※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書
(6)純文学とエンターテインメント(大衆文学)はどこがちがう?「西洋かぶれ」の桑原武夫『文学入門』!
G 仏文学者・桑原武夫『文学入門』(1950)は、「すぐれた文学」は「感動」を引き起こし「自己変革」させるが、「通俗文学」(「大衆文学」)の作家は「作者の自己変革などということはありえない。」「多数の読者という同伴者があるから」だと言う。桑原武夫は、なんと大衆作家の「人格否定」を平気でする。さらに「日本独特の私小説」は、「自分の家の庭ばかり見ている人」に似ていると「純文学」もくさす。(15-16頁)
G-2 かくて斎藤美奈子氏が言う。「西洋かぶれ」の桑原武夫は「日本文学をそもそも見下していた」。「彼が激賞する『アンナ・カレーニナ』だって悲恋を描いた通俗小説と言えなくもない。」桑原の『文学入門』(岩波新書)は、「現役をとうに退いた骨董品と考えたほうがいい」。(15-16頁)
(6)-2 ジャーナリズムの飛躍的発展と「大衆文学」の隆盛:五味康佑(ヤススケ)、柴田錬三郎、松本清張、水上勉、石坂洋次郎、石川達三!
G-3 1950年以降、「大衆文学」はますます勢いを増していく。背景にはジャーナリズムの飛躍的発展がある。週刊誌や婦人雑誌が続々と創刊され、発表媒体が増えた。(16頁)
G-3-2 「大衆文学①」「時代小説」:「週刊新潮」創刊号から連載がスタートした五味康佑(ヤススケ)『柳生武芸帳』(1956-59)、柴田錬三郎『眠狂四郎』シリーズ(1956-69)。(16頁)
G-3-3 「大衆文学②」「探偵小説」(今や、「推理小説」へと名称を変えたミステリー畑の作品):松本清張『点と線』(1958)(※産業建設省の汚職事件)や『ゼロの焦点』(1959)(※進駐軍相手の売春婦)などが戦後社会の暗部を描く。これに続いて実際の事件に取材した水上勉(ツトム)『霧と影』(1959)や『飢餓海峡』(1963)が続く。これらは「社会派推理小説」という新分野を開発した。(16頁)
G-3-4 「大衆文学③」かつて「家庭小説」と呼ばれたジャンル:石坂洋次郎、石川達三らが流行作家となる。(16-17頁)
(6)-3 平野謙の「純文学否定論」に始まる「純文学論争」(1961年):高見順や大岡昇平の反撃!伊藤整!
G-4 「大衆文学」がもう「無視できない一大勢力」になった時代に、「純文学論争」が起きた。平野謙が「純文学という概念が歴史的なものにすぎないことを、自他ともにハッキリ腹にいれておく必要がある」と述べた。(朝日新聞1961/9/13)。(17頁)
《参考》1961年の「純文学論争」:「純文学」は日本では私生活や内面をつづる「私小説」だが、「純文学」(「私小説」)に未来はあるのかと、平野謙(ケン)が問題提起した。「純文学」(「私小説」)は退潮しておりもはや歴史的概念だ。「大衆文学」こそリアリティがあり、小説界を席巻していると平野は述べた。(4頁)
G-4-2 これが「純文学否定論」と受け取られ、高見順や大岡昇平が猛然と食ってかかった。(17頁)
G-4-3 伊藤整は、松本清張が「プロレタリア文学が昭和初年以来企てて果たさなかった資本主義社会の暗黒の描出に成功」し、水上勉が『雁の寺』の作風で「私小説的なムード小説と推理小説の結びつきに成功」したと述べた。(「群像」1961年11月号)(17頁)
G-4-4 「大衆文学」のある種の作品にはこの頃(1961年「純文学論争」の頃)から「中間小説」という呼称が使われるようになる。純文学と大衆文学の中間に位置する「中間小説」!(18頁)
(6)-4 「純文学」は文芸誌に載り、芥川賞の対象!「大衆文学」・「中間小説」などエンターテインメントは中間小説誌に載り、直木賞の対象!
G-5 純文学と大衆文学(エンターテインメント)の差は今日では発表媒体の差として認識されている。(18頁)
G-5-2 「純文学」は「群像」「新潮」「文學界」「文藝」「すばる」など文芸誌に載る。芥川賞の対象。(18頁)
G-5-3 「大衆文学」とか「中間小説」とかつて呼ばれたエンターテインメント文学は、「小説現代」「オール讀物」「小説新潮」「小説すばる」など中間小説誌に載る。直木賞の対象。(18頁)
(6)-5 小説の「HOW(形式)」に力点があるのが純文学、「WHAT(内容)」に力点があるのがエンターテインメント文学だ!
G-6 「純文学」と「エンターテインメント文学」(「大衆文学」・「中間小説」)には、質的な差があると斎藤美奈子氏は言う。小説は「何(WHAT)をいかに(HOW)書くか」が問われるジャンルだ。小説の「HOW(形式)」に力点があるのが純文学、「WHAT(内容)」に力点があるのがエンターテインメント文学だ。(Cf. 二葉亭四迷『浮雲』は新たな「形式」(HOW)である言文一致体を生み出した。)(18頁)
G-6-2 なお「大衆作家」は「一段下」に見られてきたことへの不満がある。「純文学作家」はエンタメ小説に比べ「売れない」ことへの不満がある。(18頁)
(6)-6 「政治離れが進んだ1960年代」には、「純文学」や「プロレタリア文学」を支えてきた「知識人」の権威は失効しかけていた!
G-7 「政治離れが進んだ1960年代」は、古いタイプの「純文学」、つまり「ヘタレな知識人予備軍」、「ヤワなインテリ」の文学が通用しなくなった時代だ。批評家たちは、「純文学」がああだ、「プロレタリア文学」がどうだと論争していた。しかし純文学やプロレタリア文学を支えてきた「知識人」の権威は失効しかけていた。(19頁)
G-7-2 「知識人」の権威が失効していった諸理由。(19頁)
(a)60年安保闘争の敗北を機に、政治をリードした「進歩的知識人」の群像が解体した。
(b)進学率が上がって、大卒などの高学歴者(知識人予備軍)が珍しい存在でなくなった。
(c)ジャーナリズムの発展やテレビの登場で、みんなが情報通になった。
(d)大衆消費社会の進行が、知識人/大衆という階層の解体を促進した。
(e)敏感な少年少女期に敗戦を迎えた昭和1ケタ世代(1930年代生まれ)が大人になった。彼らは戦中世代への不信感が強く、いきおいそれはへの批判的眼差しと、世間(社会)と距離を置く厭世的な気分を醸成した。「戦争中は国家主義に加担し、戦争が終わったとたん、てのひらを返したように戦後民主主義者の顔をしはじめた大人(※エリート層や知識人)たち」、「すべての神話と権威が失われ、焼跡にひとり立ち尽くすしかなかった少年少女時代」、つまり「社会と人間の『信用ならなさ』」を体験し目の当たりにしたこの世代は、「戦争を憎む」以上に、「戦中世代」とりわけ「エリート層や知識人」への「不信感」が強い。(19頁)
(6)純文学とエンターテインメント(大衆文学)はどこがちがう?「西洋かぶれ」の桑原武夫『文学入門』!
G 仏文学者・桑原武夫『文学入門』(1950)は、「すぐれた文学」は「感動」を引き起こし「自己変革」させるが、「通俗文学」(「大衆文学」)の作家は「作者の自己変革などということはありえない。」「多数の読者という同伴者があるから」だと言う。桑原武夫は、なんと大衆作家の「人格否定」を平気でする。さらに「日本独特の私小説」は、「自分の家の庭ばかり見ている人」に似ていると「純文学」もくさす。(15-16頁)
G-2 かくて斎藤美奈子氏が言う。「西洋かぶれ」の桑原武夫は「日本文学をそもそも見下していた」。「彼が激賞する『アンナ・カレーニナ』だって悲恋を描いた通俗小説と言えなくもない。」桑原の『文学入門』(岩波新書)は、「現役をとうに退いた骨董品と考えたほうがいい」。(15-16頁)
(6)-2 ジャーナリズムの飛躍的発展と「大衆文学」の隆盛:五味康佑(ヤススケ)、柴田錬三郎、松本清張、水上勉、石坂洋次郎、石川達三!
G-3 1950年以降、「大衆文学」はますます勢いを増していく。背景にはジャーナリズムの飛躍的発展がある。週刊誌や婦人雑誌が続々と創刊され、発表媒体が増えた。(16頁)
G-3-2 「大衆文学①」「時代小説」:「週刊新潮」創刊号から連載がスタートした五味康佑(ヤススケ)『柳生武芸帳』(1956-59)、柴田錬三郎『眠狂四郎』シリーズ(1956-69)。(16頁)
G-3-3 「大衆文学②」「探偵小説」(今や、「推理小説」へと名称を変えたミステリー畑の作品):松本清張『点と線』(1958)(※産業建設省の汚職事件)や『ゼロの焦点』(1959)(※進駐軍相手の売春婦)などが戦後社会の暗部を描く。これに続いて実際の事件に取材した水上勉(ツトム)『霧と影』(1959)や『飢餓海峡』(1963)が続く。これらは「社会派推理小説」という新分野を開発した。(16頁)
G-3-4 「大衆文学③」かつて「家庭小説」と呼ばれたジャンル:石坂洋次郎、石川達三らが流行作家となる。(16-17頁)
(6)-3 平野謙の「純文学否定論」に始まる「純文学論争」(1961年):高見順や大岡昇平の反撃!伊藤整!
G-4 「大衆文学」がもう「無視できない一大勢力」になった時代に、「純文学論争」が起きた。平野謙が「純文学という概念が歴史的なものにすぎないことを、自他ともにハッキリ腹にいれておく必要がある」と述べた。(朝日新聞1961/9/13)。(17頁)
《参考》1961年の「純文学論争」:「純文学」は日本では私生活や内面をつづる「私小説」だが、「純文学」(「私小説」)に未来はあるのかと、平野謙(ケン)が問題提起した。「純文学」(「私小説」)は退潮しておりもはや歴史的概念だ。「大衆文学」こそリアリティがあり、小説界を席巻していると平野は述べた。(4頁)
G-4-2 これが「純文学否定論」と受け取られ、高見順や大岡昇平が猛然と食ってかかった。(17頁)
G-4-3 伊藤整は、松本清張が「プロレタリア文学が昭和初年以来企てて果たさなかった資本主義社会の暗黒の描出に成功」し、水上勉が『雁の寺』の作風で「私小説的なムード小説と推理小説の結びつきに成功」したと述べた。(「群像」1961年11月号)(17頁)
G-4-4 「大衆文学」のある種の作品にはこの頃(1961年「純文学論争」の頃)から「中間小説」という呼称が使われるようになる。純文学と大衆文学の中間に位置する「中間小説」!(18頁)
(6)-4 「純文学」は文芸誌に載り、芥川賞の対象!「大衆文学」・「中間小説」などエンターテインメントは中間小説誌に載り、直木賞の対象!
G-5 純文学と大衆文学(エンターテインメント)の差は今日では発表媒体の差として認識されている。(18頁)
G-5-2 「純文学」は「群像」「新潮」「文學界」「文藝」「すばる」など文芸誌に載る。芥川賞の対象。(18頁)
G-5-3 「大衆文学」とか「中間小説」とかつて呼ばれたエンターテインメント文学は、「小説現代」「オール讀物」「小説新潮」「小説すばる」など中間小説誌に載る。直木賞の対象。(18頁)
(6)-5 小説の「HOW(形式)」に力点があるのが純文学、「WHAT(内容)」に力点があるのがエンターテインメント文学だ!
G-6 「純文学」と「エンターテインメント文学」(「大衆文学」・「中間小説」)には、質的な差があると斎藤美奈子氏は言う。小説は「何(WHAT)をいかに(HOW)書くか」が問われるジャンルだ。小説の「HOW(形式)」に力点があるのが純文学、「WHAT(内容)」に力点があるのがエンターテインメント文学だ。(Cf. 二葉亭四迷『浮雲』は新たな「形式」(HOW)である言文一致体を生み出した。)(18頁)
G-6-2 なお「大衆作家」は「一段下」に見られてきたことへの不満がある。「純文学作家」はエンタメ小説に比べ「売れない」ことへの不満がある。(18頁)
(6)-6 「政治離れが進んだ1960年代」には、「純文学」や「プロレタリア文学」を支えてきた「知識人」の権威は失効しかけていた!
G-7 「政治離れが進んだ1960年代」は、古いタイプの「純文学」、つまり「ヘタレな知識人予備軍」、「ヤワなインテリ」の文学が通用しなくなった時代だ。批評家たちは、「純文学」がああだ、「プロレタリア文学」がどうだと論争していた。しかし純文学やプロレタリア文学を支えてきた「知識人」の権威は失効しかけていた。(19頁)
G-7-2 「知識人」の権威が失効していった諸理由。(19頁)
(a)60年安保闘争の敗北を機に、政治をリードした「進歩的知識人」の群像が解体した。
(b)進学率が上がって、大卒などの高学歴者(知識人予備軍)が珍しい存在でなくなった。
(c)ジャーナリズムの発展やテレビの登場で、みんなが情報通になった。
(d)大衆消費社会の進行が、知識人/大衆という階層の解体を促進した。
(e)敏感な少年少女期に敗戦を迎えた昭和1ケタ世代(1930年代生まれ)が大人になった。彼らは戦中世代への不信感が強く、いきおいそれはへの批判的眼差しと、世間(社会)と距離を置く厭世的な気分を醸成した。「戦争中は国家主義に加担し、戦争が終わったとたん、てのひらを返したように戦後民主主義者の顔をしはじめた大人(※エリート層や知識人)たち」、「すべての神話と権威が失われ、焼跡にひとり立ち尽くすしかなかった少年少女時代」、つまり「社会と人間の『信用ならなさ』」を体験し目の当たりにしたこの世代は、「戦争を憎む」以上に、「戦中世代」とりわけ「エリート層や知識人」への「不信感」が強い。(19頁)