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モーパッサン『椅子直しの女』(1882年):彼女とシューケの世界(心)が出会うことはなかった!物的世界(物体・身体)および言葉(音声・文字)のプラグマティックな必要最小限の解釈のみ対応可能!

2019-08-31 18:46:54 | 日記
※高山鉄男編訳『モーパッサン短編選』岩波文庫

(1)
ある女性の「一生に一度の恋」の話である。村にやってくる椅子直しのばあさんが今年の春、亡くなった。私(医者)は臨終の場に呼ばれ遺言執行人となった。遺言の意味を明らかにするため、死の直前、彼女が身の上話をした。
(2)
父親と母親は、椅子直しが商売だった。彼女は幼い頃からぼろをまとい、シラミだらけで、家はなく馬車の放浪生活だった。両親は、村々を回り、村に着くと村の入り口に馬車をとめ、家々の古椅子を直して生計を立てていた。
(3)
少し大きくなって、彼女が壊れた椅子集めをするようになると、「乞食」と呼ばれさげすまれ、子供たちが石を投げた。しかし、おかみさんたちが小銭をくれることもあった。彼女はそれを大切に貯めた。
(4)
娘が11歳の時、薬屋のシューケの坊や(6歳位)が泣いているのに出くわした。少年は友達に2リヤール(銅貨2枚)(100円位)をとられ泣いていた。《お金持の坊やはいつも楽しくうきうき暮らしている》と思っていたので、椅子直しの娘はびっくりした。
(5)
彼女は少年のそばに行き、泣いている訳を知ると、彼に貯めておいたお金全部を与えた。7スー(4200円位)もの大金だった。(1スー=12リヤール。)少年は素直にお金を受け取り、泣くのをやめた。
(6)
彼女は、嫌がられることも、蔑(サゲス)まれることも、苛(イジ)められることもなかったので、すっかり嬉しくなった。大胆にも彼女は少年にキスをした。少年は、しげしげしとお金を眺めていたので、されるままになっていた。嫌がられたり、ぶたれたりしないとわかり、彼女はもう一度、少年にキスをした。両腕でしっかり抱きしめ、心を込めてキスをしたのだった。それから彼女はあわてて逃げて行った。
(7)
椅子直しの少女の哀れな心の中で起きたことは、人の心の謎の一つだ。彼女はシューケの坊やに恋をし、放浪生活の中、それから何か月もの間、この少年の事ばかり考えていた。少女は、少年にまた会えるかと思い、両親のお金を、あちらで1スー(600円位)、こちらで1スーという具合に少しずつ、くすねて貯めた。
(8)
翌年、またこの村にやってきた時、少女は2フラン(40スー、2万4000円位)も貯め込んでいた。けれども薬屋の少年(シューケ)の姿が、父親の店のガラス戸の向うに見えただけだった。少年(小学校1年、7歳位)はこざっぱりした格好をしていた。周囲の色付き水溶液のすばらしさと、きらきら光るガラス容器に、彼女はすっかり夢中になり、心動かされ、うっとりし、少年のことが一層好きになった。

《感想1》1フラン=20スー、1スー=12リヤールだから、1リヤール=50円とすると、1スー=600円、1フラン=1万2000円だ。椅子直しの娘が少年に初めてあげたお金が7スー=4200円だから、確かに子供には大金だ。

(9)
少女(13歳)は翌年、小学校の裏手で友達とビー玉遊びをしている少年(小学校2年、8歳位)に会った。少女は少年に飛びつき、両腕で抱きしめ、激しくキスした。少年はおびえて泣き出した。そこで相手をなだめるため、彼女はお金を与えた。3フラン20サンチーム(3.2フラン、38400円位)だ。なかなかの大金で、少年は目を丸くしてそれを眺めていた。少年は相手に好きなだけキスさせた。
(10)
さらに4年間、少女は貯めたお金の全てを少年に渡し続けた。少年はキスさせてやる代わりにお金を受けとった。少女はもう彼の事しか考えなくなった。彼の方でも少女がやって来るのを待ちわびるようになり、少女の姿が目に入ると駆け寄ってきた。それを見て少女は胸を躍らせた。(少女14-17歳、少年シューケ9-12歳)

《感想2》「乞食」(「椅子直し」)の少女の悲しい恋だ。彼女は幻想の恋に生きる。現実の出来事が、幻想的に解釈される。少年にとっては日常の現実にすぎないが、「乞食」の少女はその日常的な出来事(現実)を通して天上を幻想する。彼女には、そのように見えるのであり、彼女には幻想でなく現実だ。
《感想2-2》少女が少年シューケを好きになった理由は次の通り。①彼女(11歳)は、少年から、嫌がられることも蔑まれることも苛められることもなかったので、すっかり嬉しくなった。(Cf. 少年は彼女に関心がなく、しげしげしと大金を眺めていただけだ。)②嫌がられたり、ぶたれたりしないので、彼女は、少年を両腕でしっかり抱きしめ、心を込めてキスをすることができた。(Cf. 少年は、彼女でなく、お金にしか興味がない。)③彼女にとって少年はいわば天上の住人で、こざっぱりした格好をし、薬店の中のすばらしい色付き水溶液、またきらきら光るガラス容器が彼をとりまき、彼女を夢中にさせ、心動かしうっとりさせた。(Cf. 少年にとっては日常の現実にすぎないが、「乞食」の少女は天上を幻想する。)④少年の小学校時代6年間、彼女は年に1回、彼に会った。七夕の出会いようだ。少女は貯めたお金の全てを少年に渡し続けた。少年はキスさせてやる代わりに、お金を受けとった。少女はもう彼の事しか考えなくなった。彼の方でも少女がやって来るのを待ちわびるようになり、少女の姿が目に入ると駆け寄ってきた。それを見て少女は胸を躍らせた。(Cf. 少年はお金が欲しくて彼女に駆け寄り、キスをさせた。それを少女は、《天上の恋人の自分に対する愛だ》と幻想した。)

(11)
それから少年(13歳位、シューケ)は中学校の寄宿舎にはいり、少女(18歳)は彼に会えなくなった。そこで中学校の休暇で彼が村にもどるとき、そこを通るよう彼女は何とか両親に道順を変えさせた。3年後、彼(16歳位)に会ったとき、彼は背が高く立派になり、もう彼女(21歳)を相手にしなかった。「乞食」(椅子直し)の少女の姿など目に入らぬふりをして、すましたまま通り過ぎた。
(12)
この時から、彼女の終わりのない苦しみが始まった。毎年、少女はこの村に家具直しの両親とともに来たが、彼は会っても目さえ向けてくれなかった。少女は、狂おしいばかり彼を愛していた。
(13)
両親が世を去り、彼女が家具直しの仕事、馬車、馬、そして猛犬2匹を引き継いだ。
(14)
ある年、彼女(「椅子直しの女」)がこの町に来た時、自分の最愛の男(シューケ、25歳位)の腕にすがって、一人の若い女が薬店から出てきた。シューケが結婚したのだ。その日の午後、彼女(30歳位)は役場前の広場の池に身を投げた。幸い彼女は助けられ、薬屋に運ばれた。
(14)-2
シューケの息子が、相手が誰か知らないふりをして、彼女を手当てした。彼は「こんなバカなことはもうしないでくださいよ」と言った。彼女は、彼が話しかけてくれたので、それだけで彼女は元気になった。そして長いこと、彼女は幸福な気持ちでいられた。(なお彼女が治療代を払うと言ったが、彼は受けとらなかった。)
(15)
彼女の一生(25-60歳位)はそんなふうにして過ぎて行った。彼女はシューケ(息子)の事だけを考え椅子直しに励んだ。毎年、村にやって来ると、薬店のガラス戸の向うにいる彼の姿が見えた。そしてその店で、彼女はこまごました薬品類の買いだめをするのが習わしになった。こうすればすぐ近くで彼の顔を見、話しかけ、さらにお金を渡すこともできたからだ。
(16)
彼女(椅子直しのばあさん、60歳位)は今年の春、世を去った。私(医者)は臨終の場に呼ばれ、遺言執行人となった。遺言の意味を明らかにするため、彼女はこの悲しい物語を語り終え、「生涯かかって貯めたお金の全てを彼に渡してほしい」と言った。彼女はこの男(シューケ)のためにだけ働いてきた。貯めたお金の全てを彼に渡すことで、彼女が死んだあと少なくとも一度は自分のことを思い出してもらえるだろうと彼女は思った。彼女は私にその大金を託した。
(17)
私は彼女のお金2300フラン(1フラン=1万2000円として、2760万円)を持って、葬式が終わったあと、シューケの店(薬店)に出かけた。
(17)-2
シューケは、満ち足りて、もったいぶった様子をしていた。私は感動に声を振るわせながら彼女の話を始めた。ところがシューケは感動するどころか、「椅子直しの女、あの浮浪者も同然の宿無し」から愛されていたと知り、腹を立て、とび上がらんばかりの剣幕だった。彼は、自分の評判、世間の尊敬、名誉が傷つけられたと思ったのだ。
(17)-3
私は義務なので、彼女の貯金2300フラン(2760万円位)を取り出し、「私のした話がご不快のようなので、このお金は貧しい人たちに恵んでやるのが最良でしょうか?」「どうなさいますか?」と訊ねた。シューケは大金に驚き呆然とした。「あの女の遺言なら・・・・お断りしにくいですな」と彼は受け取った。私はお金をわたし、店を出た。

《感想3》「椅子直しの女」が生涯をかけてシューケを愛したのは、(ア)シューケ(6歳位)が最初に彼女(11歳)を、嫌がらず蔑(サゲス)まず、ぶったり苛(イジ)めたりもしなかった男だったからだ。しかも(イ)彼は天上のようにうっとりする世界の住人だった。彼は、こざっぱりした格好をし、薬店の中の彼を取り巻く色付き水溶液のすばらしさと、きらきら光るガラス容器が、彼女を夢中にさせた。
《感想3-2》だが彼女の世界(心)とシューケの世界(心)が出会うことはなかった。物的世界(物体・身体)および言葉(音声・文字)のプラグマティックな必要最小限の解釈以上に、彼と彼女それぞれの「心」(《感情・欲望・意図・夢・意味世界(思考)・その展開としての想像・虚構》)が出会うことはなかった。(Cf. 物的世界と物としての音声・文字は《感覚》において出現する。)
《感想4》シューケは村の名士であり、彼にとって「椅子直しの女」は「乞食」にすぎない。彼のこの見方は、この時代のフランスで、当然だった。だから彼は「浮浪者も同然の宿無し」から愛されていたとわかり、腹を立て、とび上がらんばかりの剣幕だった。自分の評判、世間の尊敬、名誉が傷つけられたと思ったのだ。
《感想4-2》「椅子直しの女」の「一生に一度の恋」の話は、空想的なおとぎ話だ。とりわけ彼女が「2300フラン(2760万円)を、自分を思い出してもらうためだけにシューケに渡す」という設定が、あまりに非現実的だ。(これだけの大金!彼女にとってもっと別の使い道があった。浮浪者的な生活から抜け出せたはずだ。)しかし「恋は盲目」なのかもしれない。
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映画『無法松の一生』(1958年):義理と侠気の倫理と、思慕の心情との矛盾のうちで、松五郎(無法松)は悲恋を生きるしかなかった!

2019-08-31 07:09:27 | 日記
※三船敏郎(富島松五郎)、高峰秀子(吉岡良子)、稲垣浩 (監督) 
※岩下俊作の小説『富島松五郎伝』(1938年)が原作。

(1)
明治30年(1897)、九州小倉に博奕で故郷を追われていた人力車夫の富島松五郎(35歳位)が、舞戻ってきた。“無法松”は、芝居小屋で腹いせに枡席でニンニクを焼くなど荒くれ者だ。しかし仲裁の結城親分に諭されすっぱりわびるなど、竹を割ったような性格だった。
(2)
数年後、明治38年(1905)のある日、松五郎(43歳位)は木から落ちて足を挫いた少年(吉岡敏雄)を救う。少年は小学校1年(7歳)。その縁で彼は、少年の父、吉岡小太郎大尉の家に出入りするようになる。大尉は松五郎の、豪傑ぶりを知り可愛がる。松五郎は、酔えって美声で追分を唄うが、良子夫人(30歳位)の前では赤くなり声が出ない。
(3)
ところが大尉は、雨天の演習後、肺炎を起こし急死する。残された母子は、何かと松五郎を頼りにした。松五郎は、引込みがちな敏雄を「ボンボン」と呼び、学芸会、運動会に参加したり、色々と励げます。彼は小学校で授業を受ける敏雄を見に行ったりもした。
(4)
幼少の頃、松五郎は継母に苛めら、父親も早く死んだ。松五郎は小学校にも行けず字も読めない。無学で一人生きる松五郎は、亡くなった吉岡大尉の妻子に仕えることを生甲斐とした。(※もちろん、無法松は秘かに良子夫人を慕っていた。だが彼自身はそれを認めない。彼はひいきにしてくれた吉岡大尉への恩返しとして二人に献身した。)
(5)
時は経ち、大正3年(1914)、今や敏雄は小倉中学の4年(16歳)になった。成長した敏雄は、他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎(52歳位)は「ボンボン」の成長を喜んだ。だが敏雄は松五郎を疎んじるようになる。ついに敏雄は、旧制高校(熊本)に入るため、母の元を離れ小倉を去った。
(6)
松五郎は生き甲斐を失い、めっきり老け、酒に親しむようになる。彼には良子夫人の面影が浮かぶ。敏雄は夏休みに、「本場の祇園太鼓をききたい」という先生を連れ、小倉に帰省する。良子夫人が久しぶりに松五郎を訪れ,祭りの案内を依頼する。松五郎は自から祇園太鼓のバチを取る。離れ行く敏雄への愛着、良子夫人への思慕、複雑な想いをこめ松五郎は祇園太鼓を打つ。
(7)
その数日後、松五郎が吉岡家を訪れる。松五郎は物を言わない。目には、涙があふれていた。彼は吉岡大尉の遺影に最敬礼し、良子夫人に「俺は悪い心を持った。もう二度と来ない。」と言って去る。(※彼は、良子夫人への自分の思慕に気付き、それを「悪い心」と思った。)
(8)
それ以来、松五郎は夫人の前に姿を見せなかった。数年後、大正6年(1917)の雪の降る日、酔った彼が転びながら、かつて敏雄を連れて通った小学校に向かう。だが彼は心臓の発作で倒れる。翌日、松五郎(55歳位)の遺体が校庭の隅で見つかった。
(9)
松五郎の遺品整理の時、残された柳行李の中に、それまで吉岡家からもらったご祝儀の数々が手をつけられず残されていた。また夫人と敏雄宛に彼が入金した貯金通帳も見つかった。それを見て、良子夫人(42歳位)が泣きくずれた。

《感想1》無学で一人生きる人力車夫、松五郎の悲恋だ。恋は彼の死まで12年間(43-55歳位)、続く。無法松は自分に似合わない恋をした。
《感想2》無法松は、義理と侠気に生きる。尊敬する吉岡大尉の死後、残された妻子(良子夫人と敏雄)の面倒を見ると彼は決意する。自分の義理と侠気の倫理に従った。
《感想3》だが松五郎は、良子夫人を秘かに慕うようになる。彼はそのことを、自分自身に対し認めない。吉岡大尉への恩返しとして、松五郎は、良子夫人と敏雄に献身的に仕えた。だが実は秘かに(自分自身、決して認めないが)彼は良子夫人を慕っていたのであり、敏雄少年を彼女と共に育てることに幸せを感じていた。
《感想4》良子夫人を慕っていると、松五郎が自分に認めざるを得なくなって、彼は自分の倫理に反するとして、夫人から去った。
《感想5》義理と侠気の倫理と、良子夫人への思慕の心情との矛盾のうちで、松五郎(無法松)は悲恋を生きるしかなかった。この悲恋の構図は国際的にも理解され、映画『無法松の一生』は、ヴェネチア映画祭(1958)で金獅子賞を得る。
《感想5》小倉のモノレール旦過(タンガ)駅の近くに、無法松の碑が立っている。最近、訪れたが、花が捧げられていて、心打たれる。
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