King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

公示力と公信力

2024年04月18日 12時32分19秒 | 日々のこと
さだまさしと泉谷しげるの能登訪問の動画に感想をのべる男性の言葉に愕然としました。
毎日自衛隊の風呂にはいり、炊き出しのごはんを食べるだけと言ったのです。
これは立場こそ違え我々よそから見ている人間にも言えることでかっこでくくればみんな同じなのです。
私で言えば毎日走って季節の移り変わりを肌で毎日感じ取って豆を焼いてをかっこで閉じればあとは同じです。風呂にはいってごはんは家人が作るものを食べてるだけです。
さだや泉谷の歌がそれ以外になったのは幸いです。
現地の人のかっこ内は家の片付けとか再建に向けた動きでしょう。
それを阻んでいるものが家の登記だといいます。
今までは表示の登記だけ義務で権利の登記は任意だったのですが、権利相続については義務に変わりました。今月からです。
これは日本の登記制度が公示はしても公信力がないというものでその結果日本各地に空き家が増え持ち主の判らない家が増えてしまったためやっと改正されたのです。
しかし、日本の建築基準法は戦後に作られ木造の小さくて耐久性のない粗末な家が乱造されました。結果、都市の安全や経済的な豊かさや豊かな老後まで脅かされています。つまりは法の精神が制度設計や将来のビジョンを持たず矛盾をはらんだまま放置された結果です。農業や食の安全国民の命の問題もそうです。なにもすべて国に頼ろうとは思いませんが、憲法の定めるところ理想を掲げたならばそれにふさわしい立法と制度設計と運営が求められます。表示登記の義務というのはもっぱら徴税のためですが、国は個人の財産と公に示すが保証するもんではないです。とは、あまりに無責任であり時代にも則していません。登記簿をネット化してオンライン登録ができるよう電子化が進められてきてそれは今まで印紙を貼って手数料を納付という無駄な事務を長年やりその額を増やすことで電子化を進めてきたのです。そういった事務を司る人間や経費を省き利用者や国民の負担を減らすべきでそういった面での改革はまだまだ世の中と制度と法の精神と統一がなく、今家を自治体が個人に代わって取り壊しを行おうとしてその登記と真の所有者が判らないという事態となっているのです。しかし、そんな家でも誰かに課税されていたはずなのに今まで行政は何をしていたのかとあきれるばかりなのです。
あの自衛隊の風呂にはいって炊き出しのごはんを食べるだけの人に是非かっこのなかに道路の整備や瓦礫の除去といった作業に徴力してかっこ内を与えることが望まれます。
今年金問題が物価高で制度設計や公平な見直しが求められています。これは年金をいくらとるという単純なことで見直すのでなく、人口減や資産形成まで見据えてビジョンを設計しないと人が安心して暮らせる社会は築けないのです。日本の借地法や建築基準法では個人の資産形成や法の保護が弱く、家がぼろくて住めないのにローンは残る様な状況でそれを相続する人も負担ばかりで壊すことも売ることもできない家ばかりです。今後建て替えのできないマンションが廃墟化する現象が都市部で多発するでしょう。将来の夢は家を持つ。家を手に入れたら年を取り働けなくなっても融資なり賃貸で楽々暮らしていけるという社会でないと国民はいつまでたっても豊かになれません。それには木造一戸建ては20年たったら価値がないという現行の法の精神から変えないといけません。不動産登録税とか不動産流通にかかるコストは下げ不動産そのもの価値を高め個人の資産形成が都市の魅力を高めるような法設計をして人口減を防ぎ持続可能な社会を目指すのです。食の安全や添加物やら健康に関する法も見直すべきです。第一次産業を組織化し効率と魅力ある生産現場にすれば担い手も自然との共生や安全で味のよい健康的な食品も増やせると思います。利益と政治家を排除して制度設計していけば受益者に行き渡るすみたい社会になり人も増えてという方向を目指すべきです。それには皆さんがそれぞれのかっこのなかにかけることがらを示すことから始まるのではないでしょうか
コメント (1)
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