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浮世博史『もう一つ上の日本史』⑩「任那が日本の影響下・支配下にあった」というのは一定の説得力ある説だが、「百済が日本の支配下にあった」とは言えない!

2020-08-29 14:09:43 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁)

(10)「任那(ミマナ)が日本の影響下・支配下にあった」と言えるが、「百済が日本の支配下にあった」とは言えない!(51-52頁)
E 百田尚樹『日本国紀』は「百済が日本の支配下にあった」(47頁)と述べる。しかし「任那(ミマナ)が日本の影響下・支配下にあった」というのは一定の説得力ある説だが、「百済が日本の支配下にあった」とは言えない!  
E-2 3世紀:統一的な国家が日本側にない。九州の小国などが朝鮮半島の南部地域と関わりを持っていた。(Cf. 邪馬台国卑弥呼の死(247-248)。)
E-3 4世紀、「好太王碑文」と『日本書紀』の記述の一致から、ヤマト政権が本格的に朝鮮半島に進出したことは明らかだ。(Cf. 神功皇后が海を越えて新羅と戦う。)(Cf. 日本武尊→仲哀天皇・その妻神功皇后→応神天皇。)(Cf. 5世紀に南朝に遣使した倭の五王、讃・珍・済・興・武のうち讃は15代応神・16代仁徳・17代履中のいずれかだ。)
E-4  4世紀~6世紀朝鮮半島南部の《伽耶諸国=「任那」》に日本が強い影響力を持つ。
E-5 5世紀、倭王武(雄略天皇)は地方豪族を抑えヤマト王権の力を拡大させた。また朝鮮半島にも積極的に進出した。

(10)-2 6世紀半ば過ぎに、新羅が伽耶諸国(任那)を奪う(任那滅亡562年)!日本(倭)の朝鮮半島における拠点が失われ、倭と協力関係にあった百済は不利な状況になる!(53-52頁)
F 6世紀高句麗によって国土の北半分を奪われた百済の要求で日本が任那4県(任那の一部)を割譲する:512年、継体天皇の時。百済は北方の高句麗と東方の新羅から圧迫され、危機に陥っていた。6世紀半ば過ぎには、新羅が伽耶諸国(任那)を奪う:任那滅亡562年。かくて日本(倭)の朝鮮半島における拠点が失われ、倭と協力関係にあった百済は次第に不利な状況になっていく。
F-2 なお北九州の磐井の反乱(527年)は新羅と結んだものだ。
F-3 百田氏は「百済があった地方から日本特有の前方後円墳がいくつも発見されている」(46頁)と述べるが、「百済があった地方」というより「百済に割譲した任那4県があった地方」というべきだと浮世氏が言う。(百田氏は「百済が日本の支配下にあった」と言いたい。)

(10)-3 聖徳太子による新羅遠征計画(600、602年)!(53-54頁)
G 任那滅亡562年で、倭(日本)と協力関係にあった百済は次第に不利な状況になっていく。
G-2 そして友好国百済が滅亡したりすれば、新羅による北九州進出もありうる。日本は新羅遠征・百済防衛に動かざるを得ない。
G-3 かくて聖徳太子による新羅遠征and計画(600、602年)がなされた。Cf. 600年、約1万の軍勢で新羅に併合された任那に出征し勝利するが、倭国の軍が帰国すると新羅は再び任那を占領した。Cf. 602年、新羅遠征のため来目皇子(クメノミコ、聖徳太子の弟)を将軍とする約2万5千人の兵を築紫に集結させるが、来目皇子急死のため中止となる。

(10)-4 白村江の戦い:百済の王族が、百済の復興をめざし倭(日本)に救援を要請した!(54頁)
G-4 百済の滅亡:新羅は「百済に侵犯された領土の回復」を唐に訴え、唐は新羅支援を口実に「百済を討つ」と決定。660年、唐の13万の大軍と新羅の5万の軍に東西から挟撃され、百済は滅亡した。
G-5 白村江の戦い:百済の王族の一人豐璋は倭(日本)に人質としてきていたが、百済の復興をめざし倭に救援を要請した。663年、白村江で唐・新羅の水軍と衝突するが、百済・倭の連合軍が大敗。百済の再興はならなかった。
G-6 白村江の戦いについては、大化の改新の急進的な改革で生じた国内対立を、対外危機・対外遠征をテコに国内統合に向けようとした面もある。(浮世氏)
G-7「植民地だった百済」の回復のため大規模な遠征(Ex. 白村江の戦い)をしたというのは百田氏の根拠のない「新説」だ。「百済が日本の支配下にあった」ことはない!(浮世氏)
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《客観性》(“事実は一つ”)とは結局、(ア)《無矛盾な言葉》と(イ)《客観的(間主観的)な物》からなる世界だ!

2020-08-29 10:53:15 | 日記
この世は、多くの人間が、「何が事実か」ほとんど“カン”に頼って生きている。
“事実は一つ”かもしれないが、つまり事実は“物”また“物としての文字・音声”(Ex. 書物の文章の文字の“物”的側面)については“一つ”かもしれないが、それらの背後にある“心”(主として感情・欲望・意図)or/and“意味”に関しては、錯雑・広大無辺だ。
結局、多くの人は「何が事実か」“カン”で生きる。
《客観性》(“事実は一つ”)とは結局、(ア)《無矛盾な言葉》と(イ)《客観的(間主観的)な物》からなる世界だ。
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君は「自信・誇り・自尊心」のために生きる!「成功」(カネ・地位・声望の獲得)はそれらを君に与える手段の一つだor一つにすぎない!人生の日々のさまざま分野別の成功失敗評価(大成功~大失敗)!

2020-08-29 09:26:41 | 日記
(1)様々の分野の数だけ「能力」に種類がある!
能力に差がある。もちろん様々の分野の数だけ「能力」に種類がある。諸分野の分類の仕方は社会的には大体決まっている。成功するにはその分野で「能力」がなければならない。自分が「能力」を出せそうな分野を探さねばならない。君はカネ・地位・声望が欲しい。(=君は成功したい。)
(2)能力を社会的に証明するものが「資格」だ!
ある分野で一定の能力を社会的に証明するものが「資格」だ。「資格」はだから成功(カネ・地位・声望の獲得)の一定の条件だ。「資格」を取ろう!
(3)「学歴」も資格の一つだ!
「学歴」というラベルも資格の一つだ。「学歴」は社会的な成功のために有利だ。
(3)-2 学校で「技術」を身につけ、また「資格」を得よう!
だが学校は、学んだ内容が重要だ。学校で社会的に認められた「技術」を身につけ、また「資格」を得よう。
(4)「機会の平等」が保障されていない!
しかし「機会の平等」が保障されていると言えない。子供は親を選べない。親にカネ・地位・教育がないと、子供が高校・大学に進学できないことが多い。ひどい世の中だ。
(4)-2 成功(カネ・地位・声望の獲得)を目指す!
だが君は、どんな状況であろうと君の可能な範囲で、この世で生き抜かねばならない。そして成功(カネ・地位・声望の獲得)を目指すのだ。なぜ成功(カネ・地位・声望の獲得)を目指すのか?それは成功(カネ・地位・声望の獲得)が、何よりも君に自信・誇り・自尊心を与えるからだ。
(5)君は「自信・誇り・自尊心」のために生きる!
君はなぜ生きるか。君は「自信・誇り・自尊心」のために生きる。成功(カネ・地位・声望の獲得)はそれらを君に与える手段の一つだor一つにすぎない。成功と関係なく、「自信・誇り・自尊心」を得るのは、なかなか難しい。だが成功にはグラデーションがある。グラデーションの程度に応じて君は、「自信・誇り・自尊心」を得ることができる
(5)-2 人生の成功失敗の総合評価グラデーション!
成功にも様々の程度がある。そして失敗にも様々の程度がある。大成功・中成功・小成功・《成功も失敗もあり人並み》・小失敗・中失敗・大失敗。(人生の成功失敗の総合評価(大成功~大失敗)のグラデーション!)
(5)-3 人生のさまざま分野別の成功失敗評価グラデーション!
人生の成功失敗の総合評価(大成功~大失敗)のグラデーションと別に、人生の日々のさまざま分野別の成功失敗評価(大成功~大失敗)のグラデーションもある。
(5)-4 人生の日々のさまざま分野別の成功失敗評価(大成功~大失敗)こそが、君の「自信・誇り・自尊心」の源泉だ!
君は、日々の具体的な実生活では、人生の成功失敗の総合評価(大成功~大失敗)をすることはまずない。人生の総合評価をするのは普通、引退後だ。君は日々の具体的な実生活では、人生のさまざま分野別の成功失敗評価(大成功~大失敗)のグラデーションの内に生きる。(引退後も、日々の分野別の成功失敗評価は続く!)人生の日々のさまざま分野別の成功失敗評価(大成功~大失敗)こそが、君の「自信・誇り・自尊心」の源泉だ。
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原民喜(1905-1951)「夏」『かげろふ断章』(1923-26)所収:昼は虚無の透明さに明るい!鳥は動く、しかし影を持たない!まるで幽霊だ!

2020-08-28 22:26:40 | 日記
 「夏」 The summer

みなぎれる空に The sky is energetic.
小鳥飛ぶ A bird flies.
さえざえと昼は明るく In its clearness, the noon is bright.
鳥のみ動きて影はなし Only a bird moves, and it has no shadow.

《感想》空がエネルギーにあふれる。だが詩人は冷めた目で空を見る。空を一羽の鳥が飛ぶ。昼は虚無の透明さに明るい。鳥は動く。しかし影を持たない。まるで幽霊だ。
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安部悦生『文化と営利』「あとがき」:《「自由」(機会の平等)は格差を生み、「結果の平等」が損なわれ、結局、「機会の平等」(自由)が失われる》という資本主義のパラドックス!それを「友愛」が緩和する!

2020-08-28 19:55:58 | 日記
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「あとがき」(367-370頁)

(1)フランシス・フクヤマ(1952-、Ex. 『歴史の終わり』)、マックス・ウェーバー(1864-1920)、エマニュエル・トッド(1951-、Ex. 『帝国以後』)など!
A 本書の骨組みに大きな影響を与えたのは、フランシス・フクヤマ(1952-、Ex. 『歴史の終わり』)、マックス・ウェーバー(1864-1920)、エマニュエル・トッド(1951-、Ex. 『帝国以後』)、アルフレッド・チャンドラー(1918-2007)、丸山眞男(1914-1996)、森嶋通夫(1923-2004、Ex. 『イギリスと日本』『なぜ日本は没落するか』)、佐藤優(1960-)、源了圓(1920-、Ex. 『義理と人情』)、川北稔(1940-、『民衆の大英帝国』)、中川敬一郎(1920-2007、Ex. 『イギリス経営史』)、米川伸一(1931-1999、Ex. 『現代イギリス経済形成史』)、森川英正(1930-、“Zaibatsu”)、由井常彦(1931-、Ex. 『歴史が語る「日本の経営」』)などだ。

(2)1960年代末の三大研究者:宇野弘蔵、大塚久雄、丸山眞男!
B 1960年代末、次の3人が三大研究者と言われていた。①「マルクス経済学の最高峰」と言われた宇野理論の宇野弘蔵、②比較経済史と呼ばれた大塚史学の大塚久雄、③政治学の丸山眞男。
B-2 だがその後、数十年が経ち、①宇野理論(というよりマルクス経済学)は、「近代経済学にノックアウトされて」解体。②大塚史学は川北稔氏などの「世界システム論」に押され昔日の面影はない。③唯一、「体系性」を持っていなかった丸山政治学が生き残っているかに見える。(橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』は本質的批判でない。)

(3)ウェーバー、トッド、チャンドラー!
C マルクス経済学は凋落したが、ウェーバーの宗教社会学は、毀誉褒貶(キヨホウヘン)はあるが緊張感をもって我々に迫って来る。
C-2 トッドの家族形態と相続の理論はかなりの説得力がある。
C-3 チャンドラーの経営者企業論は、家族と経営を考えるうえで大いに参考になる。

(4)《「自由」(機会の平等)は格差を生み、「結果の平等」が損なわれ、結局、「機会の平等」(自由)が失われる》という資本主義特有のパラドックス!それを緩和するのが「友愛」だ!
D フランス革命の「自由、平等、友愛」が社会や文化、そして経済の在り方、企業経営に大きな影響を与えている。
D-2 第一義的に重要な「自由」は、機会の平等など様々な自由として存在するが、その結果、格差が発生し、「結果の平等」が損なわれ、結局、「機会の平等」(自由)が失われるという資本主義特有のパラドックスが生じる。それを緩和するものが「友愛」だ。

(5)ウィリアム・モリス:芸術家でありながら、企業家であり、かつ社会主義者!
E 「表紙で使用したウィリアム・モリスの作品は、芸術家でありながら、企業家であり、かつ社会主義者であったモリスが、本書の『文化と営利』のテーマにピッタリであるとの理由から使わせていただいた。」

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