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「1970年代 記録文学の時代」(その3):開高『ベトナム戦記』・『輝ける闇』!有吉『複合汚染』!佐木『復讐するは我にあり』!沢木『テロルの決算』!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』2)

2022-02-16 13:56:27 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(16)「これは小説?ノンイクション?」:開高健『ベトナム戦記』(1965)はノンフィクションだが『輝ける闇』(1968)は小説だ!
C 「ノンフィクションと小説の書き分け」を自らに課していた作家がいる。開高健(1930-1989)は新聞社の海外特派員としての体験を『ベトナム戦記』(1965、35歳)にまとめたが、これは「前線の光景が見たい」とアメリカ軍の中に非武装で入ったルポルタージュつまり「ノンフィクション」だ。「見聞きした事実」が中心である。(51-52頁)
C-2 ところが同じ体験を開高健『輝ける闇』(1968、38歳)は、「戦争の現場にいる私」の「内面」を中心に描く。「ベトナム戦争を取材し虚無感に陥った作家」が主人公だ。文章に粉飾もあり、これは「小説」である。文壇は『輝ける闇』を評価した。(51-52頁)
C-2-2  後に開高が『オーパ!』(1978)などアウトドア趣味に走ったのは、「ベトナム体験からの逃避というか反動のような気がする」と斎藤美奈子氏が言う。(52頁)
C-2-3 ベトナム戦争の貴重な記録(ルポルタージュ)としては、開高の『ベトナム戦記』(1965)(※ベトナム戦争開始or北爆開始の1965年)のほかに、近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』(1975)(※サイゴンが陥落しべトナム戦争が終結した1975年)がある。(52頁)

(16)-2 「小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション」:有吉佐和子『複合汚染』(1975)!Cf. レイチェル・カーソン『沈黙の春』(1962)!
C-3  有吉佐和子(1931-1984)『複合汚染』(1975、44歳)は「小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション」だった。彼女は「石牟礼道子さんの『苦海浄土』が出るに及んで、私はもう公害というものは小説という虚構で捕えることができないのを思い知った」と述べた。『複合汚染』の内容は「専門家や医師や農家や関係省庁を訪ね歩いて得た、農薬や化学肥料や食品添加物の話」だが、斎藤美奈子氏は「タッチは完全にエンタメ小説」だと言う。(52-53頁)
C-3-2  Cf. 有吉が賞賛するレイチェル・カーソン(1907-1964)『沈黙の春』(1962、55歳)(※農薬の残留や生物濃縮がもたらす生態系への影響を訴えた生物学者の作品)も、文学性・物語性の高い作品だ。(52-53頁)
C-3-3  当時、有吉佐和子は、すでに認知症の老人介護をテーマにした『恍惚の人』(1972、41歳)で「社会派作家」とみなされていた。(54頁)

(16)-3 「ノンフィクションノベル」(「三人称小説」のスタイルで書かれたノンフィクション):佐木隆三『復讐するは我にあり』(1975)!Cf. トルーマン・カポーティ『冷血』(1965)!
C-4 作中に「私」が登場するスタイルでなく、「三人称小説」のスタイルで書かれたノンフィクション(※正確には「ノンフィクション」でなく、「小説orノベル」だ!)も話題になった。これは「ノンフィクションノベル」あるいは「ニュージャーナリズム」と呼ばれる。(54頁)
C-4-2  「ノンフィクションノベル」で有名な作品は、トルーマン・カポーティ(1924-1984)『冷血』(1965、41歳)だ。1959年の一家4人殺害事件を被害者・加害者の「内面」を描きつつ(※これはフィクションであり、「小説orノベル」)、かつ「事実」(※ノンフィクション)だと主張する。Cf. トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』(1958)。(54頁)
C-4-3  佐木隆三(サキリュウゾウ)(1937-2015)『復讐するは我にあり』(1975、38歳)は、作者自身が述べるように『冷血』の手法にならった作品だ。「小説」として1976直木賞を受賞。(「ノンフィクション」として大宅賞を受賞したのではない!)福岡県の五人殺害事件(西口彰事件1963-64)を殺人犯の「内面」から描いた。(54-55頁)

(16)-4 沢木耕太郎『テロルの決算』(1978):「三人称小説」と区別できないのに「ノンフィクション」とされ大宅賞を受賞した!Cf. 『敗れざる者たち』(1976)・『人の砂漠』(1977)!
C-5  沢木耕太郎(1947-)『テロルの決算』(1978、31歳)は1960年の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件を描く。17歳の右翼少年・山口二矢(オトヤ)と浅沼の周辺を沢木は徹底的に取材し、ふたりが交差する接点を探る。「三人称小説」のスタイルであるにもかかわらず、『テロルの決算』について誰も「小説」と思わなかった。かくて1979年「大宅壮一ノンフィクション賞」(大宅賞)を受賞した。(55頁)
C-5-2  佐木隆三『復讐するは我にあり』(「小説」として直木賞受賞)と沢木耕太郎『テロルの決算』(「ノンフィクション」として大宅賞受賞)には、実は「小説」か「ノンフィクション」かの違いはない。ただ「タッチの差」あるいは「作家のアイデンティティの差」があるにすぎない。(55-56頁)

C-5-3  なお沢木耕太郎はノンフィクションの書き手として、初めて若者のアイドルとなった作家だ。『敗れざる者たち』(1976、29歳)(※カシアス内藤、運命を交錯させる三人の三塁手、自殺したマラソンの円谷幸吉など、勝負の世界に青春を賭けたスポーツ選手を描く)、『人の砂漠』(1977、30歳)(※社会の「底辺」で生きる人々についての8編のルポ)などで若い読者の心をつかんだ(55頁)。
C-5-4 後に沢木耕太郎は『深夜特急』(1986-92)(39-45歳)という旅行記(インドのデリーからバスや列車でロンドンまで)を発表する。これは「自分探しの旅」であり、ノリは完全に私小説だ。(56頁)
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