DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

石垣りん(1920-2004)「言い草」(1979年)

2017-11-18 23:57:09 | 日記
 言い草

みんな
このごろまた
いいたいことがいえなくなったといいますが
僕はそんなことありませんね
堂々といえますね。

労働組合が
力関係ですっかり骨ぬきになったとき
ひとりが公言したものだ。
どこにも差障りのないことを
いえる男の言い草は
周囲が黙っている中で
実に堂々と
どうでもよかった。
会社をやめた私に
いえないことはもう何もない
いいたいことは何でもいえる。
困ったことに
いいたくないことがあるばかり。

《感想1》
1960年代、日本は経済成長し(1968年GNP 世界2位)、国民の生活が豊かになり、労働組合は弱体化した。
1973年第1次石油ショックで、日本は低成長時代にはいったとはいえ、日本は豊かな社会だ。(なお1979年は第2次石油ショック。)
《感想2》
とは言え、多くの者の生活は、いつの時代も大変だ。
この詩は、会社と労働組合が対立した時のすさんだ雰囲気を描く。
法が、労働組合を認めるとはいえ、「差障り」あることを言えば、会社から不利な扱いを受けるのは明瞭。
《感想3》
詩人は、定年でもう会社を辞めている。
女の細腕で家計を支えてきた彼女には、定年後の生活も大変だったろう。
惨めで「いいたくないこと」ばかりだったろう。
《感想4》
労働組合の側にいた彼女は、在職中のいかにも憎々しかった発言を思い出し、あらためて憤激する。
人間たちは、足を引っ張り合って生きる。
また、考え方の違いからも、憎み合う。
《感想5》
このように憎み合い、弱肉強食で戦って生活する社会では、殺し合いに至らないよう、法あるいはルールが必要だし、またそれらを守らせるための強制力も必要だ。
多数の人間が、殺し合いせずに生きていくため、知恵が大切だ。

 What The Man Could Say

All of you say
these days again
that you have come to be unable to say what you want to say,
but, as for me, such a thing doesn’t happen at all.
I can say proudly.
When the labor union
completely had become weak,
a man declared such a thing publicly.
What the man could say
that didn’t give offense to anybody
was really magnificent
and meaningless
while all people around him kept silent.
As I have retired from the company,
I have nothing that I cannot say, in other words,
I can say anything that I want to say.
However, the trouble is
that I only have what I don’t want to say.
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