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映画『グレンとグレンダ』(1953):オルトン博士は「男と女が一つの精神に同居している」トランスベスタイト(服装倒錯者)について語る!

2022-02-26 16:10:27 | 日記
※『グレンとグレンダ』GLEN or GLENDA(1953、米)監督エドワード・デイヴィス・ウッド・Jr

(1)ウォーレン刑事はあるトランスベスタイトtransvestite(服装倒錯者)の自殺事件を扱った。刑事は「トランスベスタイト(服装倒錯者)について学びたい。人を救いたい。予防できるのか?助言が欲しい!」と精神科医オルトン博士を訪れる。「彼らを異常と決めつけず、受け入れてやることが肝心」とオルトン博士は説く。
(2)オルトン博士は「男と女が一つの精神に同居している」トランスベスタイト(服装倒錯者)について語る。「グレン」は女性の服が着たくてたまらない。グレンは女装し化粧し女性の鬘をつけ「グレンダ」としてふるまう。ただしグレンはホモセクシュアルではない。
(3)グレンには、「バーバラ」という婚約者がいた。2人は「隠し事をしない」と約束していた。結婚を控え、グレンは自分の女装趣味をバーバラに告白すべきか悩む。実際、グレンの友人でトランスベスタイトの「ジョニー」は、自分の女装趣味を結婚後妻に知られ、離婚せざるを得なかった。
(4)「グレン」は悩む。彼は性的妄想も抱く。(a) 誘惑的なバーバラの肉体、(b)挑発する女性の肢体、(c)男女の性交渉場面、(d)女装するグレンを誰もが男も女も非難する妄想、(e)バーバラが許してくれない場面の妄想。こうして女装のグレン(「グレンダ」)は昏倒する。
(5)「グレン」は、結局、「バーバラ」に自分の女装を告白する。自分はトランスベスタイト(服装倒錯者)だとバーバラに告げる。混乱するバーバラ。だが彼女はグレンを受け入れる。「あなたを愛している。2人で頑張れると思うわ」とバーバラが言う。

(6)オルトン博士はウォーレン刑事にもう一人のトランスベスタイト(服装倒錯者)のケースも話す。これは女装して「アン」となる「アラン」(男)の話だ。(ア)アランの母親は娘を望んだがアラン(男)が生まれてしまった。(イ)父親は仕事で忙しくアランに興味を持たない。しかも(ウ)アランは男の子たちから仲間外れにされていた。アランは女装するようになった。
(7)「アラン」は兵役にもついたが、いつもトランクに女性用の衣服を入れて持ち運び、休暇の時には、それを着て、自分を慰めた。第2次大戦が終わると、彼は性転換の手術を受けると決意した。
(7)-2「アラン」は女性になる事を選んだ。(a)何十回ものホルモン注射、(b)胸を作る整形手術、(c) さらにホルモン注射が続く、(d)男性器を取り、女性器を作る手術。アランはこれらに耐えて、ついに彼は身体的に「女のアラン」つまり「アン」になった。さらにその後(e)女性としてふるまう訓練が行われた。「アラン」は、今24歳で「アン」として幸せだ。

(8)オルトン博士はウォーレン刑事に、その後の「グレン」と「バーバラ」について語った。2人はオルトン博士のカウンセリングを受け、またバーバラの愛と理解によって、トランスベスタイト(服装倒錯者)の状況から解放されていった。最終的にグレンは「正常な男性としての日々を送るようになった」とオルトン博士は結んだ。
(8)-2トランスベスタイト(服装倒錯者)となるのは、「後天的」要因だとオルトン博士が言う。「グレン」(「グレンダ」)の場合は、(ア)祖父は孫の自慢がしたくてフットボール選手になれとグレンに強く要求し、グレンはそれから逃れたかった、(イ)母親は夫が嫌いで、夫に似るグレン(男)をも嫌った。こうしてグレンはトランスベスタイト(服装倒錯者)となっていった。

《感想1》語り手が大時代がかっているが、ドラキュラ映画風のおどろおどろしさで1950年代初期の映画としては標準的だろう。
《感想2》“List of films considered the worst”(最悪と考えられる映画リスト)の1950年代に“Glen or Glenda”(『グレンとグレンダ』)はあげられている。しかしストーリーは、大変、理性的or科学的であって、啓蒙映画と言える内容だ。
《感想3》ただしグレンが抱く性的妄想の場面は、やや長い。男性観客を念頭におき、長くなったのだろう。


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「1970年代 記録文学の時代」(その12):「大作」野間宏『青年の環』、埴谷雄高『死霊』!「私小説」壇一雄『火宅の人』、島尾敏雄『死の棘』!私小説作家!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』2)

2022-02-26 11:35:07 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(25)「目がくらむような大作」:野間宏『青年の環』(1947-1971、32-56歳)、埴谷雄高『死霊』!
L 70年代に完結した重厚長大な大作がある。野間宏『青年の環』(1971)と埴谷雄高(ハニヤユタカ)『死霊』(シレイ)(1976)だ。(85頁)
L-2  野間宏(1915-1991)『青年の環』(1947-1971、32-56歳)の舞台は1939年の大阪。被差別部落への融和事業に従事する市役所吏員矢花正行(ヤバナマサユキ)と、資産家の息子で政治運動(マルクス主義運動)から脱落し夜の世界を徘徊する大道出泉(ダイドウイズミ)、対照的な二人の青年を中心に物語が進む。100人以上の人物が登場し、筋は錯綜、議論が延々と続く。「全体小説」を目指す。(85頁)
《参考》「全体小説」とは、差別、戦争、性、家、宗教、生と死、個と全体など多様な問題と取り組み、人間を、一方で内側の欲望からとらえ,他方で重層する現代社会のメカニズムから統一的にとらえることをめざす小説だ。

L-3  埴谷雄高(ハニヤユタカ)(1909-1997)『死霊』(シレイ)(1-5章)(1976)(なお未完ながら9章までが作者の死去に伴って1997完結。)舞台は昭和10年代の東京。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と同じ4兄弟の物語。主人公の三輪与志(次男)は旧制高校生で人との接触が苦手なオタク系。三輪高志(長男)は大学生で元地下活動家の政治青年だが、今は結核で病床にある。(※さらに「首ったけ」こと自称革命家の首猛夫、「黙狂」と呼ばれる思索者・矢場徹吾の4人の異母兄弟。)ここに暴君である彼らの父や、友人らが加わって物語は進行する。(85-86頁)
L-3-2  「形而上小説」と呼ばれるだけあり、「テキストには哲学的な(凡人には意味不明な)思弁が横溢」、全巻読み通した人はいないとさえ言われる「怪作」だ。(斎藤美奈子氏評。)(86頁)

《参考》『死霊』(シレイ)では、「無限」、「存在の秘密」、「宇宙」、「虚體」、「自同律の不快」、「のっぺらぼう」、「過誤の宇宙史」等々についての形而上学的・観念的思索が繰り広げられる。(Cf. 三輪与志は「虚體」の思想を持ち「自同律」に懐疑を抱く。)そして何十ページにもわたる独白の応酬としての対話劇。独自の諸観念・主題としては(a)「永久運動の時計台」、(b)「死者の電話箱」と「存在の電話箱」の実験、(c)「窮極の秘密を打ち明ける夢魔」との対話、(d)「愁いの王」の悲劇、(e)「暗黒速」や「念速」の概念、(f)「人間そのもの」・「イエス・キリスト」・「釈迦」・さらに「上位的存在」への弾劾、(g)「虚体」・「虚在」・「ない」の三者の観念的峻別等々。(※Wikipedia「死霊」参照。)

(25)-2 「超弩級の私小説」:壇一雄『火宅の人』(1975)、島尾敏雄『死の棘』(1977)!
L-4  伝統的な「私小説」で、戦後の集大成というべき大作が完成した。壇一雄『火宅の人』(1975)と島尾敏雄『死の棘』(1977)だ。内容的にはどちらも「浮気」の小説だ。(86頁)
L-4-2  壇一雄(1912-1976)『火宅の人』(1975、63歳)は1955年から20年間、断続的に発表されてきた。45歳の作家「私」は妻と4人の子どもがいる。だが19歳年下の女優と関係を持つ。それが発覚。そこからの5年間を物語は追う。事実上それは、居場所を無くした作家の放浪記に近い。(86-87頁)
※壇一雄は「最後の無頼派」とも呼ばれる。「無頼派」の中心は坂口安吾(1906-1955)、太宰治(1909-1948)、織田作之助(1913-1947)だ。
L-4-3  島尾敏雄『死の棘』(1977)は1960年から16年間、ライフワークとして少しづつ発表されてきた。これは「家庭内戦争」の物語だ。「私」トシオは39歳。妻と子ども2人がいる。妻に日記帳を見られて浮気が明らかとなり、地獄の日々が始まる。家庭生活は破綻、妻は精神科病棟に入院する。(87頁)
L-4-4  これら2作は読者の度肝を抜く作品で、「家庭人が愛人をもつとこんな目に遭うのか」と読者は恐怖に恐れおののいた。と同時にそこで描かれた知識人たる作家の姿は、十分に滑稽だ。(88頁)

L-4-5 沢木耕太郎(1947-)は『壇』(1995)で妻ヨリ子を取材し、梯(カケハシ)久美子(1961-)は『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』(2016)で、小説の裏事情を検証するが、『火宅の人』も『死の棘』もたぶんにフィクショナルな要素を含む。(87-88頁)

(25)-3 私小説に特化した作家:佐伯一麦(カズミ)、南木佳士(ナギケイシ)、車谷長吉(クルマタニチョウキチ)、西村賢太(ケンタ)!
L-5  私小説に特化した(純文学)作家に佐伯一麦(カズミ)(1959-)(※電気工をしていた20代にアスベストの被害で肋膜炎にかかり以後、喘息の持病を抱え執筆を行なう)、南木佳士(ナギケイシ)(1951-)(※自身のうつ病の経験から生と死をテーマにした作品が多い)、車谷長吉(クルマタニチョウキチ)(1945-2015)(※2004年提訴され和解の後、「凡庸な私小説作家廃業宣言」)、西村賢太(ケンタ)(1967-2022)(※石原慎太郎から「お互い、インテリヤクザ同士だな」と言われた)などがいる。(88頁)
L-5-2  なお小島信夫(1915-2006)『わかれる理由』(1981、66歳)が完結する。家族の崩壊を描いた『抱擁家族』(1965)の続編に近い小説で、1968年から書き続けられていた。(88頁)
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