江戸後期、円山派を確立した円山応挙。狩野派の絵と異なる写生画が人々を魅了した。応挙に師事した呉春は、瀟洒な趣を加え四条派を興す。この二派は円山・四条派として京都の画壇に影響を与えた。長沢芦雪、竹内栖鳳、上村松園らがその伝統を受け継ぐ。
円山応挙「江口君(エグチノキミ)図」(1794年)
◎新古今和歌集:天王寺に詣で侍(ハベ)りけるに、俄(ニハカ)に雨のふりければ、 江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍ける 西行法師
世中をいとふまでこそかたからめかりの宿りをおしむ君かな(この世を厭い出家するのは難しいが、貴方はかりの宿を貸すのさえ惜しむのか)
返し 遊女妙(タエ)
世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ(ご出家の身と伺ったので、こんな仮の世の宿に心をお留めにならないようにと思っただけです)
《感想》坊さんの西行(1118-1190)が遊里に泊まりたいとは破戒僧だ。その上泊めてくれないと遊女(妙or江口君)をなじるとは困ったものだ。遊女に諭(サト)されて当然だ。
◎能「江口」(観阿弥原作、世阿弥改作)によれば、遊女「江口君」が実は普賢菩薩であったという。旅僧(ワキ)が、江口の遊女の古跡に立ち、遊女に宿を断られた西行の歌を回想する。里女(前シテ)がその真意を弁明に現れるが、江口の幽霊と告げ消える。西行を泊めなかったのは「この世への執着を捨ててほしい」と告げたかったからだという。やがて遊女(後シテ)が屋形船に乗り川遊びの態で登場する。遊女は罪深い身の上と悲しさを語り舞う。しかし次第にその姿は荘厳、透明となり、遊女は普賢菩薩の姿となる。船は霊獣、白象となって西の空に消える。
《感想》遊女が普賢菩薩の化身だったとの設定は美しい。能「江口」は夢幻能で、全体がワキの見た夢幻という構成になっている。
円山応挙「江口君(エグチノキミ)図」(1794年)
◎新古今和歌集:天王寺に詣で侍(ハベ)りけるに、俄(ニハカ)に雨のふりければ、 江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍ける 西行法師
世中をいとふまでこそかたからめかりの宿りをおしむ君かな(この世を厭い出家するのは難しいが、貴方はかりの宿を貸すのさえ惜しむのか)
返し 遊女妙(タエ)
世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ(ご出家の身と伺ったので、こんな仮の世の宿に心をお留めにならないようにと思っただけです)
《感想》坊さんの西行(1118-1190)が遊里に泊まりたいとは破戒僧だ。その上泊めてくれないと遊女(妙or江口君)をなじるとは困ったものだ。遊女に諭(サト)されて当然だ。
◎能「江口」(観阿弥原作、世阿弥改作)によれば、遊女「江口君」が実は普賢菩薩であったという。旅僧(ワキ)が、江口の遊女の古跡に立ち、遊女に宿を断られた西行の歌を回想する。里女(前シテ)がその真意を弁明に現れるが、江口の幽霊と告げ消える。西行を泊めなかったのは「この世への執着を捨ててほしい」と告げたかったからだという。やがて遊女(後シテ)が屋形船に乗り川遊びの態で登場する。遊女は罪深い身の上と悲しさを語り舞う。しかし次第にその姿は荘厳、透明となり、遊女は普賢菩薩の姿となる。船は霊獣、白象となって西の空に消える。
《感想》遊女が普賢菩薩の化身だったとの設定は美しい。能「江口」は夢幻能で、全体がワキの見た夢幻という構成になっている。