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King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

LOSTとねじ巻き

2011年10月25日 09時11分11秒 | 日々のこと
新タイムが出なくなって半年位たつでしょうか。

カンフル剤になればとランニングウォッチを
買ってみました。

初めて使ったのが、金曜日でした。なぜかタイムは
2分も遅くなっていました。

走っているときも早く走れているつもりでしたが、
タイムは遅かったのです。

次の使用の昨日も雨の中なのでゆったりと走れば
いいというつもりでしたが、徐々にペースはいつもの
ものとなり、さてタイムはと見ればやはり悪いのでした。

さらに、まだ操作がよく解らず操作ミスもあり、うまく
計測できないラップもありました。

それにしても、この時計の方がタイムが遅く出るので
はないかという疑念まで湧いてしまいました。

昨日、そんな中やっとLOST全シーズンを見終わり
ました。

本は、『ねじまき少女』というSFを読んでおり、
この異なった世界観が時として入れ替わりたち替わり
想念に現れるという状況です。

LOSTはテレビでやったシーズンからずっと放送が
なかったのですが、痺れをきらし見てしまい、やっと
すっきりした感じになりました。

しかし、内容を思い返せば、シーズン6の存在価値は
いかばかりかと思います。

別にシーズン5の水爆起爆で終了でいいのではと思え
ます。

5で今までの謎を急速に解決するかのような展開で
小気味よく物語が展開したものの、6では一転宗教的
哲学的なテーマに物語が移り、島の存在や謎が出尽く
した途端もはや善と悪といった対立構成しかとり得なく
なった苦肉の策で物語がつまらなくなり、ありきたりな
結末になった感じです。

宗教的な舞台設定や哲学的な要素を持たせると古典的な
作品を踏襲する以外物語に信憑性を持たせることが
難しくなり、ありきたりなどこか見た物語に成り下がった
のです。

煉獄を行くダンテのような感じです。

つまり、これはキリスト教的な考えなのでしょう。

色々な国籍の人が出て来ているかのような感じですが、
そういう意味で考えて見るとそう多くの国の人がでている
訳でもなく世界感覚からいくと本の一部でしかありません。

日本人登場もドラマの売り方として市場をにらんだものか
という気もしますし、その存在感のなさや出しては見たものの
やはりダメと言うのは、見る方として日本人の存在が
ぞんざいな扱いを受けたような世界的に今の日本を表して
いるような感覚も受けます。

ただ、神曲の世界なら仏教的な日本人感もそぐわないのは
当然で、タイやカンボジアの遺跡のような寺院にいる日本人
というのはとても絡みにくかったので即刻退場にしたので
しょう。

そこで最近、しばしばニュースにも登場するブータンの
仏教感覚を思い合わせる事になるのですが、それはまた後ほど
書きます。