King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

プゾーニシャコンヌを聞きに行く

2023年10月01日 23時57分00秒 | ライブ・コンサート・展覧会





いつもの伝承館にピアノを聞きに行きました。
いつもの地元ピアニストの高橋望でなく、鈴木啓三という秩父出身のピアニストです。全然知らない人ですが後援会がいつも納品している喫茶店にあるためポスターが目に止まり何よりシャコンヌの文字に引かれて電話で券を申し込みました。
当日のプログラムはモーツァルトピアノ・ソナタ10番ベートーヴェンビアノソナタ23番熱情シューマンアラベスク、シューベルト楽興の時、シューベルト即興曲、プゾーニシャコンヌです。
当日は雨の日曜日でしたが、色々なイベントがあり市民ホールはたい平の独演会も同じ時間にあり、開場15分前の1時15分に家をでましたが、駐車場入り口は大渋滞でどうにか駐車スペースを確保できました。コロナ以降こんな思いをするのは久しぶりでした。
開場に行ってみると、入り口前テラスはいつもの客層とは違う人たちでまあまあの人がいます。まあそれでも階段席の7割ぐらいのいりでしょうか。ピアノの置かれた両サイドにも椅子が並べられていましたが座る人はいませんでした。
演目は知ってる曲ばかりですが、演奏者はいちいち全て解説をしてから演奏しました。昔高橋望もそんな演奏スタイルで何だか昔に引き戻された感じを抱きながら聞いた曲はcdなど全部持っていて他の演奏を知るだけにああこれはと感心したり聞き入ることもなく、違いをいちいち指摘することもなく
聞きました。まあ、一番聞きたかったのはピアノでどうトランスフリクションされたのかが知りたく、ヴァイオリンで聞くシャコンヌのようにまた目の前に大伽藍が表れるのか、どんな手法でヴァイオリンに迫ったのかでした。音を足したり引いたりでそれが達成されたのかが非常に興味がありましたが、生の音楽でしかなされないまたは感じられないこととかまた今回も十分感じられました。次の予定でアンコールまでいられなかったのが残念でしたが、ビアノの可能性とか能力とかを感じたプゾーニの編曲でした。チョンギョンファのシャコンヌが人生の深淵を問う演奏ならばバッハはそう言う作曲家であり演奏者は常にそれを聴衆に問い人生のどの位置にいて何をなし何を果たしたのかを問いたださなければならないのです。
トラスフリクションされピアノに置き換わったとしてもバッハの世界観は同時に迫り、音の大伽藍が目にできなくても積み重なり姿を表さなくても、バッハの世界観は響き、迫ってくるべきなのです。チョンギョンファの演奏が俊敏で野生動物のような情熱的演奏で駆け上がるような音の伽藍がピアノでどうなるのか味わえてよかったと思います。楽興の時の解説の時話されていた転調とか長調なのに悲しいとか、そんなのが伏線になり最後にシャコンヌなのかとそんな演奏でした。詳しく知りたければ試飲のおりにお話しますので予約入れてください。
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