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兼好法師『徒然草』第119段「鎌倉の海に、鰹(カツヲ)といふ魚は・・・・・・」:初鰹がもてはやされるのは江戸時代になってからだ!

2018-10-30 21:09:56 | 日記
鎌倉あたりでは今、鰹が、人気がある。 Around Kamakura region, bonitos are popular now..
しかし昔は、上層の人は食べなかった。 However, old days, people in the upper class didn’t eat them.
頭は、下僕も食べず捨てた。 Even servents in the lower class didn’t eat their heads. They threw the latter away.
今は末世なので、上層の人まで食べることになった。 Now the world is so bad that even people in the upper class eat bonitos.

《感想1》京都の公家の立場に立ち、成り上がりの鎌倉武家政権への当てつけとも読める。
《感想2》鰹は、「勝男」に通ずるので、下魚といわれたのに武士が食膳に用いたとの説がある。(多田鉄之助)
《感想3》身が傷みやすいため古くから干した鰹を食用としたので、「カタウオ(堅魚)」・「カツオ(鰹)」と呼ばれた。
《感想4》江戸時代になると初鰹がもてはやされる。かくて「初松魚(カツオ)ナニ兼好が知るものか」と反発された。
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