King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

現実の町

2011年06月13日 11時31分34秒 | 日々のこと
先日の夢に見たピカソ公園の事を考えています。

というのは、架空の公園の事なのですが、それを
作品に書くとそれを探して作品の世界を現実の世界で
探すというファンが現地を訪れる。

しかし、現実にはなくて、ここがその公園なのだろうと
いう特定をして、ネットに公表するファンがいる。

聖地巡礼と呼ばれるこういう作品のモデルになった地を
訪れるという行動が多くなった背景にはどんな思いが
あり、どんな心理なのでしょうか。

例えば、イーハトーブという村はないと皆しっています。

宮沢賢治の世界をより知りたくてその架空の村を生んだ
岩手にそのイーハトーブを訪ねます。

注文の多いレストランもグスコーブドリの家もないのです。

しかし、宮沢賢治の作品世界を少しでも味わいたくて人々は
岩手や花巻を訪れます。

そして、自分の中にしっかりとイーハトーボを描いて
家に帰るのでしょう。

そう思うと、今秩父におきているような聖地巡礼とそれを
観光に結び付けようとする人々の様子は違和感を感じ
させるのでした。

昨日の配達に出掛けて東町の交差点で見た光景がまさに
そんな感じでした。

あの花の聖地巡礼らしき若い男性の二人連れが矢尾の建物を
見ながら手にしたマップと比べてああだこうだいっているのを
反対側にいた地元の親子らしい女の人が二人でニヤニヤして
いるというものでした。

あの花の町の風景は、秩父の町がそのまま写実的に登場し
地元の私などはドキッとしてしまいますが、アニメファンが
こうも多く訪れる様はかつて色々な物語やテレビドラマの
舞台になっているのとは違う様子です。

彼らが何を求めているのか、秩父に何を感じるのかは謎ですが
私も作品の舞台を訪れ幻想の世界に遊ぶような体験をした事が
あります。

逆に作者の生誕地や生家を訪ねて作品や世界観が傷ついた事
も多々あります。

知り過ぎるのも傷つくもとになるのです。

そんな聖地巡礼ですが、アニメファンの人がやっている事は
何かまた別なもののような気もします。

登場人物の家を特定。とか、コスプレとか楽しいのでしょうか。

聖地巡礼の成果として色々発表している人もいます。

地元としては、それをここぞとばかりの稼ぎ時とマップを
つくり、旗を飾り出迎えて経済効果をはやしますが、実際
どんなものかという思いを強くします。

秩父の花は武甲山の岩桜でした。

その花が矢尾のショッピングバックのデザインにもなっています。

ところが芝桜が全国的にヒットとなると市は市の花を芝桜と
しました。

これなどは最近の民主党のやっていることに通じるものを感じます。

大衆に走る、人気取りに終始する政治の行き着く先はみえている
感じがします。

秩父にも日本にも大衆を導く人はいないということです。

ピカソ公園の夢にそう現実でした。

コメント
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