King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

消え入りそうな、踏ん張ってるような

2013年08月08日 10時10分56秒 | 日々のこと
夏のイベントも色々ありますが、昨日はなぜか
七夕のイベントで全く関係もなく、呼ばれたわけでもない
のですが、一観客として商店街の催しを見て回りました。

というのも秩父の七夕というと夏の一大イベントであり、昔の
賑わいが強烈に頭にあるからで、今年もチラシが入りフラダンスの
パフォーマンスもあるというので夕涼みがてらその郷愁に乗って
みました。

とはいえ、この夏の一大イベントとしての七夕というイメージは
もしかしたら私たちの世代だけかもしれません。

同級生の友人に昔は新聞に市長賞とか金賞とか飾りの表彰が
あり、とにかくにぎやかなイベントだったという話をしてもピンと
来ないようでした。

商店街には七夕飾りがあふれ、車はもちろん人でさえ行きかうのに
その飾りをかき分けて通るようでした。

秩父に限らず、商店街の夏のキャンペーンはやっているわけで、
サンバチームが練り歩くとか夏独特なお祭りムードにあふれている
ものです。

そんなものをイメージして、フラダンスも色々なチームがその技を
披露して暑いイベントになっているのだろうと勝手に妄想して、
フラダンスを見に行きました。

私もイベントに参加した時にそういうフラダンスの人と一緒に
なったりしてどんなものをやるのかは見ているのですが、昨日
見たものは普段公民館やらでやっている熟女のおば様たちが
ドレスを着て上腕三頭筋のところの肉をひらひらさせるという
シュールな踊りでした。

その独特の存在感とパフォーマンスの特異な世界は思考停止を
呼び、懐かしい昔の思い出も砂浜に作ったお城のように大波ひとつ
で元の平面に帰すような勢いてなぎ倒されていくのでした。

昔はどこの一般家庭でも竹に短冊をつるした飾りを飾っていましたが、
今や商店でも飾りを出しているところは稀で、それでも毎年新聞折り込み
が入り、歩行者天国になる商店街にはそれだけのお金がかかっている
事業であり、お祭りらしい人出があっていいバスなのに、賑わいは
何ともわずかなもので見かける顔もどこかで見たような人の顔で
あちこちから挨拶の声が掛ります。

お花畑から秩父駅まで続くこの商店街は、昔は焼き鳥屋やホルモン焼き
の店から出る煙と臭いでもうもうとした靄の中にあり、そこを野良犬が
酔客から噛み切れない肉を分けてもらおうと興奮して走りまわり、
子供などは怖くて出歩けないところでした。

そんな昔の情景を思い出して、今の寂びれきった様と比べてしまう
といつもだと走っている今の時間とちょっと商店街をあるっただけの
昨日の方がはるかに疲れているのでした。

町はきれいになり、清潔で便利に様変わりしているはずですが、
昔の活気と人の生きるエネルギーがあふれるようなものが無くなり、
豊かさとは何かと自然と考えさせられます。
コメント
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