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宮崎学『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた50年(下)』(1996)「2 ゼネコン恐喝」(1980年、35歳):私らの「詐欺事件」を京都府警が「伏見工場恐喝事件」解明の突破口にしようとしたが失敗!

2023-07-24 11:20:04 | 日記
※宮崎学(ミヤザキマナブ)(1945-2022)『突破者(トッパモノ) 戦後史の陰を駆け抜けた50年(下)』(1996年、51歳)
「2 ゼネコン恐喝」(1980年、35歳)
(2)京都府警が「伏見工場恐喝事件」解明の突破口にしようとした私ら兄弟の「詐欺事件」は、起訴されず私らは釈放された!「おのれのいい分を通して警察と渡り合い、いい分を通し切ったのだから、大したもんや」!
B 京都府警が「ゼネコン詐欺」(大手ゼネコンの「佐藤工業」から1200万円を搾取した)の容疑で1980年7月、私(宮崎学氏)と兄貴を逮捕する。その直前、私は読売新聞大阪本社社会部の大谷昭宏と会い、連載記事「企業恐喝を追う」に情報提供すると伝えた。(下46-50頁)
B-2  だが私は「詐欺」はしていない。「佐藤工業」から「ヤクザにいちゃもんをつけられて困っている。なんとかならないか」と話をもちかけられた。私は1200万円を受け取り、全額を丸岡鉄太郎組長(会津小鉄系二代目寺村組組長)に渡し揉め事の解決を依頼した。佐藤工業は「相場からして安い金ですみました。有難うございました」と喜んでいた。(下57頁)
B-3  ところが警察が佐藤工業に「被害届を出さなければ、公共工事の指名を停止するぞ」と圧力をかけたので、佐藤工業は詐欺の被害届を出した。(Cf. 詐欺罪は親告罪。)だが私自身はカネを1円も受け取っていない。つまり金を詐取していない。(下57-58頁)
B-3-2  かくて京都府警は出頭・逮捕から16日目に私を釈放した。(兄貴も同時に釈放された。)(下73頁)
B-3-3 京都府警は「専売公社の新工場(伏見工場)建設」に絡む竹中工務店など大手ゼネコン7000万円恐喝事件(「伏見工場恐喝事件」)(下48-49頁)の「参謀」役が私と兄貴だと見なし「詐欺罪」容疑で無理に逮捕したのだった。(下55-56頁)
B-4  専売公社「伏見工場恐喝事件」解明の突破口にしようとした私ら兄弟の「詐欺事件」がこうした結果に終わり、警察の捜査は空転した。他方で「新聞」が捜査と同時進行で事件を報道した。かくて警察の威信は失墜した。(下74頁)
B-5  この企業恐喝事件で「寺村土建」(宮崎学)、「寺村建産」(兄貴)はますます「市民の敵」と見られるようになった。しかし滋賀県の土建屋内田組の社長は「おのれのいい分を通して警察と渡り合い、いい分を通し切ったのだから、大したもんや」と言ってくれた。内田組の社長の価値基準は「ものごとの筋目」だ。(下76-77頁)
B-5-2  ここには今の市民社会で薄れてしまった「筋目や情、それに侠(オトコギ)」がある。(下78頁)
B-5-3  ヤクザの世界は「3つの言葉」を知っていれば渡れる。①「イモを引くな」:切所(セッショ;難所)でびびるな。②「クンロクを入れる」:相手の動揺する心にとどめを刺す(「お前も男やろ。しゃきっとせんかい!」Ex. ヒットマンを説得する)。③「往生する」:苦境に立った時、自らにふんぎりをつける、自分を捨てる。(下79頁)

《感想1》「生きていく」のに重要なのは、「芸」つまり専門的技能である。(Cf. 「芸は身を助ける」。)つまり「他者たちにとって役立ち買ってもらえる」そして「簡単に誰でもできるのでない」専門的技能だ。「芸」を身につけることが「生きる力」の根本だ。
《感想1-2》宮崎学氏にとって「芸」とは「鳶」であり「土方」である。「芸」としての「ヤクザ」についてはあまり語られない。
《感想2》「ヤクザ」の世界は「3つの言葉」を知っていれば渡れると宮崎氏は言うが、この「3つの言葉」は「戦場の兵士」に向けての言葉でもある。
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