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永井荷風(1879-1959)『地獄の花』(1902年、23歳)岩波文庫、1954年:「人類」の「動物的」な「暗黒なる幾多の欲情、腕力、暴行等の事情を憚りなく活写せんと欲す」!

2024-05-11 19:11:27 | 日記
荷風は序言で「人類の一面は動物的たるをまぬがれざるなり」と言う。「宗教と道徳」は人類の動物的な面を「暗面」と呼ぶ。荷風は「祖先の遺伝と境遇に伴ふ暗黒なる幾多の欲情、腕力、暴行等の事情を憚りなく活写せんと欲す」と述べる。
(1)園子(20歳代後半)は黒淵家の女性家庭教師で、女学校の教師も務める。園子が教えるのは幼い秀男だ。秀男の姉は富子(26歳)で豪壮な屋敷に一人住む。園子の女学校の校長は水澤で50近い老紳士だ。
(2)黒淵家の当主・黒淵長義は、その昔西洋人の妾であった元芸者(縞子)と姦通し、その後結婚し、亡くなった西洋人の巨万の財産を手に入れたと噂され、ずっと世間から非難されてきた。(長義はその西洋人の通弁だった。)
(3)長義の娘の富子は社会から除け者にされ、病的に社会に対し反抗的となった。法学士と一度は結婚するが、この法学士が財産目当てで結婚した(そして妾と3歳の息子もすでにいた)と知り離婚する。  
(4)黒淵長義の妻・縞子は50歳過ぎだが艶めかしい色香をもつ婦人だった。縞子は、「キリスト教の宗教家で文学者の笹村」(28歳)を秀才として信任すしていた。園子も笹村を婦人雑誌の関係で知っていた。
(5)園子は20歳で東京女学校を卒業したが、求婚者たち(学士と画家の)を断り、以後、結婚しないままだった。
(6)富子の邸宅からの帰り、笹村が白百合の恋(ラブ)の詩を口ずさむなどして園子を口説き、園子も笹村との恋に陥る。黒淵家の別荘がある小田原で園子と笹村は散歩し談笑したりする。(これはだが笹村の裏切りだった。笹村は縞子の情人だった。)
(7)園子が笹村と会っていることを知った縞子(黒淵長義の妻)は激怒する。実は笹村(28歳)は縞子(50歳代)の情人で、園子に嫉妬したのだった。園子は笹村に騙されたと知り、また縞子の嫉妬にも耐えられず、黒淵家の女性家庭教師をやめることを決心する。
(8)小田原で園子は、ここを訪問した水澤校長と偶然会う。ところがこれは水澤校長が意図したことで、校長は若い園子を後妻に迎えたいと思っていた。水澤は最初の妻に病死され、その後、30歳代の時、(20歳から違う)2度目の妻と結婚するが一昨年、死に分かれた。水澤校長は結婚を拒む園子を襲って獣的な思いを遂げる。(その後、水澤は園子に謝罪する。)
(9)黒淵長義は「妻・縞子と情人・笹村との関係」を知って、新聞や雑誌が再び、「黒淵家の醜聞を天の賜物の如く喜び貪り、息子・秀男の人生を破壊しつくす」と思う。妻・縞子と笹村との醜聞が露見しないようにするため、長義は妻・縞子を殺し、自分も自殺した。
(10)黒淵長義は「息子・秀男は残酷な社会の生贄になるより、いっそ孤児となった方がやがて望みの光を見出せるだろう」と考えた。長義は、黒淵家の女性家庭教師だった園子(長義は園子を信頼していた)に黒淵家の財産の3分の1を譲り、秀男の養育を託した。

《参考》森鴎外が好意的に批評したが、「ゾラの拙劣なる模倣にすぎない」(吉田精一)との批判もある。佐藤春夫は「24歳の荷風が敢然として社会悪に挑戦し、人間性を擁護せんとする旺盛な気魄の人を打つをおぼえて、今日これを繙けば後年の鋭い文明批評家荷風の精神に触れその生硬蕪雑をもその時代らしいふるさをも忘れしめて餘りあるものである」と述べる。
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