King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

不死身ネタ

2019年10月02日 10時44分07秒 | 映画

もう見なくていいかなと感じ始めたアマゾンプライムですが、ちょっとした空いた時間に

見た『Preacher』はくだらないアメコミの実写化でとにかくハチャメチャな内容です。

 

『亜人』とか進撃の巨人を見た時には独特の設定を感じ日本独自の発想だと思っていましたが、

このプリ―チャーやfoeverDR.モーガンNY事件簿を見て死んでも生き返るというネタは

いくつもあったことであり、どうやらそんな発想とか元ネタでこれらの物語もできたのかと

いうことでかつてほど新鮮な感動もなく、こういう事だったのかという落胆もでてしまった

のでした。

 

そしてすべてに共通することはなぜ死ななくなったのかという科学的根拠はないのです。

 

ただ、進撃の巨人のようにいきなり主人公が巨人に食われ死んでしまったと思ったら実は

巨人になり再生したというのは一番新しく、全く新しい発想といっていいかもしれません。

 

プリ―チャーではギャングスタ―に神秘的力が授かり、バンパイアという不死身の男とその

意味を探るという神を探すという命題が今までさんざんあった命題ながらハチャメチャで

やりたい放題のようでいて色々な設定の中でも何が真実で何が正義かを考えさせてくれる

バカらしい娯楽作品です。

 

崇高な芸術作品とはかけ離れているものの誰でも踏み入れられる入り口の低さと踏み倒された

道徳に改めて考えて実は簡単に正義をかざしたりしないところに確実な自身の正当な判断が

必要になるところがこういうストーリーの醍醐味です。

 

西欧文化の中に昔から出てくる吸血鬼や狼男、魔法使いなど最近ヒーローものはみんなかつての

ヒーローを戦わせたり、より集めてスペシャルチームを作ったりとやりたい放題となっており

かつての枠組みを外す作風はますますエスカレートしています。

 

それに有料配信という流通制度によりかつての映画並みの予算がドラマ制作にかけられる

ようになり、映画の存在もかなり怪しくなった感じがします。

 

それらネット有料配信や有料チャンネルのドラマに大物俳優が普通に出るようになり、

映画の格とか監督の格とかも段々失われ有名ドラマシリーズや制作チャンネルに出る方が

うまみが強くなるなど我々の生活にも影響する事態になっています。

 

娯楽としての映画が脅かされている現状は今年は特に如実に感じます。というのは

一番近くのシネコンに今まで見ていた映画が来なくてかなり遠くに出かけないと見れない

状況なのです。自然映画館に出かける機会も少なくなり、そうすると別にネット配信された

時に見ればいいかという態度になってしまい、ますます足が遠のくのです。

 

これは大変由々しきことで色々な選択肢を狭めることになり、外出の機会も減らすことに

なります。

 

かつてパソコン通信で色々な趣味の人と簡単につながりオフ会などという新たな出会いなど

さらなるコミュニケーションがあった時代からSNSというひとクッションある感じで簡単には

繋がった感じもしない昨今ではいいねを付けた間柄というだけでは何かおかしな感じを受けるのは

私だけなのでしょうか。

 

 


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