっていない安藤。しかし、今は、リンクで滑る前に、ジャンプを、難なくこなす筋力トレーニングが必要な段階だ。

 フィギュアスケートのジャンプをやった人なら、お分かりだろうが、飛んだあとの着地時に、ヒザと足首にかかる衝撃と、その負担は、相当なものだ。むろん、競技の時、両足首に、ぶ厚くテーピングするのは、当然のこと。

 国際的競技大会からは、約2年間も、遠ざかっていた安藤。25歳とはいえ、筋力も、かつてに比べ、相当落ちている。

 7月のアイスショーの最終日近く、辛くも3回転が出来たとは、とても言えない。回転時のバランスは崩れ、ショーの「ゲスト」だから、客の目も、温情混じりで、甘かった。

 この先、単独での練習だけで、大会に臨むことは、ありえない。

 コーチ代は、むろん安藤が払う。

 ちなみに、かつての安藤のコーチでもあり、同棲相手の男性でもあった、ニコライ・モロゾフの、コーチ代は、非常に高かった。

 なんと、日本円にして、3000万円近いといわれた。

 高ギャラを戴き、且つ、体も戴きの、モロゾフ。オンナ癖の悪さでも知られており、彼に溺れていく、安藤に周囲は、心配し、乳をもまれてると聞けば、気をもみ、危惧していた。

 今、新コーチとして、日本人の佐藤女性コーチの名前が、マスコミに登場している。

 当初、安藤は、日本での喧騒を逃れ、アメリカでの単独練習も、考えていたようだが、赤ん坊の世話に、授乳は常に欠かせない。

 4月3日に産んだ、女児。3か月後の、定期検診を終えた段階で、テレビで、出産を告白したわけだ。

 睡眠の時も、添い寝し、本来ならば、片時も、離れることは出来ないはず。睡眠時間も、削られる。当たり前の、フツーの「ママ」ならば。

 

 しかし、断言こそ、していないものの、ソチを目指すと言う安藤にとって、最初の関門は、あとたった2か月半後に迫った「2013 関東フィギュアスケート選手権大会」だ。

 会期は、10月11日~14日の、4日間。会場は、東京ではない。

 埼玉県の川越市にある、「川越スケートセンター」。ここで、7位以内に入らねば、次の関門に、進めない。

 次は、わずか半月後の、11月1日~4日に控える、「東日本フィギュアスケート選手権大会」。

 会場は、さらに遠い、群馬県前橋にある、「群馬県総合スポーツセンター アイスアリーナ」。ここで、再び、4日間の戦いに挑む。

 ここで、5位以内に入らなければ、ジ・エンド!

 且つ、国際スケート連盟が基準として提示している、5種類の3回転ジャンプをクリアしなければならない。

 そして、さらにそれをクリアすると同時に、12月18日で、26歳を迎える安藤は、すぐさま12月21日~24日まで、さいたまスーパーアリーナで開催される、「全日本フィギュアスケート選手権大会」で、最低3位までに入らねば、その後の「強化指定選手」には、なれない。

 そこで、日本代表候補としての最終強化合宿で、振り落とされ、ソチで、メダルを獲れる可能性のある選手のみが、正式決定される。

 そこまで、いける可能性と、実力が、今の安藤にあるだろうか・・・・・・

 

 赤ん坊の世話は、事実上、母の明美まかせに、なるだろう。明美は、夫が31歳の時、交通事故死。そこからは、文字通り女手一つで、美姫を育ててきた。

 年間、数100万円かかる、美姫の練習費用や、遠征費用まで、捻出してきた、筋金入りの、女性だ。

 実質的マネージャーでもある。

 今、安藤は、所属こそ、「新横浜プリンスクラブ」となっているが、そこのホテルから、給与や契約金は、一切出ていない。

 大会に出るための、便宜上の「所属」であり、横浜にある自宅から出て、練習をするための、スケートリンクを貸してもらえる好環境というだけだ。

 昨年の今頃は、稼ぎ時とばかりに、大学のトークショーに、営業として出たり、全国の主要都市で開かれる「アイスショー」に、出演していた安藤。

 一方で、国際大会に出るのを、拒否。いわば、お気楽なショーで、お茶を濁していた。それでいて、精神的には、グラングラン揺れていた。

 時には「死にたい」なんて、言っていた。ブログの中身は、支離滅裂。

 それでも、生活は、ラクに出来た。「トヨタ」所属として、出社しなくても、年間税込み6000万円ほどを、手にしていたから。

 かつて、YAWARAちゃん、こと、田村亮子(当時)もまた、「トヨタ」所属として、形式上、本社総務部付の肩書きで、税込み年収6000万円を手にしていた。

 アマチュアでありながら、事実上プロ。

 それでいて、オリンピックに出ていた。出られた。

 さらに、目黒区にあったマンションの最上階、ワンフロアが、すべて彼女と母親の住まいだった。で、それは、「トヨタ」の、「社宅」扱い。

 車は、トヨタの、窓はスモーク入りの最高級車が、貸し与えられ、乗り放題。母も運転するが、運転手まで、手配されていた。

 この厚遇は、横浜にすでに自宅があった安藤も、同様・・・・・だった。契約上は、昨年の大晦日まで。遠征費まで、出してくれた。

 それが、今年の元旦付けで、契約は、切られ、今は無一文に近い

 仕事は、なにひとつ、まとまったものは、無い。

 アイスショーの出演料が、数百万円などと書いたメディアもあったが、ウソ。

 第一弾でも書いたが、安藤クラスでも、安い。今、彼女は、「客引きパンダ」にも、ならない。

 新たに依頼するコーチ代は、むろんのこと、川越や、前橋に行く交通費も、宿泊費も、食事代も、すべて自分で支払わねばならない。

トヨタからの、高級車の貸し出しは、もう無い。

 自由にやりたい放題やってきた、ここ数年。

 そのツケは、とてつもなく大きい。

 強化指定選手の枠に入らなければ、ソチへの道は、断たれる。

 トリノ 冬季オリンピックで、荒川静香は、実質も実力も、3位の銅メダルだったのに、金さん銀さんが、すってんころりん。

 ラッキーにも、金が転がり込んだ。幸運という他ない。

 しかし、奇跡も幸運も、安藤には起こり得無さそう。

 怪しげな、カツラスポンサーが、現れたところで、かつての実力は、引き戻せないだろう。

 転がり込む幸せは見えず、人生というリンクを、すってんころりんと、滑った

 どの時点で、現役引退を、あの大きなクチから発表するか!?

 今は、それを待つ他、ない。

 厳しいが、それが”厳実”だ。


<リアル ボクシング ルポ>飛天かずひこ、34歳。いまだ「華」有り!7月12日、9歳年下の西田光と闘う

2013-07-20 19:02:23 | スポーツ

あれっ!? こんなとこに、飛天かずひこ(旧リングネーム・日高和彦 *本名)が!

Dscf6178 こんにちは! どうしたんですか? ココ(角海老宝石ジム)に、いらっしゃるなんて。

 そう、声をかけた。それが、6月下旬のこと。

  気付いた、飛天かずひこ。キチンと、90度近い、最敬礼。いつも、こちらが、恐縮してしまう。

 「お久し振りで、ございます!」

 もう、かなわない。超の付く、礼儀正しさ。

 「こちらで、ちょっと練習させて戴いております。お元気でしたか? いつも、さわやかな、印象を残してらして」

 目いっぱい、誉め言葉。もう、ますます、かなわない。

 プロデビューして、丸17年間。強さはもちろんだが、この人ほど、「華」がある、プロボクサーを、わたくしは、知らない。

 どこが、どうというのでは、ない。持って生まれたモノという他ない。

 リングに上がると、それは、一層、輝きを増す。

 記者が言うべきではない単語だが、カッコいいのだ!

 負けても、勝っても。ココロに、何か残してくれる。

 それが、ウソでは無いことは、これから詳細を記してゆく、7月12日の、試合後、ある光景によって、改めて痛感させられることになろうとは、その時は、予想もしなかった・・・・・・

 この日は、自分が出稽古で練習に来ているジムで、自分も練習をしながら、同時に、十二村喜久(とにむら・よしひさ)に、聞かれるたびに何かと教えていた。

 十二村は、それまで長年に渡って指導してくれた、日本のトップの実力を持つチーフ・トレーナーが、理不尽な理由でクビを言い渡され、ジムを突然、去ってしまっていた。

 そのため、十二村は、この頃、自分なりの、新たな練習方法を模索していた時期でもあった。

 飛天の指導法を、黙って、見つめていると、わかりやすく、教え方はうまいことが、分かった。且つ、極めて、実戦的。

 なにしろ、「実績」がある。「人柄」が、それに増して良い。

 十二村は、現在日本スーパー ウエルター級3位。東洋・太平洋の同級で5位に、ランクインされている。

 今年の2月20日。明らかに、湯葉忠志に打ち勝っていたのに、奇っ怪な判定結果に、控え室で涙を滲ませた。

 それ、私が書かねば! 湯葉は、とても良い人だが、試合は、試合。 そう思い、キチンと、足跡を打ち込むように、記事化した。興味のある方は、検索してみてください。

 で、実は飛天。ふるさとは、九州。宮崎県の、都城市(みやこのじょうし)。そこの「都城レオスポーツジム」から、17年前にプロデビュー。

 その後、上京し、移籍や、ジム復帰などを繰り返し、現在、野口勝(まさる)会長の、誠意あふれる移籍交渉の尽力により、昨年4月から野口ジムに所属することが出来た。

 それまでの道は、茨の道、そのものだった。

 前のジムとのこじれた事情で、丸3年間もの間、試合が出来なかった。自由に移籍も、させてもらえなかった。一昨年には、「引退」も、真剣に考えたが、やっぱり、ボクシングの魅力にサヨナラは、出来ずにいた。.

 話しは、時折り、聴かせてもらっていた。書けない話も、たっぷりと。

 気持ちは、いらだち、時に落ち込んではいたが、練習は少しずつ、地道に、欠かすことなく続けていた。

 先の、都城のジムには、かつて、なんと、先述した湯葉忠志がいた。その上、同じ年に、競うようにプロデビュー。

 九州の小さな、名も無いボクシングジムから、ボクシングフアンなら、その名前を知らぬ者がいない、日本を代表する、2人の重量級チャンピオンが輩出したというのは、驚くべきことだ。

 湯葉によれば、昔はよくスパーリングをしたと言う。もう、試合も含め、拳は合わせたくないなあ、と、苦笑いした。

 

 その湯葉は、飛天と違い、そのジムに籍だけは置いたまま、練習は東京で続けている。ジムの、実態はすでにない。

 会長は、所定のファイトマネーや、諸経費だけ持って、上京。支払い、試合を見届けると、すぐさま、都城へ帰る。

 2人の生き方こそ違うものの、どちらも人間的にも、魅力ある人だ。

 さて、この日。飛天は、試合があるとは、言わなかった。わたくしも、調整程度かな?と、思っていた。だから、聞かなかった。

 ただ、野口ジムから、丁度丸1年前の、7月11日、「復帰」戦を行なって、ローテーションから言って、そろそろかな?とは、思っていた。

 そこのところは、飛天。控えめ、奥ゆかしい。

・・・・・・ある日。ひょいと、後楽園ホールの通路で、見かけたポスターに、「飛天かずひこ」の、名前が。

 それも、メイン。ファイナル・マッチ! おおっ!

 テレビは、録画中継も含めて、放送なし。こりゃ、行かねば! しっかり、見なければ! しっかり、書かねば! 遅筆だけれど・・・・・

 時は、7月12日(金)。午後8時48分。

 元東洋・太平洋ウエルター級チャンピオン。ならびに、元東洋・太平洋スーパー・ウエルター級チャンピオンの、その名も、飛天かずひこ。後楽園ホールに、登場!

 それも、観客や、ファンの意表を突く、出方をした!

 なんと、いったん客席の電気がバッ! と消え、そして、再び灯ると同時に、スポッットライトが、通路に当たるや、そこから、きらびやかに登場!

 よっ! ボクシング・スター! 飛天かずひこ~!

 

 

 Dscf6953 いつも以上に、黄色い前掛けが、輝く!

 

 おうおう、楽しい”演出”だぜい! と、思ったのも束の間、なんと、第2弾が!

 Dscf6958 「実の父親です」と書かれた、大きい紙を従え、息子の「和彦」と共に、現れたのは、文字通り、実の父親「義和」氏。

いやはや、いやはや、どっと受けた。やんやの、大喝采。

 

 和彦によれば、オントシ59歳とのこと。写真を拡大すると、よく分かるが、かつて「おんなの道」という、ド演歌で、超ヒットを飛ばした、ぴんからトリオの「宮史郎」に、そっくり!

 いやあ、*私が、捧~げ~た、なんて歌い出したら、もっと盛り上がった? かもしれない。

 ちなみに、ホンモノの宮史郎は、昨年11月19日。69歳で、この世を去っていたことが分かり、あの人が? と、いささか驚いた。とすると、寸前までテレビの歌謡番組に出ていたことになる。

 さて、いよいよ、試合開始だ。

 目下の飛天の、戦績。通算37戦して、31勝6敗。で、31のうち、22ものノックアウトや、レフェリー・ストップ勝ちを収めている。

 対するのは、西田光(ひかる・川崎新田ジム)。初めてそのリングネームを耳にした観客は、かつては、どっと、きた!

 当時、大人気だった、タレントの西田ひかるの本名と、まったく同じだったからだ。今は、もう、彼女は40歳のおばさんになったから、試合会場での反応は少ないけれど。

 その西田は、まだ25歳。デビューして、5年。戦績だけ見ると、7勝6敗1引き分け。ノックアウトと、レフェリーストップ勝ちは、わずか2つ。

 だからといって、あなどれないのが、この西田。しぶとく、戦績以上に強いのを、私は、しばしば目にしている。

 午後9時6分。< 1ラウンド >開始のゴングが、鳴った。

 

 

  Dscf6967 西田(写真右側)が、ジャブ。次いで、左ボディへ、ダブルのパンチで、先制。

 おっ、西田ペースで進むかと思われた、その時! 飛天(写真左上。左側)が、西田へ、左フックをぶち込む! さらに、追撃の、強烈な左を、ズバ~ン!

 

 ガクッ !と、腰をかがめて、西田、ダウン!(写真左下)Dscf6969 ワ~ッと、大歓声に湧く観客。早くも、飛天ペース!?

 嬉しいというより、ホント? という、驚き。

 というのも、実は、飛天と同じ野口ジムの、中村量が勝ち、話しを聞くべく、控え室へ行ったところ、その部屋で、女性整体師だろうか、きつそうなストレッチを、飛天がじっくりと受けていたのだから。

 

 ボクサー生活、17年。3年間、試合が出来なかったのを、差し引いても14年間。体のアチコチが、悲鳴を上げている。

 それは、飛天に限ったことでは、無い。その多くの、キャリアあるボクサーは。リングに上がる直前まで、体のケアが、必要不可欠な状態になっている。

 体のあちこちが、きしみをあげているなか、だましだまし、どこかで折り合いをつけながら、年ごとに厳しさを感じる練習に取り組み、試合に臨んでいる。

 リング上で見せる、とてつもない強打の裏側での苦闘。

 キャリア14年以上を重ねている、それも、KO率の高いプロボクサーは、常に、それと闘っていることは、取材を重ね、プロボクサーの”厳実”を、知れば知るほど、痛感せざるを得ない。

 佐藤通也(みちや)など、必要以上に自分の年齢を気にする者もいるが、拳を人間やサンドバッグや、ミットに叩きつけてきた年数が問題なのだ。

 一般の人間なら必要のない、拳、腕、肩、腰の酷使。元来、人間の体は、それに耐えうる作りになっていない。

 鍛えて、鍛えて、限界を超え続けてゆく。拳を形成する、筋肉や骨や神経などを「破壊」させながら、プロボクサーはリングに上がる。歓声と応援に、心を奮いあがらせながら・・・・・・・。

 KO率の高い、ある世界チャンピオンなどは、試合翌日、食事の時、痛みで箸が持てないと言う。

 また、フツーのボクサーでも、試合後、ボールペンを手にしても、いつものように文字が書けない。手が、小刻みにしびれているのだ。

 いわば、「光」と「影」とでも言おうか。単なる、勝った、負けた、ではない。そんな、知られていない現実も、読者に伝えてゆきたいと思う。

 さあ、リングに文章を戻す。

 このまま、1ラウンド。鮮やかなKO劇で終わるかと、思われた。

 だが、すぐに、西田は立ち上がり、なんとか、持ちこたえたまま、このラウンドは、終了した。

 ああ・・・・・・と、思う。全盛期の、「日高和彦」の時代ならば、立ち上がった西田に、すぐさま、容赦なくラッシュをかけ、的確で、無駄の無いパンチを、西田の体の上下に叩き込み、連打、連打、連打! 同じコーナーポスト近くに、西田を沈みこませていたはずだ、と。

 ブランクだけでは、片づけられない、年月の日々。

 とはいえ、野口ジム所属となってからの、飛天の戦績

昨年7月11日。長島謙吾相手に、判定勝ち。次いで、4か月後の11月16日。インドネシアのスーパー・ウエルター級2位にして、同国の元チャンピオンに、4ラウンド終了間際にぶった押し、見事なKO勝ち。

 続く今年

 (つづく)

 


 <リアル ボクシング ルポ>7月19日 58キロ契約 伊藤雅雪 対 源大輝 戦 展望あれこれ。

2013-07-19 15:55:00 | スポーツ

 とある日の、後楽園ホールの通路。メインの試合が終わり、さてどうしょうか? と、歩き始めた、その時。

 あれ? どこかで、見た顔が。帽子を逆にかぶってる。

 昔の表現で書くなら”苦み走った、良い男”(写真・下)。ブログには、女の子が、チラリホラり。心身ともに、淋しい想いはしていない、ようだ。

 確か、プロボクサー・・・ですよね?

 「はい、伊藤雅雪(まさゆき)といいます」

 

 

 Dscf6750 雅雪? 「本名の方は、雪は、之という字を書くんですけどね」 そう言って、少し苦笑。

 

 生まれが、1月19日。東京の生まれ育ち.。

 

 「去年、全日本フェザー級の新人王になりました」

 

 少し、照れくさそうに話す。

 ああ、それで勝ち上がっていくときに、試合を見てたんだ。

 

 で、帰りかけようとしていたので、定番ともいうべき質問

 

 -----次の試合は?

 

 「7月19日。相手は、源大輝という人です」

 

 源!? あの、源かあ・・・・・・

 

 戦法や、その経緯辺りは、試合映像などと共に、伊藤のアタマに、すでに畳み込まれているようで、少し話しただけで、うなずく。

 

 どこか、余裕が、滲む。といって、自信満々では、無い。初めて会った時の、源大輝(みなもと・だいき)のように・・・・・。

 一応、資料用にと、かつて源にカメラを向けた時のこと。一緒に並んだプロデビュー前の子が、「彼、すごい強いんですよ」な~んて、持ち上げちゃつた。

 そんなこともあってか、源のまなざし。俺って強いんだぜえ~! ギラギラ、みなぎらせての、ファイテイング・ポーズ。

 やれ、やれ。

 連戦連勝の、KOプロボクサーが、陥りがちなのが、コレ。強いから、ファンが付き、増える、人気も出るはずだ。

 本人、そう、思い込みがち。

 試合後、スポーツ新聞の記者も、控え室に集う。「数」を、タイトルにもってきて、連続KOの記事、一丁上がり。

 しかし、友人、恋人、セフレならいざ知らず、それで客が歓声を挙げ、試合に感動し、次、また試合見に来るか!? というと、違う。

 例えば、酒井智彦。例えば、関西では、山﨑晃

 ボクシング・ファンなら、その名を聞いて、ああ! と、思い出す人もいるはず。どちらも、渾身のチカラを込めて、1歩も退かず、全身全霊で、戦い続けた。

 なにより、拳に、魂が、見えた。

 酒井は、先に書いた「強打者」まんまの林和希勝ち、視力が衰え、引退するまで、続けて3試合、興行のスポンサーから、金一封が渡された。感動したから、という理由で。

 目の肥えたスポンサーが、そこまで、突き動かされたのは、後にも先にも、酒井、ただ1人。

 一方の山﨑(やまさき)は、それまでジムのある大阪を主戦場にして、試合を重ねていたが、当時、東洋・太平洋スーパー・フェザー級チャンピオンとして、初防衛戦を迎えた内山高志を相手にすべく、上京。

 打たれても、打たれても、前へ進み、あわや、逆転勝ち! というシーンまでいった。観客は、内山のファンまで巻き込み、大熱狂! 床、踏み叩いて、大声援!

 試合後、勝った内山にではなく、負けた山﨑に、あらん限りの熱い拍手を、贈った。内山の、今も活動資金を支える、スポンサーの女性社長でさえも、だ・・・・・・。

 山﨑は、事実上の引退をするまで、ただの1度もダウンしなかった。足元が、ふらついても、ヒザを曲げることは、あっても、決して倒れなかった。

 そこに、人は我が身の人生すらも、時に重ね、感動し、歓声をココロで挙げる。

 理屈では、ない。強さでも、無い。

 連戦連勝KOボクサーは、確かに「記録」に残る。

 

 しかし、世間では、名も無き彼らだが、ボクシングを、こよなく愛する者達の、「記憶」に、永遠に残ってゆく。

 その違いは、大きい。ソレが、人を、殴りあいの会場へと、足を運ばせる。

 さて、源。先に会ったあとの、次戦。

 やってしまった! KO率、7割の「自信過剰」が、そうさせた。

 相手を見下し、舐めきり、両腕をダラリと下げてのノーガード。そのうえ、来いよ、来いよ、とばかりに、グローブ招き猫。

 打ち込まれ、あわてふためき・・・・・・結果、辛勝。

 「あしたのジョー」の矢吹丈戦法は、劇画の中だけのもの。それを、痛さと、腫れを土産に、源は知った。

 あのノーガード戦法って・・・と、控え室にいた、源の所属するワタナベジム会長に、尋ねた。

 「そうなんですよね。当人にも、止めたほうがいいと、セコンドで言ったんですけどねえ・・・・。まあ、これで、当人も、分かったでしょう。なあ!」

 そう会長は、源に、声を掛けた。当人、敗者のように、クビ、うなだれたまま、無言。

 

 その後、ある時、会った源に、聞いた。

 あのノーガード戦法、もうやらない・・・・よね?

 

 苦笑いしながら、源、コクリ。

 そうして迎えた、今年の2月27日。場所は、川崎とどろきアリーナ。

 相手は、地元川崎新田ジム片桐秋彦。それまでの戦績は、18戦して、11勝6敗1引き分け。それも、KO並びにレフェリーストップ勝ちは、3つだけ。

 1発で倒すパンチは、失礼だが、持ち合わせていない。極めて、試合運びも、奇をてらわず、オーソドックス。

 でも、源。言われた通りに、がっちり両腕で顔面ガード。陥りがちだった、大振りフック、空振りパンチも、控えめに・・・・・。

 

 

 Dscf3373 しかし、結果は、5ラウンド、レフェリーストップ負け(写真・上)。

 

 ガッツポーズをする片桐(写真上。後ろ姿)。

 

 源、ガッツリ、負けた。

 

 控え室では、もう、自信喪失。何を聞いても、「・・・・・・・・・・・」。

 

 イケイケのタイプに、よくある流れ。感情が、ジェット・コースター。

 

 激しい、上がり、下がり。これまで、何人もみてきた。

 

 この日、スカイ・Aの録画収録あり。全試合、基本的に、小出しに放映される。それも、何度も。

 前日計量を終えたばかりの選手への、インタビューも収録され、それが試合放映前に、流れる。

 

 「今回は、山川豊さんにも、練習や、仕上がりまで見て戴き、万全の態勢で試合に臨んでます!」

 

 源の言葉は、自信にあふれていた。

 それだけに、本人もショックだったはず。

 

 後日、偶然、彼に会った時、こう申し向けた。

 

 「スカイA、収録したの、DVDにダビングして、差し上げましょうか?」

 

 「いや、いりません」

 

 迷わず、そう答えた。

 

 あの日、顔をボコボコに腫らしながらも、判定勝ちした成塚亮は、同じ申し向けに、速攻で、笑顔を浮かべて、こう答えた。

 

 「本当ですか? ありがとうございます! ボクよりも、埼玉県にいる親が、喜ぶと思うんで。両親も、応援には、来てくれてたけど、見たがると、思うんで。お願いします」

 そんな嬉しい発言も受けて、成塚の記事も書いた。

 勝ちと負け。リングに上がってこそいないものの、気持ちは分かる・・・・・つもりだ。

 おまけに、所属ジムは、スカイAとは、受信契約していない。むろん、ジムがビデオカメラを回して、試合を収録してるはずだが、それはジムでしか、見られない。借りだすことは、出来るが、なかなか戻ってこないらしい。

 そんな事情を知っているからこそ、源に言ったのだが・・・・・。

 どこが、まずくて負けたのか?

 それは、戦った当人が、一番、良く知っている。だが、後日、冷静に、それを反省材料として見る・・・・・・気すら、源には、無いらしい。

 テレビ録画収録に、自分の試合がいつ遭遇するか? 誰にも、分からない。 

 日本チャンピオンになろうが、世界チャンピオンになろうが、放送、1回もないまま、引退してゆく者が、どれほどいるか・・・・・。

 「源クン、いりませんて・・・」

 ある時、ワタナベジム会長に、それを話したら、少し驚いて「いらない! って、言ったの?」

 「いえ、いりませんて、普通に・・・・」

 会長、何とも、言えぬ表情を浮かべて、押し黙った。

 あれから、4か月が過ぎた。

 源が、どんな練習を重ね、誰とスパーリングを重ねているのかは、知らない。

 チラリと、ジムで見かけるときはあったが、スパーリングも見かけず。

 スパーリング予定表に、彼の名前は刻まれていなかった。彼の試合日程も、気に掛けずにいた。

 だから、冒頭の伊藤雅雪に、聞かされ、驚いたほどだった。

 伊藤は、これまで、10勝、1引き分け。無敗だ。KO勝利は、10勝のうち、3勝。

 派手さは、無いが、控えめに、しかし、階段を着実に、1歩1歩、上がってきている。当分、降りそうも無い。

 全日本フェザー級新人王になった、昨年末に、同級日本12位に、ほぼ自動的にランク・イン。

 今年4月8日。増田靖之との8回戦。80-72、79-73、80-73の、完勝判定勝ちで、あっさり退けている。

 なんと、先日書いた、佐藤通也とも、スパーリング。圧勝してしまったらしい。

 そして、明日7月19日。源と、拳を交える。

 この試合に向けて、所属している伴流(ばんりゅう)ジムの、元チャンピオン芹江匡晋と、スパーリングをした。

 さらに、尾川堅一大村光矢瀬頭幹人らとも、激しいラウンドを重ねてきた。

かなり、文字通り「手ごたえ」は、あった様子が、うかがえる。仕上がり、万全か。

 源のトレーナー、石原雄太のブログからは、相当厳しい戦いになるであろうことが、行間に滲み出ている。

 とはいえ、ボクシングは、やってみないと分からないのも、また、大きな事実。

 さあ、ゴングは、間近だ。

 カ~ン!  両者、出たっ!

 

 

 

 

 

 

 


<リアル 女子フイギュア・スケート ルポ>渦中の安藤美姫。もう日本代表選手として選ばれることは、無い

2013-07-15 23:56:51 | スポーツ

 安藤美姫(みき)の、去就が、マスコミで騒がれている。

 というより、騒いでいる。

 彼女にまつわる、ここ5年あまりの報道は、女子フィギュア・スケート選手としての記録や、美技ではない。もっぱら、オトコとのこと。それだけ。

 それを、断じるつもりは、無い。

 その手合いの、女子スポーツ選手は、いるし、いた。

 努力して、頑張って、戦績が上がっているうちは良いが、いったん落ち始めると、他人が思う以上に、落ち込み、精神状態が絶えず揺れる。

 目標と希望と、夢があるから、選手は、生きられる。

 その「たが」が、はずれたら・・・・・。

 安藤の、精神不安定ぶりは、私が書くまでも無く、良く知られている。

 とりわけ、フィギュア・スケートは、コーチと心身ともに、一心同体の傾向が強い。

 そして、安藤は、オトコに頼り、身をまかせ、文字通り「一心同体」になっちまった。

 な~にが、ミキティだ。

 付けも付けたり、美しいお姫さま。

 しかし、浅田真央も含め、彼女たちの人気や、そのキャッチなども、テレビ局が、すべて仕掛けたもの。

 良いイメージ作りまでも、やってくれた。実力と、差があったが。

 その手合いは、ゴルフの石川”不登校児”遼、サッカーをするべき体力・技術の衰え切った”筋愚カズ”など、枚挙にいとまがない。

 男から、オトコへ。蝶が、腰振って、舞うように。

 世間一般の感覚でいうと、安藤は、ふしだら。男にだらしがない。下半身がゆるい女。

 そういうことだ。

 おまけに、一般人と違い、いろんな関係者に、大きな迷惑や、気苦労や、心配をかけつづけてきた。

 一般感覚で言うと、「鼻つまみ者」だ。一般人なら、周囲に白眼視され、同じ業界には、とてもいられない。

 安藤だけが、特別扱いされるのは、おかしいこと。

 まだ、「カネになる」

 そう誤解されているから、人がガードする。それに甘えきってる、安藤。

 まだ、安藤美姫で、スキャンダルも含め、「カネになる」から、数字(視聴率)がなにがしか、獲れると思いこんでいるから、今はヒトが寄っている。

 それでも、安藤に、実力が、今もあれば良い。

 だが、無い。まったく、地に落ちている。見るも、無惨だ。

 現在の、女子フィギュアの、世界ランキング。

 浅田真央、2位

 佐々木明子、3位

 村上佳菜子、7位

 ど~んと、落ちて、今井遙、21位。

 そこに、安藤美姫の名前は、無い。

 来年2月。ロシア連邦のソチで、冬季オリンピックが開催される。

 そこに、出場するには、今年の12月21日~24日、さいたまスーパー・アリーナで、テレビ局先導で開かれる、日本選手権で、女子の上位3人枠に、最低、入らねばならない。

 あと、たった5か月。

 だが、先月の、アイスショー。安藤は、観衆の前で、1度もジャンプすることなく、ただ滑っただけ。

 そして、つい先日のアイスショー。安藤は、ジャンプに挑戦するも、すってんころりん。醜態をさらした。明らかな、練習不足と、基礎体力不足。

 

 かつての全盛期。日本人女子初の、4回転ジャンプを成功させたときの、面影は、かけらも無い。

 スケートリンクではなく、人生を滑った。そして、転んだ!

 奇跡は、無い。わずか5か月で、奇跡は起こらない。そ~ゆ~、人生の軌跡を、歩んでしまったのだから・・・・・・。

 現役引退後、アイスショー出演で、潤沢に喰えていけるほど、日本は甘くない。

 オリンピック直後こそ、観客は入るが、すぐにガラガラ。

 熱しやすく、醒めやすいのが、我が日本人の特性。

 実際、私、見ている。

 現在は、西東京市に入ってしまった、西武線の東伏見駅降りてすぐのところにある、西武所有のアイス・アリーナ。

 一応、3500席しつらえてあるらしいのだが、いつもガラガラ。

 今の時期、西武系列の企業の従業員家族に、子供の夏休みを利用して、見ていただこうと、連日、大量の招待券をばらまく。それでも、空席が目立つ。

 会場内だけでなく、「外」まで寒い。企業命名権を売却して、なんとか、維持し、しのいでいるのが、”厳状”だ。

 それは、新横浜アイスアリーナでも、同様。2500席が、埋まらない。

 フィギュアスケート人気は、そんなもん。ミキティ?、真央ちゃん?、屁でもない。

 今、同棲していると「される」スケーターの、1日の出演料、3万円。それが、1か月に、数回しかない。

 これだけでは食えない。だから、アルバイトしている。

 例え、「昔の名前で、出ています」であっても通用しない。

 で、引退後、よくあるパターンが、解説者と、キャスター。

 解説者は、その「名前」で、とりあえず引きがあるだろう。あの、歯ぐき丸出しの、出っ歯気味の大きな口を開けて、滑舌の特訓をさせられて。

 だが、安藤に直接インタビューはしたことないが、業界の評判や、大会でのコメントのしゃべり、そして数少ないインタビューを見た印象からすると、作り笑顔は出来ても、しゃべりは、ヘタ! おまけに、わがまま。

 とても、使えるシロモノじゃない。

 ましてや、キャスターになれば、今までの聞かれる立場から、一転して、質問する立場。それも、誰にでも理解できるように、短い時間で、コンパクトに解説しなければならない。

 かつて有名スポーツ・ウーマンであっても、誰にでも出来るものじゃない。

 実際、伊藤みどりや、荒川静香は、たちまち、使い物にならなくて、クビになった。伊藤は、現役のときから、しゃべりに関しては、×だった。

 荒川と犬猿の仲だった、村主章枝(すぐり・ふみえ)も、使えない。暗い性格と、くぐもる声。マイクに、乗りにくい。

 出さしても、4年に1回が、せいぜいの、五輪コメンテーター。

 その点、八木沼純子は、現役の時から、臨機応変に人に接してたし、愛想も良く、しゃべりも上手かった。

 なにより、相手に好印象を与えていた。あっ、これはテレビ向きだな。使えるなと、思ったし、その通りになった。

 いつも、ヨイショばかりしていると、嫌うブログも、見られたが、それは、たまには、そうしなければ、仕方のないこと。彼女の立場からして。

 ”電波芸者”なのだから。

 なお、浅田のキャラクターは、明るくて、あっけらかんとして、悪気が無くて、使える。ギャラは、高いが。

 だから、成績の差以上に、浅田にコマーシャルの依頼があるのは、そういう部分が大きい。

 基本的に、フィギュアスケートをし続けていくためには、我々が想像する以上に、カネが必要だ。

 浅田は、スポンサーが多く付いているので、まったくその心配はないが、安藤は、もはや、無いに等しい。

 それも、”厳実”だ。

 かつて、女子の先駆者、渡部絵美が、やむなく、突然引退したのは、親が出すおカネが尽きてしまったためだ。

 家を、抵当にまで入れて、絵美を支援していた。

 私の質問に、泣き伏した絵美。

 渡部の自伝によれば、明らかに堤義明と思われる男が、プリンスホテルの1室に、渡部を呼び、「俺のオンナになれ。そうすれば、選手活動資金は、永遠に出してやる」と言いながら、暴行してきたとのくだりは、興味深い。

 さて、ママ美姫。

 シングルマザーは、生きてくの大変だ。ててなし子を、育てるのも。

 リンクではなく、人生を滑って、転んでしまった。

 それにしても、以前から想像してた。

 あの口に、何本入るんだろう・・・・・・・・

 

 


<リアル ボクシング ルポ>7月12日、第4試合。バンタム級、6回戦。中村量(野口ジム)対望月太朗

2013-07-14 22:34:10 | スポーツ

 早っ! パンチのスピードが、とんでもなく早い! おまけに、シャープ!

 ビシッ! ビュツ! バン! スッ!  左ストレートが、キレイに伸び切った(写真左下)。

 相手にパンチが、届かなければ、瞬時に素早く引き戻し、基本に忠実に、ガード。そして、また瞬時に、ビシッ!

 おまけに、拳に、キレが、ある。 それも、両者共に、だ!

Dscf6899

 「すげえ、緊張感! 見てて、すごいねえ」

 後ろの席にいる客たちの、驚きの声が、聞こえた。

 1ラウンド開始のゴングが鳴るや、両者共に、芯に当たれば、1発で相手をリング床に転がすかのようなパンチを、次々と繰り出し続ける。

 むろん、お互い、自分の距離を測りながら振っているので、全て当たっているわけではないが、意地か、1歩も、引かない。そのうえ、大振りは、無い。

 こりゃ、早々に、KOか、レフェリー・ストップで、試合終了に、なりそうだ。

 それにしても、誰だあ? この2人。登場時のコールで、名前はチラッと、耳にしていたものの、改めて、パンフレットの文字を、見つめる。必要以上に、小さい。

 2人には申し訳ないが、この試合を目当てに来たんじゃなかったので・・・・。

 だが、じっくり見てると、その間に試合が、あっけなく終わってしまいそうで、気が気じゃない。

 写真上の左が、中村量(りょう)。ん? 量? アレッ? なんか、記憶がある。どっかで、書いたような、調べたような・・・・・・・。

 今、25歳。プロ・デビューしたのが、2年8か月前。すでに、8試合を経験。

 通算戦績、6勝(うち2KOと、レフェリー・ストップ勝ち)2敗。所属は、野口ジム

 野口ジムには、かつて、日本最強のハード・パンチャーの、吉野弘幸の取材で何度か通ったことはある。でも、それは中村量デビューの、ず~っと前。

 ちなみに、書き添えるが、吉野。左フックが、まさに、ブン! と、うなりを上げて、対戦相手の体をえぐった瞬間、ズン! という、人間の肉を叩き切るにぶい音が、後楽園ホール最後部の立見席まで、いつも聞こえた!

 後にも先にも、そんな強打者を、私は知らない。

 K-1に転じた1戦も、パンチだけで、相手をぶっ倒した。

 その吉野。いまだ、「引退届け」を、提出していない。ホントに、出してない。

 夫の弘幸と共に、ジムを経営し、受付も担当している妻は、「早く、もう、スッパリと出してよね・・・・・」と、私にも聞こえるように、嘆いていた。体重はすでにヘビー級に近い吉野なのだが・・・・・・。

 もしかしての”夢”は、残して置きたい。そういうこと、なのだろう。

 さて、話しを戻す。

 上の写真、右側が、望月太朗。以前は、太郎という、リングネームにしていた時期もある。ジムは、信州の長野県松本市にある、新日本カスガジム所属。地元出身の望月が、10代で入門。今、25歳。プロデビューは、8年も前。プロ・キャリアは、中村より5年も早い。

 で、丸8年間で、この日の試合で9戦目。4勝して、5敗。

 ところが、この4勝。すべて、KO勝ち。レフェリーストップ勝ちも、入っているとはいえ、はまったら強い! 自分のペースで試合が運んだら強いというタイプか。

 1ラウンドの動きを見る限り、5敗してるとはいえ、中村にすれば一瞬たりとも、気が抜けない強打の持ち主だ。

 試合数の少なさは、やはり長野県という地域ハンディからきたものとしか、思えない。主戦場は、静岡市の試合会場。行って、帰るだけでも大変だ。

 もし、このスピードのあるパンチとキレを持って、東京の大手ジムにいたら、相当伸びていったはずだろう。

 

 

Dscf6902 2ラウンドに入っても、2人のパンチのキレと、スピードは、まったく落ちない。

 

 ビシ、ビシ、打ち合う。互いに、容赦なく。観てて、痛さも伝わるが、小気味いい。両者共に、打たれ強い。

 

 おっ! 接近戦に出た中村。望月の右の脇腹近くのボディへズン!と、打ち込む。それも、巧みに相手のクビに少し腕を回して、グイッと体を引き込むようにして、相手のボディ深くに、パンチをめり込ませる(写真・上)。

 当然、威力は増す。上手い。

 

 これに加えて、中間距離では、アッパーを、ヒットさせる。

 

 連打までには、まだいかないが、ボクサーのお手本のような、アッパーだ。相手の反応で、効いてると、分かったのか、接近戦でも、真下から、望月のアゴをぶち挙げた!

 

 だが、望月も、まったく、ひるまない(写真下・右側)。

すかさず、キッチリ、ガードする中村。

 

Dscf6903
 3ラウンドに、突入した。

 

 繰り出すパンチのスピードは落ちず、激しい打ち合い!

 

 ビシバシ、ビシバシ! 

 

 観客の歓声が、どんどん大きくなる。自分は何も痛くないから、「行け、行け!」などと叫んでる。

 

 中村の、アッパーが、随所で決まりはじめた。ストレートとの、コンビネーションで、上下打ち分け。それに、左ボディも、混ぜた。

 4ラウンドが、スタート。

 ゴングが鳴るや、中村にゴーサインが、セコンドから出たのか、望月を一気にロープにまで運び、背にさせ、ボディ、アッパー、それに、ストレート添え。

 上下、上下。空振り、無し。全打、的確に打ち分ける。

 一気呵成に、瞬時も休まず、畳み掛ける。

 レフェリーが割って入って、ストップをかけた。

 見事な、絵に描いたような、TKO勝ち!

 だが、中村に、大きな喜びの表情も無ければ、ガッツポーズも無い(写真・左下)。

 

 

Dscf6905


Dscf6906 勝利者コールで、右腕をレフェリーに持ち上げられて、初めて少しだけ、笑顔がのぞいた。

 

 こういう、本人にとって、おそらく快心の勝利。

 

 練習を積み重ねた通りの勝ち方の試合も、読者に紹介したい。そう思った。

 

 それに、確か、どこかで・・・・・という、引っかかりも、あったし。

 

 「勝利者インタビュー」では、開口一番、こう言った。

 

 「暑いなか、会場に来ていただいて、ありがとうございました」

 

 締めは、こう言った。

 

 「勝ちたいのは、もちろんですが、今後も、良い試合をしたい」

いいぞ、いいぞ。継続して、見たくなる。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 控え室。汗まみれになりながら、両腕のバンテージを取り去ってもらっている、中村量に、早速、話しを聞いた。

 

 接近戦に持って行っての、左ボディといい、キレイに決めるアッパーといい、見事でしたね。なにより、空振りが、無いというのに、驚きました。

 

 照れ笑いが、浮かんだ。

 

 「パンチの、”的確さ”を、会長とトレーナーに、繰り返し、繰り返し言われていて。それが、やっと実ったカンジです」

 「ボクくらいの、この身長しかないので、接近戦で勝負してゆくのが一番良いんじゃないかと.」

 「まあ、それしか無い、と」

 

 

 あっ! 不確かながら、思い出した。

 

 確か、大学時代、野球部(*中央学院大学)にいて、全国大会にも、出場しま・・・・したよね?

 

 「はいっ! 出させてもらいました」

 Dscf6911 ああ、やっぱり! この、丁度3か月前の、後楽園ホールでの試合。上村(かみむら)和宏の取材の際、対戦相手として調べたボクサーだった。

 その試合は、見た。判定ながら、スコア通り、3-0.中村の圧勝と思えた。

 上村はもちろん、どちらの控え室にも、寄らず帰った。

 「見てくれてたんですか? そうですか・・・・。自分としては勝ったと思ったんですが・・・・」

 そう、後日、上村は言った。その、あきらめない、勝ち気さは、いいのだが。

 文章が、自分の言動が、悪意に受けとられてしまっていると、不満げだったが・・・・・。

 だから、リアル。だから、ルポ。ありのまま。つまらぬ甘さは、無い。

 さて、中村。

 「接近戦に持ち込んで、ボディ打ちは、下から下からを、意識して打ち込みました」

 「相手が、打たれ強いというか、なかなか倒れないもんで、ともかく、的確に打ち込むというのも、意識して」

 今後、この理詰めの冷静さを持ち続けていくなら、相当上まで行くはずだ。

 で、この、中村量。確か「最愛のひと」が、いたはず。少なくても、今年3月13日、25歳の誕生日は、ラブラブの写真が堂々と、彼女の名前と共に、ブログに載っていた。

 あっ! いたいた。かいがいしく、しかし、さりげなく世話をしてるじゃん!かわいい容貌。性格も、よさそう。

 

 

Dscf7030 帰る時、ひょいとカメラを向けたら、2人、寄り添って、ハイッ、このポーズ!

 

 最愛のひとって、この方ですよね?

 

 中村、ニコッ!

 

 「はい、その通りです」

 

 もう、入籍もしてらっしゃる?

 

 「いえ、してません。あの~、暑いので、充分、水分補給して帰ってください」

 

 はあ?・・・・・・・・。はぐらかされたかなあ・・・・・・

 

 人生、いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ、てかっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


<リアル ボクシング ルポ>「残り少ない、ボクサー人生ですから」 自ら、そうクチにしてしまう福原力也 

2013-06-20 22:54:12 | スポーツ

 まだ、6月21日の試合どころか、先が、まったく決まって無い頃のこと。

 彼は、それでも、ほぼ毎日、ジムに来ては、練習を積み重ねていた。

 気になり、じっと観ている、こちらの顔に気付くと、その元 日本チャンピオンは、苦笑いを浮かべて、こう言った。

 「残り少ない、ボクサー人生ですから」

 その言葉に反応して、私は、ひどい言葉を、その人に返した。

 「だから、取材したいんですよ」、と。

 本心は、違っていた、はずなのに・・・・・・。

 本心は、こう思っていた。だから、ダメなんですよ。そう、自分で思い込んでいるから、良くないんですよ、と。

 この人を、評して、皆が皆、こう言う。

 「気持ち、のひと」 「考え過ぎる人」 「ハートさえ、強ければねえ・・・」 

 プロデビューしたのは、丸13年前。21歳の時。

 相手を圧倒し、1ラウンド、レフェリーストップ勝ち。

 5年後には、日本スーパー・バンタム級チャンピオンに輝く。しかし、好事魔多し。

 強打者、ハード・パンチャーゆえか、なんと、試合中に右腕を骨折。相手に知られまいとしつつ、左腕1本で戦うも、負ける。

 手術し、右腕の筋肉に、金属棒を埋め込む。腕には、今も手術跡が、クッキリと見える。

 その、2年後。またも、試合中に古傷とも言うべき、右腕を骨折!

 今度は、さすがに無理をさせられぬと、即刻、セコンドが判断。タオルが投入された。

 いきおい、試合間隔は、開いてゆく。

 運、不運、何というべきか。世界チャンピオンへの、足がかりにと、東洋・太平洋の王座に挑むが、ノックアウト負け。

 明るくなれ! いつも、元気出せ!というのは、酷か・・・・・・。

 気持ちが沈むことが、多くなった。ブログでは、空にこころを投影してた。

 例え、試合に勝っても、クチをついて出るのは、反省点ばかり。「詰めが・・・・・」。「あの場面で、・・・が出ないんですよ」。「アタマでは、分かっているんですよ」。

 そういって、苦笑い。

 確かに、かつてに比べれば、全体に、落ちている。ぶしつけにも、以前だったら、あのトコロで、倒せてましたね。そう言ってしまったこともある。

 それは、現在までの戦績たるや、26勝7敗1引き分け。26勝のうち、19ものKO&TKO。KO率、実に7割強。

 近年は、試合数も、少なくなりつつある。

 今回の6月21日の試合も、実は、同じジムの選手が、ケガをしたため、急きょ、彼に出場機会が回ってきた。

 そういう、背景もある。

 右ストレートが、こわくて打てない。何も、故障もしてないのに、そんな気持ちに襲われているみたい。

 新任のトレーナーが、首を傾げる。思い込みが、この元 チャンピオンに、時折り、のぞく。

 ボクサー生活、デビュー前も含めると15年間近い。2度の骨折をしていなくとも、体のあちこちに、ガタとほころびが、のぞいて当たり前。

 やっていない私から見つめていても、尋常ではない体全体への酷使を、日々、積み重ねているのが、プロボクサーだ。

 つい最近も、試合後、こんなことがあった。

 6月10日。和氣慎吾という、リーゼントのヘアスタイルでも有名な、東洋・太平洋(OPBF)スーパー・バンタム級チャンピオンが、完勝で初防衛を果たした。

 プロデビューして、7年目。大きなケガは、聞いてはいない。だが、「次の防衛戦は、いつ?」と、聞く取材陣に、会長でもある古口トレーナーは、こう言った。

 「しばらく、ゆっくり休ませたい。このところ、試合が立て込んでいて、体に結構ガタがきてるんだ。本人は、痛いなんてクチに出して言わない性格だけど、休ませることが、今は必要だと判断している」

 

 五体満足、どこにも痛みのない中堅プロボクサーなんて、1人もいない。

 親しくさせてもらっているボクサーには、実は今、ココが痛くて、練習を休んでいるとか、練習量をセーブしているなどということは、しばしば聞く。

 しかし、書かない。そんな、選手にとってマイナスになることは、こころ迷いつつも、極力書かない。

 まだまだ、上をいける彼だが、時に弱気になって、それを年齢のせいにする。

 「俺、もう34ですからねえ」

 そう自分から言って、苦笑する。

 「でも、それ言って言い訳にしちゃ、いけませんよねえ」

 「世界チャンピオンの、内山高志なんて、俺よりたった1つ下の、33歳ですからねえ」

 そう言って、また小さく笑う。

 年齢だけで区切ったら、彼はまだ、ひょっこみたいなもん。自らのブログに毎回登場させている、子犬みたいなもん。なぜか、同じ屋根の下にいる、最愛の人は登場させてないけれど・・・・・。

 飛天(ひだか)かずひこ、プロデビュー17年のキャリアで、同じ34歳。36戦やって、元OPBFウエルターと、スーパー・ウエルター級チャンピオンだ。つい最近、会ったが、ものすごいパワフル。圧倒された。

 湯葉忠志、まだ36歳。こちらも、プロデビューして、まだ17年。すでに、4階級制覇を終え、つい最近の試合では、私も文句なしの「勝ち」。

 控室に、勝ったお祝いに来た、柴田明雄に「次、試合やろうよ」と、せがんでいた。柴田、まだ31歳。湯葉の、1発で試合の流れをひっくり返す強さを、身を持って知ってる人。柴田、今、OPBFミドル級と共に、日本スーパー・ウエルター級のチャンピオンだ。

 湯葉が、柴田に勝てば、5階級制覇完成。逃げ腰の柴田に、試合の約束を、迫っていた。まだまだ、やる気十二分!

 石田順裕(のぶひろ)だって、37歳。キャリア、まだ13年。日本の大阪を、再び主戦場にする。東京妻の存在は、どうするのか、気になるけれど・・・・

 トドメは、西澤ヨシノリ。プロデビューして、27年間。すでに、58戦こなして、まだ47歳。今は、オーストラリアを主戦場にしており、帰国時、日本でお逢いした。

 「実は、ベルト2つも、持ってるんですよ。ふふふ、地域タイトルですけれどね」

 皆さん、強い。弱気、見せない。突き進んでる!

 ひよっこの、元日本チャンピオンと、対戦するのは、25戦して、わずか8勝15敗2引き分けの、31歳。8勝のうち、KOは4勝。

 KO率は、たった1割6分。このところは、勝ったり、負けたり。

 迷い、こころ揺れがちの彼にしても、意外や、楽勝?

 「戦績だけ見るとね、そう想うかも知れませんがね」

 そう切り出したのは、何を隠そう、彼のトレーナー。

 「実は、負けてる相手は、みんな強いやつばかりなんですよ。そのうえ、試合内容も、結果としては負けになってるんですが、かなり接戦ばかりで・・・・。なので、気を引き締めて、戦いに臨むつもりです」

 彼、福原力也は、他のジムのランキング・ボクサーと、激しいスパーリングを繰り返してきた。

 トレーナーによれば、「力也のテンションも、久々に上がって来てる」との、こと。

 前の試合前は、「プロデビュー前の子と、スパーリングやって、調整してたんだもんなあ」 と、山川豊特別トレーナーを、落胆させた。

 今度は、打ち込まれて、ヤル気、ぶっ倒す気迫が、甦ってきたので あれば、良いのだが・・・・・・

 無我夢中。あれこれ考えずに、一気にコーナーに詰めて、連打で相手を沈める。

 そんな、かつての試合のような、再現を見たい!

 

 


<リアル ボクシング ルポ>前・日本ミドル級チャンピオン 佐々木左之介が6月21日、再起を賭ける

2013-06-18 14:03:55 | スポーツ

 

 

Dscf5195_2 バ~ン! パンバン! 一転、ズン!

 

 委細構わず、且つ、容赦なく、清田祐三(写真上の右側)の、変幻自在に繰り出すパンチが、佐々木左之介(写真上の左側)の体を襲う。

 左之介に、たった2~3秒でも間があいて、打ってくる気が無いとみるや、清田。

 ジャブを顔面にバ~ン! フックをブン! がら空きのボデイに、ズドン!

 どれも、素早く、小気味よく、重い!

 清田は、左之介のミドル級の、1階級上のスーパー・ミドル級のボクサー。それも、東洋・太平洋(OPBF)のベルトを、すでに6度も防衛している、とんでもない強打者。

 なにしろ、23勝のうち21が、KO&レフェリーストップ勝ち。そう書けば、その強さが、ボクシングをよく知らない人でも、想像はつくはず。

 

 ヘッドギアをしてるから、なんとかもってるものの、おそらく、はずして試合としてやったら、3ラウンド中盤には、膝を折って左之介はうずくまっているはず。

 

 そのくらい、両者には差があった。よく見ると、左之介。左のパンチを差し出しながら、顔はビビり、上半身と腰が、引いている(写真)。

 そんなに2人の間には、差が歴然としてあったのに、スパーリングの回数を重ねるたびに、左之介は、見るたびに、半歩、また半歩と歩み、強くなりつつある。

 少なくとも、当初の力量とコンビネーションでは、欠点が目立ち、どんなランキング・ボクサーが相手でも負けそうだった。

 スパーリングが終わり、一汗を拭いたあと、左之介(写真左下。右側)は、清田(同。左側)のもとに近づき、打たれて気になるところや、修正したいところを、次々と聴き、教えを乞う。

 Dscf5206 清田は、もともと、顔に似合わず、とても気さくで、親切で、良い性格。

 「こうきたら、こう避けて。そうそう、今度は・・」と、左之介の拳と、体の動きに合わせて、ディフェンスしながら、相手に巧みに、且つ、力強く打ち込む、絶妙のコンビネーションを、惜しげもなく、身振り手振りで教えてゆく。

 スパーリングのあとの、「課外授業」は、毎回意欲的に続いた。

 清田の「出稽古」は、4月から5月にかけて、週に2回ペース。

 今は、来月にもドイツで予定されている、WBO世界スーパー・ミドル級チャンピオン ロバート・スティグリッツからのオファーによる挑戦が、正式に決まり、そのベルト奪取に向けて、日々余念がない。

 相手も、やはり、すでに6度防衛の猛者。戦績たるや、44勝(25KO&TKO)3敗というベテラン。ロシアで育ち、ドイツを主戦場にしているという。

 今度こそ、減量もうまくいかせ、体調不良など起こさないようにして、ドイツのリングに、ベストの状態で上がって欲しい。

 私が、すでに報じた、村田諒太との試合は、その後か、いずれ、ボクシングファンや、周囲が盛り上がった時に、フジテレビ先導で、行なう運びだ。

 ともかく、村田にとっては、世界に、という前に、清田に打ち勝たなければ、ボクシング関係者や、ファンは、誰もその強さを国内では認めないのだから。宿命の、打ち壊さなければならない、ぶ厚い壁。そう言い代えてもいい。

 さて、この6月21日に、強打者の下川原雄大との試合を控えることになった左之介。

 体の痛みで知る、清田の教える理屈と攻防のテクニックは、左之介の血となり、肉となりつつある。

 以前、湯葉忠志を、鮮やかなノックアウトで沈めた後の、記者に囲まれて、「勝つ予定で、最初からいましたから。これは、単なる通過点ですから、アハハ・・・」などと言う、ビッグ・マウスは、すでに消えた。

 まあ、アレは彼の一世一代のパフォーマンスと、見た。普段の、左之介とは違っていたから。

 胡朋宏(えびす・ともひろ)に、初防衛戦で、すぐベルトを奪われた時の、落ち込みも、もはや消え失せた。

 そして、ボクシング・マスコミ以外にも、一躍注目を浴びたのは、ロンドン・オリンピック ミドル級金メダリスト 村田諒太との異例な 「公開A級プロテスト」の相手をしたこと。

 「あれは、テストの2日前に、やりませんか?と、依頼がきて。すぐ、受けましたよ。ファイト・マネー? 3万円でした」

 なんだか、報道を見る限りにおいては、村田の強さや、上手さを持ち上げるマスコミのカタチに、君のコメントと、前チャンピオンという肩書きが利用されたように見えたけど

 「いや、マジに強かったっすよ。まあ、こっちも、結構打って、手ごたえもあったし、いろいろと、勉強させてもらいましたけど」

 でも、君は元 日本ミドル級チャンピオン。向こうは、金メダリストったって、僅差でやっと勝てたアマチュアだよ 

 「いやあ、キャリアが全然違いますもん! こっちは、卓球やってて、ポッと出の、短いキャリア。向こうの方が、はるかに長いですもん!」

 あり~い~? そ~ゆう意識だったの? ホントに?

 殊勝というか、その答えに驚いた。

 一時期の、俺自身のチカラだけでチャンピオンになれたのさ、というような「思い上がり」は、すっかり消えたお言葉。

 でも、ただ、ひとつ気に掛かるのが、清田の言う事はすべて、とても素直に聞き入れるのに、ジム入門以来、頑張って親切丁寧に教えてきた小林尚睦(たかむつ)トレーナーのいう事を、まったくと言っていいほど、素直に聞き入れていないこと。

 「思い上がり」に対しても、苦笑いしながら、ある種、大人の対応で、耐えてきたのに・・・・・。左之介に、気配りと、他人を思いやる気持ちが、まだまだ欠けている。

 だから、小林が、それまで何度も注意してるのに、清田に同じタイミングで打たれ、修正が出来ていない。

 「ほら、ど~して、ソコ、打たれてんだよ! ほら、また! 違うだろ!」

 「今まで、何、練習してきたんだよ!」

 スパーリング中、小林の指摘が次々と飛ぶ!

 が、打たれる。とまどう。ナニしていいか、修正も出来ぬまま。迷う。すぐ、清田につけ込まれて、無惨にも、バババ、バ~ン!!

 体幹も、弱点。筋力となると、もっとダメ。顔を歪めて、続かない。

 そばで、同じことを、楽々とやってのけて、苦笑いを浮かべて見つめる、清田。やさしい、まなざし。小林は、こちらをチラッと見て、笑って、ガクッと。首うなだれる。

 発展途上。そう見る。

 そんな左之介を迎え撃つ、下川原雄大(写真下)の方は、視線はいつも厳しく、どこか自信ありげ。

 

 

 Dscf6118 「相手、どうこうと言うより、自分のボクシングを、やるだけです。そうすれば、勝てるんじゃないかと、思っています」

 

 佐々木左之介が、村田諒太とやった、”スパーリング”は、あまり参考にもしてないし、気にもしてないようだ。

 左之介の、戦うパターンや、クセをアタマに入れて戦い方を考えているというのでは無く、あくまで自分のペース、マイペースで試合を作っていく。

 倒せるときには、一気にいく!

 時々、それが空回りして、パンチまでもが、大振りの空回りになるクセがあるが、それさえ修正すれば、左之介をリングに這わす可能性は、充分にある。

 練習で見せている、シャープで、キレのあるパンチは、怖い。

 ただいま、日本ミドル級6位。通算戦績、29戦して、18勝9敗2引き分け。18勝のうち、6勝はKO&レフェリーストップ。

 すでに、31歳。ここから、てっぺんを目指す!

 最終8ラウンドを待たずに、決着がつきそうだ。

 

 

 


あの日本一速いスピードと、絶妙のコントロールでボールを投げた、まさに”怪童”尾崎行雄さんが死去

2013-06-15 20:45:59 | スポーツ

 若いプロ野球ファンには、「尾崎行雄」と言っても、「誰、その人?」と、即座に言われてしまいそうだが、この人の放つボールのスピードの速いことと言ったら、そりゃもう、すごかった!

 今、大谷翔平の速さが、騒がれているが、尾崎はそんなもんじゃなかった。優に、球速160キロを常時出した上に、絶妙のコントロールで、打者をきりきり舞いさせていた。

 かつて、大阪の浪商といったら、プロ野球選手予備軍がぞろぞろいた。この尾崎は、見込まれて、高校2年生で中退して、東映フライヤーズ入り。

 

Dscf6390

’(スポニチ より、転用させていただきました)

 入団1年目で、20勝を挙げた。

 以前の斎藤佑樹や、今の大谷や藤波晋太郎、勝ち投手の権利を得たあと、危なくなったらマウンドを降りさせるという、乳母日傘のような勝たせ方は、当時まったくさせていない。

 だから、1年目にして、今の、25勝ぐらいの勝ち星に、値するといっていい。

 今の球界のように、体のケアの細かい方法や、さまざまな処方が皆無だったこともあり、球数制限など、考えも及ばなかった時代。根性、何は無くとも根性が、優先された時代。

 肩の酷使もたたって、わずか29歳で引退。

 しかし、その直球の威力は、今も古きプロ野球ファンなら、皆が記憶しているはずだ。真っ向勝負! の、剛速球と、共に。

 私が、尾崎に会ったのは、彼が東京の下町の一角で、小さなレストランを経営していたとき。行ってみると、レストランというより、身ぎれいな大衆食堂という、印象。

 尾崎は、その頃、球界とはまったく離れ、毎日、コック兼、配ぜん係兼、レジ係を、もくもくとこなしていた。

 店があったのは下町だったなあ、という記憶。今、検索のさなか、台東区と出てきたので、そうなのだろう。

 もちろん、よくある、下町のレストランの味を楽しみに、食事しに行ったわけではない。

 尾崎行雄に、かつてのプロ野球投手時代の話しや、今のプロ野球を見ていてどう思うか? などなど、聞いてみたかったからだ。

 やっと店を調べ当て、その日、開店していることを確認してから行った。

 店の名前は、もう憶えていないが、野球とは全く関係のない店名だった。

 すでに3人ほど先客がいて、食事していたが、そこが、あの! かつて「怪童」と呼ばれた元有名人の店だから来たという雰囲気は、皆無。

 近所の人が、いつものように食事に立ち寄ってるというカンジ。

 「いらっしゃいませ!」

 そういって、近づいてきたのは、おおっ! かつてよりグンと太り、しわも寄って、少し白髪も見え、老けてはいるものの、まぎれもなく、あの怪童・尾崎だった。角刈りのような髪型は、変わってなかった。

 本当に、ココでやってるんだ! ある種の、感激に似たモノがあった。

 何か注文。出来上がりを待ちながら、尾崎の動きをじっと見ていた。

 今となっては、記憶でしかないのだが、自ら厨房で料理や飲み物を作り、配膳してたように思う。奥に、洗い場担当で、奥さんがいたのかどうか。定かではない。そこまで、覗かなかった。

 料金も味も、ごくフツー。食べ終えてから、「すいませんが」と、尾崎に声を思い切ってかけた。

 「実は」と、切り出し、お話しをお聞きしたいむね伝えた。

 即、すげなく断られた。

 「わざわざここまで来ていただいて、申し訳ないのですが、そういうことで来た方には、皆さん全員にお断りしてます」

 なぜですか?

 「もう、球界を離れて長い間経ちますし、お話しすることも無いなと。それに、今、プロ野球界にまったく興味無いんですわ。この通り、ナイターやってる時は、お店やってますし、テレビで見る気すら起こらんのですわ・・・」

 う~ん・・・・では、せめて、来た記念に顔写真を、1枚。

 「それも、お断りしてます。すんませんな。さあ、お帰り下さいますか」

 

 もう、これは、通い詰めても、同じこと。経験で、分かる。脈、はない。

 レジで、お金を払うと、元気良く言われた。

 「ありがとう、ございました!」

 仕方ないな。でも、あの、尾崎が元気でいたことが分かったことが、この目と耳で確認出来ただけでも、出かけてきた価値があるってもんだ。そう、落ち込む自分に、言い聞かせた。

 それから、数年後ーーーーーーーーー

 テレビで、彼が出ているのを見た。えっ! 

 驚くと同時に、裏切られたと思った。

 しかし、よく見ると、かつての野球仲間との回顧談をするという内容で、スタジオに集った同窓会的番組。

 誘われて、やむなく出演したのか・・・そう、理解した。

 歌手の松崎しげるのように、年の大きく離れた妻との間に出来た子供と自宅近くのビル内を歩いていたところに、偶然遭遇したときのこと。

 呼び止め、断ってカメラを向けたとき、彼が言った。

 「子供だけは、撮らないで くれる?」

 そういって、子供を抱き上げて、後ろを向かせた。

 プライバシーだもんな。そう、理解した。

 ところが、その後、松崎が、「徹子の部屋」に出た時、嬉しそうに、その子供の写真を見せ、自らの”子煩悩ぶり”や、”良きパパぶり”をアピールしまくり。

 そうかい、ゼニになれば、宣伝材料にして、公開するのかい! と苦々しい想いで、見た。 

 もっとも、芸の無い、芸ノー人には、この手合いが多い。

 プライベート、プライバシーまで、切り売りしては、ゼニに代えて、タレント生命を延命しようとかかる。都合の良い時だけ、プライバシーを振り回す輩は多いのには、あきれる。

 だから、例え人気番組に出てて、要請されても宣伝には一切加担しない代わりに、自らのプライバシーは一切語ろうとしなかった、いさぎよい姿勢を死ぬまで貫いた、露口茂には、今も敬意をもっている。

 さてさて、尾崎のテレビ出演は、私の記憶する限り、それ1回きり。

 その時すでに、レストランを廃業し、スポーツ関係の企業に勤めているとか、紹介されてたようだ。

 そののち、元や、前の、1軍にいて活躍したプロ野球選手が競い合う「マスターズリーグ」にも、出場したとある。

 そのことは、知らなかった。知っていたとしても、見には行かなかったであろう。

 マスターズ リーグは、時折りは、観に行ってはいた。かつて密着取材をさせてもらった村田兆治が投げるときだ。彼だけは、常に体を鍛え、球速142キロを出す。プロとして、今も恥じない姿を見せてくれたが、あとの選手たちは昔の面影もない草野球並みの、プレイの数々だった。

 尾崎の、失礼だが、あの体型では、全盛時の球速は願っても無理であり、かつての夢をぶち壊すだけであったろう。

 東京ドームでの観客数は、3割から、良い時で5割ほど。観客の入場料収入だけでは、とても球団を維持出来ず。

 かといって、頼みの大型スポンサーも付かず、早晩終焉を迎えることになるであろうなと思いつつ、珍プレイを見ていた。

 今、これを書くにあたって検索してみると、運営母体こそ残っているものの、試合は2008年からやっていない。

 やはり、か・・・・・。

 しかし、死去の報道によれば、尾崎は少年野球教室で全国を巡って、教えていたという。

 さぞかし、自分の少年時代を思い出しつつ、楽しくもあったであろう。そう、想像する。

 しかし、そんな見るからに太って、健康体に見えた尾崎に病魔が襲いかかっていたとは、今でも信じられぬ思いだ。

 先月、5月15日、大阪での少年野球教室を終えて、帰京してから、体調がすぐれず、急激に体は痩せ、家族の勧めもあって、都内の病院で検査。

 翌6月7日、転院入院。6月13日の朝、他界。病名は、肺がん。入院して、わずか1週間で、あっけなく・・・・・・

 年齢も、まだまだ若い、68歳。同い年の妻・勝子さんや、長男・力さんらを残して、旅立ってしまった。

 怪童・死去は、ネットのニュースではなく、ある人のブログの題で知った。テレビのニュースでは、観ていない。

 しかし、彼の投球と、その名を今も覚えている人は、多い。

 これを打ち始めて、いったんスポーツジムへと行った。受付には、中年男性2人。

 何気なく聞いてみた。

 尾崎行雄って、知ってます? 怪童といわれた。

 「知ってるよお! スゴイ球、投げてたよ! 打者の手元で、ククッと伸びるんだ。神宮(球場)まで見にいったもん!」

 当時を、思い出すかのように、楽しく一気に語る。

 「そうそう! 死んだんだってねえ、まだ若かったよねえ・・・」

 

 人は死して、名を残す。尾崎、死すとも、他人の記憶に永遠に刻まれる。

 それだけの、偉大な人だったことを、その夜、改めて知らされた。

 嬉しかった・・・・・・

 

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 通夜は、6月18日。午後6時から。

 葬儀は、6月19日。午前10時から。

 いずれも、東京都荒川区町屋 1-23-4 町屋斎場で、しめやかに執り行われる。

 下町の一角で、最後のお別れを迎えるのも、尾崎”怪童”行雄に、ふさわしい。

 さようなら。 日本一、速い球を投げた投手・・・・・

 

 

 


<リアル ボクシング ルポ>6月10日、第3試合で、”あの”湯葉忠志が長島謙吾と、今の真の実力を賭ける

2013-06-08 21:10:31 | スポーツ

 勝った、のではない。

 勝ってしまった!

 今年2月20日の、湯葉忠志(左下の写真の、左側)の試合。対戦相手は、十二村喜久(とにむら・よしひさ。同。右側)。

 

 

 Dscf3255 湯葉は、前人未到の4階級制覇の記録を持つ。ボクシングファンならば、知らない者はいない実力者・・・・・・・だった。

 

 前の試合では、日本ミドル級チャンピオンとして、挑戦者・佐々木左之介を迎え、楽勝か、大差の判定勝ちと、予測されていた。

 ところが、佐々木の見事なKO勝ち。湯葉は、天井を向いて、しばらく身じろぎもしなかった。

 ベルトは、手元から消え去り、この十二村との試合で、再びチャンピオンロードを歩む・・・・・はず、だった。

 ところが、この試合でも、パンチの出方が、?と思われるほど、微妙にワンテンポ遅れた。足さばきも、対応が遅くなりがち。

 時には、コーナーにまで一気に詰め寄る十二村に対して、防戦一方になる(写真、左上)ことも、しばしば。

 それでもなんとか,しのぎ切り、判定まで、持ち込まれた。

 湯葉のファンでさえ、負けを覚悟していた。ところが、結果は、意外なものだった。

 1人目。76-77で、湯葉。

 会場が、どっと沸いた。

 続いて、78-76で、十二村。

 再び、どっと沸く。これで、タイの1-1.

 そして、最後の1人は・・・・75-78で、・・・・なんと湯葉!

 

 

Dscf3293 そのコールを聴いた瞬間、勝ちを確信していた十二村は、リングにチカラ無く、へたりこんだ(写真左上)。

 

 湯場が駆け寄るが、十二村の頬に涙が伝っていた。

 Dscf3299 ドクター・チェックを受けたあと、控え室に戻ってきた十二村は、男涙にくれた。

 

 「自分は、勝ったんじゃないか・・・・そう・・・・思って、ました。なんで、ああゆう結果になるのか? もう、何を信じていいのか・・・」

 そこまで言って、また泣いた。

 

 「まあ、仕方ないさ。なあ、十二村。こういう試合の結果もあるんだよ、なあ」

 慰めにもならない言葉を、ジムのスタッフ数人が、かける。

 あれから、4か月近くが過ぎた。

 その十二村は、すっかり精神的に立ち直っていた。

 最近になり、強打と、礼儀正しさで知られる、飛天(ひだか)かずひこ を”師匠”と仰ぎ、彼とスパーリングを重ねている。

 回を重ねるごとに、日に日に伸びていっている。

 あの佐々木左之介が、清田祐三を、やはり”師匠”にして、見違えるように強さを増しているのに、似ている。

 惜しげも無く、ベテランが伝授、そうしながら、自分もまだまだ伸びていっている光景を見るのは、胸がわくわくするほど、心はずんで、楽しい。

さて、2月の試合後、湯葉に毎試合頼まれ、経営する店をベテラン店員に頼んで、長年、臨時トレーナーを務めている飯田さんに、こっそり聞いた。

 このひと、教えは厳しく、話しは冗談混じりに、いつも正直。前回の佐々木左之介戦のあとには、こう聞いた。

 

 全盛期の湯葉さんのチカラが、10だとしたら、今日はいくつですか?

 

 「う~ん、8・・・いや、7かな? もう、10には、戻れないんじゃないかな。年齢、キャリア、身体の痛み具合・・・・・ゆってみりゃ、ポンコツになりかけの中古車が、バリバリのチューンナップされた新車と、ヨーイ・ドン!で、走りを競っているようなもんだもの」

 う~ん・・・・・・で、今日は、いくつ?

 

 「言わせるの、この俺に! ・・・・・正直言って、・・・・・・5だね」

 

 そういって、クチに指1本を当てて、ニャッ。

 

 その湯葉が、また試合に臨む。自身、しばらくぶりの「第3試合」で、リングに上がる

 前の第2試合が、先日アップ、上梓した「山元浩嗣 対 岩井大」。

 

 下手すると、午後7時に近い6時台に、登場する可能性もある。

 

 湯葉の相手は、長島謙吾(写真下)。

 そう、すでに書いたことがあるので、覚えておいでの方がいるかもしれないが、今年3月25日、齋藤泰広という、当時36歳のボクサーを、6ラウンド終了間際、連打でレフェリー・ストップに追い込んで勝った、剛腕・強打の持ち主。

 ラストファイトの齋藤の想いまで、容赦なく打ち砕いた。

 そして、涙にくれた十二村と同じ、角海老宝石ジムのボクサーだ。

 Dscf6188 仇討ちなどという意識は、なさそうだ。

 対 湯葉忠志戦について、一言下さい。そう言ったら、ホントに力強く一言、キッパリと。

 「倒して、勝ちます!」

 ここまでの戦績、23戦して12勝9敗2引き分け。12勝のうち、11のKO&レフェリー・ストップ勝ちを持つ。

 減量も、問題ないという。打ち込むサンドバッグが、グラングラン、金属音をきしませて揺れた。

 

 ただ勝つのではない。誰の目にも、分かるように、倒して勝つ。そういう想いが、短い返答のなかに、込められていた。

まだまだ、伸びしろ一杯の27歳、長島謙吾に対して、湯葉忠志、すでに36歳。

 戦歴たるや、すでに52戦こなして、42勝8敗2引き分け。31ものKOと、圧倒してのレフェリーストップ勝ちを手にしている。

 キャリアも、戦績も倍以上。それが、互いに、激しく、拳を繰り出す。

 冒頭、彼に厳しい書き出しをあえてした。

 

 

Dscf3309 この写真は、先の十二村に「判定勝利」しての、控え室での表情。笑顔は、終始無かった。

 

 相変わらず、性格は良い。明るいし、人を惹きつける魅力十分の人だ。ひたむきに練習もするが、時にだらけもする。人間的な人。

 

 リング上では、強さが引いても、駆け引きのうまさが、際立つ。それが、ジャッジの目にフィルターを、かけた・・・・のかも、しれない。

 それも全てひっくるめて、全然憎めない彼の人格。この時、どんな本音が胸の中にとどまっていたか、・・・・・

 

 「勝ったんで、良しとします」を、何度か繰り返した。

 この10日の試合を、ボクシングファンは、見逃さない。湯葉自身からのチケットの売れ行きも、良い。おそらく、満員に近い状況になるであろう。

 

 湯葉の今の意識は、彼のブログからも、見て取れる。

 

< もう1度、這い上がる>

 

 < 勝てば、何言っても許される。負ければ、何言っても、言い訳になる。結果が、すべて >

 

 この言葉の、持つ意味はズシリと重い。

 

 どっちが、勝つか。出来るならば、KOか、レフェリーストップで、終えて欲しい。

 余計な想いを、抱かせないような・・・・・・・・

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


<リアル ボクシング ルポ>成塚亮、21歳。6月4日、松川真也を迎えて、今度こそ完封するぞ!と宣言

2013-06-02 19:00:52 | スポーツ

 成塚亮(なりつか りょう)。かなり、良いプロボクサーなんすよ。手数は、良く出るし(写真左下の、左側)、常に攻め込む姿勢もある。気持ちも、印象や、見た目以上に、強い。

 相手の繰り出すパンチを、うまく避けきるウイービングも、上手い。

 練習の成果という以上に、天性のものかも? とさえ、思える。

 Dscf3350 左の写真は、今年2月27日。川崎スーパーアリーナで行われた、彼の試合の、一瞬を切り取ったもの。

 相手は、小俣達也(写真上。右側)。地元の川崎新田ジム所属。今まで8戦して、4勝4敗。4勝のうち、2KO&TKO。

 ところが、ここ2連敗中。

 片や、この成塚亮。4年前にデビュー。昨年11月4日、ミニマム級で、東日本新人王戦の、決勝まで進んだ。

 しかし、残念ながら、山本浩也に0-3の、判定負け。

 ポイント差も、3、2、2。明白な敗戦。

 そして、この2月27日の、小俣戦。

 成塚は、すでに7戦こなしたものの、KOやTKO勝ちが、1度もない。トータル、4勝3敗。

 なもんで成塚、この試合の前日計量が終わった後。テレビカメラの回る前で、勢い込んで、堂々の、ご発言。

 「自分のボクシングを、するだけです。前回の試合では、5ラウンドまでやってますし、まあ、6ラウンドは初めてですが、完封して勝ちたい!」

 うん、うん、その気持ちは分かる。完封というより、せめて1度は、目にも鮮やかなKO勝ちしたいという気持ち、ギラギラ、きらきら。

 さあ、1夜明けて、1ラウンドの開始を告げるゴングが鳴るや、左ストレート、サッと放つ!

 この成塚、常に常に、左ジャブから入ってゆく。

 ストレート、ジャブ。ヒットもするが、届かないことも多い。打ち終わりを狙われ、顔面に、しばしばジャブを喰う。

 もう、ラウンド増すごとに、ジャブジャブ、ジャ~ブジャブ、戴いてしまう!

 顔が、次第にもう見事な郵便ポスト状態。見る間に、赤くなってゆく。

 以前の試合では、顔面が真っ赤になって、ハレ上がっただけでは無く、目がふさがり、見るからに、相手のパンチが見えにくいのが、素人目にも分かった。

 その試合もと言うべきか、判定勝ちこそしたものの、コレは、成塚にとって、今後、必ず付いて回る課題になるはず。そう、感じた。

 2ラウンドも、ほぼ同様の展開。

 この成塚、この左で自分の繰り出すパンチの、リズムやテンポを計ってゆくタイプなのだろう。そのためか。左腕を上下させてるものの、ガードがひどく甘くなる。

Dscf3352

 右のガードも、下がり気味で低く、甘い(写真上。左側)。

 試合を見ながら、想い出したのが、淵上誠

 彼は、右腕から繰り出すパンチが、自分のリズムと、テンポを創っている。もう、先の柴田明雄戦を見ても分かるように、そのスタイルは永遠に、抜け切れないようだ。

 しかし、衰えてきつつあるとはいえ、淵上には、相手を1発でリングに沈めるパンチ力がある。しかし、成塚には、・・・・・。

 Dscf3351_2

 とはいえ、ウイービングが巧み(写真上。右側)だから、ある程度の実力のプロボクサーまでが相手なら、かわしてはいける。だが、猛打者相手には、ひとたまりも無いかも知れない。

 3ラウンドでも、4ラウンドでも、左右のガードが下がり、常に左を差してはいるが、相手のジャブが、顔面にヒット。

 

 足を巧みに使って回る、成塚。

 しかし、試合展開としては、有効打数、手数,攻める積極姿勢が、明らかに成塚がまさっており、ポイントは微差ながら、リードしているように見える。

 それを、分かっているからか、小俣が左右のフックをぶん回し、当たれば儲けモンとばかりに、逆転狙いにきた。

 しかし、大振り。それを、成塚が、ウイービングで、かわし続ける。

 小俣、上だけ狙って、ボディは全く狙わず。もし、今後迎え撃つ相手に、上下、巧みに、強打をテンポ良く打ち込まれたら・・・・・・・。ボディを深く、えぐられたら・・・・。

 危惧は、尽きない。老婆心ながら・・・・・・。

 試合は、5ラウンドに入る。

 逆転を狙って、小俣、大振り、連発!

 成塚のセコンドから、声が飛んだ。

 「ウイービング! ウイービング!! 忘れるなよ!」

 成塚、忘れずに、且つ、足使って、リングを回りながら、果敢に打って出る。

 小俣、なおも大振りブリ!

 最終6ラウンド。

 ウイービング、忘れず、小俣のパンチをかわす。しかし、不用意に、一瞬の間を突かれて、顔面にパンチ、またまた喰らう。ガードの甘さも、突かれる。

 成塚も、大振りのパンチ、かわされる。狙ってるのだとしたら、少々、危ない。

 試合終了を告げる、ゴングが鳴った。

Dscf3353
 小俣に、驚異的なパンチ力が無いから、試合を無事終えた(写真左上。左・成塚亮。右・小俣達也)ものの、今後が少し気になった。

 判定結果は、予期した通り、成塚の勝ち。

 採点は、58-57。58-56。そして、59-57。妥当な、ところだろう。

 が、この試合。テレビ録画中継が、入っていた。

 女性レポーターが、勝利者インタビューとして、成塚にマイクを向けた。

 成塚、舞い上がっていたとは思わないが、こう言ってのけた。

 「最後、KOで終わりたかったんですけど、やあ、上手くいかないですね」

 「今後は、KO狙えるくらい、パワーつけて、・・・・ランカーから、・・・チャンピオンになりたい!

 やあ、気持ちは、分かるけどさあ~・・・・・・・。Dscf3379

 やがて、客席でその戦いぶりを見守っていた、佐藤洋輝(ひろき)や、田口良一ら、同じジムの選手の待つ所へ来た、成塚。

 写真で、お分かりのように、またも、顔面、とりわけ、目の周辺は、はれ上がりまくり。口元は・・・・・・・。

 「ずいぶん、顔面打たれたなあ」と、冷やかす日本チャンピオンであり、世界ランカーの田口。

 「ジャブ、もらい過ぎだよ、なあ」と、日本ランカーの、佐藤。

 リング上での、大言壮語は、すっかり消し飛び、マスク越しにも、苦笑いしてるのが分かる。今は、クチを動かすのも、少し痛いのかも知れない。

 こちらは、あえて、何も聞かず。

 ただ、「もし録画出来てたら、DVD欲しいですか?」 と、聞いたら、大きくうなずいたので、後日、今回載せた、つたない試合写真とともに、差し上げた。

 素直に、喜んでくれた。

 その後の練習ぶりは、あえて見ていない。

 どう修正して、次の試合に臨むのか!? 楽しみにし、且つ、気にして、ジムの試合日程表の、ホワイト・ボードを見たら

 <6月4日 成塚亮 対 松川真也 >

 と、あった。

 前の試合から、3か月後と、少し。ボクサーとしては、良いローテ―ションだなと、思う。

 相手の、松川真也は、神奈川県厚木市にある、「T&T ボクシング・スポーツジム」所属。

 すでに、14戦を経験している、29歳。戦績、6勝7敗、1引き分け。6勝のうち、1KOとあるが、これはどうやらデビュー戦の時のもの。顔立ちは、いかにも神経質そう。

 今は、負け数のほうが、上回っているが、実は、この松川もまた、昨年、小俣に勝っている。

 その上、かつて同じく、ミニマム級の東日本新人王戦の準決勝で、4ラウンド、TKO負け

 似通った、ボクサー。そうとも、言える。

 そして、この6月4日、[DANGAN74 ナックルボックス B級グランプリ]とタイトルされた、全試合が、5ラウンドで終了のもの。

 なんと、先の小俣達也も、成塚の試合の後に出場するという、トライアングル状態。

 松川が、目標にするボクサーは、長谷川穂積というわりには、自ら積極的に打って出ないタイプ。どちらかといえば、迎え打つ。

 とはいえ、甘く見下したら、文字通り、”痛い目”にあう可能性も、ある。

 今度こそ、KOを狙っていく! とか、今度こそ完封勝ちをしたい! とかは、間違っても、思わないほうが良い。捨て去った方が、良い。で、ないと・・・・。

 あの、スタイルは、いわば両刃の剣。変に気負ったら、思わぬ自業自得に、陥る。

 見る方は、スリルと、差すペンス、一杯で、面白がるだろうが・・・・。

 ちなみに、成塚亮が、目標とするボクサーは、同じジムにいる世界チャンピオンの、内山高志

 誰が付けたか、「ノックアウト ダイナマイト」の異名を持つ。

 だが、その内山でさえ、今まで、ただの1度も、「KOを狙っていきます」とも、「完封します」とも、言明したことは、ない。どんなに、記者が記事のキャッチと、タイトル欲しさに水を向けても、言わない。

 その代わりと言うべきか。こうは、言う。

 「KOは、結果として、付いてくるもの」

 昨年の10月8日。後輩の佐々木左之介が、当時日本ミドル級チャンピオンであり、日本人初の4階級制覇王者でもあった湯葉忠志を、4ラウンド、左右のフックで倒し、新王者となった。

 奇跡とも、まさか、とも、番狂わせ、とも言われた、この結果。

 当夜、控え室近くで、左之介が倒したパンチについて、内山に聞いたとき、彼はさりげなく、こう言ってのけた。

 「ピンポイントで、ぴったりはまったパンチですよ。もう、アレが、数センチずれていたら、湯葉さんは、倒れなかったと思います」

 ・・・・・・・・。

 そして、当人の試合。

  この5月6日、7度目の防衛戦。

 ハイデル・パーラ相手に、5ラウンド。見事な、左ボディ・ブロー1発で、パーラをリングに這わせた。

 「これ、100%とは言わないけれど、間違いなく倒せるパンチだと、スパーリングで分かって。練習を積み重ねてきたパンチです」と、試合後、内山はたんたんと、クチにした。

 そりゃそうだろうと、納得しつつも、さらに後日、担当の佐々木修平トレーナーに、聞いた。

 「あれは、レバーの奥深くを、狙ったパンチです。ピンポイント? そうですね。1、2センチ、狙った位置がずれてたら、1発だけでは成功しなかったかもしれませんね」

 ・・・・・・・・・・・・

 レバー。人間の肝臓だ。そこに、パンチや衝撃が、加わると、例え、人並みはずれて強靭な肉体を持つ、強打を誇るプロボクサーでも、一瞬、息が止まり、足と身体の自由が、効かなくなるという。

 それでも、計算通り、練習通り、いかないのが、ボクシング。さらに、スパーリング通りいかないのが、ボクシング。

 我が国のプロボクサー、約3000人。防衛戦での安定感も含め、その頂点に立つ内山だから、文字通り、1発で成功した。

 内山と成塚。KOをクチにしない人と、狙うひと。確かに、同じフロアで汗は流してはいるものの、さてさて・・・・・

 どんな勝ち方をするか? はたまた、どんな負け方を、してしまうか?

 今度は、テレビカメラ、無し。

 この目で、見て欲しい。

 ボクシングを、この駄文で興味を持って下さってる方も。ひとつ、よろしく。

 

 この夜の、断崖絶壁に立たされた、弱~い日本代表の”ひやひや”サッカーの試合より、胸わくわくさせる・・・・・はず・・・・なんだからあ・・・・ホントに

 

 

 

 

 


<リアル芸能ルポ>歌手であり、ボクシング・ジムのアドバイス特別トレーナー、山川豊という存在

2013-05-29 00:19:00 | スポーツ

Dscf5729 5月6日。ゴールデン・ウイークの最終日。山川豊(写真上。左から2人目)は終日、都内にある体育館にいた。

 人気演歌歌手としては、稼ぎ時の日。だが、そこで、コンサートを開いて、歌ったわけではない。

 山川が、プロボクサーのテストに合格していることは、広く知られている。

 だが、忙しい仕事の合間を縫って、都内にあるボクシングジムに顔を出し、プロボクサーの練習ぶりを、つぶさに見ていることは、知られていない。本当に、良く見ている。

 たまに、ご自宅に電話を入れると、奥様が出て、こう言う。

 「ジムに行ってると思います。先ほど、外出して行きましたから」

 家庭サービスより、優先? それはもう、なかば通勤。下は、デビュー戦前の新人から、上は世界チャンピオンまで、じっくり、見つめる。

 したり顔の言葉など、全くかけない。黙って見て、もくもくと、手伝いながら、的確に短く、言葉を交わし、個々のボクサーの、今の調子をさぐる。

 専任トレーナーとは違うが、その視点は正確、且つ、冷静。余計な感情は、排す。

 この日も、デビュー戦で勝ちはしたが、浮かぬ表情の仁平宗忍に、ズバッと一言。

 「出来は良くなかった。調子も、良くなかったな」

 苦笑いを浮かべ、うなづく仁平。

 かと思えば、世界タイトルマッチのセコンドにも付き、手伝う。ギャラは、むろん無い。

 後半、ポイントを積み重ねて、追い上げたものの、惜敗して重い足取りで去る河野公平(写真左上。左端)に、付き添い、河野の表情を伺い、気持ちを読み取ろうとしていた。

 プロボクサー。実は強打者ほど繊細な心理を抱えている。まさに、光と影と言っていい。

 おそらく、山川豊は、日本の歌手の中で、一番、ソレを良く知っている人だろう。

 私が、彼に聞くことも、ボクシングの事だけ。プロボクサーの、ことだけ。でも、知り合ってから、彼の歌は気にして、良く聴き、出演している歌番組は、ラジオも含め、いつしか留守録画、留守録音するまでになった。

 兄の、鳥羽一郎まで聴き、兄弟共演ともなれば、必ず見聞きする。

 2か月ほど前だったろうか、彼が、初めて自ら、歌のことを切り出した。

 「今度、新曲で、プロボクサーのことを歌うんですよ」

 ええっ、ホントですか? 良いですねえ! 本心から、そう思った。

 他でもない、山川豊が、歌うのだ。濃さが違う。バック・ボーンが、違う。そりゃあ、記事に、したい。

 で、詞は、誰が?

 「グッチ裕三さんです。作曲もです。これが、良い曲なんですよ」

 うわあ~! 盛り下がった! ギュ~ン! ドン! 殆んど、ジェツトコースター心理状態。

・・・・・・・・・・というのも、”自称エンター・テイナー”のグッチが、プロボクシングのこと、プロボクサーのことを、どれほど理解してるのか? はなはだ疑問だった。なにしろ、後楽園ホールで、1度でも、その姿をチラリとも、見かけたことは無い。

 かつて、世評あまりよろしくない企業のイベントに、”営業活動”の一環として、参加し、出演していた。公演後、私の、問いかけには、シカトを決め込んで、去った。

 そんな、グッチが・・・・・・・

 そんなこと、山川には言えぬ。言えませぬ。

 まずは、「新曲」が、世に出てから、と。そう、思っていた。

 で、5月22日。ひょいと芸能記事を閲覧すると、新曲披露も兼ねて記者を呼び、社交ダンスホールで、前日、3年振りに踊った彼の様子の写真が、載っていた。

 新曲の題名 「優しい女に会いたい夜は

 はあ? コレと、ボクサー。せ、せ、接点が見えない。いくら、歌うのは、ボクさ~。そう言われたと、しても。

 で、当人に聞くわけにもいかず、検索してみると、「アーバン ボクサー」なる曲名が、浮上。

 これかあ・・・・・。作詞・作曲 グッチ裕三とある。

 多くを期待せず、詞を読み込むが、何一つ、ピンとこない。確かに「男は、ボクサー。この世は、リング」とあるには、あるが・・・・・・・・・。

 アーバン? ホテルか?と思いつつ、辞書引くと、「都会的な」とある。

 してみると、都会的なボクサー。はあ? ???

 なのに、故郷に、帰りたくても、帰れない、帰らない・・・・・何度、読み込んでも、????

 ありきたりの言葉が、並ぶ。それだけ。

 これに、メロデイをいかに乗っけても、期待は出来ない。井上陽水のように、たぐいまれなるメロディ・メーカーなら、分からないが。

 歌番組は、曲数制限もあり、かつてのヒット曲も歌うとなると、この「アーバン ボクサー」は、多くの人の耳に届くことは、少ないはず。

 やっと、曲が聴けたが、危惧していた通り、メロディが平板。サビ、が無いまま、耳元を、平板に流れていった・・・・・山川には、悪いなあと思いつつ、そう感じた。生意気だけれど・・・・・・・。

 ならば、と思った。

 いずれ、折りを見て、山川自身が、試行錯誤してでも書いたほうが、プロボクサーたちが「分かります」。「俺たちの気持ち、代弁してくれてます!」「ありがとうございます!」と、言ってもらえる、共感詞が、完成しそうだ。

 うまくすると、誰か、コレ! と見込んだプロボクサーが、リング・インするまでの、入場曲になるかもしれない。

 そんな夢まで、勝手に見た。

 さて、新曲の、いわばA面 「優しい女に会いたい夜は」だが、早速ユーチューブで、何度も聴き込み、さらにラジオ番組での、ナマ声で歌ったのも録音して、聴いた。

 当たり前のハナシだが、ナマのほうが良い。1発では、胸にこないが、イカのスルメのように、聴き込むほどに、味わい深く胸に染み込んでくる。良い曲だ。

 詞は?、と見ると、紙中礼子。曲は、花岡優平

 花岡といえば、シンガー ソングライター。名曲と言っていい「愛のままで~」を、作詞・作曲し、あの容姿不端麗な秋元順子に、ヒット街道を一時歩かせた人だ。

 当時、花岡本人も一躍売れっ子になり、電話して、奥さんに近況を聞いたことがある。曲を聴き込んですぐ、連載していた雑誌に書いた。

 「愛のままで~」は、誰が歌っても、大ヒットするはずだ。だから、”あの”秋元でも、ヒットチャートを駆け上がるはず。しかし、2弾目がそれを上回る曲でなければ、秋元は1発屋として、たちまち沈む。冷たいようだが、そうなるだろう。で、アレを上回るインパクトのある曲は、満を持して出した花岡とはいえ、無理と思う。そう断言出来るほど、名曲だ。

 イッチョ前に、そう書いた。生意気にも、自信をもって、そう書いた。

 で、?とクビを傾げた。紙中礼子って、だ~れ?

 検索すると、1発で、その人柄がかなり透けて見えた。

 彼女と、高校で3年1組の同級生が、ブログでアップ。それも、約3年半前の「日本作詞大賞」の模様を中継した番組での、新鋭作詞家・紙中礼子が映る。

 年の頃、30歳台後半から、40歳台か。決して美人とは、言い難い。しかし、すぐ同級生が録画するほど、クラス仲間には、慕われていた証しに他ならない。

 かつての同級生が、紙中が、有名になって、世に出て欲しいと願っているかのように思える。横浜市緑区在住か。本名で、作詞活動か。

 テロップで出た「代表作」を追ってみたが、不明。まさに、4年前時点で、新鋭だったようだ。

 で、作詞大賞に、ノミネートされた曲が、「名前の無い恋」。作曲したのは、花岡優平。そう、この頃から、コンビを組んでいたようだ。

 歌うのは、しのぶ

 しのぶ? 誰? このひと? 見たことあるような、初めてのような・・・・・

 曲を聴いた・・・・・。

 すごい! 1発で、気に入った! 「愛のままで~」を、超えるヒット性、たっぷり!

 聴いてるうちに、涙出てきた。こんな、胸1発で、打ち抜かれる曲を聴いたのは、久しぶりだった。感激! ホントに、感動! KOされた。

 そして、「しのぶ」とは、かつて「音羽しのぶ」という名前で、「しのぶの渡り鳥」とか「おんな上州路」を歌っていたが、心機一転、改名し、この曲を手にしたことも判明した。

 しかし、作詞大賞は、逃した。曲の発売は、4年前の、7月23日。

 売れなかっただけの、埋もれた名曲。そう言っていい。

 その「しのぶ」も、どうやら、”表舞台”からは、姿を消して久しい。

 惜しい! 彼女も、この曲も、消えてしまうには、惜しい!!

 女からの、ストレートな恋心を紙中が詞にし、花岡のあやなすメロディが、その世界をさらに、鮮やかに華開かせている。最高だ。

 この曲をどこかで、山川のスタッフが聴き、気に入り、このコンビで、山川向きの曲を是非作って下さい。そう依頼。

 おそらく、そういう流れと、思う。

 で、思った。リメイクなり、カバーでも、名称は何でもいい。

 この「名前の無い恋」を、歌手・山川豊が歌い継いでいけないものか!

 4年間、芽が出なかった名曲を、山川豊が、開花させて欲しい!

 ユーチューブ上では、男が歌っていた。一見、女の歌手のほうが、と思ったが、これなら、山川豊でも、充分いける。

 先日、留守録したもので見た、「ホテル」

 まだまだ、言葉が硬く、自分のものにしていないままだったが、この「名前の無い恋」なら、「優しい女に会いたい夜は」を、さらに超えるヒットの可能性がある。

 なにしろ、歌唱力は、ある。囁くようにも、歌える。そのうえ、人柄が、素晴らしいひとだ。

 いける! そう、断言出来る。

 おそらく、女子高生・紙中礼子の、3年1組の同級生たちも、喜んでくれるはずだ!

 紅白歌合戦で、「名前の無い恋」の絶唱を、聴きたい!

 まずは、試しに、歌番組で、お披露目を!

 

 山川豊なら、可能だ。出来るはずだ。そう信じている!