DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「1960年代 知識人の凋落」(その9):「ポスト私小説」としての①旅行記(北杜夫、小田実、伊丹十三、森村桂)!②自伝的エッセイ(寺山修司、遠藤周作)!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』1

2022-02-10 12:53:48 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(11)「ポスト私小説」としての旅行記:北杜夫『どくとるマンボウ航海記』(1960)(ユーモアたっぷりの船旅体験記)!小田実『何でも見てやろう』(1961)(米、加、墨、欧州、北アフリカ、中東)!伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(1965)(オシャレな文物が多出)!森村桂『天国にいちばん近い島』(1966)!
L  さて60年代の読書界を代表するヒット作は実は「旅行記」だった。(35頁)
L-2  北杜夫(キタモリオ)(1927-2011)『どくとるマンボウ航海記』(1960、33歳):精神科医の「私」が日本からインド洋、ヨーロッパを回って帰国するまで半年間、ユーモアたっぷりの船旅体験記だ。ベストセラーとなった。(35-36頁)
L-2-2  小田実(オダマコト)(1932-2007)『何でも見てやろう』(1961、29歳):フルブライト留学生試験に合格し渡米、ハーバード大に1年間在籍。カナダ、メキシコへの小旅行。さらにヨーロッパ、北アフリカ、中東への旅の記録。この本も大ベストセラーとなる。(36頁)
L-2-3  伊丹十三(イタミジュウゾウ)(1933-1997)『ヨーロッパ退屈日記』(1965、28歳):1961年に映画出演のため渡欧、その1年間の経験をつづったエッセイ。ファッション、食べ物、クルマなど当時の日本人に縁遠かったオシャレな文物が多出。「男性がファッションなどに凝るのは、けしからん」という風潮が濃い時代だったので、注目を浴びた。(36-37頁)
L-2-4  森村桂(カツラ)(1940-2004)『天国にいちばん近い島』(1966、26歳):「私」(女性)は婦人雑誌の会社に勤めていたが、ニューカレドニアに憧れ、会社を辞めて、鉱石運搬船に同乗させてもらいニューカレドニアに行く。半年間の記録。若い女性の大胆な旅行記としてベストセラーになった。(Cf. ただし「土人」を連発し差別的!?)森村桂は以後、人気エッセイストとなる。(37頁)
L-2-4-2 森村桂は、後に続々と誕生する女性エッセイストのパイオニアとなった。Ex. 落合恵子(1945-)『スプーン一杯の幸せ』(1973、28歳)、小池真理子(1952-)『知的悪女のすすめ』(1978、26歳)、林真理子(1954-)『ルンルンを買っておうちに帰ろう』(1982、31歳)。(彼女らは、後にみな小説家となる。)(38頁)

L-3 ではなぜ「旅行記」が続々とこの時期ヒットしたのか?(38頁)
(ア)当時、対外渡航自体が珍しかった。まだ1ドル=360円の時代だ。(※1971年ニクソン・ショック後、1973年に変動相場制に移行する。)(38頁)
(イ)上の世代にとっては「外地」は「戦地」だった。海外の見聞を忌憚(キタン)なく語った若者たちの文章はまぶしく映った。(38頁)
(ウ)「私小説」の伝統のある日本では、一種の「ポスト私小説」としての「旅行記」は受け入れられやすかった。(38頁)(※項目(11)-2 参照。)
(エ) 「旅行記」は「第2の開国」、新しい時代の幕開けを示した。(39頁)(※項目(11)-3 参照。)

(11)-2 旅行記(エッセイorノンフィクション)は一種の「ポスト私小説」だった!「私小説」ではフィクションとノンフィクションの境界が曖昧だ!
L-4 これら「旅行記」(エッセイorノンフィクション)は一種の「ポスト私小説」だった。自身の生活や意見を赤裸々につづった「私小説」と、自身の旅の体験を率直につづった「旅行記」とどこに違いがあるのか?(38頁)
L-4-2「私小説」の伝統のある日本ではフィクションとノンフィクションの境界が曖昧だ。例えば広島での被爆体験を記した原民喜(1905-1951)『夏の花』(1947、42歳)(38頁)が、あるいは千葉県浦安での日々を描いた山本周五郎(1903-1967)『青べか物語』(1961、58歳)がエッセイかノンフィクションか私小説かと問われたら、誰にも答えられない。(38頁)

(11)-3 1960年代、北杜夫や小田実は「第2の開国」、新しい時代の幕開けを示した!
L-5  北杜夫も小田実も文学青年で、初期の作品は気が滅入る小説だった。だが1960年代、彼らは「知識人いかに生くべきか」でグズグズ迷わず、60年安保闘争にものめり込まず、「ハムレット」でいることをやめ外に出て行った。(39頁)
L-5-2  読者(若者)が彼らを熱狂的に支持したのは、そこに「第2の開国」、新しい時代の幕開けを感じ取ったのだ。(39頁)
L-5-3 同じ流れで、歌人や劇作家としてすでに名を馳せていた寺山修司(1935-1983)が『家出のすすめ』(1963、28歳)、『書を捨てよ、町へ出よう』(1967、32歳)と自身の半生を交えつつ、若者たちに活をいれた。(※煽った。)(39頁)

(11)-4 「自伝的エッセイ=ポスト私小説」としての遠藤周作『狐狸庵閑話』(1965)!「小説」(私小説)から「私生活」を切り離し、「エッセイ」として独立させた!Cf.「ポスト私小説」としての旅行記!
L-6 遠藤周作(1923-1996)は、転びキリシタンの苦悩を描いた『沈黙』(1967、44歳)などシリアスな小説を発表する一方で、『狐狸庵閑話』(後に『ぐうたら人間学』と改題)(1965、42歳)でエッセイ界に進出。若い読者の支持を得た。(39頁)
L-6-2 北杜夫(1927-2011)や遠藤周作に見られる「シリアスな小説+軽妙なエッセイ」の組み合わせは、彼らが「小説」(※私小説)から「私生活」を切り離し、「エッセイ」として独立させたことを意味する。額に八の字の寄った旧来の「私小説」は 「自伝的エッセイ=ポスト私小説」としてリニューアルされ、新しい商品価値を持つにいたった。(39-40頁)
L-6-2-2 「ポスト私小説」(旅行記or自伝的エッセイ)の書き手は、「おおむね」昭和一ケタ生まれの作家たちだ。Cf. 遠藤周作(1923生)、北杜夫(1927生)、寺山修司(1935生)。彼らは戦時中に少年・青年時代を送り、焼跡に立ちつくした世代だ。大人の作家へのスタートを切るにあたり、彼らは自身を縛る「戦後」をリセットする必要に迫られたのだ。(40頁)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする