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「1970年代 記録文学の時代」(その2)「私小説的ノンフィクション」!石牟礼道子『苦海浄土』!森崎和江『からゆきさん』!山崎朋子『サンダカン八番娼館』!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』2)

2022-02-15 14:54:16 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(15)「私小説的ノンフィクションの興隆」:石牟礼道子『苦海浄土――わが水俣病』(1969)!患者との「深い信頼関係」が「代弁」を可能にした!
B 「私小説的ノンフィクション」の筆頭にあがるのは、石牟礼道子(イシムレミチコ)(1927-2018)の畢生(ヒッセイ)の大作『苦海浄土――わが水俣病』(1969、42歳)だろう。作中に、こんな語りが頻出する。「水俣病、水俣病ち、世話やくな。こんな年になって、医者どんにみせたことのなか体が、今々はやりの、聞いたこともなか見苦しか病気になってたまるかい」。水俣病は1956年、熊本県水俣市で発見された「奇病」だ。チッソ水俣工場の廃液が原因だった。(48頁)
B-2 『苦界浄土』は資料を示し、病に冒された人々の声を伝える。だがそれは「ノンフィクション」ではない。「聞き書き」でもない。渡辺京二(1930-)が講談社文庫版の解説(1972)で明かしたように、石牟礼は患者の家に通うことも、ノートやテープレコーダーを持参することもなかった。『苦界浄土』は、いわば「石牟礼道子の私小説」だ。(48-49頁)
B-2-2  石牟礼自身は「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と言う。患者との「深い信頼関係」が「代弁」を可能にした。(49頁)
B-2-3  第1回「大宅壮一ノンフィクション賞」を石牟礼道子は辞退した。(49頁)(※「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と石牟礼道子は言った。)

(15)-2 森崎和江『からゆきさん』(1976):明治から大正・昭和戦前期にかけ、島原・天草地方から大陸にわたった女性たちの実話!
B-3  石牟礼道子と同じ九州が生んだ不世出の作家に森崎和江(1927-)がいる。森崎和江は、すでに1960年代に『まっくら――女坑夫からの聞き書き』(1961、34歳)、「第2波フェミニズムの先駆的テキスト」である『第三の性――はるかなるエロス』(1965、38歳)(※女性二人の交換ノート形式の女性論・恋愛論)など問題作を放った。(49頁)
B-3-2  森崎和江は1970年代に『からゆきさん』(1976、49歳)を発表。「からゆきさん」は、明治から大正・昭和戦前期にかけて、島原・天草地方から大陸にわたった女性たちを指す。著書では昭和戦前期「十代前半で海外へ売られた少女たち」、また「もっと古い時代に大陸への夢を抱いて海外へ渡った女性たち」の実話が紹介される。(49-50頁)

(15)-3 文芸誌「サークル村」と九州:谷川雁、上野英信、石牟礼道子、森崎和江!
B-4  石牟礼道子と森崎和江は、詩人の谷川雁(1923-1995)、ルポライターの上野英信(エイシン)(1923-1987)らと福岡で文芸誌「サークル村」を創刊し(1958)、活動をスタートさせた作家だ。(50頁)
B-4-2  上野英信(エイシン)にも炭坑労働者に取材した優れたノンフィクション作品がある。『追われゆく坑夫たち』(1960、37歳)、『地の底の笑い話』(1967、44歳)。(50頁)
B-4-3  彼らが九州から出てきたのは偶然でない。60年代に炭鉱の事故や閉山が続いた九州は、資本主義の矛盾がもっとも早い時期に顕在化した地域だった。Ex. 三井三池争議(1959-1960)。(50頁)

(15)-4 山崎朋子『サンダカン八番娼館――底辺女性史序章』(1972)!
B-5 「からゆきさん」をめぐる特異なノンフィクションに山崎朋子(トモコ)(1932-2018)『サンダカン八番娼館――底辺女性史序章』(1972、40歳)がある。山崎は、偶然出会った「おサキさん」(山川サキ)から、ボルネオに渡った「元からゆきさん」だという彼女の半生を聞き出す。紀行文のような「わたし」の天草記事取材と、おサキさんが一人称で語る聞き書きの二つから、この作品は成り立つ。大宅賞を受賞し、映画化もされ、ベストセラーとなった。(50-51頁) 
B-5-2  なお「ライターだという素性を明かさずおサキさんにちかづく」山崎朋子の手法には厳しい疑問の声があがった。(51頁)

《参考》「Dewi Sukarno Official Blog」2009/03/10(デヴィ夫人による山崎朋子に対する反論):「あなた(※山崎朋子)は某月刊誌において『アジア女性交流史・昭和期篇』の中で、私(※デヴィ夫人)のことをとりあげています・・・・あなたは私に元大統領夫人として人生を全うすべきところ、全うしていないという事で私を誹謗、中傷、非難、攻撃、侮辱し続けていますが、私は30才で未亡人になったのです。私が50才、60才で未亡人となっていたら、そうした生き方をしたかもしれません。・・・・政変時、一命を失わずに生きてこれました。残りの人生は賜物と思っています。死ぬとき思い残すことはなく 死にたいのです。私は何にでも好奇心をもち、探究心旺盛、何でも経験して、何でも味わってみたいのです。どこにでも行ってみたいのです。私は今 自由を得ています。・・・・それから、あなたにもう一言。私に現在、財産と言えるものがあるとすれば、すべて私が働いて得たものです。」(※「政変」は1965年、インドネシア「9・30事件」。Cf. 岩波現代全書 028『9.30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』倉沢愛子著。)
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