薄汚れた我が心は
泉のごとく湧きいづる
それはありなんと
我が心に化粧を
するがごとく
覆い隠し
知らぬ存ぜす
厚粧顔して
平静を装う
浅ましい我が心
「誠」という字は言葉が成ると書く。
真っ先に思いついたのが、
南無阿弥陀仏という六字は
私を仏と成らしめたもう
おおいなる仏のはたらき
これ誠の道なり
南無阿弥陀仏
光壽無量慶賀光新年
あけましておめでとうございます。
皆さまにおかれましては、 お慈悲の中で新年をお迎えのこととお慶び申しあげます。
私たちは、地球という大きな生命体に乗り合わせた一人一人です。
光壽無量 我は宇宙の いのちなり
私は昨年、念願叶って平泉中尊寺金色堂へお参りしてきました。
私という字を辞書には、自分のこと。公平さを欠いて、自分の都合や利益を優先すること…等々示されます。
誰しも自分を守り、自身の都合で正義とし、悪を造り出す。人は誰かと比べて、こっちが正しくて、 あっちが間違っていると判断しがちです。「正義」と「悪」、そのほとんどが自分が正義で、相手が悪と思い込む。
【ものさし】
「正義」や「悪」は誰が決めたのか?
私たちは自分中心のものさしで物事を見ています。
自分の都合の良いように、自分が得するように、 自分の好きなチームが勝つように…。「私」という存在がある限り、自分中心の考え方からは離れられません。
私が「正義」を持ち合わせる限り、私が「悪」を生み、争いが起こる。 だからこそ、「私」ではなく、 「仏さま」の智慧をモノサシで物事を見る眼を育てたいものです。
相田みつをさんは「損か得か人間の物差し 嘘かまことか仏様の物差し」と言われます。
浄土真宗の信心・念仏とは阿弥陀さまの智慧のはたらきをいいます。仏のさまの智慧により、偽りだらけの私の姿が浮かび上がってきます。