King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

さよならコンサート

2011年05月09日 10時16分25秒 | ライブ・コンサート・展覧会
連休の最後の日、午後からいつもでかける地元ピアニスト
のコンサートでした。

今回は、チャリティコンサートで急遽決まった物らしく、
いつもとは違うチケットの入手となりました。

そして、届いたチケットにはさよならコンサートの文字があり、
会場のカフェがライブスポットとしての使命を終え、閉店となる
ため、コンサート自体も最後になるとの事でした。

秩父地方の景気の冷え込みにより、似た様な閉店の報はいくつもあり、
寂しい感じがしましたが、閉まったあとはすぐに再利用される様なので
なあんだという感じもしました。

秩父の街中とは荒川を挟んで反対側にあり、いつも見慣れた町並みも
反対から見ると妙な違和感があります。

よく盆地の底と言いますが、ここから見ると秩父の町も全体が緩やかな
斜面の上にあり、荒川に向かって全て落ち込んでいるように感じます。

昨年ここで夜月を見ながらのピアノコンサートは、それはすばらしい
体験でした。

今回は新緑の輝かしい季節に聴くコンサートとなりました。

チケットが来てからピアノだけでなく、ソプラノが参加となって
いましたが、会場にてもらったパンフでさらにバイオリンのゲスト
出演があると知りました。

前回はテーブルもあり、飲み物もテーブルで飲めてゆったりとした
雰囲気でしたが、今回は狭い所にさらに椅子をぎっちりと詰め、
100人あまりが鮨詰め状態でした。

今回は全額集まったお金は被災者に寄付するのとの事で、出演者も
全てチャリティとのことでした。

とはいえ、ソプラノ歌手の人は背中の開いたドレスで着飾り、バイオリン
の人もドレスで手抜きなしといった感じでした。

三人でやったり、ソロでやったりしてあっという間に前半終わりで、
全体的に誰でもしっている映画の曲や定番曲だけやったという感じです。

参加者もいつものピアノコンサートで見かける人たちと微妙に違って
いたようです。

後半、三人で日本の童謡とか唱歌をやったのですが、これが四季
をテーマにしていたのですが、メドレーでよかったと思いました。

というのは、ふるさとを通しで聴いたらきっと泣けてしまった
だろうという気がしたからです。

2番3番の歌詞が特にぐっと来ますよね。

2番などは自分の親をつい思い出してしまうし、そのあとに
志を果たしていつか帰るんだぞとふるさとを思い出すなんて
どうしても泣かそうとしているとしか思えません。

でも被災地の人に聴かせるのはつらい内容です。

そんな事を思うとどうしても、うるうるとして来てしまいます。

アンコールでプッチーニの誰も寝てはならぬをやりましたが、
これは何度も聴いた曲であり、イナバウアとともに荒川静香の
舞を思い出す人もいるでしょう。

私は、パバロッティの歌を思い出してしまいました。

こうやって思い出すだけで、結構盛りだくさんのコンサート
の感じです。

終わった後妙な疲労感も感じました。

ピアノは、昨年と同じ幻想即興曲をやったのですが、なんか
物足りない。というか、一番最後の方がばたばたと崩れた
感じすらしました。

なんかおかしいなあという感じ。

ピアノのソロになると次元が変わるかのようなトリップ感まで
あるものの、いつもの深みに足りない感じでした。

ソロの中では、今回幻想即興曲より、シューベルトの幻想曲
第3番がよかったと思います。

ただ、ピアノの余韻もそこそこにすぐにヴァイオリンのソロに
なり、身近でソロを聴く機会もないので目新しさもあり、印象的
な体験となりました。

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