日曜礼拝は私の当番でした。
正信偈に続き和讃は「安楽仏土の依正は…」より六首
御文章は「毎月両度章」
お話は(一部要約)
京都女子大学名誉教授・徳永道雄先生は一年間の最後の授業で、
「仏さまのお浄土へ生まれる人々はすべて金色」と言う事を説明され、
「すべてのいのちは、いついかなる時でも金色に輝いている」
という意を込めて、「ものみな金色なり」とノート一面に書かせ、生徒への「はなむけの言葉」とされていました。
その後、教え子の一人から、「この言葉によって救われました」と先生の元に手紙来た。
その子は、卒業後、結婚され、赤ちゃんが生まれました。
しかし、その子は重い障害を抱えていた。
夫婦で育てていたが、次第に夫婦仲も悪くなり離婚。
その後、子供と生活していたが、障害者への世間の目は冷たく、時には心ないことを言われたりした。
彼女はほとほと疲れはて「もうだめだ。この子と二人で死ぬしかない」と思うようになった。
覚悟を決めて、身辺整理をしていると、大学時代のノートが目にとまった。
ノートには「ものみな金色なり」と書かれていた。
「いついかなる時でも、いのちはみんな金色に輝いている」という言葉が蘇えった。
「そうだった、そうだった。障害を持って生まれた我が子のいのちは、金色に耀く尊いいのちであった。この子は今、そのいのちを精一杯輝かせて懸命に生きているんだ」
彼女は大粒の涙を流しながら、我が子を強く強く抱きしめました。
以後省略